24「暴力、再び。」
キャバはバックヤードを出ると、一瞬だけ客席に視線を向けた。
するとラインで連絡が合ったとおり、ヲタともう1人の男の姿があった。
キャストよりも男の方ばかりを見ている。話の聞き役に徹しているのか、キャストとの会話を避けているのか。
自分と生活を共にして女性に対する免疫はあるだろうが、初対面のそれもキャバ嬢が相手となると事情が変わるのかもしれない。面白そうだから帰ったら問い詰めてみよう──そんな思いが巡りキャバはほくそ笑んだ。
黒服に案内されて、通常の接客フロアではなく奥のVIPルームへと歩みを進める。
ドアの向こうからは、若い男性の笑い声がかすかに漏れてきていた。
「くれぐれも指示されたら退席するのをお忘れなく。それと、ここで見聞きしたことは他言無用で。キャストとして当たり前のことですが、特にVIPのお客様に関してはご注意ください」
黒服はキャバを先導しながら説明を繰り返した。
「もちろんです。それにアタシだけじゃないですよね?」
「はい、最初だけです。ご注文などタイミングを見て、空いたキャストを入れますので」
「りょーかいです!」
キャバは大きく息を吸って軽くうなずくと、黒服がVIPルームのドアを開いた。
「ヒマリです。よろしくお願いします」
深く頭を下げてから客室のソファを見上げる。
そこには──キャバの目に映し出されたのは、鈍く光るシルバーリングを指にはめた見覚えのある金髪の男。
「ん?」
ソファに腰かけ足を組んでいた金髪は、頭を上げたキャバの顔を見て声を上げた。
「てめえ……屋台でイキってた女じゃねえか?」
キャバの眼の瞳孔が開き、VIPルームの入口で数秒間立ちすくんだ。
たとえホールでレバーオンフリーズを引いても驚かず当たり前のように振る舞う自信はあったが、今目の前で起こっている事態を理解するのにはそれだけの時間が必要だった。
「その節は失礼いたしました」
「やっぱお前こっち系の女だったんだな。おら、早く来いよ。オレ達は客なんだぞ?」
金髪の男はニヤニヤしながら自分の横に空いているソファの席を叩く。
その様子を見ていた黒服は、キャバに近付くと耳元で
「ヒマリさん、城之内様とはお知り合いなのですか?」
「いえ、知り合いという訳では」
「そうですか。店もプライベートまではフォローできませんので」
黒服はそう言い残すと部屋を出て、扉を閉めていく。冷たい態度に見えるかもしれないが、当然の対応だった。
独り取り残されるキャバ。
VIPルームには、あのグランドオープン前日の屋台で騒ぎを起こし、キャバの胸をつかんで張り倒した金髪の男。それとダブルのブラウンスーツを着た、初老の男性。そしてキャバの3人だけになった。
「城之内、この嬢を知ってるのか? 俺は初めてだが」
もう1人の客である初老の男が口を開く。金色に鈍く輝く八重歯が気持ち悪い。
この金髪の半グレ野郎が城之内。そうすると、こっちの金歯が……漆原か。
平静を取り戻そうと顔と名前を一致させた時に、キャバは数分前の出来事を思い出した。
(ヲタくんたちのことを『城之内様のご紹介』って言ってた──ということはこの金髪は、ヲタくんが打ち子やってるグループの人間……リーダーなのかしら)
「マーベラスのグランド前日に、屋台つついてたらガチの筋モンが出てきたって言ったじゃないっすか。あの時、俺たちに難癖付けてその筋モン呼び出した奴らっすよ」
(何が難癖よ、あんな屋台の営業妨害までしておいて……)
そこまで心中で
(営業妨害──もしかしてあのグランド3日目のゴト騒動もこいつらの仕業? コイツあの日は店にいなかったけど)
「ほお。こんな綺麗な
漆原に手招きをされ、キャバはおそるおそるソファに腰を下ろす。
