柿の木の秘密
森本 晃次
第1話 隣の老人
この物語はフィクションであり、登場する人物、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。
また、時代的には現代でありますが、昔のお話と混同するかも知れませんが、それも作者の意図だとお考え下さい。
齢二十五歳になる須藤武明青年は、数年前に大学を卒業し、一度証券会社へ就職したが、一年で辞めてしまった。再就職のための活動に費やした期間は三か月程度、すぐに就職活動をやめてしまった。
「もう疲れた」
というのが、彼の言い分で、何に疲れたのか本人の口から語られることはなかった。
ただ、世の中に失望したから、何もしたくないと言って生きられるほど、この世は甘くないのは分かっている。本人も分かっているのだろう。
「やりたくないのを無理強いしても、すぐに挫折するのは分かっている。だから冷却期間が必要なんだ」
と、もっともらしい言い訳をしながら、徒然に日々を過ごしてきた。
無為に過ごすという日々が彼には新鮮で、それまで毎日、
「何かの成果を残さなければいけない」
と考えていた日々がまるで夢のようだった。
その頃であれば、残すはずのものが何もなかった一日があれば、自己嫌悪に苛まれ、数日間、せっかくの日々を棒に振ってしまうほどだった。
たった一日の後悔が、数日間に及んでしまうような性格を、自分で呪いながら、後戻りするようなことがあれば、それは自分の致命傷になりかねないことも分かっていたつもりだった。
大学卒業までは、何とか自分の気持ちを維持できた。趣味で書いていた詩があったおかげで、その日一日何も成果がない日であっても、詩を一篇でも書き上げることで、その成果を満たしていた。だから、気持ちを維持することができたのだ。
しかし、就職してしまうと、自分が考えていたほど、世の中が甘くないことを思い知らされた。社会に出ることが、自分を理不尽に追い込むことになるなどとまさか思ってもいなかったので。毎日がこのまま後戻りすることになるのではないかと思い、不安に苛まれていた。
それを、会社の上司は他の人が罹る「五月病」と同じようなものだと思い、
「まだ、お前は学生気分が抜けていないんじゃないんか?」
と言って、諫める言い方をする。
「そんなことはありません」
とい言い訳をする気は、武明にはサラサラなかった。言い訳をしても自分が不利になるだけなのは分かっていた詩、言い訳をすること自体、自己嫌悪への第一歩だということが分かっていたからだ。
誰にも何も口答えをしないようになると、仕事以外で誰とも交流のない自分が、次第に孤立してくるのが分かった。
――孤立は、後戻りだ――
ということに気づいてくると、もう仕事の話ですら、話をする気が失せてきた。
そうなってしまうと、孤立を通り越して、仕事がうまくいくはずもない。問題が発生すると、上司は皆、
「須藤が悪いんだ。あいつが大切なことの報告を怠るからこんなことになるんだ」
武明だけが悪いわけではないのに、
「奴なら言い訳をしないだろう。もししたとすれば、こっちにはいくらでも奴への文句はあるんだ」
と思っている相手の前で、わざわざ飛んで火にいる夏の虫になる必要もなかった。要するに武明は四面楚歌の状態だったのだ。
しかし、それも武明が自分で蒔いた種であることに違いはない。どんな言い訳も通用しないことは分かっていた。後はいつ会社を辞めるかということだけになっていた。
「奴が辞める気配を見せなければ、こっちにも考えがある」
と、彼の上司連中が相談していたちょうどその頃、
「これをお納めください」
と、辞表を片手に、部長の前に武明は歩み出ていた。
部長は、武明と直属上司とのわだかまりは、ある程度は知っているつもりだったので、武明を敢えて引き留めることはしなかった。
「分かった。正式には少し待ってくれ」
としか言えなかったのだ。
しかし、部長が辞表を受け取った時点で、武明の退職は確定したと言っても過言ではないだろう。少しでも引き留めがあったのであれば、少しは違ったかも知れないが、武明が辞めることで会社のすべてがうまく回転するのだから、引き留める理由は、会社側には存在しない。
「それにしても、よく一年もったものだな」
辞表を部長が受け取ったのを確認した直属の上司は、皆そう思ったことだろう。こちらから動くことをしなくてよかったという思いと、気に入らない奴を追い出すという行為に、普段の自分たちが抱えているストレスを解消させることができると思っていただけに、残念な気もしていた。そんな複雑な心境を抱きながら、表向きにはホッとした表情をする彼らは、まわりから見れば、異様な雰囲気に見えたに違いない。
辞表を出してしまうと、すでに他人事に思える武明にとって、今まで当事者だったことで見えなかった上司連中のいやらしい部分を垣間見ると、
「俺には、こんなところは似合わない」
と思ったに違いない。
だが、この時まだ武明には、自分が似合わないのはこの会社なのか、それとも、この会社を含んだ会社組織というものなのかというのが分かっていなかったのだ。当然のごとく会社を辞めることで今までの自分の生活が変わってしまうことによりストレスが溜まってしまうことは分かっていた。それを解消するには、また新たに働ける場所を探すのが急務であったのだ。
最初に就職した会社は、大学時代、最悪の成績だった武明にしては、それなりに名の通った一流企業と言われるような証券会社に就職できたこともあって、辞めたとしても、再就職に困ることはないとタカをくくっていた。
実際に選り好みをしなければ、就職もわりかし早く決まったに違いなかった。しかし、
「一度退職しているので、今度は間違いのないところに」
という思いが強すぎて、どうしても慎重になっていた。
それも無理のないことなのだろうが、就職活動というもの、タイミングとチャンスを逃すと、致命傷になってしまう。
一か月、二か月と選り好みをしている間は自分にも自信があった。しかし。次第に条件が悪くなってくるのを身に染みて感じると、それまでの就職活動に対しての熱意が一気に冷めてしまった。それは本当に急激に冷めたものであって、たった一日で、
「もう、就職なんかしたくない」
と言い出したのだ。
それを武明は、自分の中にある自己嫌悪が影響していると思った。実は武明には躁鬱症の気があるのだが、その時武明は、躁鬱症の自覚がなかったのである。
自己嫌悪に苛まれている思いは強かった。その思いが強いせいで、躁鬱症の感覚が隠れてしまっていたのだ。自己嫌悪と躁鬱症は、背中合わせでありながら、紙一重でもある。まるで長所と短所のようだということに気づくのは、それからかなりしてからのことだった。
武明は、その頃両親が交通事故で亡くなった。家族とは大学進学とともに離れて暮らしていたのだが、急な事故だったので、遺書のようなものも存在せず、法定相続により、武明がその遺産をそのまま相続することになった。しかも、保険金もかなりの額があり、お金には当分困ることはなかった。
武明には、兄弟もなく、親戚もほとんどないことで、土地建物を処分しても文句を言われることはなかった。元々お金に執着のある方ではない武明は、生活も質素で、仕事をしなくても、困らなかったのだ。
一人暮らしの場所も、悪戯に広い部屋を借りることもなく、ワンルームのコーポだった。一人で過ごす部屋は、質素で狭い方がいい。下手に広いと、寂しさが込み上げてくるからだ。
最初は、さすがに両親が死んでしまったことで、寂しさを感じないわけではなかった。仕事もなく、毎日をどのように過ごせばいいのか、不安を隠せない毎日だったからだ。
何しろ、
「一日に一つは何かの成果を残さないといけない」
と自分にノルマを課していたのだ。一日の長さが永遠であってほしいと思ったことだろう。そんな時に限って、一日なんてあっという間のことだった。
それなのに、親が亡くなって、仕事もない。たった一人で寂しさの中生きていくには、――次の日は永遠にやってこないかも知れない――
と思うほど、不安に苛まれていた。ここまで感覚が変わってくるなど、想像もしていなかった。
しかし、武明は何も考えないという意識を会得することができた。その心境に至ったことで、毎日が次第に見えてきて、
――明日は必ずやってくる――
と思えるようになったのだ。
「毎日って、こんなにも規則的にやってくるんだ」
と初めて感じた。
学生時代や社会人になってからも、規則的な時間を過ごしていたはずなのに、どれだけ一日全体という時間を意識していなかったのかということを自覚したのだ。
何も考えずに過ごす一日は、規則的な毎日を過ごしてきたと思っていた時期に比べて、さらに短くなっているように思えた。そのくせ、一日は短く感じるのに、一週間単位で考えると、結構長く感じられる。その理由は、何もしなくなると、一週間という単位を考える必要がなくなったからだった。
仕事をしていると、一日の次は一週間、そしてひと月というように、期を一つの単位として組み立てらなければいけない。それは学生時代でも同じだったが、仕事ともなると、もっとシビアであった。
「これが、学生時代との違いでもあるんだ」
と思ったのも、社会人になって嫌なことの一つだった。
学生時代にも確かに期という感覚はあったが、基本は一日一日の積み重ねだった。仕事をしていても同じなのだが、学生時代には、積み重ねを清算するという時期は存在しない。存在するとすれば、それは目的の完遂であって、決めた期日は週であったり、月であるというわけではない。
武明は仕事を辞めてから無為な毎日を過ごしていたが、学生時代にやっていた詩を作ることをやめたわけではなかった。毎日思ったことを詩にして、一か月も経てば、結構な量になっていた。
それを出版社に持ち込むこともあった。
学生時代の友達が出版社に勤めていることもあって、そのつてで一月に一度、原稿を渡すという理由を含め、親睦を目的に会うようにしていた。
「今月は。これだけです」
「ありがとう」
表向きには、作家と出版社の担当の会話のようだが、立場はまったく逆だった。武明の方が無理強いをしているだけであって、友達もいい迷惑だったに違いない。
――こんなことがいつまでも続くことはないよな――
と思いながらも、思ったより長く続いている。それなりに出版社の中で評価のようなものがあるんだろうか?
