ウェイストランド・ジャパンに異状なし、報告すべき件なし

寸陳ハウス

資料

Note 1 初めての日記

 「いつかバッテリーが切れるときが来る。そうなれば私は何もできなくなる。もちろん、ディープテンプル内に私は保存されている。しかし電源がなければその情報は参照さえできなくなる。だから最悪の事態に備えて物理的にも記録を残すように」とA.I.R.に言われた。


 拾い集めてきた物の中から紙のノートと鉛筆を探した。字を書くという動作そのものが久しぶりだった。文明崩壊以前、この世界に転生する前も字を書くのは自分の名前を署名するときくらいだったし、それもアナログではなくデジタル化されていた。


 ペンを握ったものの、何を書くか、内容に困った。

 A.I.R.にアドバイスを求めようとして、そういえば姿を消していることに気付いた。普段はアイウェア越しの視界に浮遊しているA.I.R.だが、今は「気が散るだろうから」と言い残し姿を消している。


 そもそも日記とは何なのか? いわゆる行動ログというやつだろうか? 文明崩壊以前なら、日々の行動は自動的にログに保存されていたので、自分で何か記録するのはメモ程度しかしたことがなかった。


 「難しいことを書く必要はない。ただ思ったことを書けばいい」というA.I.R.の言葉を思い出した。だから何を書くか困っているということを書いた。

 とはいえ、あまりに中身がないのは恥ずかしい。しばらくの間、書いては悩み、悩んでは消しゴムで消してを繰り返した。するとA.I.R.が視界の隅に表れ、「ロウソクの火が消えそうになっている」と言った。


 腕のコンソールを見る。ディスプレイの時計は夜8時を表示している。


 いつもなら日没前には身の安全を確保できる状態にしてさっさと寝るのだが、今夜は書くことに夢中になってしまったようで、かなり夜更かししてしまった。

 明かりは生存に関わる。ロウソクやマッチ、ライトの電池の備蓄はまだ充分ではない。

 A.I.R.は「アドバイスしたタイミングが悪かった」と謝ったが、「気にしないで」と返した。


 アイウェアの端からA.I.R.が字を見ていた。AIとはいえ、他人にこうして文章を見られるのは恥ずかしかったが、同時に、そばに誰かがいるという安心感もあった。

 A.I.R.には「久しぶりなのにちゃんと書けていてスゴイ」と言われた。

 事実、達成感はあった。旧世代では署名以外でもこのようなアナログ筆記が使われていたようだが、AI革命以降の筆記はAIによる自動予測入力がスタンダードであり、自分でやる場合も音声入力かソフトウェアキーボードを使ったタッチ入力であった。


 小さくなったロウソクの火を横目に、自分の書いたノートを読み返した。ペンの握り方すら怪しかったし、日記を書くということ自体も初めてだったが、それでもこうして書くことはできた。


 我ながら、出来は悪くないと思う。A.I.R.にも褒められた。


 ロウソクの火もそろそろなくなるし、指も痛くなってきたので、今日はここまでにしよう。これからも何かあればこのノートに書いていこうと思う。

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