26「ホール業界“アベンジャーズ”結成」

 川のせせらぎのような音、まぶたを通して差し込んでくる光が、闇と無の世界からアタシを引き上げようとしている。


 それは少しずつアタシの中で大きくなり、アタシという存在がアタシを意識させるエネルギーとなる。


 そして止まっていた時が動き出すような感覚が巡り始め、アタシは目を閉じたままアタシが目覚めたことを悟った。


 手足を動かす気力が湧かず、その場で寝返りを打とうとしたが動けない。


 しばらくして腰のあたりに何か重いものが覆いかぶさっているような気がした。


 しかたなくあやふやな意識のまま、手よ動けと脳から指示を出す。


 力の入らない腕がふらふらとたどり着いた先には、自分のものではない別の温もりだった。


「っふあ!」


 声にならない声を挙げ、キャバは息を大きく吸い込んだ。


 意識が戻り、手を突いて半身を起き上がらせる。重いまぶたをバリバリと音がしそうな勢いで開いてあたりを見回した。


 白いふすまと障子に囲まれた覚えのない部屋。物が少ない生活感のない空間に、格子の隙間から光が差し、水の流れる音が聞こえてくる。


「──旅館?」


 視野の外で自分を押さえつけている何かの存在を忘れていた。


 見下ろすと、そこには見慣れた男の子の黒髪。


 うつぶせで布団越しに覆いかぶさるような姿勢のまま、無邪気な横顔を見せてヲタが寝息を立てている。


 まるでキャバを守るようなその姿にあんを感じたが、寝起きから意識が鮮明になるに連れて失われていた記憶がキャバの脳裏に蘇ってきた。


 そしてたどられていく景色がある一点にたどり着いた時、キャバは顔色を失った。


 即座に片手を自分の下半身へと伸ばす。そこまで来て昨晩の仕事用ドレスを着たままであることにも気付きつつ、おそるおそる指を下着へとはわせていく。


 そして肌と布の隙間に指を挿し入れて、しばらく“中”の感触を確かめる。


 キャバはしかめっ面をしつつ指を抜くと、それを鼻に寄せて匂いを嗅ぐ。


「ああ……ですよね……」


 キャバは指をシーツで何度も拭ってため息を吐いた。


「12時間はまだ経ってない──けど、でも今は持ってないか」


 手元にスマホもハンドバックも無く、身一つでここに連れられてきたことを自覚する。


 それは本当にぎりぎりのことだったのだろう。


 あのVIPルームで城之内に出くわし、体をまさぐられながら酒を何杯も強要された。


 少ししか飲んでないはずなのに酔いが回ってきて、アフターを断れず部屋から連れ出された時にヲタを見つけてハンドサインを送った。


 そこから先のことは思い出すことができない。が、何をされたかは見当がつく。


 キャバは大きく息を吸うと、自分にのしかかったまま膝枕の体勢で目を覚まさないでいるヲタをぎゅっと抱き締めた。


「あーんヲタくん、ヤラれちゃったよアタシ!」


 そう言いながら頭を抱えて何度も揺らすと、ヲタがようやく目覚めた。


 目をこすりながらキャバにしがみつくようにして上体を起こす。


 化粧が崩れてパンダのような目をしたキャバの顔を見つめると、ヲタは右手を差し出してキャバの目元を拭った。


「良かった……おかえり」


 キャバは鳩尾みぞおちの奥が急に締め付けられるような、愛おしい感覚に襲われた。


 その差し出された手でも、優しい言葉のせいでもない。


 それは出会ってから今まで一度も見たことのない、ヲタの満面の笑み。


 どれだけ自分が心配をかけて、どれだけ自分が大切にされているか、その笑顔が全てを物語っていた。


 


 


