第25話 とあるミステリ研究会員の願い【問題編】①
とある地方都市にある中高一貫
歴史があるといえば聞こえはいいが、ようはボロい旧校舎の二階の隅。家庭科準備室で俺は今日も読書に勤しんでいた。
――ねぇ、大丈夫?
何が? って、とぼけても仕方ないよね。いや、全然大丈夫じゃないよ。訳解んないしさ。俺が自分で解決しないといけない問題なんだろうけど、そもそも何を解決すればいいのかがわからないし。
ねぇ、先輩は何を言いたかったんだろ? いつもみたいに揶揄われただけ? いや、今回は違う気がするんだよなぁ。
なんかさ。ここを誤魔化したら全部ダメになる、ってポイント、あるじゃん? これはそれだと思うんだよ。
――自分語り、長っ! いや、そうじゃなくてさ。
えっ?
――さっきからココアの催促がものすごいけど。無視してていいの? 知らないよ。後でどうなっても。
はぁ? って、嘘でしょ!
「ちょっと! なんで先輩がいるんですか! ここは、あの日から先輩はミステリ研究会にはこなくなった、ってなるところでしょ!」
ふと顔を上げれば、目の前で先輩がいつもどおりに読書に勤しんでいる。まさかの光景に思わず抗議の声を上げてしまった。
そんな俺に先輩が不機嫌そうな顔を向けてくる。
「失礼な。ここは元々、私が読書のために見つけた場所だよ。キミの方が後から来たのだろう。モナミ、そんなことよりココアはまだかな? 先程から私の灰色の脳細胞が悲鳴をあげているのだが」
それだけ言うと先輩は手元の本に目を戻した。眉間に皺を寄せて、右手の人差し指で苛々とローテーブルを叩きながら。
どう見てもかなりご立腹だ。
「はい! たたいま!」
どこの居酒屋だよ、って、居酒屋なんて行ったことないけどさ。と、自分で自分につっこみながら、急いでコンロへと向かう。
棚から先輩専用のマグカップを取り出して、小鍋にココアをいれる。軽くココアを炒ってからよく練って、牛乳で丁寧にのばしていく。甘みをつけたら、沸騰しないように注意しながら温めて、マグカップに注ぐ。これで完成。
結構手間なんだよねぇ、なんて心の中でぼやきながら。でも、いつもどおりの日常についつい口元が緩んでしまう。
「モナミ、随分とご機嫌のようだね」
「はいっ?」
背後からかけられた言葉に肩が跳ねる。
いやいや、先輩、俺の背中しか見えてませんよね? なんでわかるの! エスパーの次は透視能力でも手に入れたの?
「モナミ、何度も言っているが私はただのミステリ好きな高校生に過ぎないよ。まぁ、少しばかり優秀な灰色の脳細胞を持ってはいるがね」
「はいはい。もうどこからつっこんでいいかわかりませんよ」
呆れた顔でローテーブルにココアのマグカップを置く。今日のお茶菓子はかぼちゃ饅頭。饅頭は蒸かしたてが一番なんて言う人もいるけど、俺は冷めて皮がしっかりした方が好み。
ちなみに今日のお茶はグリーンルイボスティー。普通のルイボスティーは紅茶みたいな紅色だけど、グリーンルイボスティーはもっと明るい水色。味も爽やかで、素朴なかぼちゃ饅頭にはこっちの方があうと思うんだよね。って、まぁ、先輩はココアだけど。
「ほう、これはこれは」
黄色が鮮やかな饅頭に先輩の顔が綻ぶ。その姿に俺は心の中でガッツポーズをする。
水族館のくらげ饅頭が好きって言っていたから、和菓子も好きだと思ったんだよね。
「おや、中身はあんこかい?」
一口かじった先輩が少し残念そうに呟く。
あれ? 駄目だった? カボチャあんぱんが好きだから、あんこは大丈夫だと思ったのに。
「あの、あんこ苦手でした?」
恐る恐る聞く俺に先輩がニヤリと笑う。
「いや、時期が時期だからね。てっきりチョコレートかと。もちろんこれも美味しいよ」
残念だな、と笑いながら、先輩は次のかぼちゃ饅頭に手を伸ばす。
時期? チョコレート? ん? それって。
バレンタインってこと!?