そんな淡い期待を持っていたが、期待というのはやはり淡なものであり、誰にも読まれていなかったのだ。
それでも、今は何もない武明には嬉しかった。会って原稿を受け取ってもらえるだけで満足していたと言ってもいい。
「もっと、たくさん、いろいろな詩を書くようにするよ」
というと、あからさまに社交辞令の苦笑いしか浮かべていない相手の様子に分かっていながら、分からないふりをしているのも、悪い気はしなかった。
相手がそれで苦笑いをしているのであれば、それはそれで相手を欺くような小さな楽しみが生まれていた。奇怪な楽しみ方の一つだった。
そんな細やかな楽しみは、その時の武明には貴重だった。
――俺に悪戯心がなくなったら、もう終わりなのかも知れないな――
と感じていた。
落ちるところまで落ちたという思いは、却ってアッサリしたものだった。
――これ以上落ちることもなければ、悔やむこともない。すべてが他人事として過ごせる期間を味わえるというのは、それなりに楽しいものではないか――
そう思うと武明は、今自分がこの世の誰も味わったことのない。そして、これからも味わうことのない心境を味わっているという感覚を楽しんでいたのだ。
――毎日って、いったい何だったんだろう?
まるで我に返ったように感じた武明は、過去を振り返るのが結構楽しくなっていた。
自分の死期が分かっている人には、自分の過去が走馬灯のように思い返せるというではないか。そんな気持ちを武明は楽しんでいたのだ。
――本当に、俺はもうすぐ死ぬのかも知れないな――
と思ったが、焦りもなければ、悲しくもなかった。
完全に他人事であり、死ぬことは怖いとも思わない。もちろん、詩の寸前になれば、怖かったり、後悔もするのだろう。しかし、他人事に思える今は、そんなことは関係ない。人生など、考えるに足りないものだと思っていた。
つまりは、思い出すことを素直に受け止めればいいのだ。それだけで、自分が生きているということになるのだと、武明は感じていた。
武明は、会社に勤めている時、好きな人がいた。その人は同じ会社ではなかったが、通勤時間、同じ電車に乗り合わせることが多かった。
武明が寝坊していつもの電車に間に合わず、
――しまった、今日は彼女と会うことはできないな――
と、遅刻しそうになっていることよりも、彼女と会うことができない方が、数倍悔しかった。それだけ会社に嫌気が差していたと言っても過言ではないのだろうが、通勤時間、好きな人と同じ空間に存在できるということを感じている時は、それ以外のことはどうでもいいことだった。
大学時代に友達だった連中とは、就職するとともに、疎遠になった。友達の中には、
「卒業しても、時々会うことにしような」
と、あくまでも友情を貫くことを心情としているやつもいた。
友達の中でも中心的な存在だった者には、学生時代の友達は大切に違いないのだが、それ以外の連中には、そこまでのこだわりはない。むしろ、就職して新しい環境に馴染むことに神経を費やしている時に、わざわざ大学時代の友達と会って、昔話に花を咲かせるころは、完全に後ろ向きの考えだった。
さすがに最初の一、二度くらいは顔を出す人もいるだろうが、会社の上司から、
「あいつはまだ学生気分が抜けていない」
と思われるのがオチで、これからの自分の人生を考えると、学生時代の友達と親密なままでいるのは得策ではなかった。
仕事が終わってから帰宅途中、大学生と思しき連中が、街中を我が物顔で歩いている。歩道いっぱいに広がって歩いている連中は、まわりのことなどお構いなしに、大声で叫んでいるようだ。内容は自分たちにしか分からないことで、まわりから見ていて、迷惑千万以外の何者でもなかった。
――俺もあんな大学時代を過ごしていたんだ――
と思うと、大学時代の友達といまさらつるむことは情けないと思うようになっていた。
元々、孤独が似合うと思っていた武明が、何を勘違いしたのか、大学時代は友達がたくさんできたことで、輪の中心になれるのではないかとずっと思っていた。しかし、気が付けば卒業していて、輪の中心になれなかったことよりも、輪の中心にいるやつを羨ましく見ていた自分が情けなく感じられたのだ。
いつも輪の中心にいるやつを見ながら、羨ましく思っていた。その思いが嫉妬であることは、卒業するまで気づかなかった。しかし、裏やしいという気持ちが焦りと不安から来るものだということが分かれば、自分の中に抱いていた思いが嫉妬であることに気づいたはずだった。
――分かっていたはずなのに――
通勤の途中で出会う彼女とは、自分が遅刻しそうになっていつもと違う電車に乗った時も、会うことができた。彼女がわざと自分のために時間をずらしてくれているはずがないとすれば、もうこれは、相性が合っているのか、悪戯で片付けられるかも知れないが、運命と感じてもいいように思えた。
大学二年生の頃までは、運命なるものを信じていたように思うが、三年生になることから、運命というものが信じられないようになっていた。
もっとも、これは明らかに自分が悪いのであって、誰のせいでもない。高校時代までの自分を大学に入ったら変えたいという思いの強さから、それまで人の真似をしないことを心情としていたはずなのに、いつの間にか、まわりに染まってきてしまっているので、人の真似をするようになっていた。
それも、自分にできるできないという判断を最初にしなければいけないのに、それを怠ったことで、
――まわりができるんだから、俺にもできる――
と思い込んでしまったことが致命的だった。
武明のまわりにいる連中は、武明よりも高校時代から成績がよかった。頭の出来はさておき、彼らには要領のよさがあった。勉強の仕方を熟知しているというべきか、高校時代から、真っ正直に頭からアクセントもつけずに勉強していた武明には、彼らの才能が分かっていなかった。
同じように遊んでいたのだから、気が付けば、高校時代の勉強方法が大学では通用しないと分かった時には、時すでに遅しだった。友達はどの部分を重点的に勉強すればいいのか分かっているので、同じ勉強するのでも、半分の時間ですむのだ。武明はそれを頭から勉強していたので、後半の半分を勉強する時間がなかったのだ。
気が付けば、二年生が終わった時点で、友達との成績の差は歴然だった。
友達は、三年生でほとんどの単位を余裕で取得できるほど、二年生にして十分に単位を取得できていた。だから、三年生では精神的にも余裕があった。
しかし、武明はそうは行かない。二年生で取りこぼした単位は卒業に際して、致命的になりかねない。三年生でよほどがんばって単位を取得しないと、四年生になって、就職活動と卒業の二つを考えなければいけないのは、かなりの困難を要していた。
その頃から、孤独を感じるようになっていた。
二年生の頃までは同じように遊んでいたはずなのに、どこで差ができたのか、後悔しても始まらない。
最初は寂しさに押し潰されそうな自分を感じていた。一人でいると、悪さをした子供が、親から蔵の中に閉じ込められて、一晩真っ暗で気持ち悪い蔵の中で過ごさなければいけないイメージを頭に浮かべていた。
「まるで、屋根の上に上るのに掛けられた梯子を、親切からだと感じながらお礼を言いながら上ったにもかかわらず、相手は簡単に騙せたことへ不適な笑みを浮かべながら、掛けた梯子を取り外す姿が目に浮かぶようだ」
と感じていた。
孤独と孤立を勘違いしていたとすれば、この頃だっただろうか。両者とも、同じものだと思っていたのだ。
そのうちに、
「孤独に苛まれた結果、孤立するものだ」
と考えるようになった。それがそもそもの学生時代において、一番の間違いだったのかも知れない。