 浅野はようやく空きのあったコインパーキングに車を止めて、不動堂へと足を向ける。


 交差点へと続く歩道を早足で進むと、1軒のホールが目に入った。


「懐かしいもんだ……まだ営業してて何より」


 地元オーナーによる経営で、少台数ながら設定を入れることで知られていたホール。


 かつては打ち手との駆け引きを積極的に仕掛け、挑む者を楽しませくれる店だった。


 イベント規制が強くなり、打てるのが特日くらいになってしまって足が遠のいたが、パチスロ好きとしては応援したくなるホールだ。


 そんな思い出のホールを通り過ぎて歩みを進めると、交差点あたりからソースや?油の焦げた匂いをただよわせる屋台が並び始める。その数が増すに連れて人の流れも一方向へと偏り、それは浅野の目的地と一致していた。


 そして間もなく門前仲町駅の出入口が近くに見え、参道の入口となる成田山が記された赤門をくぐった。


 昼過ぎの深川不動堂の参道は月3回催される縁日の屋台と昔ながらの商店が立ち並び、休日ということもあり数多くの参拝客や縁日目当ての人々でにぎわっていた。


 参道には休憩所となるテーブルやベンチが並んだスペースがあり、屋台で買い込んだ食べ物や缶ビールで昼から各所で宴が繰り広げられている。


 その席の一角に瀬戸口と作務衣さむい姿の初老の男性、そして1人の見知らぬ女性が座っていた。


 明るい色合いのブラウスにデニムパンツを合わせ、脚線を露わにしたサンダル姿。


 つばの広いストローハットを被り胸元のVラインにサングラスを差した姿は、どこかのリゾート地で見かけるような姿だった。


「遅いぞ直樹、もう始めてるぞ」


 瀬戸口は機嫌良さそうに手招きしてくる。浅野は用意されていたらしいベンチの空きスペースに腰かけた。


「ああ、御剣さんお久しぶりです。宇都宮ではご挨拶せずすみませんでした」


 浅野は作務衣さむい姿の初老の男性に声をかけた。


「お久しぶりですな、浅野さん。あっしも老いぼれですが、お前さんも具合よく歳を取られたようだ」


「いや全く。御剣さんこそお元気そうで何よりです。深川の縁日はよく店を出されるのですか?」


「ありがたいことで、庭主が小店ならと割り振ってくださるもんで」


 マーベラス宇都宮店のグランドオープンで縁日を取り仕切っていた御剣、そして瀬戸口と共に旧知の間柄である浅野との会話が弾んだ。


 その様子を微笑ましく眺めていた女性が口を開く。


「瀬戸口さん、こちらが浅野さん?」


「失礼。直樹、こちらがビス子さんだ。ラインでは見かけただろうが、会うのは初めてだよな?」


「浅野です、不動産関係やってます。ビス子さんは動画の演者さんだと聞いてますが」


「もう最近は出演抑えてマネジメントに徹したいと思ってるんですけどね。よろしければこちらを」


 ビス子はハンドバックから名刺を取り出して浅野に差し出す。浅野も慣れた様子で自分の名刺を取り出し、不動堂の参道で珍妙な名刺交換が行われた。


「ああ、個人じゃなくて法人で動画配信も来店業務もやってるのか。ライターが小銭稼ぎで来店やってた時代とは違うんですね」


「もう来店じゃ稼げないんですよ。動画だってプラットホーム側のさじ加減一つですぐに利益飛びますし。早く次の事業を探さないといけなくて」


 ビス子は悩ましそうに語ると、浅野の名刺をハンドバックにしまった。


 パチンコ・パチスロホール経営の中規模チェーンでエリアマネージャーを務める瀬戸口。


 その友人でかつては共に専業で稼ぎ、今は不動産経営で身を立てている浅野。


 自ら出演するパチスロ動画で一躍台頭し、複数の演者を抱える会社の社長であるビス子。


 そして瀬戸口と浅野と旧知の間柄であり、その腕でやからを追い払った的屋の御剣。


 取り合わせとしては、傍から見て想像できないような面子が揃った。


「じゃあ本題に入ろうか。いかにスマートに、完膚なきまでに叩くか」


 大人達が本気で敵を詰めるための会合、瀬戸口は3人の顔を見回してその口火を切った。


 


