31_運動会-3 (副題:誰が一番子ども?)

 5年生、6年生の種目が続いた。上級生たちの競技はさすがに迫力がある。6年生のリレーは今日の締めを飾るイベントだ。蓮はさっき女の子を抱いて走った感覚が残っていて、少しうずうずし始めている。

(今夜辺り走るか)

 最近はデスクワークが多忙を極め、ジェイだけが走っている。感心なことにジェイは昔蓮から走ることを教わって以来、なるべく走るようにしていた。始めは夜走っていたが、朝走ってみたら気持ちが良かったらしい。それから早朝に走るようになった。

 もちろん、それは前夜に腰に負担のかかる別口の運動をしていなければの話だが。


 今はグランドで1年生用の障害物競争の準備がされている。最初に平均台。少し行くと段ボールのトンネルがあって、抜けたところで網くぐり。最後に跳び箱が2段。これは跳べないことを想定済みだ。乗っかって通過すればいいだけ。

「親もあんな感じかな」

 哲平がちょっと気の抜けた感じでボヤく。

「まさかぁ! どうせなら難所ばかりがいいな!」

「華くんの方が子どもみたい」

 父兄参加と言っても真理恵の出番は無さそうだ。勇猛果敢なお母さんや、お父さんに事情を抱えた子どものために頑張るお母さんはいるが、真理恵は風華を抱っこしているし全部華父に任せている。というより、華の中に自分が出ないという選択肢が無い。

 風華は大人しくていい子だ。まさかまさかの未来を歩く女性になるようには全く見えない。


「なんかさ、見てるだけじゃつまんないな」

 さわじゅんもボヤき始める。のせたんもどうやらソワソワしているらしい。

「運動会実行委員長!」

 突然肩を掴まれた『はま』がどきりとする。言い出すのはいいが、そんなもんになりたくはない。

「頼むぞ、楽しみにしてるからな」

(若いのに振ろう! 翔や木内や七生なら喜んで飛びつきそうだ!)

「なら賞品を用意しなきゃな!」

「わ、太っ腹! さすが部長補佐!」

「バカ、ここに部長がいるじゃないか。上司を敬えよ。ね、河野さん」

 蓮は慌てて耳を塞いだ。

「退職する人間を労われ!」

「逆! 退職するんだから置き土産してってください!」


 そんなことを喋っている内にグランドの用意が出来た。木下さんはずっと携帯で動画を撮っている。

「そう言えば俺たち、誰も写真も撮ってないな」

「……何しに来てんのさ! それくらい役に立てよ、澤田!」

「俺、撮ってるよ!」

 ジェイが自分の撮った画像を自慢そうに華に見せた。

「バカ! こういうのじゃない!」

 他の連中が覗く。蓮も覗いて慌てて目を逸らした。まず、料理。大口を開けてそれを食べている蓮。にこにこ食べている子どもたち。浜田の大欠伸。哲平と華が言い合いをしているところ。蓮が女の子を抱っこして走っているところ。

「お前、和愛の徒競走は!? 1着だったんだぞ!」

「華音もだよ!」

「誰か撮ってると思って……」

 まさなりさんが、それなりの助け舟を出す。

「大丈夫だよ、絵を描くから」

「私はそれに合わせた曲を作るわ」

 そういう問題じゃない。時恵が呆れた顔をする。

「全く、この親たちは。お祖父ちゃんもお祖母ちゃんもね。私が撮ってるからそれを後で回してあげる。でも午前中の分は無理よ」

 さすが、二人の子どもを育てただけある。華は時恵に手を合わせた。

「私も撮ってますから。編集して送りますよ」

 哲平が木下さんに抱きついた(もちろん旦那さんの方に)。

「ありがとう! それ、すごく嬉しいよ!」

 照れた顔の木下さんが一瞬で可愛い顔になった。笑うと可愛く見える譲は、どうやらお父さん似らしい。

 のせたんもさわじゅんも、遅ればせながら携帯を構え始めた。ジェイが当てにならないことはよく分かった。華は呆れている。誰も見なかったから良かったが、あの後に続いた画像はほとんど部長だ。


 子どもたちの障害物競争は、年齢通りなんとも微笑ましい内容になった。平均台をおっかなびっくりに渡っていく子ども。途中で怖くなって立ち往生してしまう女の子。上級生の『赤!』『白!』の応援が激しくて怯えてしまう子ども。

 一番手こずっているのは、網くぐりだ。中で靴が引っかかって、せっかく抜け出したのに取りに戻る子どももいる。華音も靴が脱げたが、後を振り向くことも無く跳び箱に向かった。

「わっ! 華音ちゃん!」

 ジェイが立ち上がって叫んだ。華音が跳び箱にぶつかりそうになったのだ。華父が飛び出さなかったのは、すかさずしっかりシャツを後ろから掴んだ真理恵の活躍によるものだ。ジェイは咄嗟に蓮が足首を掴んで引き倒した。

