43_暗躍

(――オフィスにて――)


「ええ、その件については先日お話した通りです。ええ……ええ……は? 何言ってんの? それ、正気で言ってんの? 今すぐこっちに来るか、俺がそっちに行くか! どっちか決めろよ!」

 興奮状態になった哲平がガチャン! と電話を切った。

「哲平、なに怒ってるんだ?」

 部長がケンカ腰の哲平のそばに行く。

「どうもこうも。経理からですよ。第二部門の方、次に入れるのは複合機じゃなくて印刷機にするって。コスト安いしスピード早い、耐久性は抜群だからって。冗談じゃないっすよ、その分画質は悪くなるしインクも滲む。R&Dじゃ致命的だって言ってんのに」

「俺が行ってくるよ。その方が早い」

「そうだけど……あ、池沢さん!」

『統括課長』が長いから池沢は『さん付け』で呼ばれている。

「例の複合機、だめだって。印刷機にしろって言ってきた」

「なんだと?」

 周りの手が止まる。地鳴りのような声。野瀬の判断は早い。

(機嫌悪っ! 今日は話しかけるの、止めよ!)

部長が立った。

「池沢、怒るな。俺が今行ってくるから」

「なんで部長が動くんですか。俺が行きますよ」

 と言っているところに運から見放された男がオフィスに入って来た。43歳、経理畑一筋の頭が固い白坂課長だ。

「電話じゃ埒が開かないから来ましたよ。宇野さん、会社のことも考えないと。業績上げてればコストいくらかけてもいいってことにはならんでしょう」

「そっちこそ現場の状況を」

 哲平は最後まで言えなかった。

「舐めてるのか? 会社の浮沈がかかっている時に踏ん張ったのはここだ。なら今度は経理が踏ん張れ! 今は仕事が入れ食い状態だ、印刷機なんか使ってられるか!」

「池沢! 白坂さん、こっちで話しましょう」

 部長が第4ミーティングルームに白坂を連れて入った。


「どうしたの? 俺も腹立つけど池沢さんらしくないよ」

 それには返事もせず自席に戻って行く。

「あれ、なんかあったね」

 華が立ってきた。中山が指で哲平と華を呼んだ。

「なに?」

「お前たち、知らないんだよな。昨日ファミリーの会で偉い騒ぎだったんだ。修羅場だよ、あの夫婦の」

「えっ? 何も聞いてないよ! 第一そういうの、三途さんが辞めてから無かったじゃん! 池沢さんだって統括課長の立場で家庭のことは仕事に持ち込まないって」

「下手すると別れるぞ、あの夫婦」

 哲平も華も言葉が出なかった。いつの間にか田中もそばに来ている。

「知ってるのか? その原因」

「穂高だよ。三途川一家の跡目を継ぐって言い出したんだ」

 穂高にとって威勢のいい爺じはある種のヒーローだ。そのヒーローが幾度となく言う言葉に感化された。

『お前が跡継ぎになってくれたらなぁ』

 勝蔵にしても、それが現実として不可能だと分かっているからこその呟きだった。けれど穂高には現実だった。

『バカなこと言うんじゃない!』

 本気で怒鳴った隆生。それに対してあっさりした答え方をしたありさ。

『いいんじゃないの? 穂高に目標があるっていうのは』

 隆生は今のうちに芽を摘んでしまいたい。ありさは一時の憧れはどうせ冷めるのだから放っておけばいい。

 それがファミリーの会で起きた騒ぎの内容だった。

「池沢が本気で取らなくたって良かったんじゃないか?」

 田中の言葉に中山が首を振る。

「あれ、見てないから。穂高が目の前の二人の喧嘩をどこ吹く風って感じでさ、『男は夢を持った方がいいって、パパもママも言ってた。僕、明日から爺じのところに引っ越す』って言ったんだ」

 それじゃ本気で取らないわけにはいかないだろう。

「で三途さんは?」

 華には池沢の気持ちが分かる。華月が宗田本家で暮らすと言ったら自分だって猛反対する。

「しばらくはいいじゃないかって結論が出そうになって、池沢さんがやっぱりダメだって言い出してさ。そこからは三途さんが池沢さんをコテンパンに叩き潰したよ。『男が一度口にした言葉を覆すんじゃない!』ってさ」

 哲平は考えた。確かに穂高の発言は一時期の熱ともいえる。けれど親としてそれを捉えた時、平静でいられる父親はいないものだと。反対に母親は冷めた目で見ることが出来るものだ。仕事をしながら子どもを見る目と、絶えずそばにいて子どもを見る目には温度差があって当然だと思うからだ。

 それでもあの夫婦がトラブルの中身がこれじゃ譲り合うなど無いだろう。

(仕方ない、奥の手を使うか)

 哲平は広岡家を訪ねることにした。


「椿紗、自分の旦那さんがやくざだったらどうする?」

『やくざ』がどういうものかくらいは椿紗にも分かる。いわゆる『ろくでなし』だ。三途川のおじちゃんは知っていて大好きだけど、『三途川のおじちゃんイコールやくざ』と結びついていない。

「そんなのと『けっこん』しないもん」

(よし!)