城之内と漆原の間に挟まれる形になり、すぐに城之内はキャバの露わになったうなじに手を回して肩に手を置く。普通の客ならばやんわりとお断りするところだったが、キャバは黙ってそれを受け入れた。
漆原が煙草に手をかけると、キャバはすぐにテーブルに置かれた店のライターを手に取り火を灯そうとする。
「あっ!」
その瞬間、城之内は回していた手を胸まで伸ばし、ドレス越しに乳房を鷲づかみにした。
キャバは思わず手を滑らせ、火の付いたままのガスライターを漆原のズボンに落としてしまった。
「っと、熱っつ……」
一瞬の高熱から即座に身を退かせる漆原。
火はすぐに消えたが、わずかに繊維の焦げる匂いがあたりにただよった。
「も、申し訳ありません」
キャバは胸をつかむ城之内の手を払いのけ、すぐにおしぼりを手にして漆原のズボンに当てた。
「何だテメエ? 客の服を燃やした挙句に、暴力まで振るうとか正気かこのキャバ嬢は?」
城之内はおしぼりを持つキャバの手を革靴で蹴り上げた。
うっ、とキャバはくぐもった
キャバは、おしぼりを拾うと見上げた先にいる城之内を
「ああ、それはダメだなあ。アウトアウト、キャバ嬢が客にしちゃいけない顔だ。あの時と同じだわ、本性が下品なのが丸出しだわ」
そう言うと、城之内はテーブルに置かれたグラスを手に取り中身を氷ごとキャバにぶっかけた。
頭から胸元にかけてウィスキーの水割りをかぶり、膝を立てて床に手を突いた姿勢のままキャバは髪の毛から
「わりいわりい、飲もうとしたらこぼしちまったわ。屋台の空気銃だって跳ねて人に当たるんだから、これくらいしょうがねえよなあ?」
城之内はソファから立つと、キャバの前にしゃがみ込んでその顎を強引につかみ自分に向かせる。
「こっちは危うく死にかけて、面子も潰されたんだよ。せめてもの詫びに誠心誠意お客様に尽くして欲しいもんだな」
キャバは喉の奥から吐こうとした唾をぎりぎりでこらえ、城之内から目をそらした。
「そろそろいいだろう、城之内。今日は来週の祭を控えて楽しい酒を飲みに来たんだぞ? お前がこの女をどうしようと勝手だが、俺の前では自重してもらいたいもんだな」
ソファに座り直した漆原が足を組んだまま言葉で割って入る。
「あの屋台イベントにいたということは、君もあの店のグランドオープンの券を取りに行ってたのかな? やめておいた方がいい、あの店はこいつみたいなガラの悪い奴に目を付けられていて、もうすぐ潰れるよ。打つなら私の店、日出会館に来た方がいい、条件次第では便宜を図ってあげてもいいぞ」
「あんたがそれ言うのはひでえわ、漆原さん。まあ、心底詫びてオレの女になるんだったら許してやってもいいけどな」
城之内はキャバの顎をつかんだまま顔を引き寄せると、酒の
「うう……」
キャバは身を硬くしてうずくまり、決して目を合わせないように視線をそむける。
「念のため言っとくが、下手な真似しようとするなよ。この店のスタッフにはアホほど金握らせてんだ」
「……分かり……ました」
そう承諾の言葉を口にすると、ようやく城之内は顎から手を放す。
キャバは乱れた髪を整え、濡れた肌やドレスをおしぼりで拭くと力なく立ち上がった。
「酒無くなっちまったじゃねえか。新しいの作れよ!」
「……はい」
キャバは乱れたテーブルを整え、ウィスキーボトルと新しいグラスを手元に寄せる。
手はまだ細かく震え、指先も心許ない。
しかし──その怒りと屈辱で充血した眼光は、まだ死んでいなかった。
「楽勝な仕事だって言ってたぜ。台確保券の置いてある台に座って打ち始めて、6っぽくなかったら瞬着をメダル口に注ぐか、パーソナルに缶コーヒーぶっ込んで逃げるだけ。設定ありそうな台は、後から来た奴と交代して打ち続けるだけ。南関東の底辺に金ばらまいてやらせたから、こっちの足も付かないってわけ」
