第4話 巻き添え
今の私に見えているのは……どこかの山の中だ。
深く濃い緑は、日が陰っていて薄暗い。
そんな中、一人の女が地面に座り込み、一人の男の体を抱きしめて泣きじゃくっている。
娘や男の服装は、昔話の絵本で見たようなものだった。
つまり、この景色は過去のものということだ。
私は二人の登場人物に意識を向ける。
娘の長く伸ばした髪は艶々で、真っ白な色をしていた。
それでも女が老婆ではなく娘だとわかったのは、その整ったつくりの横顔のせいだ。
まさか……この娘は山の神の娘か……
私はすぐにピンときた。あの悪魔がわざわざ見せてくるとすれば、そうに違いない。
私は抱き抱えられている男の方に気を向けた。
意識がなく、ぐったりとしている。娘の様子から察するに、男は既に息絶えているのだろう。
男はぱさついた髪を結っており、その色は黒だ。
おそらく、この男が例の私の先祖なのだろう。
この後、娘の父である山の神から呪いを受けることになるのだ。
「この男の死因を知っているか?」
と、突如黒猫の声が頭に響く。
姿が見えていないのに声だけが聞こえるのは、なんだか変な感覚だ。
死因か……いや、家にある教示本には、それについては書かれていなかったはずだ……
「いや、知らない」
「そうか……この男の死因は性病だ。人間の女から
私は一瞬でぐったりと横たわる先祖の男を軽蔑した。いや、それが本当だったら、の話だが。
しかし、ならばこの映像は……
頭の中では画面が切り替わっていて、長い黒髪を結んだ娘達がバタバタと倒れていく様が流れていた。
なるほど、彼女らは私の先祖と関係を持ってしまったから、神の……あの娘の怒りに触れたというわけなんだな……なんか、申し訳ないような気がしてきた。
「神も人間も、嫉妬という感情に狂うと恐ろしいものに変わる……
淡々とした黒猫の声が頭に響く。
「20人だって?」
おいおい……私のご先祖様、そんなにモテたのかよ……よほどいい面してたんだな……さっきの映像じゃ顔がよく見えなかったけどさ……いや、それにしたってだらしないのは許せないけど。
「20人とは、この村の若い娘の三分の二の数だ。その当時、この村の出生率が著しく減少した原因でもある」
「う、なんか罪悪感」
そうだろうね……子孫である私も迷惑してるしさ……ん? ちょっと待てよ、私、迷惑してるのか?
頭の中に流れていた映像が終わり、目の前の景色が元に戻った。
明るい自然光と、見慣れた団地脇の小さな公園。
猫缶を平らげ終わった馴染みの猫はもう一匹も見当たらなくて、悪魔が化けている黒猫だけが目の前で行儀よく座っている。
「あのさ……よく考えたら、私現状で満足してるんだよね。だから別に呪いなんか解かなくてもいいや」
「はあ? なにを言い出すかと思えば……くくっ、貴様の都合など、俺にとってはどうでもいいことなのだ! 俺は、昇進さえできればいいのだからな!」
あぁ、そうだ……そうだったわ……
「はあーあ、昇進昇進ってさ、お前ら悪魔も人間と同じだなあ、浅ましいっつぅのか……位が上がるとよほどいい思いができるんだな」
悪魔の世界の事はよくわからんが。
人間の場合は、昇進すると給料が増えて威張れて責任が重くなるイメージだ。
「浅ましいとは失礼な。向上心があると言え。それにお前がよくても、神守の血を継ぐ誰かがまた同じ運命を辿るんだぞ。それでもいいのか?」
「別にいいんじゃない、じゃあそいつにアプローチかけろよ。どうせ悪魔は人間と違って長生きできるんだろ? じゃあな!」
私はさっさと立ち上がって歩き始めた。
なんだろ、この貴重な時間を非常に無駄にしたような気がする。
「ご先祖様の死因が性病で、たくさんの娘さんが巻き添えくったなんてこと、知らないほうが良かったよ……っとにさ」
私は青空の下で欠伸を連発しながら、ちらりと後ろを振り返った。
よし、ついてこない……さては諦めたな……よしよし……
「諦めるか」
「うわあ!」
私は慌てて足を止めた。
「んだよ、今度は!」
見ればあの悪魔がまた人型をとって、私の目の前に立っている。
喫茶店で見かけている、いつもの高身長スマートイケメンの姿じゃない。
156センチの私より背が低い、小学生くらいのおかっぱ頭の男の子のような姿だ。
「呪いを解きに山へ行く。貴様も来い!」
「はあ? 嫌だよ、私ゃこれから寝るんだから」
「……わかった。では貴様が目覚める頃に迎えに行く。言っておくが、俺の取り柄は諦めが悪いところだ。よく覚えておくがいい」
はあ……ほんとに面倒くさい……もうこうなったら、さっさとあいつの言う通りにして、早いとこいなくなってもらった方がいいような気がしてきた。
「よし、今度こそ消えたな……あぁ、疲れた……」
ヤツが消えたのを確認した途端、足が重くなる。
私はそれを引きずるようにして、自宅のアパートに向かい始めたのだった。
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