第79話 学会前夜
マグナたちが首都リヴディンに到着して約1ヶ月が経とうとしていた。
その間、リリアベルは大図書館のあらゆる資料に目を通し、アハトはメルナキアに協力して学会発表の準備を進める。
そして学会開催を控えた前日の夜。六賢者の1人、ノウゴンは屋敷の自室で執務に取りかかっていた。
「……ふぅ。六賢者業務がこうも忙しくてはな……」
ノウゴンは今年で60歳になる。六賢者となって約20年、これまで多岐にわたって業務をこなしてきた。
ノウゴンは六賢者の中でも、研究者としての実績がとくに多い。そのためアカデミー関連の案件はだいたい回されてくるのだ。
しかしそれらは研究とはなんの関係もない仕事がほとんどのため、ノウゴンとしても退屈な業務だった。
(自分の研究をより進めるために、六賢者の地位を目指したというのにな……。結局この20年、自分主導で研究などできていない)
かつては歴史ある研究室、月魔の叡智に所属していた時代もあった。そこで魔力関連の研究を数多く進めていたのだ。
とくにノウゴンがアカデミーにいたころは、魔獣大陸からさまざまな素材が安定して入りはじめた時代だった。
数多くの修士がいくつもの研究にのめりこんでいっていたのだ。
より専門性に特化した魔力研究を行いたい。大図書館の叡智に触れ、研究に活用させたい。
そう願ったノウゴンは月魔の叡智で室長となる。そして数多くの実績を上げ、六賢者に推薦された。
しかし六賢者になって最初の業務は、この地位が持つ重要性を理解するというものだった。
そこでいくつもの真実を知った彼は、研究に未練を残しながらも六賢者としての職務にまい進していく。
すべては学問の盛んなこの国の歴史を存続させるためだった。
(とはいえ、わたしも十分長く勤めてきた……。そろそろ後任に託すときだろう……)
六賢者の中に、権力欲が強い者や気性の荒い者はいない。そうした者は六賢者になれないように、うまく選んできたからだ。
建前上、六賢者は議会が選出した6人となっている。だがその実態は、六賢者によって厳選された者が推薦される仕組みとなっていた。
無名の者はもちろん、危険思想の持主をその席に座らせるわけにはいかないからだ。
その気になれば、この国は周辺国に攻め込める戦力もある。だがそれを決して知られるわけにはいかない。
(初代王……そして魔人王……。ふふ……なにも知らなければ、思う存分研究してみたいテーマだが……六賢者を退任しても、それはむずかしいだろうな)
いっそ魔獣大陸に行ってみるのはどうだろうかと考える。若いころに一度、冒険者たちを護衛につけて遺跡調査のために上陸したことがあるのだ。
そんな若かりし頃の日々に思いを馳せていると、扉にノックが鳴った。
「…………? メーリンか?」
ノウゴンは妻と2人で暮らしている。六賢者の1人といっても、生まれは貴族でもなんでもないのだ。華美な屋敷はもっていないし、今は子供も独立している。
だが妻はこの時間、とっくに眠っている。そこにノウゴンは違和感を覚えた。そして扉がゆっくりと開かれる。
「ああ、今日はこちらにおられましたか。よかった。城で寝泊まりされているようでしたら、また出直すところでしたよ」
「な…………っ!!?」
扉から入ってきたのは3人の男性だった。
ガタイのいい男に優男風の男性。そして中央に立つ白精族の男性はノウゴンがよく知る人物だった。
「え……エンブレスト……!」
「お久しぶりです、先生。最後にあったのは……留置所まで面会に来ていただけたときでしたか」
その男は約2年前、この国で大騒ぎをおこした人物だった。
無許可で人体実験を行い、多くの死人を出した事件の中心人物。さらに当時、月魔の叡智の室長だったこともあり、アカデミー中が騒動に巻き込まれていたのだ。
「な……! な、ぜ……!?」
「久しぶりに帰国しましたので。やはり恩師に挨拶はしておきたいと思うでしょう?」
目の前の男にそんな人間らしい
3人はノウゴンの戸惑いなどおかまいなしで、距離を詰めてきた。
「先生。顔色がすぐれませんね? 六賢者業務がお忙しいようだ」
「……なにをしにきた? せっかく逃げ出したというのに、また捕まりにきたのか……?」
「ふふふ……忘れ物を取りにきただけですよ。用事が終わったらすぐ出ていきますのでご安心を」
エンブレストはノウゴンの正面に立つ。背後にいた2人の男は、ノウゴンを取り囲むように左右にわかれた。
「こうして先生の顔を見ると思い出しますねぇ。思えばわたしの研究は、先生の行っていた研究がきっかけでした」
「………………」
「魔力を持つ魔獣には魔晶核がある。しかし人種にはない。では人種の魔力はどこに存在しているのか。人種にとっての魔晶核とは、なにに相当するのか。初めてその推察を見たとき、衝撃を受けたのをいまでも覚えています」