テーブルをはさんで向こう正面に座るヲタの親を務めた男は、酒を片手に上機嫌で語っていた。同席するキャスト達は、良く分からないけど凄いという感じでアバウトな反応をしている。
しかし、ヲタにとっては今まさにターゲットが確定したところで、ただでさえ慣れないキャバクラという空間にいるのもあって平静を保つのに必死だった。
ラインで同席しないようにすると送ってきたキャバに思わず助けを求めたくなる。
「それは……かなり大がかりだな」
「城之内さんは『デカいスポンサーが付いてる』って言ってたけど、そこら辺は知らない方が無難かもな。もらえるもんだけもらって、ヤバかったら飛べばいいだけよ」
「……グループのリーダーは城之内って言うのか?」
「ああ、金髪でスーツ決めてるからすぐに分かるよ。ヤバいぜあの人。笑いながら金属バッド振り回すし、女囲ってヤクで風俗に沈めてるとかマジでキチってるから。お前もあの人には逆らわない方がいい」
金髪にスーツ、明らかに心当たりがある。
ましてやそれが、そういう行動を取る男と言うならば心当たりがありすぎる。
「そうだ、城之内さん今日は来てる?」
男がキャスト達に尋ねると、そのうちの1人がVIPルームに来ていると答えた。
「じゃあ挨拶ついでにお前のことを紹介して、ここの料金もおごってもらうか。ちょっと俺行ってくるから待ってろ」
そう言うと男は席を立ってキャストの1人に案内させ、フロアの奥の方へと歩いて行った。
(まずい。もし、そいつがあの時の金髪なら、俺のことを絶対に覚えている)
ヲタは1人取り残され、同席しているのはキャスト2人だけになった。
(どうすればいい? ここでもう逃げるか)
ヲタが周囲を見渡しながら押し黙っていると、キャストの1人が話しかけてきた。
「お客様はお酒飲まれないんですね。学生さん?」
「いや……まあ、そんなものだけど……」
「無理しなくていいんですよ。こういうお店に慣れられてないのは分かりますから。お客様なのですから、気なんて使わず飲んで食べて、お連れのお客様のように好きなことを話されればいいんです」
どういう場でどんなことが行われているかはキャバから良く聞いていたが、いざ自分が直面すると戸惑いばかりでどうしても警戒してしまう。
ただ、今語りかけてくる女性の優しさには
「……この店にひまりって子はいるか?」
「ひまり? ヒマリちゃんなら今日も入ってるわよ──あっ、もしかしてお客様がヒマリちゃんのお友達? 男友達が店に来るかもって言ってたけど」
「そうか……」
「でも今はフロアにいないから、たぶんVIPのお客様をお相手してるんじゃないかしら……大丈夫かな、ヒマリちゃん」
キャストは心配そうにフロアの奥にあるVIPルームの方を見つめた。
「お連れ様が言ってたとおり、城之内様はかなりその……前も目を付けた新人の子をお持ち帰りして、そのままその子辞めちゃったりしたから……」
ヲタの脳内に衝撃が走る。それはつまり、キャバがあの金髪に出くわしているのか。
自分よりむしろキャバの方が顔バレ、いや身の危険に晒されているのではないか。
どうする? いっそのこと、キャバを連れ出して無理やり逃げるか?
ここから先の情報収集は全て不可能になるが、それよりもキャバを救い出すべきではないか?
その時。
親の男が向かっていった方向から扉が開く音が聞こえた。
ブラウンのスーツを着た男が奥の部屋から出てきて、すぐに通路へと姿を消す。
間を置いてから、金髪の男が女性──キャバを連れて出てきた。
間違いなく、あの時の金髪野郎だった。キャバを引き寄せるように腕を絡め、キャバのことを逃がさないようにしている。
もはや周囲を気にすることもなくその様子を凝視していると、キャバが一瞬だけこちらを見てすぐに元の姿勢へと戻った。
そして、後ろ姿を見せると手を背後に回してみせる。
(ハンドサイン!?)
