第5話 男爵令嬢は腹黒かしら?
今宵も今宵とて、貴族達は集まり宴が繰り返される。
平民からは夢のような豪華絢爛さも、お貴族様達には「いつもの」お馴染み。
女性の間では悪評高いアプリコットは、今宵も男爵令嬢という仮面をつけてお貴族様の群れへと勇猛果敢に挑む。
今夜もしっかり稼がなくちゃ。
だって、まだ足りない。もっと……もっと稼がないと。
薹が立ったと言われるようになってきた事は知っている。もう十代の頃のような、立っているだけで寄ってくる男共がいなくなってきた事も気付いている。
だけど……絶対に貴族なんかとは結婚しない、したくない。それでも、貴族達からむしり取ってやるんだから。
今宵もまた、気合を入れて戦場へと足を踏み出す噂の男爵令嬢アプリコットだった。
「暇ねぇ、フラン。美味しい物とはいえ、しょっちゅう夜会へ出ていれば大体メニューは似通ってくるのよね」
そうは言いながらパクパク食べてカパカパお酒を呷る友人に、苦笑が浮かんでしまう。
フランボワーズ・キュラス伯爵夫人とその友人ピーチ・メルバ伯爵夫人は、子育てもやっと落ち着いてきて夜会へとちょくちょく顔を出すようになっていた。
気の置けない友人と共にお付き合いで出た夜会で、フランはゆっくりとソファに座りホール中央でダンスに興じる若者達を微笑ましくも懐かしく見守っている。
「ふふふ、美味しい物に罪はないわ。あなたと同じペースで付き合っていたから、少し酔いがまわってしまったみたい。私は夜風にあたって涼んでくるわね」
優雅に立ち上がるフランに、ピーチはひらひらと扇を振って「いってらっしゃい」する。
周囲に侍らせた若い子爵令息相手に何やら楽し気にお話しを始めた。
……可愛がるのは良いけれど、ほどほどにね。と、心の中で釘を刺した視線を友人へ送った。
分かってますと言わんばかりに、友人はウィンクして返す。
ゆっくりと庭園へ移動して、ホールで鳴り響く音楽や人の熱気というものから離れると、夜風がなんとも言えずに心地良い。
若干雲が出ていて薄暗いが、庭園入口に置かれていた小さなランプを持って行けば十分見える。
急ぐ事もないしと、のんびり月夜の庭園を散策する。
「……っお戯れが過ぎますわ、離してくださいっ」
「何を言うんだ、君だって僕の気持ちは分かっているだろう? 今まで散々貢がせて、オアズケばかりでは済む訳ないだろ」
「っ、あら、こんな無体をされる方だなんて思いませんでしたわ……酷い」
「ふん、今更おぼこい振りをしても無駄さ、こんな事、君には手慣れたものだろう? それとも、そうやって焦らすのが君の好みか?」
「違いますわっ……いや、本当に、私に直接触らないでっ!」
「なんだよ、君だってもう薹の立ったイイ年になってきただろう、もう相手をしてもらえる者だって少なくなってきたんじゃないか? それに、散々今まで男に触らせてきた体だろうに……」
あら、あらら?
何やら秘め事の気配……回れ右しようとして、しかし、どうやら女性が本当に嫌がっている気配に立ち止まる。
「あー、酔ってしまいましたわぁ、飲みすぎたかしらぁ~?」
わざとらしく音を立てて歩みを進める。
すると、少し先にあった木陰から、何やらガサガサと走り去る音がした。
私とは反対方向へ走り去る男性。月明りでは断言出来ないけれど、ボン・クラーズ子爵じゃないかしら?
あら、あらら? 確か、少し前に結婚されていたかと思ったけれど……ふふふ、一夜の恋が黙認されているとはいえ、やはり既婚者はおおっぴらに出来ないものよね。
女性の方は出てきていないみたいだし、大丈夫かしら?