 


 キャバの救出劇から数日後、まだ灯の落ちない深夜の宇都宮のホール。


 みどりは通常の仕事として、閉店後のフロア清掃に入っていた。


 閉店業務を終えた副店長は、バックヤードの休憩スペースで仮眠を取っている。


 清掃業者だけをホールに残して戸締りを任せるようなことはできない、という方針らしく当然の対応だった。清掃を終えたら起こしに行って、共にホールを出ることになっている。


 あの後、キャバは療養のため東京に戻っていった。ヲタはまだ宇都宮に滞在しており、今でも連絡は取り合っている。


 数日後のこのホールのグランドリニューアルには伊吹イブも来るが、キャバもいっしょかは分からない。命に別状はなく後遺症もないらしいが、無理せずしばらく静養した方がいい。


 ともあれ、それまではみどりとしても特別にすることはなく、日々の糧を得るべく清掃業務に励んでいた。


 シフトは営業中、深夜閉店後の2種類を選ぶことができるのだが、みどりは無人で接客業務もない深夜を迷わず選んでいる。こういった仕事なので高齢の人間が務めることも多く、日中のシフトは彼らが希望することが多いという配慮も含んでのことだった。


 大方の床清掃を終えて各所にあるゴミ箱の処理に取り掛かろうとしていた時、バックヤードの方から物音が聞こえてきた。


 副店長が起きてきたのだろうか。しかし、いつもはみどりが起こしに行くまで深く眠りについており、ホールの仕事やその責任者の大変さを他人事ながら心配するほどだ。


(もう……こういうのは向いてないんだけどな……)


 みどりは作業の手を止めて傍らのモップを手に取ってバックヤードに向かう。忍び足で気配を消すことも考えたが、むしろ普通に振る舞って音をさせながら向かうことにした。空き巣や泥棒の場合は、その方がいいとどこかで聞いたことがある。


 バックヤードに入る電子キーのドアを開いて廊下を進んでいくと、事務室の扉が半開きになり光が漏れていた。


(やっぱ副店長さんかな? 本当にアノ人は他人にも自分にも厳しいタイプだから)


 みどりは事務室の入口まで来ると、ノックして扉を開けた。


「失礼しまーす」


 するとそこには──自宅静養中のはずの店長、神内がPCの前に座っていた。


「なっ何者……ああ、君か。こんな時間に何をしてるんだ?」


「何っていつも通りに掃除してるんですけど。店長こそお休み中って聞いてましたがどうしたんですか、こんな時間に」


「あ、ああ……私は店長だからね……そう、休みでも店の様子はチェックしておかないといけないからな」


 神内は明らかに動揺した口ぶりで、額から脂汗を垂らしている。


 そして何食わぬ顔でやり取りしているみどりは、実はそれ以上に心臓をバクバクさせて平静を保つのに必死だった。


(ちょっと、このオッサン何しようとしてるのよ!? ああ、どうしよう。問い詰めた方がいいのか、副店長を起こしに行った方がいいのか、このモップであのうすらハゲをカチ割った方がいいのか……ああ! 落ち着けわたし、少なくとも最後のは絶対違う!)


 みどりはモップをきつく握りしめている自分に気付き、気取られないように持ち変えた。


「そ、それより前にも言ったろう、ここは部外者以外は立入禁止だ! 早く出ていきたまえ!」


 部外者でもなければ、事務室内の掃除をして構わないとも言われている。


 だが、今はそれを反論すべき時ではない、とみどりはようやく冷静になれた。


「分かりました、すみませんお邪魔しました~」


 喰らった言葉を利用してこの場を体よく立ち去る口実を得たみどりは、頭を下げると事務室の扉を閉めて通路へと戻った。


 その足でバックヤードの休憩スペースを覗くと、明かりは消されていつも通り毛布を被って眠っている副店長の姿がある。


 みどりはしばしの思案の後、彼を起こすことなく自分の仕事場であるフロアへと戻っていった。


 


