第29話 異変

 打ち込まれた砲弾によって船長室は見るも無惨に崩壊していた。まるで散弾銃の弾の様に砕け散った破片が張ったままのシールドに弾かれていく。

 能力を使用して姫様を守りたいのはやまやまだけれど、飛び交う木片の予測不可能な動きから私の身を守るのが精一杯だった。そして、私の視界を白い何かが遮った。


「これは、帆?!」

 確かミズンマストと呼ばれた船の最後部に位置している帆だ。それが皇国軍の攻撃によって倒れたのだと推測する。その帆が視界を覆い隠し、通り過ぎたあとには大海原が広がっていた。


「檻は!?」

 亀裂から海面を覗き込むと、大きな帆と共に海中へと沈んでいく寸前。私は慌ててその後を追った。



 騒々しい海上とは打て変わり、海の中は静寂に満ちていた。まるで海上の惨劇を覆い隠すかの様に。

 鉄板などが張り付いた、浮力よりも重さが勝る木片などが真っ黒な海の底へと沈んでいく。その中には海賊達の姿も見えた。ある者はピクリとも動かず、またある者は重い木片と共に沈んでいく。そんな彼等は助けを求める様に私へと手を伸ばす。

 けれど、如何に助けを求めようが今までの行いを悔やもうが私は彼等を救う事はない。今まで奪う側であった彼等は今回、奪われる側になっただけなのだから。


「(居た!)」

 鋼鉄製の檻なだけあって、沈み行く速度は他の比ではない。けれど、座標さえ分かれば能力を発動できる。足から空気を噴き出して潜水に使用していた能力を切ると、途端に檻との距離が離れていく。見失わない内に姫様を中心に空気の泡を作り檻一杯に広げると、檻は下降から上昇へと変わり海上に向かって浮かび始めた。


「(うく……)」

 ゴプリと口から漏れ出る空気を手で押さえ込む。私も限界が近付いていた。


「(今、意識を失う訳には……)」

 意識を失えば能力は解除されてしまい、皇女様は再び海の底へと沈んでしまう。当然私も助からない。助かる為にはまず彼女の周りに張った空気の泡を更に広げて檻を破壊。次いで浮かび来る泡を一旦解除し、再度泡を作って皇女様と一緒に入る。これであとは海上に浮かび上がるのを待っているだけだ。


「はぁ。空気が美味しい」

 泡の中でゴロリと寝転がり、夕陽が差し込みキラキラと揺らめく水面をぼんやりと見つめながら、新鮮な空気を存分に堪能する。


「さて、のんびりしている場合じゃないわ」

 身を起こして皇女様の容態を確認する。気を失っていたとはいえ、結構な時間水の中に居たのだ。何も問題が無い訳がない。調べてみると案の定呼吸をしていなかった。


「人工呼吸をするしかないわね……」

 中学の頃習った心肺蘇生法を思い出しながら、戻ってきてと願いを込めて気道を確保して息を吹き込み、心臓マッサージを行う。それを三回ほど繰り返した所で姫様は息を吹き返した。


「これで一安心ね」

 けれど心肺蘇生法が意外と体力を使うとは思ってもいなかったな。

 疲れ果ててゴロリと寝転がると、水面はすぐそこにあった。



 ☆ ☆ ☆



 目を覚ますと、向こう側が透けて見えるカーテンが垂れ下がったお姫様ベッドの天幕が視界に映る。コテンと頭を横に向けると、隣では金髪ロングの美幼女がすやすやと寝息を立てて寝ていた。


「また潜り込んだのね……」

 彼女はこの国の第一皇女であるアンリエッタ・ウル・ソレイユ。助かった経緯を誰かしらから聞いて以来、私にベッタリと張り付いている。

 それもそのはずか。強面こわもての連中に囲まれて死ぬほど怖い思いをしたのだ。それを助けてくれたのが白馬の王子様でなくても惚れてしまうのはやむを得ない事だろう。


 彼女を起こさない様に左腕に絡み付いた彼女の腕を引っぺがしてベッドを下りる。テラスへと通じる戸を開けると温かな風が潮の香りを運びレースのカーテンをもてあそぶ。目の前には見事なオーシャンビューが見えていた。


「今日は良く晴れているわね」

 手でひさしを作り、目を細めて遠見をする。緩やかにカーブを描く水平線が見えるだけで、海賊達のアジトである孤島は何処にも見えない。視線を近場へと移すと、停泊している軍船がずらりと並び、船を建造。保守点検する為の軍港を経てマーケットが一望できる。マーケットには今日は祭りかと思うほどに人出があり、人がゴミのようだ。とも思った。


「あれから二日か……」

 テラスの手すりに肘を付き、半壊した海賊船の解体作業をしている軍港を眺めながら呟いた。怪我らしい怪我もしていなかった私は当初、皇女様を引き渡して事情を説明したのちにすぐに発つつもりだった。しかし、皇女救出の功績をたたえさせて欲しいとの皇王様からの申し出を断る訳にはいかず、式典の準備が整うまで皇宮で過ごさせて貰っていた。

 その式典も今日の午後には執り行われるという話で、明日の朝には行方不明のミーシアさん達を探しに行こうと思っている。


「お姉様。お姉様っ?!」

 目覚めたアンリちゃんが私の姿を求めて狼狽える。ベッドの端に腰掛けると、彼女は目に涙を浮かべて私にすがり付いた。その頭を優しく包み込むように抱きしめると、彼女は安堵の表情を浮かべて再び眠りに付いた。