「お前たち、どれだけ過保護なんだ?」

 そう笑った哲平は平均台から落ちそうになった和愛を見て麦茶の入った紙コップを握り潰してしまった。

 みんな大きなケガをすることも無く、無事に競技が終了した。華月も譲も問題なくクリアしている。総合では今のところ赤と白はいい勝負だ。


「6年生の組体操が終わったら障害物競争だな!」

 まだ組体操が始まったばかりだと言うのに、哲平と華がストレッチを始めた。それを見て木下さんも体を解す。

「木下さん、陸上やってたんでしょ?」

「でも最近はデスクワークが中心で……」

 みんな同じようなものだ。

「今、お幾つなんですか?」

「34です」

 華がイヤな笑い方をする。

「はっはっは! じゃ俺が一番若いってことだね。二人ともしっかり俺の後をくっついて来てよ」

 言い終わらない内にパカン! と哲平に頭を叩かれた。

「大した違い無いって。吠え面かくなよ」


 宗田両親がはらりと涙をこぼしたらから高橋さんがびっくりした。

「どうしました?」

 華も振り返る。

「こういう時期が華にもあったのよね……」

「華……今日はしっかり頑張っておいで。追走して応援するよ!」

「げ! それは勘弁! なんでPTAの競技にさらに上のPTAが出て来んだよ!」

「遅くなったけどそれくらいしてやりたい」

 華は時恵に必死な目を向けた。

「絶対にやめさせてね! 河野さんも止めて! この人たち、本当にやりかねないから!」

 腕まくりを始めた宗田父に慌てる華父。それを撮るジェイ。

「なに撮ってんだよ!」

「後で華音ちゃんに見せてあげないと。楽しいもん」


 まだ組体操の途中だが、入場口に集合するようにと連絡が来た。

「いい? 絶対に来ないでよ! 父さん、母さん、もし来たら口利かないからねっ!」

 それだけ言いおいて華は先に行った哲平の後を追った。

「聞いたか? 『口利かないからね』って、あいつ幾つだよ」

 のせたんが笑い転げる。さわじゅんも華の言葉を聞いた時ちょうど飲んでいたコーヒーを吹き出してしまった。

「うわ、やめてよ、澤田さん!」

 ジェイがタオルでその辺りを拭く。

 蓮は全てが楽しかった。

(俺も……ジェイ、俺もこんな運動会過ごしたのは初めてだよ)

蓮の人生も、振り返れば『普通』とは違っていたような気がしている。

「河野さん、もしかしてすごく楽しんでます?」

 真理恵が冷たいお茶を差し出してきた。

「楽しんでるよ! 華月に誘われて良かった。こんな気分は何年振りだろう!」

 ジェイはその言葉の重みをしっかりと感じていた。

(ずっとずっと、蓮は俺の面倒見ることに一生懸命だったよね…… これからは俺が助けていくから。一緒に頑張ろうね!)


「おい、負けないからな!」

「俺だって」

 役員になったのが幸いなのか災いなのか、哲平も華も父兄の間では悪目立ちしている。アンカーは二人が受け持つことになった。組体操が終わって、赤と白は同点になっている。二人はまるでここで決着がつくような気持で心勇んでいた。

「すげっ!」

「おいおい……手加減無しって感じだな!」

 前方を見る保護者たちがざわつき始めた。そりゃそうだ。跳び箱は6段。奥行き1メートル、高さは約1メートル10センチ。体を使っていない父親たちにはかなり厳しい高さだ。網は子どもたちが使った物より断然広い。途中にいくつもの不格好な段ボールが置いてある。

 若い体育の教員が出てきた。

「これから障害物競争の内容をご説明します。みなさん、年齢層がお若いのでかなりのチャレンジをしていただくことにしました。最初に30メートル走って平均台を渡ってください。そのちょっと先にマットがあります。そこで前転。段ボールが見えますね。後でちょっとお見せしますが、あれはキャタピラーです。あの中に入って前に転がって15メートル進んでください。ラインがあります。そこから次のラインまでの20メートルは逆走です。後ろ向きで走ってください。とは言っても危ないので歩いていただいて結構です」

 一気に喋られて焦る参加者たちにもう一度説明を繰り返した。

「ラインに辿り着いたらその先は網をくぐって跳び箱。これは2回チャレンジできます。それで跳べなかったら先に進んで、次のランナーにたすきを渡してください。アンカーの方!」

 華と哲平が手を上げた。

「最後ですから100メートル走っていただいてゴールとなります。どうぞ頑張ってください!」

「ずい分過酷な競技だな!」

「こうでなくっちゃ!」

 哲平と華は浮かれているが、他の参加者たちからはブーイングが起きている。

「頑張りましょうよ! 子どもたちにカッコいいとこ、見せませんか? 日頃大人って口だけだと思われがちです。今日はいいとこ見せてやりましょう!」

(さすが、哲平さん!)

 デカい声でそんなことを言われれば、いいとこ無しの卑怯者みたいで他の親は引くに引けなくなってしまう。

 キャタピラーをさっきの教員がやって見せてくれた。

「面白れぇっ!」

 これもすぐに飛びついた哲平。

「まったく、誰のための運動会やら」

 そう言いつつも華はまったく負ける気がしない。

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