21.それぞれの魂胆
コンチュ・エレファンスは憤慨している。
彼女にとって、キャスリン・アクミナータという令嬢は常に目の上の
家族から「高位貴族でありながら金のために下賎な者たちに媚びへつらう、軽蔑すべき侯爵家の娘」と教えられてきた存在であるにも関わらず、いつの間にか第一王子の婚約者の座を手にし、何故だか自分を差し置いて他の令嬢たちの憧れの的、ファッションリーダーになっていたからだ。
これまで視界に入れるたびに優越感を抱き見下してきた存在が、自分より多くのものを得るなどということは、歪んだ意味でプライドの高いコンチュには到底耐えられないことだった。
(あんな女、普段ならとっくに立場を分からせてやれるのに……!)
侯爵令嬢というだけでなく、王子の婚約者という高貴な立場にあるため、今まで気に入らないからと潰してきた令嬢や使用人たちのように表立って手出しできないことも、その怒れる感情に拍車をかけたに違いない。
(ああ、潰してやりたい……!手駒の令嬢達を使って大人数で囲んで罵声を浴びせて、ご自慢のドレスも髪もめちゃめちゃにして恥をかかせて、二度と人前に出たくなくなるくらい恐怖を刻み付けてやりたいし、顔に傷を付けて嫁入りできなくしてやってもいい。
それくらいのこと、いつもなら全員で口裏を合わせれば誰も何も言えないのに!あああ、目障りな女!潰したい消したい潰したい……!)
だから、フラン・ショーンとやらを通じて第一王子の側近候補たちから持ちかけられた話は、彼女にとってこれ以上なく甘美な誘いであった。
「コンチュ様。ジェフリー第一王子殿下の『運命の
……我々は憂えているのです。目先の利益のために矜持をかなぐり捨てるような家門の娘が未来の国母となることを。
そして、同時に確信しているのです。誇り高き侯爵家に生まれ、貴族の何たるかをよくよく理解なさっている、美しく聡明な貴女こそが王妃となるに相応しいと。
もちろん、斯様な申し出をする以上、必要な情報は全て我々が提供いたします。
王子殿下の女性の好み、興味を示す話題、その他ありとあらゆる趣味嗜好……。
念のため申し上げておきますが、この試みは学園という閉鎖的な環境だからこそ可能となること。在外中の限られた期間にのみ許される、唯一にして絶好のチャンスですよ。
どうです、あの女の悔しがる顔、御覧になりたいでしょう?」
それはいやにゆっくりとした口ぶりであったものの、妙に説得力を感じさせた。
考えるまでもなく、コンチュは頷いたのだった。
(口うるさいあいつらの「手助け」は鬱陶しかったけれど、結果としてジェフリー殿下の寵愛を受けたのは私。
殿下との仲を見せつけてやるのはすっごく楽しかったし、悔しくてたまらない癖に平気なふりをするあの女の顔は笑えたわ。
殿下を泣き落として罵倒させてやるのも面白かったっけ。
でもまだまだ生意気だったから、今日こそボロボロになるまで叩きのめして身の程を分からせてやろうと楽しみにしていたのに……なのに、なんで!)
彼女はギリリと奥歯を噛んだ。
(なんであの女があのブルーノ様に庇われて、しかもちょっと親しげなのよ!?)
今現在、彼女にとって信じがたい光景が目の前にある。
何よりも、頬をほのかに染めて嬉しそうに媚びているキャスリンの表情が神経を逆撫でした。
(あの女を蹴落として次期王妃の座を手に入れたら、今度こそその権力を使ってじっくりいたぶって遊ぶつもりだったのに。
このままじゃ私の楽しい計画が台無しだわ!断罪から逃れて、おまけにあんな美しい上等な男を手に入れるだなんて、許せない!絶対に逃がすもんですか……!)
