派遣退魔師、参上! 〜オフィスで無双いたします〜 2

 朝の出勤時間。

 社員証をカードリーダーにかざしてから入室すると、橋本が寄ってきた。


「おはよん、蓮花ちゃーん」

「おはようございます。橋本さん。すみませんが、その呼び方は不快なので、やめてください」

「朝から塩対応!」


 このやり取りも、日常になりつつある。蓮花はスルーしつつ自席につき、ラップトップの電源を入れる。

 机の上に『会議資料、コピー願います。十五部』と付箋の付いた資料が置かれていた。

 何時からの会議で使用するのか、など必要な情報が全く書かれていない。仕方がないので、最優先で対応しておこうと判断し、コピー機へ向かう。


「蓮花ちゃーん! なんか手伝う?」

 

 何故か橋本が、後ろをついてくる。

 この男は、これをセクハラだと訴えると、無視されたからだ、と訴え返す。そのため、人事も対応しかねているのだそうだ。

 鉄の心臓だな、と蓮花はある意味感心する。

 一日に何度もSNSのIDを聞いてきたり、隙を見て肩に手を置いたり、髪に触ってきたり。

 そんなことで女性の好意を得ることができるなどと、本気で思っているのだとしたらおめでたいなと蓮花は思っている。

 黙っていたら、そのままコピー機までついてきたので、さすがに不快感で口角が歪みそうになった。

 

「ねーねー。その地味眼鏡の下、見たいな。なんで髪の毛染めないの? 逆に黒髪、燃えるけどねっ」


 反応したら負けだ、と蓮花は徹底的に無視をする。

 

「冷たい態度も、燃えるね」


 いっそのこと燃え尽きてくれまいか、といよいよ蓮花が大きな溜息を吐くと、珍しく二神が話しかけてきた。


「申し訳ない。ちょっと至急でそのコピー機、使いたいんですが」

「ちっ」

「はい。どうぞ」

 

 蓮花がコピー機に広げていた資料をどかそうとすると、二神がはたと動きを止めた。

 

「あれ、それ……ちょっと見ても良いですか?」


 二神の視線は、書類の上にある。

 何か問題でもあるのだろうか、と蓮花は素直にうなずいた。

 

「ええ。どなたのものかは分からないのですが、このメモがついていました」

「おかしいな? ペーパーレス推進だから、資料の印刷はしなくなったはずなんです。このメモも、誰の字だろう? 一課長に確認した方が良いかもしれません」

「そうでしたか。教えてくださってありがとうございました」

「いえいえ、どういたしまして」


 言われてみれば、印刷の指示ならメールと添付ファイルですれば良い。機械的に指示に従おうとした蓮花だったが、ようやく違和感を持った。今どき、紙をコピーするだろうか。


(私としたことが。盲目的に従ってしまった……もしかして、妖の仕業か!)


 考えるのはとりあえず後にして、一課長はデスクの方を見ようとすると、視界に橋本が立ちふさがった。

 

「あのさあ。なんで俺のことは無視してんのに、二神とは話すんの? 差別じゃない?」


 ガシャン、ピッ、ピッ。――ウィーン……シャコーン、シャコーン。


 蓮花は、背後で二神がコピーをしている音を聞きながら、淡々と答えた。


「業務上の会話です。橋本さんのは、業務ではありません」

「うわ、傷ついたあ! 差別ー」


 ――シャコーン、シャコーン。


「差別?」

「そうだよ。俺は無視、二神は無視しないじゃん」


 その言い分で、本当に通じるとでも? と蓮花は呆れる。

 

「口説いてやってんだからさ、少しは嬉しそうに」

「口説いてて、上から目線ですね」

「女なんて、どうせ若いうちしか相手してもらえねえんだからさ」


 ――シャコーン、シャコーン。


「橋本さん。ここ、オフィスですよ」

「優等生ぶんじゃねーよ。派遣やってるぐらいなんだから、男漁りに来てんでしょ」

 