それは、片手の親指を曲げて、次にそれを包むように残りの指を握る仕草だった。
この意味は……知っている。
ヲタが通路へと歩いていくキャバと金髪の男を見届けると、親の男が戻ってきた。
「城之内さん機嫌悪いみたいで追い返されたわ……あれ、アフターからそのままいただく気だな。今日は紹介できなさそうだ、済まねえ」
「……かまわない……それより、そろそろ帰らないと……金を」
「もう帰るのか?」
「下見はもう間に合わないが……店のデータはチェックしてから寝たい。今度の予定は?」
「真面目かよ! まあいいや、たぶん次の次の週末だな。前にやったホールのリニューアルを叩いてとどめを刺すとか言ってた」
「……分かった、空けておく」
相場も分からず無造作に壱万円札を男に渡すと、ヲタは席を立った。
自分のことで精いっぱいだったが、帰り際に周囲を見渡すとほぼ席は埋まり、店は盛況だった。四方八方から女性たちの
たばこの匂いはホールでいやというほど慣らされている。しかし酒の匂い、特に居酒屋などではあまり感じたことのない、薬臭かったり煙臭かったりする独特の匂いは新鮮だった。もしかしたら高級な酒というのはそういうものなのだろうか。
店の出口までたどり着くと、付いてきていた同席したキャスト達に見送られる。
(とりあえず一度、離れる必要があるな。それから店の様子をうかがえる出入口……裏を見た方がいいのだろうか)
次に取るべき行動に思考を巡らせていると、見送りのキャストの1人が駆け寄ってきた。最後にヲタに話しかけ、キャバのことを心配していた女性だ。
「お客様、忘れ物です!」
そう言いながらヲタに近付いてくる。
「……そんな物ないと思うが」
ヲタは自分の財布やスマホを確認するがしっかりと持っている。鞄すら持ち歩かないので忘れ物などしようがない。
すると、駆け寄ってきたキャストはヲタの耳元で
「ごめんなさい。忘れ物は嘘、店を出る口実だから。あなた、本当にヒマリちゃんのお友達なのよね?」
先程とは異なるトーンに事情を察してヲタはうなずいた。
「本当だ……里中
「いいわ、あなた真面目そうだし信じる。あの城之内って男、店に金つかませてキャストの女の子に手を出してるのよ。さっきお店で言ったのも本当で、噂ではヤク漬けにされたり風俗に沈められたりとか。店もグルになってるから警察にはバレてないけど」
「……お前は……グルじゃないのか?」
「わたしは見ての通りルックスもいまいちで行き遅れのおばさんだから。店のやることに気付いてないふりしてるだけ。でも、お店に長い女の子たちはみんな知ってるから。黒服連中が城之内とグルになってる感じ」
「そういうことか……でも、分かったところで
「あそこ」
キャストの女性は振り返ってビルの頂上近くを指さした。
「うちの店は地下で、1階から上はホテルになってるでしょ。そのスイートを押さえてるのよ」
何と都合の良い作りだろうか。下衆の考えそうなことが手に取るように分かる。
「わたしができるのはここまで。ヒマリちゃん、お水の仕事やってるのに全然すれてなくて明るいし、こんな地方のキャバクラで行き場もないわたし達のようなおばさん相手にも優しくしてくれるの。頭もいいし本当にいい子。何ができるか分からないけど、ヒマリちゃんを助けてあげて。いざとなったら警察沙汰になってもいいから」
「分かってる……言われなくてもそうする」
それを最後にキャストの女性は深々と頭を下げて店の方へと戻っていった。
本当にキャバらしい。たとえわずかな時間、わずかな出会いでも周りの人間を明るく照らし、笑顔と幸せを振りまく太陽のような存在だ。
そんな一期一会を大切にする彼女の行いが、まわりまわって彼女自身を助けているに違いない。
ヲタは一旦店から離れ、スマホで目の前にあるホテルの公式サイトを確認し始めた。
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