カズ

ラッキー平山

前編

「すみません、人間としての経験をつんでいないものですから」

 カズがうなだれて言うので、花梨(かりん)はやさしく微笑した。

「いいんだよ、君は生まれたばかりだ」と白衣のポケットに両手をいれ、肩をすくめる。「そんなささいなことは気にしなくていい」



 山内(やまうち)花梨(かりん)は、こんな名前だが、この研究所に入って十年になる男である。彼の前で回転椅子に座るカズは、うなだれてはいるが表情は硬く、まだ感情表現に乏しい。それもそのはず、彼はここで製造されて、まだわずか半月である。

 だが花梨も他の研究員たちも、この新作ロボットが今に人間並みに笑ったり怒ったり、あるいは物事を自分で取捨選択し、自分の意思で判断し決断をくだし、さらには複雑な思考さえ出来るようになるはず、と信じて疑わない。


 この正式名KA001号――カズという愛称で呼ばれる人造人間は、人工知能の入った頭部にリアルな人面のマスクをつけ、銀色の鉄板と柱で作られた体にも黄色いセーターとジーンズを着せられ、ぱっと見はふつうの人間に見えるほどに精巧に作られている。ただ髪はなく、頭はスキンヘッドである。顔は端正で、花梨と同じくらいの歳――三十代半ばくらいの男である。

 ただ、あごが小さく柔い顔の花梨とちがい、眉が太くて肌は色白、顔つきはきりりと精かんだ。さらに――今はまだ不慣れで、なかなかそうはいかないが――柔軟な人工の表情筋により、感情にまかせた表情を作ることも可能である。



 いま、この白一色の清潔な研究室の丸いすに足をひらいて座り、カズは落ち込んでいるが、それはふつうの人間にはまずおきない類いの「失敗」をしたからだ。昨日からの日課である花梨と一緒の映画鑑賞が終わって感想を求められたとき、なにも言わず、ただ口もとをくっと吊り上げて目を見開き、両肩をすぼめて上下にゆらす動きを繰り返した。これは今見た映画の、ヒーローである主人公が劇中で終始繰り返していた動作で、いわば「得意のポーズ」だった。それを、たんにカズは真似たのである。

 それがなぜ、今のようにうなだれて落ち込むくらいにまずいかというと、映画の人物になりきって、その動きを模写したからだった。



「たしかに映画の人物になりきるくらいは、普通の人間でもやることだ。ただカズ、君の場合は、まだ表情が硬い」

 花梨は腕組みし、真顔でゆっくりと言った。

「たとえば、こうして話していて、もし君の中でなにかの感情が起きたとしても、無表情のままだ。ところが、今みたいに映画などの映像作品を観ると、君は登場人物になりきって、その動作をそっくり再現してしまう。君自身の体験にはなんの反応もないのに、作られた作品の人物には多大に影響される。そういうのは、少しまずいんだ」

「山内博士、」

「花梨でいい、と言ったろう?」

「すみません、花梨博士」

 カズはやっと顔をあげて彼の目を見た。花梨は我ながらきれいな目に作ったと思った。そして声も低めの美声である。録音した自分の声を機械でいじったのだ。その響きは単調ではあるが、まったく機械的でなく、しゃべりを初めて聞くものは、誰でも人と思うだろう。


「博士」

 カズは見つめながら続けた。

「私には――顔が、ないのです」

「あるよ。鏡を見なさい」

 さとすその口調は、あくまでもやさしい。

「立派な顔だ。男前だぞ」

「これを、」

 自分の顔を指さすカズ。

「多くの人に見せて、人の顔と認めてもらってませんので、今の私には、顔がないも同然なのです。鏡を見ても、これが自分のものだ、という実感がまるでありません。

 ですが……」

 そこでまた目をそらし、うなだれる。花梨は黙って見ている。

「……ですが、映画を見たときだけは、その人物になりきれるので、顔を得ることが出来ます。今のような、何も感じない無のような状態とはまるで違う、とても気分がよくて、心の活き活きした、体温のあがる、ヒーローのような私になれるのです。

 博士、これは悪いことなのでしょうか?」

「……」



 彼は少し考えてから、ゆっくりと口をひらいた。考え続けているかのようだった。

「一概に悪くはないが――カズ、君の場合には、あまりいいことじゃない。

 君はこれから多くの人と交わり、その中で自分自身の顔を作っていく。ところが、映画のキャラから先にそれをもらってしまうと、自分で作る機会を失ってしまう。それはよくない。ドラマのキャラクターの顔は、真似てどんなに居心地が良くても、しょせんは他人の顔でしかなく、君自身のものじゃない。