「トラウマになってなきゃいいけど……」

 無事に出国出来るのか一抹の不安を感じながら、すやすやと寝息を立てているアンリちゃんを見つめていた。



 朝食を済ませ部屋で寛いでいるとドアをノックする音が聞こえた。返事を返すと扉が開かれ、ひと目でベテランと分かるぽっちゃり侍女を先頭に、若い。といっても私よりは遥かに年上の侍女達が四人ほど後ろに並び、その手にはドレスと化粧道具を持っていた。


「失礼致します。式典用のお召し物をお持ちしました」

「今日はよろしくお願いします」

 ドレスを仕立て直す為、サイズを図ったのは昨日の午後。もう出来たのかと驚きながらも侍女達に挨拶をする。


「では、始めさせて頂きます」

 ぽっちゃり侍女は『かかれ』といわんばかりに若手侍女達に合図をし、若手侍女達は頷いて一斉に襲いかかる。こうして私ドレスアップ大作戦は開始されたのだった。


 まずは入浴。薔薇の花びらを浮かべた浴槽に浸かって半身浴をしながら髪を洗い、ついでに頭皮のマッサージも行う。それが終われば着付けに入るのだが、腰が細い女性は美しいとは誰が思ったのか。私がもっとも苦手(ってゆーか、これが好きな人なんて居るのか?)なコルセットの装着。王族や貴族を足蹴にしてまで着けさせる意味が本気で分からない。

 それが終われば仕立て直したドレスを着るのだが、入浴とコルセットの装着に一時間半ほどが経過していた。時刻はお昼に近いという事もあって、一旦はお昼休憩に。出された食事は食パンを四分の一にカットしたサンドイッチがふた切れ。育ち盛りの私には全然足らない。けれどぽっちゃり侍女の話では、夕食は立食パーティーを予定しているとの事なので、式典中にお腹が鳴らないように軽めのものを用意したのだそうな。


「お姉様、お綺麗ですわ」

「ありがとう」

 鏡台に映る私を覗き込みながらアンリちゃんが褒める。化粧を終えて髪を結い、髪飾りを着けて、全ての準備が整ったのは式典開始の一時間ほど前だった。



 ☆ ☆ ☆



「うう。緊張する……」

 私の背の三倍はあろうかという大きな扉の前で顔を強張らせる。扉の横に立つ、槍を持った衛兵さんの存在がより緊張感を増していた。この扉の向こうは謁見の間。そこには皇王様だけでなくこの国の武官や文官達が勢揃いしているかと思うと胃が痛くなりそうだった。


 大きな扉が開かれる。端に金色の刺繍が入った赤い絨毯が真っ直ぐに玉座へと向かい、絨毯の両脇に武官や文官達。そして色とりどりのドレスを纏った貴婦人方が整列していた。

 こんなに緊張したのはいつ以来だったろうか? 両手を前で組んでいたから助かったが、手を振って歩いていたならきっと手と足が同時に出ていたに違いない。


 公式では、王様を直視する事は無礼とされている。なので視線を若干絨毯へと向け王様の元へと歩いて行く。その距離も半分ほどになった時だった。

 耳の奥。鼓膜が微かに震え出し、むず痒さで顔を顰める。直後、押し寄せた轟音に貴婦人達は小さな悲鳴をあげながら耳を塞いでしゃがみ込み、男性達は何事かと天井を仰ぎ見た。


「な、何だアレは……」

 誰ともなく発した言葉に誰も彼もが例外なく、声がした方へと視線を向けてポカンと口を開ける。その先には青い空を二つに別つ黒き柱が聳え立っていた。


「あれは……」

 私はその現象を見た事があった。

 それは創世神エルミナによって私達と共に漆黒の海の中から掬われた存在。それは漆黒の海と同じ色をした何か。それはあらゆる人を消し去る極悪の存在。変幻自在に姿を変え、その漆黒の見た目から私達はこう呼ぶ。『影法師』と……

 リエストラ王国の侵食以来、その姿は終ぞ見る事は無かったというのに……。


「再び活動を始めたというの……?」

 彼等の目的は人と共に漆黒の海へと還る事だと云われている。その目的を果たす為に動き始めたという事だろうか?


「あれはヴァストゥーク城の方角じゃぞ」

「一体何が起こっているんだ……」

「鎮まれい!」

 戦々恐々としている官僚達や貴婦人達の騒めきが、その一言でシンと静まり返る。その声を放った人物、皇王様が続けて言い放つ。


「ウィリック卿、即刻部隊を編成して調査に向かえ」

「はっ! 直ちに!」

 武官の一人であるウィリックと呼ばれた人物が一礼して部屋から出ていく。


「ルーファス卿はサハギンの監視を強化せよ。攻めて来る様ならばこれを叩け!」

「はっ! 仰せのままに!」

 ルーファスと呼ばれた男性もまた一礼して謁見の間を出て行く。途中、歩み寄ってきた男性は海軍の副長だろうか?


「他の者は沙汰があるまで待機せよ。言うまでもないとは思うが、皇国貴族としての誇りを旨とせよ。決して不安を煽る事のない様にな」

「はっ!」

「畏まりました」

 官僚達は作った拳を胸に当てて敬礼し、貴婦人達は畏ってお辞儀をする。その様子を頷きながら見渡していた皇王様と私の視線がかち合って慌てて視線を下げた。


「アストルム嬢。かの様な事態につき、申し訳ないが式典は延期させていただく」

「仰せのままに」

「では、解散する!」

 皇王様の言葉で謁見の間から退出していく。私は侍女に案内されて充てがわれた部屋へと戻ったのだった。

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