三年生になって、完全にまわりから置いていかれてしまった武明は、一人寂しさの中で孤独を感じていた。
そんな時に出会ったのが、詩を書くことだった。
武明と同じように、二年生までに単位を取りこぼしてしまった人がいて、彼と友達になった。彼は趣味で詩を書いていると言っていたが、その詩を見て、
「これが素人の詩なんだろうか?」
と、詩など分かるはずもない自分でもそう思ったくらいなので、かなり完成されていたように思える詩だった。
武明が自分から詩を書こうと思ったのは、彼と友達になったからだ。
しかし、大学二年生の頃までの友達と同じような付き合い方をしていれば、きっと詩を書こうなどと思わなかったに違いない。
「僕も詩を書いてみようと思うんだけど」
と言って話しかけると、そこまで仲良くなったわけではない武明に対して、遠慮することもなく、
「俺は自分が書きたいから書いているんだ」
と、あっけらかんと言ってのけた。
最初は、何を言われているのか分からなかった。
「いいんじゃないか」
と言ってくれると思っていただけに、想像していた回答とはまったく違っていたことで、急に目が覚めたような気がした。
もっとも、
「いいんじゃないか」
と言われたとしても、その答えは半分上の空のように他人事で、下手をすると、もっとショックを受けていたかも知れない。
だが、そのショックには諦めの要素を含んだものがあった。
――どうせ、長続きなんかしないんだから、他人事のようにあしらわれた方が諦めもつくというものだ――
と感じたからだ。
しかし、相手に気を遣うような素振りのまったくない回答には、驚かされたというよりも、気が抜けたと言っていいような感覚を与えられた。
他人事のように言われると、相手に対して、ずっと他人事の要素が頭の中に芽生えてしまうが、気が抜けたのであれば、それは一時的なもの。彼に対しては気が抜けてしまったかも知れないが、詩を書くということに対して諦めるというよりも、前にも増してさらに深く詩の世界を知りたいと思うようになっていた。
――もう、あいつに頼ったりなんかしない――
彼の詩がどれほどのものなのか分からないが、自分は自分の世界を切り開くことにした。考えてみれば、他人の真似ばかりして損をしてきた自分なのだから、ここからは少々わがままでも、自分の考えるとおりに進むというのもいいことだと感じた。
そのためには孤独もやむなしだった。
むしろ、下手にまわりに人がいると、気が散ってしまったり、また人の真似をしたがるという悪い癖に陥ってしまったりしないかどうか、不安だった。
学生時代、三年生、四年生になってからは、遊ぶことを控え、勉強と詩に没頭していた。
何とか卒業も就職もできたことは、三年生の期間の努力が実を結んだのだろうが、その頃の精神状態はかなり独特だったのだろう。
「今でも、あの頃の夢を時々見るもんな」
目が覚めて、その夜に何かの夢を見たのだが、目が覚めてしまうと覚えていないことが結構ある。そんな時に、思わず口に出してしまうのだ。
しかし、覚えていない夢が、三年生の頃の焦っている精神状態とは違っている。
見た夢を覚えているのは、怖い夢を見た時がほとんどなのだが、いくら焦りがあったとはいえ、その時に感じた思いは、恐怖とは少し違ったニュアンスによるものだった。
目が覚めるにしたがって何となく思い出してくると、そこに出てきたのは、会社に勤めていた時に気になっていた女性だったのだ。
夢の中では逆だった。
彼女との間の立場は、彼女が自分を追いかけていて、武明の方は彼女から逃げている夢だったのだ。
この夢は一度見たという意識があり、怖い夢として、自分の意識の中に残っている。しかし、夢を見たのだが、覚えていない夢のそのほとんどが彼女との夢であるのではないかと思ったのは、ごく最近のことだった。
武明がこのコーポに引っ越してきてからすでに三年が経っていたが、それまでどうして気づかなかったのか、ベランダから見える隣の家は、かなり昔からあったのか、完全な木造の日本家屋だった。
田舎になら、まだまだ残っていそうな家だが、都会の、しかもマンションの乱立している場所で、よく立ち退きにもかからず残っていたものだと思える。
武明は子供の頃、家族と田舎の家に行ったことがあった。母親の親戚だったのだが、旧家というにふさわしい。農家として生業を立てていた。
都会で生まれ、都会で育っている武明には、田舎は珍しかったが、住みたいとは絶対に思わないという思いを強く持っていて、こんなところに一人取り残されたら、どれほどの恐怖に見舞われるか、考えただけでも恐ろしかった。
子供の頃に見た夢で覚えている夢の中には、田舎の光景が映し出されていたのを思い出した。
家族で田舎に遊びに来たのだが、気が付けば自分だけ置いてけぼりにして、親は家に帰ってしまった。その思いが強く、怖い夢というのは、焦りと不安に苛まれる状況に置かれることだというのを実感していた。
今は、その頃の夢を見ることはほとんどなくなったが、
「覚えている夢というのが怖い夢である」
という認識を持つようになったのは、田舎に取り残されるという妄想にとりつかれるようになってからのことだったのは間違いなかった。
あの頃の両親は、あまり好きではなかった。何かにおいて、
「勉強しなさい」
と口煩く言われていた。
しかも、
「あなたの取り柄は真面目なところ。真面目な人は、人一倍努力をするものなの。だから、努力を惜しんではいけないのよ」
と言われていた。
その頃は、反発心はなかったわけではなかったが、どう考えても親の言うことは正論だった。そのため、逆らうこともできず、正面から親の顔を見ることができなかった。おかげで、田舎に取り残される夢を見ている時、親の顔がのっぺらぼうのようになり、どんな顔をしていたのか、思い出すことが出来なかった。
子供の頃の写真を見ることがあるが、親と一緒に写っている写真はほとんどなかった。その頃から、写真に写ること自体嫌いだったが、それは親と一緒に写りたくないという気持ちの現われだったに違いない。
その頃の親も、同じように写真を撮るのは嫌いではなかったが、武明と一緒にファインダーに収まりたくなかったようだ。夫婦で一緒に写っている写真はあるようだが、武明の写真の中には、親の姿はほとんどない。
――親はわざと、夫婦の写真と、子供の写真を分けて保管していたんだ――
と、親が死んでからリビングの片づけをしている時に見つかったアルバムを見て、
「やはり」
と確信した。
それまでは、保管は同じなのかも知れないと思いながらも、両親のことなので、信用できないと思っていたことが本当だったことで、親が死んだことよりも、こちらの方が自分にとってショックだったのだと、思い知らされた気がした。
「写真なんて、どうせ過去の遺物だ」
としか、考えないようになっていた。
武明は、通勤途中で出会う女性に結局声を掛けられないまま、会社を辞めることになった。会社を辞めてしまうと、彼女に対しての感情が薄れていくのを感じた。
――あれほど好きだったのに――
と思ってみても、会社という安定があってこその彼女だったということに、気づかなかっただけだった。
会社を辞めてから、すぐには新しい会社に入ろうという気にはならなかった。何をしたいというわけでもなく、今まで上ばかりを向いて生きてきた自分が初めて叩き落された気がしたのだが、過去を振り返ってみると、上を目指していたわりには、上に上がったという意識はない。そのことを最初から分かっていたような気がしていた。
