2-4 ネオン街の断片

「愛してるよ、姫」


 このセリフがこれほど陳腐な場所はここしかないだろう。

 ホストクラブ『エウレカ』で売上ナンバーワンであるイブキは、一日に何度も息を吐くようにこの言葉を吐く。告げる対象は一時間に一度変わる。

 ホストという職業は、日付が変わる頃にアフター対応でカラオケやバーに行くことを含めると、ハードだと思われがちだが、意外と規則正しい生活だ。

 イブキは朝五時に寝て昼に起き、ジムで軽く汗を流してから美容院へ寄り、夕方五時に出勤するルーチンだ。そこから午前一時まではホストに徹し、その日の売上一番の客と軽い食事をして解散。

 俗に言う『枕』はしないことが信条で、紳士的な態度と聞き上手だけでナンバーワンになった。

 ギラつくシャンデリアと暗い照明、多少何かをこぼしても平気な合皮ソファと、液体で滑りやすくなる人工大理石の床。

 安っぽいインテリアでも、派手なメイクのホストがオーバーな笑顔と仕草でたくさんいれば、華やかに変わる。


「イブキ。今日元気ないね?」


 少し考え事をしていたらすぐに見抜かれてしまった。こういう場所を訪れる客は、皆接する人間の態度や表情を過敏なほど観察する。油断は禁物だ。

 イブキはすぐに眉間を寄せ、悩ましげな表情を作ってみせる。

 

「姫がしばらく来てくれなかったからね」

「っ、ごめんね」


 職場のストレスをホスト通いで発散するという会社員の女性は、アヤネと名乗っている。本名ではないのは、カード名義で明らかだが、知らぬふりをしている。

 月に一度、上限額いっぱいまで使って、また頑張って働くのだと笑うのを、どこか憐れみの目で見てしまう。泡沫うたかた享楽きょうらくがなければ働けないものなのだろうか。


「姫こそ、ストレス溜まっているんでしょう? 全部吐き出していきなよ」


 全く無関係な人間が垂れ流す愚痴を聞くなど、イブキにとって造作もないことだ。

 言葉は言葉でしかなく、耳に入れても心まで入れなければ良い。

 だが――


「なによ! 他の女、いるんでしょう!」


 ガチャン!

 

「失礼いたしましたぁーーーーーっ!」


 即座に叫ぶボーイと新人のホスト――ものすごいイケメンだが、引っ込み思案で影が薄い――が迅速に動き、床に散乱したグラスの欠片を回収する。あっという間に床はモップで拭かれ、何事もなかったかのように戻るが、興奮した女性だけは立ったまま肩を怒らせ髪を振り乱している。

 見慣れた光景だから、周囲の客もまたか、の雰囲気で落ち着いている。

 罵倒されているのはナンバーツーのトワだ。金髪に琥珀色のカラコン、派手な色のスーツのいかにもな見た目で、調子の良い接客と枕のハードルが低く、危ういと思っていたところだった。


「他の女ってどういう意味~?」

 

 こういう時、慌てず相手に説明させるのが上手い、とイブキは一旦様子を見ることにする。


「分かってるくせに! 今日も行けないってどういうことよ! あたし以外とはアフターしまくってるくせにっ」

「愛情の深さで選んでるだけだよ」

 

 愛情の深さイコール金のことだが、女はまるでそこに本物の愛があるかのように振る舞う。


「こんなにっ、愛してるのに! トワだって、あんなに言ってくれてっ……」


 イブキは、先ほど言ったばかりのセリフを思い出す。

 ただ息を吐くように言っているだけで、心は乗っていない。そんなものが一体なんの証明になるのだろう。


「落ち着いて座ってよ。オレを独り占めしたいだなんて罪なことだよ?」

「分かってるもんっ」

「応援してくれないの? 毎日、こんなに頑張ってるのにさ。やっとナンバーツーになれたんだよ」

「!」

「さ、機嫌直してよ姫。ね?」


 トワはこれでもかと甘い顔で笑う。

 目に浮かんでいるのは侮蔑でしかないが、こんなに暗い照明とギラギラのシャンデリアの中では気づかれない。

 

(そいつの本命は、通り挟んだ向こうのキャバ嬢だよ)


 トワの彼女は、明らかに目と顎にメスを入れていると分かる不自然な美人だ。そして傍らにはいつも違う男を連れている。はたして本当に彼女なのだろうか、とまで考えたところで無駄だと気づき、イブキは隣に座る姫に向かって微笑んだ。