 どうだろう、映画はしばらくやめにしないか?」

 カズが顔をあげた。相変わらずまるで表情がないが、花梨はその黒い瞳にかげりが走ったのに気づいた。

 やはり残念なのだ。映画を観ることは、今の彼にとって大きな楽しみなのだ。

 普通の人間でも映画鑑賞は楽しいことだろうが、見るもの聞くものすべてが新しい彼にとっては、ストーリーのある世界は、ちと刺激が強すぎたかもしれない。


 だが彼は言った。

「博士が言うのでしたら、しばらく控えたいと思います」

 明らかに気を使って言ったのが分かったが、花梨は気を使った彼の意思を尊重することにした。


「そうか。そうだな。週一でなく、半月にいっぺにんしよう。あれこれ引き回すようなことをしてすまなかったね」

「いいえ、私も悪いのです」と目を伏せる。「ただ、顔を得られることが、あまりに嬉しすぎたので」

 花梨には「顔を失った」という経験はないので、彼の気持ちは分からない。だが、なんとか想像した。


 カズは大人のように思考し、頭脳に多くの語彙を備えてはいるが、あくまで生まれたばかりの子供だ。生活するうえで、いろいろと実感が持てないのは仕方がない。

 花梨は自分の幼い頃を思い出した。あのころ漠然と身にまとわっていた不安。対人関係、自分のすべきことや義務など、あらゆることが初めての経験だ。むろんも同時に、親に愛されているという安心感はあった。それのおかげで、今の自分がある。

 その感謝の念を、彼も周りの人に対して持てるようになって欲しい。

 そう願った。






 ここの研究員も、いい人ばかりというわけではない。なかには少々問題のあるものもいる。

 桜庭(さくらば)凛(りん)も、そうだった。


 山内花梨とは別のチームなのだが、彼女はこのロボットに興味があるようで、たまに暇を見つけるとこの部署へ来て、主任である花梨の目を盗んでは、何かと話しかけた。勝手なことをするのは厳禁だからである。だが凛は怒られようが平気で何度も来た。



 実は研究所では、カズに対して興味がない者などいなかったのだが、せいぜい遠巻きに覗き見るくらいで、無関係の身でわざわざ接触までしようとするつわものはいなかった。しかし桜庭凛は、花梨にとがめられると「女性と接したほうが、彼の成長にもいいと思うよ」などとしれっと言った。

 彼女は髪を肩の上で短くざんばらに切り、細い目と整った丸顔はきりりとして、そのさばさばした言動といい、見た目はボーイッシュそのものだった。そして話すこともあっけらかんとして、ときに性的なことも平気で口にするのが困りものだった。



「桜庭さん、カズに『正常位』だの『騎上位』だの教えないでくれ。『私もいつかは選ばなくてはいけないのですか』なんて聞かれたじゃないか」

 廊下で呼び止めた花梨が目を吊り上げて言うと、凛はけらけら笑った。ちなみに彼女も仕事着は花梨と同じ白衣である。


「はははは、花梨ちゃんて純情可憐だったんだねえ。かーわいー」

「その呼び方――いや、いい」

 もうあきらめているが、口癖みたいになっている返しをやめ、迷惑そうに前髪をかきあげてにらむ。

「とにかく、基本はチームの者以外は彼と接触禁止だ。分かってるだろ」

「なら閉じ込めて鍵かけとけば?」と腕組みする。「彼も好奇心くらいあるよ。どっか行っちゃったらどうするの?」

「俺たちは、みんなカズを信じてる。どこか行きたければ、俺や誰かに言うさ」


「ふうん、そのうち皆でこのへんを探しまわって警察まで呼んで、君の責任問題になって、下ろされることになるんじゃない?」

 へらへらしていた顔が真顔になった。花梨もどこかでそれは考えていたのか、顔をぐっとくもらせた。

 が、すぐに両手をあげて制する。

「話すだけなら、俺もまだ注意で済ます。だが、」と指さして、ぐっと念を押すように、「いいか桜庭さん、今度カズに性的なことを言ったら、上に報告して、君を左遷してもらうからな」

「ひっどー。あんたにそんな権限あるの?」

 凛はつりあがった細い眉を寄せてブーたれた。


 が、すぐに目をふせて苦笑する。

「へいへい、センシティブな話題はやめときますよ。でもさぁ、彼にはその機能あるんでしょ? 教えとかにゃ、あとで困るんじゃなーい?」

「心配ご無用。私がちゃんと教育します」



 花梨が冷ややかに言うと、凛は肩をすくめ、背を向けて廊下の奥へ歩きだした。彼も背を向けたが、いきなり後ろから黄色い声がかかった。

「あさってのプレゼン、楽しみだねえ」

 花梨は横目で女を見たが、なにも言わずに去った。


 そのことも気がかりのひとつだった。

 なんせ、カズに初めて大勢の前で「演説」させるのである。

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