(7)飼い猫の使命

何事もない、いつもの日々が戻っていた。


何事もない。本当に、何事もない。

何故、この二人は何事もないんだよ! と俺は逆キレする。


あの、一緒にベッドで寝た日も、まさかの展開はあるのか?

と思いきや、二人とも背を向けて一睡もせずに朝を迎えていた。


せめて手ぐらいは握ったのか?

……それはご察しの通り。


で、最近ひしひしと伝わってくるのが、猛烈にぎくしゃくした空気。

例えば、タイチが、


「お茶でもどうですか、お兄様」


と声を掛けると、ユウジは、「あ、ああ、大丈夫。いや、もらおうかな。あ、ちょっと待って、やっぱり、いいや……」と、何を言っているのかさっぱり分からない。

かなり重症気味。



逆に、ユウジがタイチに、


「勉強みてやろうか?」


と声を掛けると、タイチは、「だ、大丈夫です!」と大声を上げて、椅子から転げ落ちそうな勢いで動揺する。

ユウジが、少しでも触れようなら、きゃあ!とか、ひゃあ!とか言って飛び上がる。



まぁ、それだけなら、まだいいのだ。

問題は、一人になると、きまってミルクの恋愛相談室が始まってしまう。


「ねぇ、ミルク。お兄様って、ボクの事、どう思っていると思う?」

「にゃー」


しるか!


「なぁ、ミルク。お前さ、タイチって誰か好きな人いるか知っているか?」

「にゃー」


しるか!


二人とも、いいから早く告白しろよ!

そうしないと、俺の睡眠時間は削られ、体調に支障をきたしかねない。


事は深刻。限界はすぐそこ!


そして、俺はここに来て、ついに最終作戦を決行するに至ったのだ。


名付けて、『ドキッ! アクシデントでラブラブ大作戦』である。


ネーミングセンスから、俺の前世がいつの時代の人間だったのかについては、差し控えさせていただきたい。


さて、いつの世も、アクシデントというスパイスを元に、恋が成就するのは王道中の王道。

ここでも、俺はそれを使わせてもらう。


作戦はこうだ。


俺は、二人の机の間に設置されている棚の上で待機する。

ここからスタートだ。


まず、タイチが机に向かっている時、俺は不注意を装い、棚から写真立てを落とす。


ガシャン!


すると、タイチは手を止めて、俺を睨む。


「もう! ミルク、何度も落とさないで!」


タイチは、そう言って、落ちた写真立てを拾い上げる。

実は、すでに『ミルクが写真立てをよく落とす』という伏線は張ってあるのだ。

さすが、俺。用意周到。


「ほんとだぞ、ミルク。それはタイチがプレゼントしてくれた大事な物なんだから」


ユウジもそう言って俺をたしなめる。

ユウジがこちらに注目するのもこの作戦の重要なポイントである。


俺はそれを確認して、しゃがみ込んだタイチ目掛けて、花瓶を落とす。


タイチは、きゃーと悲鳴を上げる。


そこへ、白馬の騎士よろしく、ユウジがさっそうと現れ、すっとタイチを抱きかかえ、難を逃れる。


「大丈夫か? タイチ」

「はい、お兄様」


見つめ合う二人。

抱き合っているのだから、当然の流れである。

そのまま、顔が近づき二人の唇は合わさる。


チュッ!


ふふふ。完璧な作戦。

まさしく、『ドキッ! アクシデントでラブラブ大作戦』である。





さて、日曜日の昼下がり。

タイチとユウジは、いつものように二人揃って部屋に引きこもっている。


相変わらず、甘いのか、酸っぱいのか、楽しいのか、辛いのか、よくわからない空気。

まぁ、いい。

今にみていろ!

俺が、この空気を愛に満ちた甘々で超スイートな空気に変えてやるからな!



俺は、さっそくスタート位置である棚の上の定位置に付いた。


ちなみに、この棚。

人間の胸の高さも程もないのだが、仔猫が登るにしては超高い。


今でも、密かに足がプルプルと震えている。

ただでさえ高所恐怖症の俺にとっては、恐怖と隣り合わせの危険極まりないミッションなのである。

その俺の勇気と覚悟の程は、是非皆さんもご理解頂きたい。


まずは、タイチを確認。


眼下のタイチを見る。

机で何やら書き物をしている。


前は、ひたすら日記をもくもくと書いていたが、最近は詩も始めたらしい。

お坊ちゃまらしい、高尚な趣味である。


で、詩を書いている時は、大体、ニヤニヤしているのだが、今タイチの表情は思いっきりニヤニヤしている。

これは、間違いない。詩を書いているな?