「騒がしくてごめんね、アヤネ。お詫びに一杯奢るよ」

「え」

「さっきまでの騒ぎなんて忘れて、乾杯しよう?」

「うん!」


 トワは騒いだ女の名前を覚えているのだろうか――最後まで『姫』と呼んでいたからきっとそれだけの存在なのだろう。

 虚構まみれの世界で、イブキはただひたすら、たった一人を探している。


 大切な大切な、自身の分身を。


  ◇


「うわ。また厄介なのを連れ帰ってきたね」


 閉店後のねこしょカフェで、猫又のシオンが怫然ふつぜんと両腕を組み仁王立ちしている。感情的になっているからか、人間の格好をしつつも頭頂から猫耳、お尻からは尻尾が生えている。


「そう怒るなって、シオン」

「怒るさ! 天はまたそうやって面倒事ばっかり持ってくる!」

「俺かよぉ」

 

 がしがしと後頭部を掻く天だが、決まりは悪い。なぜなら奏斗がずぶ濡れの体を小刻みに揺すりながら、ぶつぶつと何かを呟き続けているからだ。

 目は虚空を睨み、生気がなく、明らかに様子がおかしい。

 ねこしょカフェ入口では、蓮花が愛刀の『蓮華れんげ』を片手に、緊張感を持って立っていた。

 光晴はカウンターの中から小走りで出てくると、手に持った紙札を天に見せる。奏斗はその表面を見た瞬間、さっと表情を変えた。

「ひ!」と悲鳴を上げ、逃げようと身を翻したが、天に背後から羽交い締めにされる。


「おう、それでいい。やってくれ」


 天に促され、光晴は深く吸い込んだ息をゆっくりと吐き、奏斗の額に札を貼りながら静かに告げた。


「……六根清浄ろっこんしょうじょう急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう


 虚ろだった奏斗の目に、徐々に光が戻ってきた。

 さきほどまで恐ろしくてたまらなかった光晴の札が、ただの紙に変わる。

 

「あ……?」

「おかえり、奏斗くん」

「みっちーさん? ……ただいまっす」

 

 紙札を回収し奏斗へ微笑んでみせた光晴だったが、天を見上げると眉を釣り上げる。


「無茶すぎるよ、天さん」

「見事な浄化だったぜえ。この俺も退散させられっちまうかもなぁ」

「誤魔化さないで!」

「悪かったって。カナトがいきなり突っ走るからよぉ」

「それを止めるのが、天さんの役目!」


 ぎょっとした奏斗が自分の体を見ると、なぜかびっしょり濡れている。

 

「あれ? 俺、呪われて?」

「おう。今みっちーが祓ったとこだ」

「はらった……でも、……」


 ばっと奏斗は、蓮花を振り返った。


「俺、なんか記憶? あるみたいです。蘭さんの。ところどころおぼろげですけど」

「そうか」

 

 蓮花は痛そうな顔を一瞬した後で、いつもの仏頂面に戻る。


「聞かせてくれないか。分かるものだけでいい」

「はい、っくしょい」


 冬に差し掛かったこの季節に、全身が濡れていた奏斗は、返事と同時に盛大なくしゃみをした。

 

「わあ! 風邪引いちゃう!」


 ドタバタと走ってカウンターの奥からタオルを持ってきた光晴が、遠慮なく頭に被せてがしがしと拭き始める。身長差のせいか少し爪先立ちで、必死に見えるから、奏斗は笑ってしまった。


「ふふ。自分で拭けますって」

「はああもう。濡女に呪わせるとか、ほんと何考えてんのか……」

「濡女?」


 光晴からタオルを引き継ぎ、奏斗が自分で拭き始めたところで、ようやく蓮花が刀を手のひらにしまい、歩み寄ってきた。


「ああ。蘭は、濡女になっていた可能性がある」

「っ、それって……」


 ずしん、と奏斗の両腕が重くなった気がした。耳の奥で、赤ちゃんの泣き声がする。

 すると猫の姿になったシオンが奏斗の肩に飛び乗って、一声「にゃあん」と鳴いた。たちまち幻聴が薄れ、腕の重みもなくなる。

 奏斗が感謝を込めて体を撫でたところで、シオンが猫のまま語り出した。


「濡女はね、水際に現れる妖。抱いている赤子を人間に渡した後、海とか川に入る。するとどこからか牛鬼ぎゅうきが現れる。人間は、抱いている赤子を投げ捨てて逃げようとするんだけど、赤子が重い石に変わって離れなくなる。その間に、牛鬼に喰い殺されてしまうのさ」

「うわー」


 奏斗は大きくぶるりと体を震わせ、言った。

 

「だから、赤子を渡そうとしてるのか」

 

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