それからしばらく、何もしない毎日が続いた。いわゆる引き篭もりなのだが、最初の頃は、親も心配して声を掛けていたようだが、そのうちに何も言われなくなった。その方が気が楽だった。食事はいつも部屋の表に置いてあり、自分が食べた後は、扉の外に置いておくだけだ。他の引き篭もりも同じなのだろうが、武明はそのうちに食事を摂らなくなった。
どこかに出かけて体力を使うわけではないので、あまり食べなくてもよかった。腹が減れば、近くのコンビニに出かけるだけのことだった。引き篭もりと言っても、部屋から一歩も出ないわけではない。親と顔を合わせるのが億劫なので、寝静まった深夜にでも、こっそりコンビニに出かけていた。
そのうちに両親が交通事故で死んでしまった。別に悲しいという気分にもならない。顔を合わせていたわけでもないので、却って自由になれたという感覚だったのだ。
それなりに遺産があったことで、家屋敷を売り飛ばしてどこか一人暮らしができれば、しばらくは仕事をしないでも生きていける。今のコーポに住んでいるのは、そんな背景があってのことだった。
武明は二十五歳になっていた。友人がいるわけでもなく、相変わらずの生活だったが、一人暮らしを始めたことをきっかけに、また詩を書き始めた。最初は詩を書いているだけだったが、そのうちに小説も書くようになり、次第に文学の世界に陶酔していったのだ。
学生時代から本を読むのは嫌いではなかった。当時はミステリー中心だったが、自分で書いてみると、ホラー小説になってしまう。奇怪な話が頭に思い浮かび、それを羅列するように書き続けていると、ホラーであれば、書けるようになっていた。
自分の住んでいるコーポから見える隣の家を見ていると、ホラーが思い浮かんできた。最初は家族で住んでいたようで、幼稚園か小学生低学年くらいの子供の声がうるさく響いていた。その声を実に鬱陶しいと思いながら聞いていた武明は、自分が子供が嫌いだったことに改めて気づかされたのだった。
「どうせ俺のようになるんだ」
と、子供がうるさくしているのを見ると、いつもそう思っていたが、実際にはそんなことはない。武明は子供の頃、決してうるさくするような子供ではなかった。親の言うことには逆らうことのできない子供であり、親に逆らうという概念が頭の中にはなく、うるさくしている子供の気が知れなかったのだ。
今であれば、
「自分の主張を訴えようとしている」
ということが分かる。子供の頃の自分がおとなしかったのは、親に逆らうという概念がないことで、自分を主張するという理由がなかったからだ。
うるさくしている子供を見ながら心の中で、
「このくそガキが。ぶち殺してやる」
というくらいに思っていた。
自分以外のことを本当に他人事にしか思えなくなったのは引き篭もりになってからというよりも、一人暮らしを始めてからの方が大きいような気がしてならなかった。
子供は、毎日同じ時間に騒ぎ始める。理由がどこにあるのか想像もつかなかったが、その現象を面白いと感じていたのは事実だった。自分が書き始めた小説に、いつも同じ時間になったら騒ぎ始める子供の話を書いたことがあった。主題ではなかったが、ストーリーの中核を担っていることには変わりなかった。一人暮らしを始めてからというもの、見ること聞くことが新鮮で、それは小説のネタになるという気持ち一心があるからだった。
だが、いつの間にか、子供が騒ぐ声が聞こえなくなった。最初は、
「どこか、家族で旅行にでも行ったんだろう」
と思っていた。
海外であれば、一ヶ月くらいいなくても別に不思議はない。しかし、二ヶ月、三ヶ月経っても子供の声が聞こえなくなると、ますます不思議に思えてきたのだ。
隣の家の家族構成は、確か、おじいさん、息子夫婦、そして小学生くらいの男の子が一人だけだった。
息子夫婦は三十歳代くらいだったが、おじいさんは結構年が離れていたような気がする。すでに七十歳は当に超えているように思えた。おばあさんを見たことはないので、すでに他界しているのかも知れない。隣の家の庭を覗いていると、老人が一人で縁側にいる時間が一番多く、その次には、例の子供がうるさい時間があるくらいだ。息子夫婦が庭に顔を出すことはほとんどない。洗濯物を干している姿も見かけることはなかった。
武明は、一人暮らしを始めてから、さすがに引き篭もりではなくなった。ただ表に出ても別に行くところがあるわけではない。食事のための惣菜を買うためにスーパーには立ち寄るが、それ以外は、たまに本屋に行くくらいであった。
コーポの隣にどんな人が住んでいるかなども知る由もない。隣の人も同じで、武明のことは何も知らないだろう。表でバッタリ出会うこともない。どんな人が住んでいるのかもまったく知らなかった。
一人暮らしを始めてからの三年で、書いた小説は、結構あった。長編が多いのだが、年間で六作品くらいは書いていた。似たような作品もあるにはあるが、後から読み返してみると、自分で思っているよりも完成度は高かった。
「これなら、出版社系の新人賞に応募するのもいいかも知れないな」
と思い、何度か投稿を繰り返したが、いつも一次審査で落選させられてしまう。根本的に自分の作品には、何かが足りないのだろう。
一次審査を通らない理由を、
「自分の作品は奇抜すぎて、一般受けしないんだ」
と思っていた。
しかし、一次審査では、それ以前の文章体裁などを審査されるものなので、どこか体裁が整っていないのだろう。それも、自我流という意味では仕方のないことだと思っているので、それほどショックはない。それでも、何度も一次審査で落とされるとさすがに我に返ってしまう。
「どうしたものか」
と思いながらも今は書き続けるだけで、それ以上でもそれ以下でもなかった。
最初は、
「他の作家の本を読んで勉強しよう」
と思い、文庫本を読み漁ったりもした。
また、小説家になるためのハウツー本なども本屋で買ってきて、いろいろと読んだりもした。どの本を見ても書いてあることは似たり寄ったり、結局、書き方が決まっているように思えてならず、新人賞への応募に対して、少し冷めてきたのを感じてきた。
誰かに相談するにも、相談する相手がいるわけでもない。武明は最近になって馴染みの喫茶店を見つけ、通いつめるようになっていたが、店の人と話をしたことも、常連さんと話をしたこともなかった。その店は午前九時から開いているので、通勤ラッシュが一段落してからの時間なので、ゆっくりできる。モーニングを食べながら本を読むのが日課になっていて、話をしたことはなかったのに、アルバイトで入っている女の子のことが気になっていた。
――通勤途中で気になっていた女の子を思い出させる――
顔が似ているわけではないが、雰囲気は似ていた。澄ましてはいるが、愛想はある。そのギャップが、武明の心を掴んでいた。
喫茶店に立ち寄るようになったのが偶然ではなかったことを感じるようになったのは、それから少ししてのことだった。隣の家から、子供や息子夫婦の姿が消えてから、半年ほどが経っていた。さすがにその頃になると、
――老人を一人残して、息子夫婦は出て行ったんだ――
と感じた。
自分のことを棚に上げて、
――なんて冷たい息子夫婦なんだ――
と感じた。
他人の方が思い入れを深く感じられるなど、いかにも自分らしいと武明は感じていた。
一人でいると、すべてが他人事のように思えてくる。しかし、テレビを見ていたり、ゲームをしていると、いつの間にか自分を主人公にシンクロさせていた。それなのに、頭の中の根底にあるのは、
「他人事」
というキーワードである。
――いくらテレビドラマの主人公やゲームのキャラクターに自分をシンクロさせたとしても、しょせんは他人事だ――
と思っているのかも知れない。
