第26話:妹のお見舞いと両親との決着

 日辻川ひつじかわ洋子ようこが目を覚ました時には、狂気と暴力にいろどられた血の宴の第一幕は終了していた。


 踏み潰された脹脛ふくらはぎは、兄の足幅約10センチに渡って完全に組織が圧壊しており、切断するしかなかった。

 3時間に渡る手術の後、洋子が目を覚ました時には、右足を膝下から失っていた。




「あのクソガキ…… テメェと違って可愛い俺の娘達に、よくもらかしてくれたなぁァッ……!」

「アイドルでもモデルでも稼げる体を傷物に……ッ! 女子供に暴力を振るうようなクズは、さっさと警察に捕まえてもらいましょ!」


 父・将人まさとと母・瞳子とうこは、憤怒に青筋を浮かべて病院で大騒ぎする。無闇に金の掛かる最上級の個室でなければ摘まみ出されていただろう。


「通報は止めた方がいいと思いますよ。兄さんが警察に何も言わないと思いますか? せめて、ウチにある良くない物・・・・・を片付けてからにした方がいいと思いますけど」


 麻酔から覚めたばかりです、と言わんばかりに欠伸あくびをしながらの洋子の言葉に、勇んでスマホを握った瞳子の指がピタリ、と止まった。


「ちっ…… 警察じゃなくて、店の若いのにシメてもらうか」

「そうね。調子に乗られてたまるもんですか!」


 イライラと罵声を吐き捨てながら、今度は将人がスマホに指を滑らせる。


「無茶ですよ。本気になった兄さんにかなうわけないでしょう。姉さんより強い人の当てがあるんですか?」


 姉さんの百倍強い人を百人集めても無駄だと思いますけど、と、洋子はまた欠伸をする。

 両親は顔を見合わせた。翔子は強い。やたらと強い。暴走族を一人で壊滅させる程度のテンプレくらいなら易々とこなすくらいには強い。

 今は弟に手足を折られ、病院のベッドの上で泣きながら震えているが。


「粛々と謝罪と賠償の準備をなさった方がよろしいかと。これ以上怒らせない方が身の為ですよ」

「あんた、どっちの味方なのよ! その足! そんなことされて、悔しくないの!?」


 瞳子がヒステリックな金切り声を出す。ちょっと気に入らないことがあったらすぐにこうだ。


「強いほうの味方に決まってるじゃないですか。足一本で済ませて頂ければ儲けものですよ。豚は処分する、とか言ってましたからね」

「ぶっ……!?」


 両親は顔を真っ赤にして足をふらつかせた。不摂生なのに血圧を上げるからだ。


「だ…… 誰が豚だぁ!? 糞親父クソジジイにおいがする嫌味な偽善者野郎が……! ちょっと腕っぷしが強いからって好きにやれると思うなよ……! 一服盛るなり寝込みを襲うなり、ようは幾らでもあるんだからよ……!」

「へぇ、豚人間じゃなかったんだな。父ちゃんは狼か。童話の悪役みたいなツラしてっけど、何か変だな…… 母ちゃんは花人間? あー、その粘液、食虫植物か。虫取菫むしとりすみれ辺りがモチーフかな」


 その声は唐突に割り込んで来た…… 足音も、扉の開く音も、前触れにすること無く。


「クソガキ!? てめぇ、いい度胸だ!!」

「犯罪者! よくもノコノコ顔を出せたわね!!」


 異様な事態も、異様と認識出来ない人には何のプレッシャーにもならない。振り向きざまに息子を怒鳴りつける将人と瞳子。


「兄さんっ♪」


 洋子は点滴を外して起き上がると、ベッドに両手と片足を突いて四足獣のように跳び上がった。そのまま良太の首っ玉に噛り付く。


「おぉっと、お前、ちょっと見ないうちに、やたらと犬に寄っちまったな……」


 怪我人にしてはアグレッシブに跳び付いてきた妹を、ひょいと抱き止める良太。今朝見た時には犬人間だった洋子のヴィジョンは、何があったのか今やほとんど犬である。

 面構えは柴犬に似ている。毛並みは綺麗な裏白の黒胡麻。人間に戻してやろうと思っていたが、正直言って良太的にはこっちの方が可愛い。


「何やってんだ洋子!? そいつがお前の足をブチ切ったんだぞ!? こっちへ来い!」


 父が……狼が狂ったように吠える。が、どうにもヴィジョンが不自然だ。生気が無いと言うか、動きが無いと言うか。


「やっぱ変だな父ちゃん…… お前、本当に狼か? 剥製? ハリボテ?」

「なんだぁテメェ! バカにしてんのか!? もっぺん仕付け直さねぇといけねぇようだなぁ?」


 何を言われたか意味は分からなくても、人一倍過敏な自尊心はとにかく無礼ナメられたと判断する。良太が術後の娘を抱えていることも顧みず、将人は反射的に息子に殴りかかる。