ノウゴンは月魔の叡智に所属していたとき、人種の持つ魔力と魔獣の持つ魔力のちがいについて研究をしていた。
どうして人種には魔晶核がないのか。これを突き詰めていけば、魔力を持つ個体と持たない個体のちがいについてより研究が進むのでは。そう考えていた。
そしてノウゴンはいくつもの研究を重ね、ある仮説を立てていた。
「魔獣も人種も、脳と脊髄になにかしらの魔力制御機能がある。そして肝心の魔力は、魔獣は魔晶核に。人は血にある。リファレンスに使用された資料にも目をとおしましたが……わたしもこの説を推していますよ?」
「……ずいぶんと昔のデータだ。魔獣大陸では昆虫状の魔獣も確認されておるし、無脊椎魔獣で魔力持ちも発見された。今の時代でも通用する説だとは考えていない」
「いいですね……! 久しぶりに先生といろいろ議論を交わしたいところです。ですが人種の血に魔力が宿っているというのは、すでに実証済みですよ?」
「………………!!」
つまりその結論に至るまでの実験を繰り返し行ったということだ。
そしてなぜエンブレストがそのような実験を行うのか。これにノウゴンは心当たりがあった。
「まさか……! まだ……続けているのか……!」
「ええ。アカデミーとは比べものにならないくらいの研究環境を手に入れましてね。そこで思う存分、使命を全うしているところです」
「使命だと……!」
「研究者としての使命、ですよ。本来であればここに来る暇も惜しんで研究を行いたかったのですが……わたしでなければ意味がないと思いましたのでね」
エンブレストが月魔の叡智で行っていた研究テーマはよく知られている。後天的に魔力の素養を身につけさせることは可能か……というものだ。
人体実験まで行ったエンブレストであったが、そのきっかけとなったのはノウゴンの残した研究資料だった。
「まぁ精霊化を果たした個体の魔力については、まだまだ研究が足りていない部分なのですが。なかなか精霊のサンプルは手に入りづらいので、思うように進まないのですよ」
「ハイス。だから言った。あの〈フェルン〉を手に入れるべきだと」
「ならせめて博士の目的が終わってからにしろ。今ではない」
会話を続けながらも、ノウゴンはエンブレストの目的はなにかと考え続けていた。
いくつか想像はできる。だがどれもまだ確証は得らえない。いずれにせよただ会話をしに来たというわけではあるまい。
妻は寝ているのだろうか。なんとかこちらの騒ぎを聞きつけ、騎士を呼びに行ってくれないか。
そもそも周辺で待機しているはずの護衛騎士が部屋に踏み込んできてくれないものか。そんな望み薄な希望が脳裏をよぎる。
「しかし先生も難儀なお立場だ」
「……なに?」
「知ったのでしょう? 地下四階に保管されているモノを。研究意欲もわいたでしょう? しかしその存在を知りながら、六賢者であるがゆえに決して調べることはできない。これが難儀な立場でなくてなんだと言うのです?」
「………………っ!!? そ……!? な……!?」
「なぜ知っているのか、ですか? ふふ……私は導かれたのだと……そう言っておきましょうか」
大図書館の地下四階。この区画の存在は、六賢者以外に知っている者はだれもいない。
ありえるとすれば、過去に六賢者を務めた者が口を滑らせたか。しかしそれも考えにくい。
「さて……
「…………ぁっ!?」
首にチクリと痛みが走る。その瞬間、ノウゴンは執務机に突っ伏した。
「……!?!?」
まるで力が入らない。指の一本も動かせない。そんな彼の視界に、これまで部屋にいなかったはずの女性が映り込む。
その女性はなぜかノウゴンの背後から現れた。
「お見事ですねぇメイフォンさん。さすがは四剣四杖のお一人。〈アドヴィック〉最強の暗殺者です」
「世辞はいい。さっさとはじめましょう。……ノグ。この男の両腕を押さえて」
「おう」
ガタイのいい男が動けなくなったノウゴンの両腕をつかむ。そしてピンと伸ばさせた状態で、机に押さえつけた。
その隣でメイフォンと呼ばれた女性は、ギラリと煌めく曲刀を取り出す。
「聡明な先生なら、わたしがなんのためにここに姿を見せたのか。もうわかったでしょう?」
「………………っ!! ~~~~……!?」
エンブレストの声はしっかりと耳に入ってくる。しかしノウゴンは口も動かせなくなっていた。
「そういえば明日から学会がはじまるのでしたか。残念ですが、今年は出席できませんねぇ。ああ、先生の後任はわたしが引き受けますので。どうぞご安心ください」
そして。メイフォンは曲刀を振り下ろした。
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