 なかなか凝り固まった価値観をしている、と蓮花は呆れを通り越して感心した。

 世間には様々なライフスタイルがあり、働き方もそれぞれだ。そんな簡単なことが分からないような人間に、わざわざ時間を割いてまで議論する価値もない、と判断を下す。


「すごい決めつけですね。非常に不快なご発言をされていること、お分かりにならないのですか」

「そっちこそ、この俺が話しかけてやってんのに、無視してんじゃん」

「会話になりませんね」

「あ! 今バカにした?」

「していません。事実を申し上げました」

「あーあ、社員にそんな口きいたらクビだよ、派遣ちゃん。クビにしてあげるねっ」


 ――ぞわり。

 蓮花の背筋が、途端に粟立った。

 不吉なの、存在感が増したからだ。神経を集中させて探ってみるが、居場所は把握できない。オフィスには人が多すぎる。


「やれやれ。完全にアウトですね」


 振り返ると、二神が冷えた目でスマホを耳に当てていた。

 

「渡辺部長、今の発言。全て聞かれてましたよね」

 

 二神が言い放った名前に、蓮花は覚えがあった。派遣契約書の責任者欄に、そのような苗字が書かれていたはずだ、と記憶を辿る。

 

「あ? おい」


 橋本が戸惑いながら二神に近寄っていくが、二神はまるで橋本がそこにいないかのように、宙を睨みながらスマホへ次々と言葉を投げかける。

 

「あとのことは、お任せしますね。朝から大変不快でしたので、しかるべきご対応を迅速にお願いいたします。ご対応のない場合、通報窓口からエスカレーションさせていただきます。ええ、ええ。はい。そうすると法務案件にならざるを得ないこと、もちろん存じておりますよ。では」

 

 タップして会話を終わらせた二神は、橋本に言った。

 

「こんなクソと同じ会社の人間だと思われたくないな。大変でしたね。えっと……」

「霞と申します」

 

 二神の気遣うような態度に、霞は安心して名乗ることができた。このあたりの紳士的な所作こそ、営業成績に反映されているのだろう。


「霞さん。人事部長に今の発言、聞いていただいていましたので。安心してください」

「なるほど。それはお手数をおかけいたしました」

「こちらこそ。不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ありません」

「は? おいなに勝手に」


 二神も橋本を無視して、彼の背後へと声を掛けた。

 

「一課長、渡辺部長からお呼び出しがあると思いますよ」

「……分かった」


 いつの間にかコピー機エリアには、多数の社員たちが集まっており、その中に橋本の上司である一課長もいた。


「いやいや、俺社員だ……」

「橋本っ、お前はもう黙れ。こっちに来い」


 橋本は不満げだったが、手招きをする上司に渋々従った。蓮花たちにブツブツと悪態を吐きつつ、ようやく去って行く。


(課長も、アウトだね。私への謝罪がなかった)


「一課長もダメだね。情けないなあ」


 二神の独り言と全く同じタイミングで同じことを思っていたので、蓮花は思わずまじまじと二神の顔を見てしまった。そしてその肩越しに尾崎の目線を感じて顔を向けると、すぐに逸らされ立ち去られてしまった。なぜか顔面蒼白で、怯えているように見えた。


 ◇


 結局橋本は、自己都合退職になった。

 人事部長は『セクハラでクビになるのと、自分で辞めるのと、どちらが良い?』と聞いたらしい。甘いことだな、と蓮花はため息を吐く。

 再教育を行わず、あのような考えの人間を『大企業の職務経歴』保持のまま世間に放流する。人事は人事たる仕事をしていないことにも、気づいていないのだろう。

 

「資料、メールで送っておいたから。期限までに仕上げて」

「間に合わないようでしたら、残業してもよろしいでしょうか」

「ああ」


 橋本の件の八つ当たりなのか、一課長がプレゼン資料作りを蓮花に丸投げしてきた。

 来月行われる展覧会の出展企業ブースで流す、製品のカタログを作るとのことだった。

 