足音を立てて、木陰へと近付く。
「ねぇ、そこのあなた、大丈夫?」
私の声に、蹲った陰がビクっと反応した。
手にしたランプの灯りに照らされて、涙目の男爵令嬢が私を見上げていた。
可愛く編み上げられていたピンクの髪は少しだけ乱れていて、キュッと結んだ口は微かに震えている。
「な、なんでもありません。ごきげんよう」
どう見てもなんでもなく無いのに、私の顔をみるや慌てて立ち去ろうとする男爵令嬢。
「お待ちになって、葉っぱが」
ランプを持たない方の手で、蹲っていた時についたであろう葉っぱを彼女のドレスから払い落す。
黙って下を向き、されるがままの男爵令嬢に、私は静かな声音で話しかけた。
「貴族だ紳士であれと言われても、着飾った中身は所詮ただの男なのだから、振る舞いには気を付けないとね」
「……」
「ふふ、こんなおばさんから小言なんて言われたくないわよね、貴女より少しだけ人生経験が多いだろうお節介からの……ただのひとり言だとでも思って頂戴。
ねぇ、貴女、本当は男を知らないのではないかしら?」
私の言葉に、怯えるように肩が揺れた。
それも、すぐに敵意剥き出しの瞳で私を睨み、じりじりと私から離れようとする。
「貴女、色々と噂になっていたのを耳にして、お茶会や夜会で見かける度にほんの少しだけ見ていたの。
ごめんなさいね、見られていただなんて良い気分はしないわね」
努めて優しく落ち着いて話しかける私に、警戒したままだけれど戸惑うように躊躇う素振りも見て取れる。
このまま走り去ろうか、それとも私が何を言いたいのか最後まで聞きたそうな、迷っている様子が分かった。
「貴女、どんな時でも、けして男性に直接触れさせたりはしてないでしょう? 本当に上手く避けているなと感心して見ていたの。
上手く男性の関心を引いて、おだてて気分良く話を聞いて……そうね、傍目には貴女が男性に媚びを打ってベタベタ纏わりついているように見えるかもしれない。
けれど、貴女からは決して男性へと触れないし触れさせもしない。そうよね?」
「……」
「ねぇ、貴女みたいに上手く男性を持ち上げられる人が、どうしてまだ婚約もせずに中途半端に男性といるのかしら。
それが不思議なのよね。きっと貴女なら、女の武器の使いどころは良く心得ているだろうし、花の命が短い事も充分に理解していると思うの」
そう、彼女はけして馬鹿ではない、むしろ、人付き合いや空気を読むという事はとても上手いように見えた。
女性との付き合いは切り捨ててひたすらに男性から貢がせて、でも婚約は一切しない。
男爵家ならば裕福ではないと分かるけれど、かと言って必死に男漁りして貢がせないと食べていけない訳はない。
聞きたい事を口にした私は、彼女の返答を待つ。
暫く下を向いたまま黙っていた彼女は、ぎゅっとドレスを掴んで苦々し気に私を見る。
「……別に、理由なんてありません。伯爵家の奥様に理解してもらおうだなんて思ってもいません。ありがとうございました、失礼します」
くるっと踵を返して立ち去ろうとする彼女の後姿に、つい、ぱしっと手を掴んでしまった。
「ねぇっ! 別に、恩を売ろうなんて思ってる訳じゃないわ。ただ……そう、貴女の事が心配になっただけよ」
手首を掴まれて、怯えた表情で振り向く彼女に、優しく微笑みかける。
そう、特別な理由なんて無い。勿論、夫にちょっかいかけた事を追及する気も無い。
子どもたちが成長するのに必要な物をちゃんと用意するならば、それ以上夫へ何か期待する事はやめたのだから。
ただ、彼女を見ていると、ふとした時に捨てられた子どものような無防備にも心細気な表情をしていた。
それが気になった。
私も親になったからだろうか?