 不摂生な中年とは思えない体のキレだった。流石、昔から夜の街で鳴らしていただけのことはある……


「病院で暴れるなよ、馬鹿」


 ……洋子を抱えたままの良太に片手でくるりと捻られて、一回転して椅子に座らされた。


「なっ、えっ、はぁっ!?」


 ついでに、肩まで外されていた。生意気な息子を鉄拳制裁しようとした右腕が、だらりと垂れ下がって動かない。


「大人しくしてろ。慌てなくてもお前らの番だ。俺を甚振いたぶったこと、祖父じいちゃん祖母ばあちゃんを笑ったこと、たっぷり償わせてやるからよ」


 妹をベッドに下ろしながら、良太は両親を睥睨へいげいする。洋子の体で隠されていた良太の顔があらわになる。

 蒼白い眉毛が眼光と照り合って、魂を射貫くような異彩を放った。

 瞳子の背に怖気おぞけが走る。




 なんだ、この子は。




 出鱈目な眉毛のセンスをわらおうとした言葉が喉につっかえる。鳩尾みぞおちの辺りから塊のように湧き上がって来る、母として女としての根元的な恐怖。




 私は何を産んだ?




 硬直する妻の隣で、将人は目を見開いたまま、見る見るうちに青褪めていく。


「じ…… じ、じ、じき、じ、じ、じじ……!!」

「ああ、俺は食日じきじつだよ。昔話の蒼い狼と、猟師の夫婦の娘との間に産まれた化物カミサマ。その力を受け継いだ、日辻川家の先祖返りだ。祖父じいちゃんから聞いてるよな?」

「あんた、何を言って…… 頭がおかしくなったの?」


 瞳子が震える声で言う。普段なら迷信深い狂人の戯言と一笑に付していただろうに、蒼白い異彩に呑まれてあざける言葉が思うように浮かんで来ない。


「済みませんでしたぁぁぁ!」


 その隣で、将人が椅子から転げ落ちるようにして床に額を打ち付けた。


「どうかっ! どうか命ばかりはっ! 今までの無礼の数々、心の底からお詫び申し上げますっ!」

「ま、将人まさと、何して……」


 豹変した夫の態度に、瞳子は困惑を通り越して恐怖を感じた。およそ実の子に対する態度ではない。してや、あの小憎らしい、お勉強だけが取り柄の、要領の悪い真面目クズに向かって、五体投地まがいの御機嫌取りなど……


 豹変したと言えば、娘の態度もおかしいのだ。染みっ垂れの舅と口うるさい姑に対し一緒になって陰口を言ってくれた、可愛い可愛い末の娘が、なんで急にクソジジイそっくりの息子に媚を売り出したのか。


 日辻川家ってなんだ? ただの金持ちじゃないのか? 怖い話に出てくる、変な風習がある家系だったのか?

 ジキジツ? 蒼い狼? 私は何に嫁入りしてしまった?


「おまっ、お前も頭を下げろ! 食日に『人間じゃない』って言われたら八つ裂きにされるぞ! 父さん母さんに言われた通りにするんだよ!」


 右腕が動かないまま敢行する土下座は、潰れた蛙のような惨めな姿だ。


「ははっ、確かに人間じゃねーな。これが父親と思うと泣けてくるよ…… 蛆虫ウジムシが」


 狼の皮に湧いた、醜い蛆虫人間。

 それが、良太の父親、日辻川将人のヴィジョンだった。


 蛆虫だって立派に生きている。傷口の腐肉を喰らって怪我をした生き物を壊疽えそから救ったりもする。

 良太は、父親が蝿の幼虫ウジムシだったことを情けなく思い、「この鶏の雛ヒヨッコが!」くらいの意味の罵声として用いた。

 だが、常人の感性からすれば、単なる蛆虫呼ばわりである。


「ヒッ」


 将人は一声鳴いて、動かなくなった。床に粗相が広がっていく。

 失禁して失神したのだ。なんとも無責任な。


「処分しちゃうんですか?」


 洋子がベッドに寝転んだまま、家族に明日あしたの予定でも訊くような声で言う。


「いや、ちゃんと償わせる。狼が死体なのは気になるけど、蛆虫の部分も含めてデザイン自体は割りとまともなんだよなぁ。多分ヤドカリみたいなもんだと思う。これくらいなら殺さなくてもいいだろ」

