第十三話

「ありがとうございました」


 放課後、俺はバイト先の綾瀬で最後のお客さんを見送る。


「いや~、終わりましたね。先輩」


 店の中に戻ると七緒がコーヒーをカウンター席に置いて、そう声をかけてきた。


 俺はコーヒーの置かれた席に座って、お礼を言ってから一口飲む。


 少し甘めに入れてくれたコーヒーは、疲れた体に嬉しい。


「そうだな、今日も凄い混んでいたな」


「本当ですよ~。ここ最近、何でこんなに混んでいるんでしょう?」


 どうして混んでいるんだ? と疑問をお互いに浮かべていると、結さんが俺達の方にやって来た。


「たぶん、これのおかげだと思うわ」


 そう言って、二枚のチケットを見せてくれる。


「プ-ルですか?」


 その紙には屋内プール入場券と書かれたいた。


「へ~、そんなの出来ていたんだ!」


 七緒が元気な声で興味深げにチケットを見る。


「先週にオープンしたみたいよ。その帰りにこの店に寄ってくれてるみたいなの」


 わざわざこの住宅街まで来るのは、ここの味を知っている人の口コミのおかげだろうな。


「ところでお母さん、どうしてチケットを持ってるの?」


「お客さんにいただいたのよ。良かったら二人で行って来たらどうかしら?」


 俺達を見て結さんが勧めてくれる。


「俺はかまわないけど、七緒は行けるか?」


「もちろんいけますよ! あ、和音も誘って三人で行きましょうね」


「ああ、もちろん声をかけておくよ。じゃぁ、次の休みにでも行ってみるか」


「はい、先輩」


 七緒はすごく嬉しそうに笑みを浮かべた。


 春の終わりの季節だが、室内ならそこまで寒くないだろう。


 俺は結さんにお礼を伝えて、帰宅するのだった。


 ・・・・・・・・・・


 特に何もなく何時もの日常を過ごして迎えた日曜日、俺は室内プールの入口付近で二人が着替えを終えるのを待っていた。


「お待たせしました、先輩」


 少ししたところで七緒の声が聞こえて振り向く。


「いや……」


 振り向いたさきにいた七緒のストライプ柄のビキニ姿に言葉に詰まってしまう。


「どったんです? 先輩。石化しましたか? ところでこの水着どうですか?」


 七緒は俺の様子に何かに気が付いた様子で、ニヤニヤとした顔でからかってきた。


「ちょっと、七緒。兄さんが嫌がってますよ」


 後ろから来た和音が、七緒を注意してくれる。


「え~、嬉しいですよね? 先輩」


 俺の体に抱きついて、楽しそうに聞いてきた。


「そ、そんなことあるか! 助けてくれ、和音」


 グイグイと腕に胸を押し付けられて、和音に助けを求める。


「私も、デカければ……」


 和音は自分の胸に手を当てて何かぶつぶつと言っていて、俺の声が聞こえてないようだ。


「うりうり~」


「やめれ」


「あ、七緒はしたないですよ」


 我に返った和音が、七緒を引きはがしてくれる。


「ふー、楽しかったです」


「……」


 満足そうな七緒とは対照的に、俺は燃え尽きそうになっていた。


「あ、あの兄さん。私の水着はどうですか?」


 悟りを開こうとしている俺の前に和音が恥ずかしそうにやって来て、意見を求めてくる。


 和音の水着は真面目な和音らしくワンピースタイプで、花柄のかわいらしいデザインだ。


「ああ、似合ってる。可愛いよ」


 感想を伝えると「はにゃ~」とよく分からない声を出して、和音は後ろ向きに倒れそうになる。


「よっと。もう、先輩。私にも素直に可愛いって言ってくださいよ」


 倒れる和音を大きな胸で受け止めて、七緒が文句を言ってきた。


「あー、はいはい。可愛い、可愛い」


「ぶ~。もう、先輩なんて知りません。行こ、和音」


 機嫌を損ねた七緒が和音の手を掴んで、ウォータースライダーの方に歩いて行ってしまう。


 からかいすぎたかな? と思いながら二人を追って、俺もスライダーに向かって歩き出す。


「まずは、うぉ~た~スライダー乗りますよ! 和音」


「えー、高くないですか? このウォータースライダー」


 俺達の前にあるウォータースライダーはここの目玉らしくかなりの高さと長さで、入り組んだトンネルを滑るタイプだ。


「じゃ、俺はここにいるから行ってきな」


 素直に言って、怖いから遠慮をしておこう。


「何言ってんですか、先輩。皆で滑るんですよ」


 機嫌が戻ったのか俺の手を掴んで「逃がさないですよ~」っと、笑顔を向けてきた。


「に、兄さんが一緒なら私も大丈夫かな?」


 和音がさらに逃げ場を奪う。


「よし、行くか」


 俺は勇気を出してそう声を出し、列に並ぶことにした。


「高いですね~」


「ああ」


 上まで登ると下の人たちが豆粒の様に見える。


「いらっしゃいませ。どのコースを滑りますか?」


 上で待機していたスタッフが声をかけてきた。


 滑り口は全部で三つあって、甘口、中辛、デス辛と書かれている。


「もちろん、デス辛ですよね? 先輩」


 七緒はものすごく楽しそうだ。


 何だよこの選択し、普通なら辛口だろ。


 俺が黙っているとスタッフさんが、三人でも座れそうなサイズの浮き輪を渡してくれる。


「え? 三人で滑るのか?」


「おぉ、楽しそうですね。和音が一番前に座ってください」


「何でなの? まぁ、仕方ないですね」


 少し考えた後、和音は何かをあきらめたかのように浮き輪に座る。


 その後ろに俺、七緒が続く。


「準備、オッケーですね! それでは、いって、ヘブン~」


 スタッフさんが謎の掛け声とともに、浮き輪を押してくれる。


「う、ぁぁぁ」


 ぐんぐんとスピードが上がり、俺は悲鳴を上げてしまう。


「ひゃ、兄さん。どこを触ってるんですか?」


 和音が何かを言った気がしたが、冷静に聞いている余裕はない。


「ひゃ~。最高です~」


 速度は上がっていき、遠心力を使って一回転する。


「前、前見えない」


 前後が入れ替わって滑り落ちていく恐怖に、和音を強く抱きしめてしまう。


「ちょ、兄さん。そんな大胆な……」


「キャァァ~、楽しいですね」


 七緒がぎゅうっと、抱きついてくる。


 後ろ向きのまま滑りきって、俺達は無事に地上に生還した。


「今のはない、今のはない」


「……」


 俺は壊れたテープレコーダーの様に同じ言葉を繰り返して、和音は何故か顔を真っ赤にして頭から湯気を出している。


「もっかい、滑りましょう」


 七緒だけが凄く元気で、はしゃいだ声で提案してきた。


「断る」


「もう、無理です」


 俺と和音の意見が一致する。


「え~、仕方ないですね。では、流れるやつに行きましょう」


 俺達の様子に、七緒もあきらめてくれた。


 俺はがくがくと壊れたロボットのような動きで、流れるプールに向かうのだった。







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