後はお膳立てを作るだけだ。


 金曜の夕方、哲平は池沢に話した。

「久しぶりに華んとこで集まろうかと思うんだ。ここんとこ忙しくてそれどころじゃなかったけど一段落ついてるからね、今ならいいんじゃないかって」

「……俺も行くよ」

「家族揃ってきなよ。子どもたちも穂高と遊びたいだろうし穂高は泊ればいいし」

 いい顔をしない池沢だったが、考えてみれば今は家で子ども抜きでありさと過ごすなど論外だ。

「そうする。俺も泊まるから華に伝えといてくれるか?」

「了解。あ、三途さんには俺が言うから」

「……知ってんのか?」

「まあね。でも今回はそれ抜きで。男同士で飲み明かそうよ」


「無茶だよ! 俺んちを修羅場の会場にしないでよ!」

 華は哲平の手配を聞いて冗談じゃないと思った。

「任せろって! もうみんなには連絡つけてあるんだ」

「どうして俺がその連絡の最後になるんだよ!」

「お前が一番反対するに決まってるからさ」

「……なんか起きたら全員叩き出すからね!」

「それでいいよ」

 哲平は華のことを甘く見ているわけじゃない。やると言ったらやる男だ、相手が誰であろうと。だからこそ、華の家がいいわけで。


 久しぶりの集まりに、女性はてんてこ舞いだった。ありさは体調が良くないと知られているから風華と陽南子を任されてしまった。お蔭で他のことを考える余裕が無い。風華はあまり手がかからないが、陽南子はひどく手がかかる。寝せるとすぐ大泣きするのだ。

(すっかり抱き癖つけちゃって! 莉々ちゃんじゃないわね。父親に問題ありだわ)


 男同士では宴もたけなわと言ったところだ。仕事抜きの砕けた飲み会は楽しいもんだ。始まって早々、ピッチの上がる池沢に華は釘を刺した。

「酒に強いのは知ってるけど、あんまりガバガバ飲んでると叩き出すよ」

そこには実力行使が含まれている。

「悪い、つい」

 ストレスが溜まっている飲み方なのを自覚している池沢は、素直にピッチを下げた。

「ちょっと子どもたち、覗いてくるよ」

 さりげなく立つ哲平を気にする者はいない。

 子ども部屋では和気あいあいと子どもたちの声が弾んでいた。そこに胡坐をかいて、哲平は座り込んだ。すぐに切り込む。

「穂高、聞いたぞ。父ちゃん母ちゃんがお前のことでケンカしてるって」

「僕、爺じの家に引っ越すんだ」

「穂高、引っ越しちゃうの!?」

「どうして?」

 子どもたちの疑問はストレートだから後は哲平の思う通りに話が転がっていく。

「僕、『くみちょう』になるんだ。だからその『しゅぎょう』をするんだよ」

「それって、やくざになるってことだよね?」

 華月の言葉に椿紗がぴくんと反応した。何しろ、哲平とそのことを話したばかりだ。

「私ならそんな人と『けっこん』しないな」

 穂高の背筋が伸びた。

「どうして?」

「だって、そしたらお友だちがいなくなっちゃうもん。そういう大人の人になるんなら穂高と仲良くするの、やめる」

 そのまま立ってしまった。

「陽南ちゃん、見て来るね」

 穂高は今、『げんじつ』というものを見た気がした。爺じはヒーローだ。だが、自分はヒーローになれるのか?

 穂高の自問自答が始まる。だてに人より難しい本を読んでないし、大人の会話に耳を傾けていない。両親の遺伝子は立派に活躍している。


 穂高はパパとママを呼び出した。場所が無いから男たちの飲んでいる部屋の片隅だ。

「僕、分かんなくなった。なにになるか、まだ決めるのやめとく。引っ越しもやめる。もっと考える」

 これで一件落着となった。池沢は冷静さを取り戻した。ありさも内心ほっとした。いいと思っていたわけではないのだから。

「悪かったな。俺もどうかしてたよ、お前の言う通りだ。熱くなり過ぎた」

「でも穂高のことを真剣に考えたからだし。もっと隆生ちゃんと話し合うべきだったと思う。ごめんね」


「哲平さん、何か企んだんでしょ」

「なんの話だ? 人を極悪人みたいに言うなよ」

「哲平さんが誰よりも食わせ物だって知ってるのは俺だけだからね、陰で糸引いてんのは哲平さんだってことくらい分かるよ」

「考え過ぎだって、華。いいじゃないか、修羅場回避になったんだ、飲もうぜ!」

(この部長、なにやり出すか分かんないな。常務、苦労しそう)

その補佐をするのが自分だと気づく。

(げ! 俺、一番損な役割じゃん! 目、放せないよ!)

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