「そうですか。やっぱり兄さんは優しいですね」

他人事ひとごとみたいな顔してんなよ。お前も他所様よそさまに迷惑かけた分はきっちり謝らせて回るからな? 気の弱い先生を選んで授業中に騒いでること、知ってんだぞ」

「は、はひっ! ご、ごめんなさい!」


 がばっと起き上がって、ベッドの上で土下座する洋子。手術したばかりとは思えない元気の良さだ。


 ……夫と娘を見る瞳子の視界が歪み、頭がくらくらした。


 腕の欠けた土下座、足の欠けた土下座。

 さっきから一体何を見せられているのか。何かの儀式か? 私はどうすればいい?


「お前も他人事ひとごとみたいな目で見てんじゃねーぞ。頭に花咲かせた食虫植物の化物バケモンが」


 どういう罵倒だよ。

 母親に向かって言う台詞じゃない、と言うか、どういう人に向かって言う台詞? どんな気持ちで言ってるの?


「クスリを餌にして若い男と不倫するわ、若い娘に嫉妬してタチの悪い連中に襲わせるわ…… あーもうどいつもこいつも。コレ謝罪行脚しゃざいあんぎゃだけで何年かかるんだよ。警察や弁護士の手を借りるしか無いんかなぁ。バケモンどもの相手させるのは気が引けるなぁ……」


 虫取菫。スミレに似た美しい花の下に粘液にまみれた葉を広げ、寄ってきた虫を接着して消化吸収する食虫植物。


 瞳子のヴィジョンはその虫取菫に近かったが、痩せた土地で懸命に生きるそれとは一線を画していた。花の精のような可憐な美女の姿はダミーであり、その陰に隠れて肥え太った醜い根っ子が本体である。

 人間に見える大根や芋はよくあるが、あんなユーモラスなデザインではない。引っこ抜いたら変な悲鳴を上げそうな呪われた造型には生理的な嫌悪感を禁じ得ない。


 ……この父にして、この母か。

 自分にこんな血が流れていると思うと、吐き気がする。


 それでも、祖父ちゃんと祖母ちゃんの血を受け継いだ体だ。


 良太は父を蹴り起こすと、母の頭を掴んで睨み付けた。


「まずは叔父おっちゃんに連絡して、仕事を紹介して貰おうか。いい大人が事情も無しに無職のまんまじゃ、詫びを入れようにも下げる頭が安過ぎるだろ?」


 おっしゃる通りに致します、どうか命ばかりは。と、這いつくばって繰り返す将人。


 瞳子にも理解は出来た。判断を間違ったら本当に殺されかねない。息子の目は母を見る目どころか人を見る目ではない。Noと答えた瞬間、娘たちのように骨を砕かれる末路がありありと見えた。


 それでも。

 格下とバカにしてきた相手に負けを認めると言う現実を、受け入れるには心の準備が足りなくて。


「ふざっけんじゃないわよクソガキ! 私にまで暴力を振るうつもり!?」


 言った瞬間、視界がぐるんと水平に180度回転して、背後にいた洋子の顔が見えた。

 自分の顔が真後ろを向いている。首に違和感があり、手足が痺れて指一本すら動かせない。

 洋子が『バカなの?』という顔で見ていた。




 なにこれ? こんなことってある? え? これ大丈夫なの? 普通死ぬんじゃないのこんなんなったら?


 生まれて初めて、心の底からの恐怖というものを感じた。

 

 どうして、どうして、こんなことに?


 つい昨晩、いじめられて帰ってきた間抜けをさかなに、美味い酒を呑んだばかりなのに。




「分かり、ました」


 仰る通りに致します。どうか、命ばかりは。


 かすれた声で口にした言葉と共に、魂が口から抜けていくよう。

 良太を見下してきた根拠の無いプライドが砕けていく音が、パキリ、パキリ、と首から聞こえた。


「次は五体満足で済むと思うな」


 くるり、とまた視界が回り、洋子の顔が良太の顔に変わった。


 元通り動くようになった体で、瞳子は良太にひざまずくように床にへたり込んだ。

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