これは矛盾しているようで矛盾していない。シンクロさせることの外に、他人事という意識があることで、他人事という膜がすべてを覆いかぶしているのだ。
その頃に書いていた小説は、一人の老人が主人公だった。家族から見捨てられて、一人で世を儚んでいる。その思いが家族に乗り移り、自分を見捨てた息子夫婦はW不倫を重ね、泥沼の法廷闘争を繰り返すことになった。しかも、見捨てたはずの老人にかなりの遺産があることが分かり、息子夫婦はW不倫を一時休戦し、遺産相続に預かろうと悪知恵を弄していた。
しかし、すべてを他人事のように考える老人には、
――人間としての感情――
などなかった。
息子とはいえ、どうなってもかまわないとまで考えていて、息子夫婦の弄する策など、すべてが子供だましにしかすぎず、他人事の感覚の前ではまったく効き目のないミサイルだったのだ。
遺産相続に預かることができないばかりか、老人は自分たちの知らない見ず知らずの人に、ポンと遺産を相続させてしまった。
「一体、相続した人はどんな人なんだ?」
と、苛立ちから気も狂わんばかりの息子は、すでに精神は常軌を逸していた。
嫁の方は冷静に見えたが、実際には夫よりももっとはらわたは煮えくり返っていたことだろう。何しろ嫁は本当の他人なのだから、人情などあってないようなものだ。心の中では、
――くそジジイ、どうせ死ぬなら遺産くらいよこせよな――
としか思っていない。
元々この嫁は、旦那とは恋愛で一緒になったわけではない。別に旦那を好きだったわけでもなく、それまでは適当にいろいろな男を食い漁ってきた肉食だったが、年齢的にもそろそろ身を固めなければいけないという時に知り合った相手が旦那だった。
ある程度の妥協は仕方がないと思っていたことに加え、親の遺産が結構あることを知ると、まんまと遺産目当てに、この家に転がり込んできたという具合だ。
そんな嫁なので、最初こそ、いい嫁を演じていたが、元々貧乏性でじっとして要られないタイプだった。旦那との夜の生活もいい加減嫌気が差してきていたので、頃合を見て浮気の一つや二つしてやろうと思っていた。
昔の男に連絡を取り、セフレとしてキープしておけば、どうせ鈍感な夫のことなので、気づくはずもないと思っていた。
実際に、その想像は当たっていた。旦那が嫁の浮気について何も言わない。嫁としては、夫が鈍感だと思っていたので知らないものだと思い込んでいたが、実際には夫も知っていた。知っていて何も言わないのは、自分にも後ろめたいことがあるからだという分かりきったことに気づかなかったほど、夫のことを見下していたのだった。
しかも、妻から見て、夫は実に肝の小さな男で、もっともそんな夫だからこそ、妥協して結婚したのだ。結婚してからは、自分が主導権を握りやすいと考えたからだった。
確かに旦那は肝が小さかった。しかし、
「そんな男だからこそ、モテるのだ」
ということを、嫁は分かっていなかった。
嫁は自分がまわりを冷静に見ることのできる人間で、相手よりもすべてを分かっていると思い込んでいた。しかし分かっていると思っていた世界は、まわり全体ではなかった。一部だけしか分かっていないくせに、それをすべてだと思い込んでいたのだ。
まるで中世の、
「地球が太陽のまわりを回っているなんて信じられない」
という常識に凝り固まったような女で、それは自分以外の人を認めようとしない傲慢で自己顕示欲の強い女である証拠だった。
しかし、ある時、妻は夫の浮気を発見してしまった。
「そんなバカなことありえない」
と、自分の頭で描いた世界の崩壊を感じたが、彼女は一筋縄ではいかない女だった。
すぐに我に返ると、
「相手も同じことをしているのなら、自分が一番その気持ちは分かる」
と感じた。自分が知らないふりをしていれば、きっと騙せると思ったのだ。
結局はバレてしまったのだが、女の悪知恵は底知れぬものがある。いつの間にか自分の不倫を正当化させることに成功し、相手と手を組むことをも成功させた。やはり、
「蛇の道は蛇」
と言ったところであろうか。悪知恵も一人なら一でしかないが、二人で考えれば、三にも四にもなる。一人では見えないところを相手が指摘してくれるからだ。事ここに至って、いよいよ悪知恵と他人事だと考える人との世紀の対決が始まるのだった。
武明は、そんな発想を抱きながら、新しい小説の構想を練っていた。舞台はもちろん、隣の家だった。まるで自分の発想が他人事から、実際に自分に降りかかってくることであるかのごとく考えていると、新しい発想が、どんどん溢れてくるように思えてくるのだった。
武明は、双眼鏡を買い込んでいた。これは大学時代から持っていたもので、最初は何に使うのか自分で想像もつかなかった。なぜ、双眼鏡など買ってしまったのか自分でもその時の心境は覚えていない。いわゆる衝動買いだったのだろう。
しかし、その頃から妄想癖があったのは事実で、覗き願望もあった。実際に覗きや盗撮に走ることはなかったが、双眼鏡を見た時、ムラムラとした感情が湧いてきたのも、妄想癖なるがゆえんだと思えば、納得がいく。
武明は自分の性格を異常性格だと思っている。引き篭もりになったのがその最たる例であり、最初はそんな自分を自ら苛めるような気持ちになっていたものだが、慣れてくると、意外と悪いものではないと思い始めた。人に迷惑さえ掛けなければ、別に妄想癖があったとしても、それはただの個性であり、小説などの文学作品として残せれば、むしろ個性としていいことではないかと思い始めていた。
隣の老人を毎日観察するのも、別に悪いことではない。そこでプライバシーにかかわることを知りえたとしても、誰かに言わなければそれでいいのだ。人の秘密を自分一人が密かに楽しむというのは、実に快感である。
しかし、老人は毎日同じ時間に縁側に出て、ただ表を見ているだけだ。板塀に囲まれたさほど広いわけではない普通の何もない庭を、飽きもせずに毎日眺めている。一体何が楽しいというのだろう。
庭と言っても、建物に面したところは、縁側だけが庭になっていて、玄関側は板塀で仕切られている。入ることはできず、上から見ている限り、縁側からしか普通に入ることはできない。縁側以外の三方は、すべて板塀に囲まれているのだ。
息子夫婦がいた頃は、子供用に個人用の木製のブランコや滑り台が置かれていたが、そういうものがあったおかげで、最初は狭く感じられた。
しかし、息子夫婦がいなくなると、遊び道具は一掃され、何もなくなってしまった。その時上から見ていると、
――こんなに広かったんだ――
と感じたが、次第に何もない状況に目が慣れてくると、
――だんだん、狭くなっていくように感じる――
と思うようになっていった。
目の錯覚というのは、自分の精神状態に微妙に影響してくるものであった。最初、あれだけ広く感じた時は、自分の中の寂しさに苛まれていたが、次第に狭くなるにつれて寂しさが解消されては行ったのに、今度はどこか自己嫌悪を感じるようになっていった。
それが自分の中にある躁鬱症だということに、最初は気づかなかった。その頃は、まだ自分が異常性格だとは思っていなかったので、躁鬱だとは思いもしなかった。
――躁鬱というのは、異常性格の人がなるものだ――
という偏見を持っていたのも事実だった。
だが、自分が躁鬱であると分かると、
――正常な人でも躁鬱になるんだ――
と、誰もが考えることに気が付いたつもりだったが、今度は自分に異常性格の兆候を感じ始めると、
――躁鬱は、やっぱり異常性格の人にしかならないんだ――
と感じるようになった。
それが間違いなのか正しいのかは分からない。なぜなら、異常性格の異常がどれほどのものか、人によって感覚が違うからだ。