と思って、手元を覗いてみると、やはりそうだった。

お兄様が、どうとか。お兄様が、こうとか、そういった内容だ。


成長しているようでしてない……。



で、ユウジの方を確認する。


ユウジも机に向かっている。

宿題か? と思いきや、タブレットで動画を見ての勉強らしい。


最近の学習方法は進んでいるなぁ。


俺は感心して、うんうん、と頷いていて、ふと気づいた。

その動画に見覚えがあったのだ。


たしか、タイチがお祖母様の所に行った時に撮影された動画だ。

近くに小川があって、タイチはそこで、水遊びさながら、バシャバシャと水を蹴り、きゃっきゃ、きゃっきゃ、はしゃいでいるシーンが映し出されている。


まったく、タイチは子供だな。

お前は、小学生か?


俺はそう思うのだが、ユウジときたら、目を皿のようにしてそれを食い入るように観ている。

そして、ほんのりと興奮気味。


あちゃー。

こっちも全く成長なしかよ……。



と、言うことで、準備は整った。

作戦開始!



まずは、と。

俺は、写真立てをスッと、落とした。

棚から落下して、ガシャーンと音を立てた。


タイチとユウジは、こちらへ注目する。


よし、成功。


さっそく、タイチは俺を見上げてお小言を言った。


「もう、ミルク、気を付けてよね。写真立て壊れちゃうよ!」

「にゃー……」


俺は、すまなそうに鳴く。


タイチは、席を立つと、写真立てを拾い上げた。

ユウジは、視聴中の動画を止めて、


「壊れてない? タイチ」


と、声を掛けた。


「うん、大丈夫。今度、テーブルの上に置きましょっか?」

「そうだな。ミルクに壊される前にな」


そんな会話をする。

わざととは知らずに……うしし。



次の作戦に移る。

花瓶を落とすのだ。


俺は、花瓶に後ろ足を掛けた。

いけ! タイチの所へ!


俺は思いっきり蹴りあげるが花瓶はいっこうに動かない。


どうしてだ?


何度も、何度も、蹴るが花瓶はビクともしない。

よし、こうなったら、と俺は体当たりを思いつく。


これなら、倒れるはず。

そうすれば、転がってタイチの上に花瓶は落ちる。

いくぞ!


俺は、少し助走をつけて花瓶に体当たりを試みた。


しかし……。

ああ、そうだ。俺は猫は猫でも、ちょっと運動神経が残念だったんだった……。


足が滑って、俺自身が、棚から落ちる。

真っさかさま。


ああ……そんな……。


スローモーション。

天井が見える。

そして棚の上の蹴り損ねた花瓶。


タイチの驚く顔、ユウジの横顔。


完全仰向けで落下している。

このままじゃ頭を打つな。


俺は、まさか死ぬんじゃ。嘘だろ……。


そこで、目の前が真っ白になって気を失った。




目が覚めると、二人の顔。

心配そうに俺を見つめる。


「ミルク、分かる? タイチだよ!」

「にゃ?」


タイチの必死の顔。


「ミルク、気がついたんだね!」


タイチが俺をギュッと抱きしめる。


「ミルク!」

「にゃ……にゃにゃにゃー!」


く、苦しい……。

タイチに抱かれた俺の頭を、ユウジが優しく撫でた。


「ミルク、あまり心配かけるなよ……ははは」


ユウジは、そう言ってにっこり微笑んだ。


生きてはいたか……。

ああ、でも失敗したんだよな。

俺は、ぼおっと二人を眺めた。



俺は落ち着きを取り戻した。

タイチの膝の上。

タイチは、ゆっくりと俺の背中を撫でる。


「ねぇ、ミルク。ボクね、ミルクに出会えて本当に嬉しいんだ」

「にゃ?」


な、何だよ、急に。

俺は、驚いてタイチを見上げる。

タイチは、優しい微笑みで俺を包み込む。


「ボクさ、動物って飼った事無くて、でもずっと飼いたくて。初めてなんだ……ミルクが」

「にゃー」


ふーん。

そっか。俺が初めてとは、運が良いのか、悪いのか。


「なんだかボクは、ミルクと心が通じているような気がして。それに、ミルクの事は兄弟のように感じているんだ」


タイチは、俺を抱きかかえた。

タイチと目が合う。


「体は小さいし、高い所は苦手だし、ボクにそっくり。何よりボクみたいに運動神経なくてドジだし! ふふふ」


「にゃーにゃーにゃ!」


な、テメェ!

好き放題、言いやがって!