「承知いたしました」

「うん。要るならこれも、持ってって」


 電子カタログと突き合わせるための冊子カタログを手渡された。PDFを見ながら対象となる製品に付箋を貼ることから始めるか、と蓮花は自席に戻る。

 業務量はどうかと思うが、夜のオフィスも調査できる、と前向きに考える。


 出てくるか。誘うか。

 展覧会まで、十日ある。

 この十日が勝負だ、と蓮花は自身の左手のひらを見つめる――親指の付け根に、小さな蓮の花の刺青いれずみがある。いわゆる『すじり』と呼ばれる青い線のみのもので、ぱっと見はそうとわからない。万が一誰かに聞かれても「痣です」と言って誤魔化している。


蓮華れんげの出番、あると思う」


 呟くと、じくっと刺青が疼いた。


 ◇


 月末の締め後の、水曜日。

 全体の業務が落ち着いたせいか、残業をしているのは蓮花だけだ。

 正社員の同席は必要かと聞いたら、オフィスは自動施錠、ビル入口には警備員が常駐。残っていることだけ伝えていれば大丈夫、ということだった。過重労働や情報漏えいリスクを考えていないとしか思えない杜撰ずさんな管理体制に、溜息しか出ない。


「さて。どう出るかな」


 妖の気配が最も増したのは橋本に絡まれた時で、それ以降を潜めてしまっている。だから、餌を蒔いた。


『私、最近ずっとひとりで残業なんです。憂鬱です』――と。


 ラップトップ右下の時計は、夜九時を回ったところだ。静寂の中、必要最低限まで照明の絞られたオフィスで、ディスプレイのライトが蓮花を照らしている。

 カタカタ、カタカタ、カチッ、カチッ。

 画面上でカタログの写真をスクリーンショットで切り取って貼る。商品説明を下段にコピーして、体裁を整えていく。スライドショーが切り替わる際の、アニメーションも付ける。

 カタカタ、カタカタ……。


「がんばってるねえ、れんかちゃーん」


 画面から目を上げると、オフィス扉の前にゆらりと立っていたのは――橋本だった。だらしないスウェット姿でへらへらしながら、こちらへ歩いてくる。


「橋本さん。退職されたのでは」

「社員証返しに来たんだよ」

「お疲れ様でした」


 蓮花の一言が、橋本の逆鱗に触れたらしい。

 

「こんのぉ! お前のせいでええええええ!」


 激高して、襲い掛かってきた。


「はあ。うるせえな」


 蓮花は立ち上がると――橋本の振りかぶった拳を手の甲で弾き飛ばすや、手首を掴んで後ろ手に捻りあげる。


「あ!?」

 

 動揺する橋本の足首を蹴り飛ばし、床に倒す。つっ伏す姿勢にさせてから背中に膝で乗り上げ、腕を引き絞る。


「いてえ!」

「女を言葉と暴力で支配できると思っている、ろくでなしが」


 ぐりぐりと背中に膝頭を押し付けながら、蓮花は努めて淡白な口調で告げる。

 

蹂躙じゅうりんされた気分はどうだ、ゴミクズ野郎。てめえのような脳みそ空っぽの、下半身だけで生きてる奴に、価値なんかねえよ。てめえが辞めた時、誰か惜しんでくれたか?」

「いだだだ!」

「女は若いうちしか相手にされない、だっけ。何言ってんだか。てめえこそ、誰にも相手にされてねえって自覚しろっての」

「うがぐぐ!」

 

 蓮花は、傍の机の引き出しを片手でガラガラと開けると、ビニールテープを取り出した。それで、器用に橋本の手足を拘束していく。

 テープなんかすぐ破れるだろうともがいた橋本だったが、ハサミを使わないと切れないテープだ。なんとか座ることはできたものの、ほどくことはできないと悟って、みるみる顔に絶望が浮かんでいく。


「こ、こんな、こと、して! 犯罪だっ!」

「いやいや笑かすー。最初に殴りかかってきたのは誰? ほら。防犯カメラ」

「!!」

「これ、正当防衛。前科おつ」


 ガクリ、と首を垂れる橋本を見下ろしながら、立ち上がった蓮花は静かに言う。


「尾崎さん。これで満足ですか?」

「!」

 

 尾崎が、震えながら立っていた――

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