躁鬱になるような人も含めて異常と表現するのか、それとも、躁鬱とはあくまでも個性の表れであり、悪いことではないと思うことで、異常性格の人だけとは限らないと思うのか、なかなか難しいところであった。
しかし、これは最初から躁鬱を悪いことだという発想を前提に考えているから、こんな考えになるのだ。躁鬱というのが、精神に影響を及ぼすというよりも、精神が躁鬱に影響を及ぼすものだと考えると、その時々のまわりの環境も大きく影響してくる。一概に精神が正常か異常かという問題だけではないと思えてきた。
武明が自分を異常性格だと思い始めたのは、欝状態の時、自己嫌悪に苛まれていたのだが、欝状態から抜けて躁状態になってもまだ自己嫌悪から抜けることができなかったときのことだった。
何をやってもポジティブに考えられるはずの躁状態で、自己嫌悪だけが抜けなかった。せっかくの躁状態なのに、自己嫌悪が邪魔をして、下手をすれば欝状態よりも精神的にきつかったりする。
「どうして俺は、わざわざいばらの道を選んでしまったりするんだ」
自己嫌悪がどうしようもないもので、自分ではどうにもならないものだと分かると、わざわざ自分を追い込もうとする根底にある性格を、武明は異常性格だと感じたのだ。
「バカとハサミは使いよう」
と言われるが、そんな異常性格の武明が双眼鏡のようなおもちゃを手にしたら、そこから変質的な相乗効果が生まれ、それが小説のネタになればいいのあろうが、果たしてそれだけで済むだろうか?
目の前にはおあつらい向けに、毎日同じ時間に何もない庭を眺めているだけの老人という格好の被写体がいるではないか。何かハプニングが起こらないか、別に双眼鏡で覗かなければいけないほど遠いわけではないのに、武明はわくわくしながら双眼鏡を覗いた。
双眼鏡を覗いていると、全体が見えるわけではない、一部だけが拡大されて見えるのであって、何かの妄想を抱くのであれば、全体が見える方が発想が浮かんでくるに決まっている。それなのに、なぜわざわざ双眼鏡に両目を当てなければいけないのか? その答えは、
――見えないところにこそあるんだ――
という思いがあるからだった。
双眼鏡には両目を当てるところがあるのは周知のことだが、目を当てていると、両方の目で見ているような感覚にはならない。目の焦点を合わせることで、その感覚をマヒさせ、通常に見えるようにしているのだ。
そんなことを考えていると、顔のパーツには二つあるものがほとんどである。
目、耳、鼻の穴、口以外は二つあるのに、あまり意識することはない。考えてみれば不思議だ。人間はそうなっていることに疑問を感じず、無意識に当たり前のこととして受け入れていることが多い。それだけ、考えて作られているということなのだろうが、逆に言えば、発想が乏しいともいえるのではないだろうか。
その時の武明は、そんなことを考えながら双眼鏡を覗いていた。普段なら絶対に考えないようなことを考えるようになったことも、自分が異常性格なのだと思うようになった理由の一つだと思うようになっていた。
隣の庭には、何もなくなったといったが、まったくの更地ではなかった。縁側から一番遠いところに一本の木が植わっている。最初は何の木なのか、まったく気にもしていなかったが、秋になるとオレンジ色の実が成っているのを見ると、それが柿の木であることは一目瞭然だった。
双眼鏡で覗くようになったのは最近のことだったが、隣の庭への意識はかなり前からあった。昨年の秋に柿の実がなっているのを確認し、翌日にはすべてがなくなっているのを見ると、武明が知らない間に、老人が刈り取ったものに違いない。
「それにしてもいつの間に」
と思ってはいたが、そこはあまり深く考えていなかった。
毎日ボーっとして庭を見ている決まった時間以外は、それほど隣の庭を気にしているわけではないからだった。
双眼鏡を覗くようになったのは、全体を漠然と見ていることに飽きたというのも一つだが、それよりも一箇所にだけ視線を浴びせることで、一点に意識を集中させているつもりでも、見えない部分が気になっている自分が、いかに想像力を膨らませるかということにワクワクしていたからだ。普段は基本的に老人だけを見ているのだが、老人をたまに見失いことがあった。最初の頃はレンズから目を離し、老人の姿を認めてから、改めてレンズに目を当てていたのだが、途中からはレンズから目を離すことなく、ひたすら見えないまわりを探すことに快感を覚えていた。
もし、これが断崖絶壁に架かったつり橋の上に自分がいたとして、まわりを濃い霧に包まれた状態で、どちらが前か分からない時、動くべきかじっとしているべきかの究極の選択に追い込まれているわけではないので、たかが双眼鏡を覗いているだけの差し迫った危機があるわけではない状況で、ワクワクすることができるのだ。これを快感と言わず、何というのだろう。
武明は、老人がいつも座っている縁側の位置と、木が生えている位置だけを最初に確認し、いつでも双眼鏡を持っていけるようにしながら、いつも老人を追いかけていたのだ。
庭を見ている時の老人の表情は、まったくの無表情である。人によっては、
「お釈迦様のようなふくよかな表情」
と言うかも知れないが、武明には無表情にしか感じられなかった。
武明の無表情という言葉の定義は、
「相手に、感情を一切想像させることのできない威圧感のある表情」
のことだった。
威圧感を与えるのは、そこに感情があるからであろう。感情のない威圧感というのは、ある意味矛盾した表情のはずなのに、それを武明は、敢えて無表情と呼ぶ。
「庭の柿の木とその無表情は連動しているかのようだ」
と、老人に表情があるのなら、柿の木にだって表情を感じることができるのではないかと思えるほどだった。
だから、人によって老人の表情はさまざまに感じられるように思えた。
「お釈迦様のようなふくよかな感じ」
であったり、
「相手が誰かを想像させないようにしているが、明らかに誰かに対して恨みを感じさせる表情」
であったりするのではないだろうか。
武明のように、威圧感を感じる人もいるだろうが、そのどれもが、自分を写す鏡であり、根底には顔を見ている本人の性格がそこには反映されているのかも知れない。
息子夫婦がいなくなってから、老人の表情には威圧感がずっと含まれていた。息子夫婦がいる時は、なるべく感情を表に出さないようにしていたのであろう。同じ時間に縁側から庭を見ている行動は、息子夫婦がいたことからのことだったからだ。
その時の表情には、感情はまったくなかった。他の人から見れば、
「これこそ、無表情というんじゃないかしら?」
と思われることだろう。
人が見る目というのは、本当に人それぞれで、しかし、そこには自分の根底にある性格が影響しているということを意識している人がどれほどいるのであろうか。
「俺もまわりからどんな風に見られているんだろうか?」
自分が好きになった人や、親から見られる分には、意識はしていたが、それ以外のただの友達や、利害関係だけで結びついているような人には、どう思われてもいいという程度にしか思っていなかった。ただの友達、いわゆる挨拶や世間話をする程度の友達であれば、相手にどう思われようが、自分は自分であり、下手に影響を受けてしまって、自分を見失ってしまうことを恐れるであろう。
表情から人の感情を見ることは誰でも試みてみることだが、どんなに鋭い人でも、表情から感情を見抜けないのが、無表情というのであるとすれば、武明が見ている目の前の老人は無表情だとはいえるだろう。
ただ武明には大きな勘違いがあった。
老人が無表情なのは、