俺は、プイッとそっぽを向いた。

タイチは、笑いながら続ける。


「……でも、一緒にいると温かいし、悩みを聞いてくれたり、励ましてくれたり。優しい子。ボク、ミルクがいたから頑張れたんだ」


えっ……。

俺は、タイチを見つめた。


タイチはふと遠くを見る。


そっか……あの時の事を言っているのか……。

そう、一人きりでユウジの帰りを待った時の事。


兄弟のようにか。

もしかして、あの時も俺をそんな風に見ていたのか?

そんな思いで相談したのか?


たかが仔猫の俺なんかに……。

タイチ……お前って奴は。


「良かった! 本当に無事で! ミルク!」


タイチの頬に涙が伝わる。

タイチは、再び俺をギュッと抱きしめた。


ば、バカ! なに泣いているんだよ……タイチ。

俺だって、俺だって……。


胸が熱くなる。

込み上げてくる。

俺はそれを必死に抑える。


くそっ、くそ……。



「そっか、タイチもそんな風に感じていたか。俺もミルクはただの仔猫とは思えなくて……」


そこへ、ユウジの声が耳に入った。


へ? な、なに?

ユウジも何かあるのか?


ユウジはタイチに言った。


「タイチ、ミルクをいいか?」

「はい。お兄様」


俺の体は、タイチからユウジに引き渡される。

ユウジの固い腕の中にすっぽりとはまった。


ユウジは俺の頭を撫でるのだが、ちょっと乱暴。

でも、嫌いじゃない。

男同士の握手や肩の叩き合い。

そんな心を通わせた友達同士のスキンシップに似てるのだ。


ユウジは言った。


「俺は知っているぜ、ミルク。お前、俺達の事、気づかって様子を見たりしているだろ? よくお前が散歩する姿を見かけるけど、あれはそうなんだろ?」

「にゃー」


ふっ……。

なんだ、ユウジ。

お前知っていたのか?


グランドでも教室でも図書室でも、確かにお前とはよく目が合う。

お前の事をみくびっていたよ。


「ミルク。お前とは何か友情みたいなものを感じていたよ。本当に……」


その目には涙をためている。


な、こいつまでどうして!?


「あの時は辛かったな……同士」


うそだろ?

あの時って、今それを言うのかよ……。


タイチの帰りをぐっと堪えて待ち続けた日々。

思い出すと涙が出てくる。


しかも、お前は今まで一言も口にしなかっじゃないか……あの時の事は。


絶対に弱音を吐かない。

完璧なお兄様を目指すって。

それを俺如きに決意を緩めて良いのかよ?


俺の気持ちを察するようにユウジは言った。


「ミルク、お前は特別だ。ありがとうな。俺達の所に来てくれて」

「ありがとう! ミルク。大好き!」


タイチも俺に頬を寄せた。


俺は心の中では泣いていた。

それも大泣きだ。


だって、そうだろ?

こんなに愛されてる奴、他にいるか?



ユウジよ。


来てくれたというか、もともと連れてこられたんじゃねぇか。

でも、よかったよ。


お前に連れてこられて。

他の誰かじゃない、お前達のところで。




それに、タイチ。


大好きって……そんな真剣に言われたら照れるって……。

お前は、バカがつくほど正直で素直すぎるんだよ。


男は黙って気持ちを伝える。

そのくらいが丁度いいのさ。




それにな、二人とも。


俺は、お前達に感謝されるような事はしてねぇんだ。

せめて、お前達の仲を取り持つ事が出来れば良かったんだが……。


飼い猫として、失格だよな……。


ごめんよ。

本当にごめん。


不甲斐ない俺で……。





しばらく沈黙が続いた。

沈黙を破ったのはユウジだった。


ユウジは言った。


「なぁ、太一。俺、ミルク死んでしまったら、どうしよかと思った。大事な家族だから」

「うん」


「それは、太一、お前も同じなんだ」

「えっ?」


タイチは、ユウジを見上げた。

ユウジはにっこりと微笑む。


「俺、太一の事が好きだ。だから、ずっと守っていきたい」



俺は、目の前がパッと明るくなるのを感じた。

清々しい夏の風が吹き抜ける錯覚。


告白……!?


俺は、驚いてユウジの顔を見た。

晴れやかな顔をしている。


そして、タイチの顔を見た。

タイチも同じように目を輝かせ穏やかな表情。


「お兄様。ボクもお兄様の事が大好きです。ずっと一緒にいさせてください」


お前まで、そんなはっきりと。


こ、これは……。

ついに結ばれたのか?


二人は顔を近付けると、口付けを交わした。


やった。

やったな……二人とも。


俺は多分、今泣いている。

使命は果たされた。

こいつらから貰った恩に、俺はようやく報いる事ができた。


良かった。本当に……。


俺は、一歩を踏み出した二人に拍手したい気持ちでいっぱいになっていた。

そして、こうも思った。


お前達の飼い猫で本当に良かった。



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