愛情に飢えた子どものような彼女を、なんとなく放っておけなかった。
「たまに見かけては、貴女を見ていたと言ったでしょう? 少し、心配になる感じだったから、気にしていたの。
でも今夜こうして会ったのは、たまたまよ。流石に監視していて追いかけたりするような事はしてないわ」
そう言って笑いながら手を離した。
彼女は、掴まれていた手首をさすって、私を睨む。
おお怖い。童顔で愛らしい顔立ちをしているのに、睨んでいる顔は子猫が警戒して噛みついてきそうな感じね。
「私の事なんか、気にかけて頂く理由はありません。貴女だって、ラナン・キュラス伯爵に貢がせていた私の事は憎らしいはずでしょう」
「あら、あの人に貢がせるなんて中々上手くやったわね。ふふ、貴女、本当に男の扱いがお上手みたい。もし、その交流を女性へも広げられたら、もっと活躍出来る場があるんじゃないかしら?」
「わっ、私は……そもそも、十五の誕生日の少し前までは平民として育ちましたから。生活は苦しかったし、お母さんの代わりに酒場で働いていたから、周りの空気を読むなんて当たり前にやっていたわ」
おや、思いがけず褒められたからか、口が軽くなってきた。
ふふふ、案外根は素直な子なのかもしれないわね。
「そう、苦労なさったのね。それは、確かに貴女の力となって今も役に立っているのは素晴らしいわ」
「……軽蔑しないんですか?」
「あら? どうしてかしら。確かに、私からは想像しか出来ない世界だけれど……それでも、己の境遇に負けまいと生きてきたのでしょう? それを恥じる事はないわ」
私の言葉に、彼女は真ん丸い瞳を揺らす。
あらあら、優しくされると泣けちゃうという事かしら。
「だっ、だってっ、お貴族様からしたら、私みたいな平民上がりの礼儀もなってない娘なんて……跡継ぎがいないからって急に引き取られたような私はお嫌いでしょう」
そこまで言うと、唇をきゅっと引き結ぶ。
何かを思い出すような、視線が彷徨ってまた俯いてしまう。
「そうね、そういう人は多いわね」
「……」
「でも、そういう人達に負けまいと、きっと貴女なりに考えて頑張ってきたのね」
「っ!」
そっと近付いて、彼女の頭を優しく撫でる。
ついさっき子爵に触れられそうになった時は激しく抵抗していたのが、今は借りてきた猫のように大人しく撫でられていた。
ふふふ、真ん丸の瞳がいっぱい開かれて、表情豊かな子ね。確かに貴族らしさは皆無だわ。
……でも、素直な愛らしさも、いいものね。
「貴女の出自は色々あったのね、きっと、必死に貢がせて稼いでいるのにも何かあるんじゃないかしら」
驚いたように見開かれた瞳から、ポロリと涙が落ちた。
「急に知らない世界に放り込まれて、ずっと貴女なりに戦っていたのね。でも、一人は辛いわ。もしかしたら仲間になれる相手もいたかも知れなくてよ?」
ポロポロと、涙は男爵令嬢の頬からデコルテへと流れていく。
「こうやって、貴女を思って行動してくれる人は居なかったのね。ほんの少しの優しさで、ささやかな思いやりで、救われる事もあるのにね」
ねぇ? と目尻を下げる私に、彼女は堰を切るように泣き出した。
「っ、ひっく、わっ、わたっ、し……」
随分と我慢してきたのか、凄い勢いで泣き出した彼女に若干驚きながらも、あくまで平然を装う。
「あらあら、そんなに泣いたらせっかくのメイクが台無しよ。ほら、そっと抑えて拭きなさい」
ハンカチを取り出して、そっと涙を拭いてやる。
何も敵対心無く、ただ俯瞰で見ていた彼女は、なんとも愛らしく見えてしまった。
ほんの少しの優しさで、こんなにも泣き出してしまうほど、ずっと一人で頑張って溜め込んでいたのだろうか?
「ねぇ、女はね、強くあらねばならない時があるの。
例えば、命を育む時だったり。
例えば、絶対に譲れない何かの為だったり……あら、これは、男でもそうね。
とにかく、人生には折れてはいけない時もあるわ」
私の言葉に、少しずつ涙をおさめながら、静かに聞いている。
「どうしようもなく、辛い時、苦しい時、そんな時こそ笑いなさい。そして、どうにもならない時には上手く躱して逃げなさい。
己を潰す程の物に、ただ一人で向かっても何にもならないわ。戦略的撤退という言葉もあるのよ?
だから、一先ず現状から逃げを打って、対策を考えるのは悪い事でもないわ」
泣き止んで、少し恥ずかしそうに頬を染めながらも「はい」と彼女は頷く。
「他人がどう言おうと関係ない、言いたい事言うだけの他人が、私の人生に何してくれるって言うの?
酷い事を言われたら、あくまですましていなさい。何でもなく見せなさい。
そうしてね、貴婦人は笑顔で背を向けてやるのよ」
そう話して、悪戯っぽく笑んで見せる私に、彼女は今まで見せた事のない明るい笑顔で「はい」と答えてくれたのだった。
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