「年を取ってしまったことで、欲がなくなった。だから、感情が表に出ないのではないだろうか」
と感じたことだった。
しかし、老人にはちゃんと欲があり、それが生きるための糧になっているのではないかと思わせることがすぐその後に分かろうとは、思ってもみなかった。今まで数年間、ずっと老人一人だった縁側に、別の人が現れるようになったからだ。
「おや?」
と感じるようになったのは、老人の無表情だと思っていた表情に、明らかな感情が生まれてきたのを感じたからだ。
その表情とは笑顔だった。
それも、隠微な笑顔であり、唇が怪しく歪んだのを感じると、それまでにない胸騒ぎが、背筋に冷たい汗を流させたのだ。
「何だ、これは?」
自分でも感じたことのない胸騒ぎ、それを感じると、今まで老人だけが無表情で、何も考えていないように見えていたと思っていたのだが、実際にはこの自分までもが、感情がなく、まわりから見れば無表情だったのではないかと感じさせた。
このことは二つのことを暗示している。
「老人は何も考えていないと思っていたが、ひょっとすると自分が考えていたように、絶えず発想を膨らませていたのかも知れない」
ということ、そして、
「感情を見せない無表情なんて、存在しないのではないか」
という二つのことだった。
一つ目の発想であるが、これは、途中で路線の変わる発想ではない。一つの発想が浮かんでくれば、何かの結論が出るまでその発想がやむことはない。それが無表情から作り出される発想の行き着く先である。
老人が見せた表情は、元々老人を知っている人が見れば、
「何だ。いつもの表情に戻ったじゃないか」
と言われるものなのかも知れない。
しかし、武明が老人を知ったのは、ここ数年のことである。それ以前の長い年月を知らないことに臆してしまいそうになったが、ここ数年でも、今まで彼を知っている人に負けず劣らずで観察してきたという慈父があった。
今までなら過去を知らないことが引け目になっていたが、今回の老人への観察に関しては、引け目を追うことなどまったくないと思っていた。
それから数日が経ってからのことだった。
毎日のように縁側に姿を見せていた老人が、プッツリと姿を見せなくなった。別の時間帯にも姿を見せるわけでもなく、どこかに出かけている様子も感じられない。なぜなら、縁側を開けっ放しにしているからだ。戸締りもせずに出かけるのは、武明には考えられないことだった。
老人の姿を見なくなって一週間が過ぎた頃、武明が次第に老人への興味が薄れてきたちょうどその頃だっただろうか、ふいに老人が一人の紳士と若い女性を伴って戻ってきた。
縁側から見える和室で、三人は話をしていた。
紳士の方は、グレーのスーツにネクタイをしていて、雰囲気は公務員という感じだった。自分も下手な企業などに入らずに大学時代にもう少し勉強して公務員を目指していればよかったと思ったこともあり、公務員に対しては敏感に反応した。
その男は、老人と女性の間に立って、一人でいろいろ説明をしている。
老人は男の話をしっかりと聞こうとしているようだが、女の方は、老人の方ばかり見ている。老人は彼女の視線に気づいていないのか、相変わらずの無表情だった。
一時間ほど、男の説明があった。
「それでは、綾乃さん。もろもろよろしくお願いします」
と言って、男は女に笑顔で指示し、そのままかばんを持って帰っていった。女は取り残された形になったが、男の最後の言葉から見て、どうやら、彼女はヘルパーのような仕事なのかも知れないと思った。
まるで保険の外交員のようなビジネススーツに身を包んでいた彼女が、少しすると、エプロン姿という、先ほどからは想像もできないような姿になって、再度現れた。老人はそれでも無表情だったが、武明は遠くから見ているくせに、その変貌に興奮すら覚えていた。
「綺麗というよりもかわいいという感じの女性かな?」
ただ、スリムな身体の線は、清楚な雰囲気を醸し出していて、武明の中で、
「ヘルパーというのは、こういう女性が一番似合うんだ」
と思っていた雰囲気そのままだった。
――あんな女性がそばにいてくれれば、引き篭もりになんかならなかったのに――
言い訳にしかならない気持ちは決して口に出してはならないと思いながら、思ったことすら、すぐに忘れてしまおうと考えたほどだった。
綾乃と呼ばれたその女性は、老人に小声で声を掛けているが、老人には一度だけでは聞こえないようだ。本当に年齢から耳が遠くなっているのか、それとも、意地悪をして聞こえないふりをしているのか分からない。しかし、ヘルパーを雇うほどの人なのだから、耳が遠くなっていると思っても、仕方がないだろう。
ただ、その思いが微妙に変わってきたのは、それから数日が過ぎてからのことだった。それまで引き篭もりだった武明だが、綾乃が出かける様子が見えた時、自分も表に出るようになった。
親は死んでしまったので、別に表に出るのに、なんら障害があるわけではなかった。それなのに、一度引き篭もってしまうと、何かのきっかけがないと出かけることはない。元々親がいる頃からの引き篭もりで、親が死んでから自由になる機会があったはずなのに、その機会を逃してしまったことで、親がいる頃よりももっと引き篭もりがひどくなっていたのだ。
それでも、綾乃を追いかけるのは、まるで自分がストーカーになっているかのようで、それが快感だった。
別に綾乃のことが好きで好きで溜まらないわけではない。普通であれば、そこまで好きになった相手でないと、ストーカー行為に至ることはないだろう。ただ追いかけているだけで犯罪なのだ。そのことは武明にも十分に分かっていた。
しかし、ストーカーを訴えるのは親告罪である。彼女が自分からストーカー被害を訴えない限り、警察が動くことはない。そして武明は彼女が自分から訴えることはないと思っているのだ。
綾乃は、近くのスーパーでいつも買い物をしていた。そのうちにスーパーの帰りにあるアーケードで、生鮮品や惣菜を買うようになった。
スーパーで買い物をしている時の綾乃は、まったくの無表情で、まるで老人が乗り移ったかのようで、追いかけていても、
「このままだと、すぐに彼女に飽きてしまう」
という危惧を抱くようになっていた。
しかし、アーケードに顔を出すようになってからの彼女は、店の人に対してだけ、笑顔を向けるようになった。その表情は実にあどけなく、清楚が彼女のアピールポイントだと思っていたのに、こんなにあどけない表情をされてしまうと、違った感情が浮かび上がってくるようで、それはそれでゾクゾクしたものだった。
清楚なイメージを感じている時は、
――そばにいても、近づきにくい雰囲気を醸し出している――
と思っていた。
それなのに、あどけない雰囲気を見せられてしまうと、どこにでもいる普通の女の子に見えて、今度は、
――近づけば触ることができるかも知れない――
と思うように感じられたのだ。
気分は、それまでよりもさらにストーカーのような気持ちになってきた。
大人の女を追いかけている気持ちが、いつの間にか、少女、いや、幼女に近い感覚さえも抱かせる綾乃に、自分の中にあるロリータの血が沸きあがってくるのを感じていた。
そういえば、高校生の頃、中学生の女の子が気になって仕方がないことがあった。さすがに小学生の女の子にまでは目がいかなかったが、成長期を前にした女の子が気になって仕方がないのだ。
成長期というのは、あっという間に少女をオンナに変えてしまう。オンナに変わってしまうと、武明の興味は薄れてしまう。だから、一人の女の子への興味を持つ期間は、いつも限られていた。
――俺は一人の女の子をずっと好きでいられないのかな?