「な、何を言ってるんですか! そうやって揶揄うんなら、もう作りませんよ!」
しまった。声が裏返った。
でも、本当に止めて欲しい。どこまで真に受けていいのかわからない。
「これは失礼。ところでモナミ、その本をまた読み始めたのかい?」
俺の動揺とは裏腹にすご〜く軽い謝罪の後で、先輩が
ローテーブルの上の本を指し示す。
そこにあるのは、俺がさっきまで読んでいた緋色の表紙の本だ。
「あぁ、はい。持ち歩いているだけっていうのも、何なんで」
そうなのだ。
いつも鞄の中にあるだけだったコイツ。このままではカップラーメンの蓋か、地味な筋トレの道具になってしまうと思って、とうとう取り組むことにしたんだ。
「でも、またって?」
この本を読むのは初めてだ。ずっと持ち歩いていたから、読んでいると勘違いしたとか? 観察至上主義の先輩にしては珍しい間違いだな。
「それだけ読んでもらえれば、本も幸せだね」
俺の困惑を他所に先輩が続ける。そう言って本を見る先輩の目が優しくて、なんとなく訂正しそこねてしまった。
「モナミ、勘違いしないで欲しいんだ」
先輩が本に目を留めたまま呟いた。
勘違い? なんのこと?
先輩の言葉の意味がわからなくて、すぐに返事ができない。そんな俺をおいてけぼりに、そのまま話は進んでいく。
「私はこのミステリ研究会の日々を、存外気に入っているんだ」
榛色の目線が本から俺に移る。優しい目が俺を捉える。
「ミステリでは、真実はひとつ、なんて決まり文句があるが、私はそうは思わないんだよ」
俺はただ先輩を見つめることしかできない。
「事実は一つだ。だが、それを知ってどうするかは、その人次第。真実は人の数だけある。私はそう考える」
「えっ、あの」
「だが、モナミ」
榛色の目がキラリと光る。
「事実を知った上で選ぶことと、事実から目を逸らし流されること。例え同じ結論に達したとしても、この二つは全くの別物。そしてモナミ、我が愛する助手は前者である。そう私は信じているんだ」
じっと俺を見つめる榛色の目。それはさっきまでの優しい目ではなく、いつもの静謐なそれだ。
先輩と俺の間に張り詰めた空気が流れる。
「あの、先輩、俺」
トントン、トンッ。
二人の間の静寂を破るように家庭科準備室に遠慮がちなノック音が響く。
「おや、お客様のようだね。モナミ、お茶の準備を」
「えっ。あっ、はい」
先輩と俺の間に流れていた空気が一変する。
いつもどおりの先輩の言葉に、俺は一拍遅れてドアに目をやる。と、ちょうどノックの主がドアを開けたところだった。
立っていたのはがっしりとした体型の長身の青年。短く刈り込んだ髪に、冬だと言うのに浅黒い健康的な肌。明らかに何かスポーツをしていることを窺わせる外見とは裏腹に、その目にはノック音と同じく、気弱な色が浮かんでいる。
「あの、俺」
「なんで」
ドアに立つ青年と俺の言葉が重なる。
「なんで、お前がここにくるんだよっ!」
弾かれたようにソファから立ち上がり、ドアに向かおうとする。と、慌てすぎたのか、足がもつれる。
「あっ!」
まずいと思ったときには、遅かった。バランスを崩した俺の目の前に床が迫ってくる。
「モナミ!」
「近藤!」
二人の叫び声が聞こえた気がしたところで、俺の意識は途切れたのだった。
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