「──ということが、一昨日あった」


 参拝客でにぎわう深川不動堂の片隅で開かれている作戦会議の冒頭は、瀬戸口からの報告から始まった。


「その子なかなか度胸もあるし頭いいわね。それで? 泳がせたってことでしょ」


 ビス子の返しに瀬戸口はうなずいた。


「小一時間くらい滞在した後、店長は帰っていったらしい。それで佐山さんは普通に清掃業務を終わらせて、今となっては店長代理レベルの仕事量でお疲れ気味の副店長を起こして事の顛末てんまつを報告した。実のところ張り詰めっぱなしで一気に話し始めた佐山さんと、寝起きで頭の働かない副店長の間では、なかなかコミュニケーションが大変だったらしい」


「店長代理というか、もう次の店長でいいだろ?」


 浅野が瀬戸口の報告に割って入る。


「会社の人事って奴はしっかり根回しして段階を踏まないと後々に響くんだよ、推す方も推される方も。もちろん次は副店長しかいないが」


「そんなこと言ってると引き抜かれたり転職されるぞ?」


「そうなる時は、先に俺が上層部にある事ある事チクられて飛ばされるかクビになってるな」


「心当たりだらけか。それで次期店長代理はどうしたんだ?」


「ホールコンピュータの更新履歴をチェックして変更があったファイルを絞り込み、バックアップと照合していった。そうしたらあの店長、恐れ多くもお客様の会員情報を改ざんして貯玉を水増ししていやがった」


 それを聞いてビス子は周りも気にせず爆笑した。


「バッカじゃないの!? そんなのバレないわけないじゃないの。むしろ犯人はコイツですってリストアップしてるようなものじゃない。何人分いじってたの?」


「数人で合わせても2000枚前後、店長の退職金代わりにしては明らかに少なすぎる。この前から休み取らせた途端、朝から設定がバレてたっぽい挙動も消えたからな」


「ああ……それはタタキの釣り針ですな」


 これまで会話に加わらず無言を通していた御剣が口を開いた。


「昔からのやり口ですよ。タタキの下準備として通し役を潜らせる。そんで試しに釣り針垂らして、釣れるようなら間を置いて船と漁師と網を用意して根こそぎからめ捕る。そんな寸法でさ」


「タタキ? かつおとかの?」


「こりゃあ失礼、うちらやサツが使う強盗や窃盗の業界用語です。まあ、タタキと言うにはおおとは思いますが」


 ビス子の素朴な疑問に御剣は丁寧に説明した。瀬戸口は深くうなずくと話を続ける。


「俺も全くの同意見だ。若者たちの情報から、仕掛けてくるのは今度のグランドリニューアルなのは間違いない。それまでは泳がしておくつもりだ」


「でも、どう対策するんだ? 貯玉を交換しに来た奴を挙げるとしても、それこそ下っ端とっ捕まえて終わりだろう」


 浅野がそう指摘すると、瀬戸口は待ってましたとばかりにニヤリとして答えた。


「副店長がな、面白いこと考えてくれてな。だいたい奴とは意見が分かれるんだが、今回だけはもろ手を挙げて大賛成だった。実現できたらみんなにも連絡する」


「何よお、もったいぶって……まあ、いいわ。じゃあ私は予定通りにSNSで遊ぶ感じでいいわね?」


「それでお願いします」


 不満そうに言うビス子に対し、ここは敬語で瀬戸口は頭を下げた。


「直樹は向こうの店でかき回してくれればいい。御剣さんには、また荒事でお世話になるかもしれません」


「おう、真由美さん連れて遊んでくるよ」


「お任せくだせえ、あっしはそれくらいしかお役に立てませんから」


 浅野と御剣が共にうなずく。


 瀬戸口はテーブルの上の缶ビールを手に持つと前に差し出す。


「では、各自手はずどおりに」


「オッケー」


「了解」


「かしこまりやした」


 ビス子と浅野は同じく缶ビール、御剣はカップ酒を手に決起の杯を交わした。

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