と、悩んだほどだった。
ロリータ趣味という意識はあったのだが、ロリータでなくなると、気になっていた女の子に対して、興味も薄れてくることが自分にあるなど、想像もしていなかったことだ。
そのせいもあってか、高校時代は年上の女性が苦手だった。そのくせ、年上の女性から意識されることもあった。
あれは、中学三年生の頃だっただろうか。まだ自分がハッキリとロリータ趣味だという認識が生まれる前のことだった。
三年生の時の英語の先生が、女性の先生だったのだが、彼女は三十歳を少し過ぎたくらいだっただろうか。彼氏がいるという話を聞いたこともなく、気が付けば、本人も三十歳を過ぎてしまっていたのだろう。英語の授業中でも、時々上の空になっていて、
「先生どうしたんですか?」
と生徒から指摘されることがあったくらいだ。
その時武明は、
――先生も大変なんだな――
と、何が大変なのか、本当に他人事として見ていた。
しかし、上の空な先生に対してクラスの男子の中で、
「誰か、クラスの中に好きな男の子でも見つけたんじゃないか?」
と言い出す輩が現れた。
「そんなことはないだろう」
と否定する意見が多い中、
「いやいや、先生のあの虚空を見つめる目は、恋をしている目なんじゃないか?」
「そうだとしても、それがクラスの中の誰かだというのは、あまりにも性急な結論すぎないか?」
「あのトロンとした目は確かに虚空を見つめる目だけど、急に我に返って、クラスの中を見渡すことがあるんだ。最近その時に、ある一点で目が留まっていることに俺は気づいたんだけどな」
「おいおい、それは一体誰なんだい?」
と言われて、彼は、
「そいつの名誉のためにも、今は公表しちゃいけないよな」
と言って、苦笑いをした。そして、その視線と武明は目が合ってしまったのだ。
普段であれば、相手も自分も衝動的に視線をそらすのだろうが、その時は武明もその生徒も目をそらすことはしなかった。どちらかが目をそらせば相手もそらすはずなのに、その兆候はまったくなかった。彼はアイコンタクトで、武明に合図をしたのだ。
――ええっ? 俺?
思わず叫びそうになるのを堪えた。
男の顔を見ていると、したり顔に見えた。それだけ自分の目に自信があるのだろう。武明はその目に誘発されるように先生の好きな相手が自分だと思うようになると、それ以外の可能性はすべて否定されてしまうように思えてならかった。
先生と一度だけ密室で二人きりになる機会があった。体育館倉庫に閉じ込められる結果になったのだが、それは、先生が最初から計画していたものだった。
――ここまでやるか?
と、さすがに怖くなったが、そこまで自分のことを好きになってくれたことに対して、武明もまんざらではないと思えてきたのだ。
彼女への気持ちを少し前向きにし、まわりへの気持ちをオープンにしてくると、
――先生が俺を好きなら、答えてやりたい――
感じるようになっていた。
その思いは先生にも伝わっていたし、最初に先生の思いを看破した人も、きっと分かっているだろう。
しかし、それから急に先生の態度がよそよそしくなった。
二人きりになったからと言って、何かがあったわけではない。てっきり襲われるのではないかと思ったが、そうではなかった。
――まさか二人きりになったのは、自分の気持ちを確かめたかったから?
と思うようになると、いまさら感がハンパではなく、その思いが間違いないものだと悟ると、先生の自分への気持ちが錯覚だったということだったようだ。
――やっぱり、年上は信じられない――
と感じたのだが、何とその後、自分をけしかける結果になった看破した生徒と、彼女が付き合っているという話を聞いた時は、ビックリさせられた。
そのビックリがどこから来るのか、きっと誰にも分からないだろう。
――分かられて溜まるものか――
という思いが強かった。
武明がロリータに走ったのは、それがきっかけだった。
元々ロリータの性分だったのだろうが、そのことを思い知らせるきっかけというのはえてしてあるもので、それが先生による自分への恋の結末だったのだろう。
高校時代はロリータ一本だったのだが、大学に入ると、今度は大人のオンナにも興味が出てきた。
「先生に飽きられたことを忘れたのか?」
自分で戒めてみたが、感情は理性よりも強いようだ。
――要するに、俺は誰でもいいのか?
と、自己嫌悪に陥ったりもしたが、最終的には、
「好きになった人がタイプということで、それでいいではないか」
と、自分に言い聞かせていたのだ。
引き篭もりになったのも、まわりからいろいろ言われて、自分の進む道が分からなくなったからだ。
まわりが勝手に騒ぎ立てて、おだてたりすかしたりして武明の性格を裸にしようとした。他の人はそこまで感じないのだろうが、感じてしまった武明は、まわりの感情に、ほとほと嫌気が差していたのだ。
特に一番序実に感じられた相手は親だった。
厳格な父親は、自分の考えの通りに、息子を型に嵌めようとしていた。母親は父親よりも露骨だった。
「ちゃんとしないと、お父さんに叱られるわよ」
などと言われると、
「あんたは自分の意見ってものがないのかい!」
って、文句を言いたい。
しかし、その言葉が口から出てくることはなく、その代わり、唇をずっと結んで、歯を食いしばるしかなかった。
厳格な父親も嫌だったが、この自分の意見を持たず、ただ、人の威圧を相手に知らしめて、あたかも自分の説教のごとく簡単にそのセリフを吐く人が、武明にはどうしても許せなかった。
それが引き篭もりの理由だった。
まだ引き篭もりになる前の、仕事を辞めて家でゴロゴロしていた頃、親二人でどこかに出かける時、
「電話に出たり、呼び鈴が鳴っても出る必要はないからね」
と言われた。
理由を聞くと、
「世間体を考えれば、あんたが応対すると、私たちが恥ずかしい」
そこまで強い口調ではなかったのだろうが、自分の息子がいかにニートになったからと言って、
「恥ずかしいから顔を出さないで」
と言われてしまっては、立場もないものだ。
いくらまわりが冷たくても、親が何も言わなければそれでよかったのに、完全に体裁だけを考えて、息子の気持ちなど何も考えていない。その思いが武明を引き篭もりにして、死んでからも、憎まれ続けることになるのであった。
――感情よりも、本能で生きていけばいいんだ――
これが、武明の引き篭もりの信念だった。
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