──そうだ、何としてもここで引きずり下ろしてやる。そのためのとっておきの手札も用意してあるのだから。
コンチュ・エレファンスは、そう決意を新たにするのだった。
* * * *
フラン・ショーンは動揺していた。
彼は幼い頃から野心家であった。
それは突然変異と言うこともできるし、あるいは拗らせた貴族教育の帰結ともいえるのかもしれない。
とにかく、同年代の子供と比べて物覚えが良かったために家族や使用人に褒められ肯定され続けて育った彼は、優秀な自分が頭を下げなければならない相手が多すぎる現実に常々不満を感じている、そういう子供だった。
そこそこの伯爵家の次男として生まれ、敬われていることに違いはなくとも、上には常に上がいるのである。
王族、公爵家、侯爵家。伯爵家同士ですらそれぞれに格があり、決して同列ではなく。
彼にはそれが耐え難い屈辱であった。
(僕は優秀だ。こんな小物どもに一生ペコペコして終わるべき器じゃない。もっと、もっと賞賛を受け、かしずかれるべきなんだ。)
また、なまじ頭の回転が速い彼は、ショーン伯爵家にとっての自分が長兄のスペアにすぎない事実にも、比較的早い段階で気付いていた。
あんなにも大切に育てられた理由は、伯爵家の跡取りである兄の予備であるからというただそれだけであり、いかに優秀であろうと自身の価値は生まれてから死に至るまで、兄に勝ることはないのだと。
そのことも、幼いながらに肥大していた彼の自尊心を傷つけた。
そんなわけで、愛想良く張り付けた微笑の裏で、彼は自分の才能を知らしめる機会を虎視眈々と狙っていたのだ。
だから、第一王子の将来の側近候補と同義である「ご友人」を選定するという話が回ってきたとき、彼は勢いよく立候補したし(もちろん、表向きは王子殿下に憧れる無邪気な子供を装って)、見事その座を射止めた後は野心を見抜かれぬよう潜伏しながら、いずれ自分が権勢を振るうための環境を着実に整えていった。
(側近候補の中から邪魔になりそうな人間を排除したのも、王子の正義感や生真面目さを見抜き利用して「友人」の意見に流されやすい腑抜けに育て上げたのも、妨げになりそうなアクミナータ侯爵令嬢の悪評を王子に吹き込んで隅に追いやったのも、御しやすそうな高位貴族の女を見繕って王子のお気に入りに仕立てたのも。
全部ぜんぶ、僕自身の手を汚すことなく、愚かな他人を上手く唆してやってきた。
……まああの革新派あがりの婚約者に関しては、蓋を開けてみれば当たらずとも遠からずの馬鹿女だったようだから、ああまで徹底する必要もなかっただろうが。)
そしてついに、今日のこの断罪劇にまで持ち込んだのだ。
(ククッ、誰もこの舞台の黒幕が僕だとは気付きもしまい。王子たちですら、自分たちで設えたものだと思い込んでいるのだからな。
クッククク、僕がお膳立てしてやらなければ何もできない馬鹿どもが!)
勝利を確信した彼は、もはや込み上げる高笑いを抑えるのに必死であった。
(もう少しだ。もう少しで何もかもが完璧になる。
僕にとって操りやすい人間だけが残り、僕が存分に権力を振るうための準備が完全に整って、僕の思いどおりの世界が訪れる!
愚者は愚者らしく僕の顔色を窺い、優秀な僕のために使い潰される世界が!)
彼の頭は、既に野心が叶った輝かしい瞬間を思い描いていた。
……そう、ほんの数分前までは。
(なぜ!なぜだ!?僕の理想の世界がすぐ目の前にあるのに!
なぜバルビシアーナ公爵家と王宮騎士団が出てくるのだ!?
なぜ奴らは、王の詔などを携えているのだ!?)
あまり得意でない突発的な事態に狼狽するフランだったが、すぐに何かに気づいたように落ち着きを取り戻す。
(……いや、優秀な僕としたことが。無粋な介入者に心を乱されてしまったな。
まだ、まだ問題ない、大丈夫だ。王宮が介入してきたとはいえ、考えてみれば直接の相手はあの馬鹿女。
舌先三寸だろうが何だろうが徹底的にやり込め、そのざまを見せつけて公爵令息を丸め込んでしまえばこちらのものだ。)
そうだ、何も恐れることはない。
理想の世界は着実に近づいてきている。
優秀な自分を一瞬でも焦らせた奴らへの仕置きは、全てが終わってからじっくり行うとしよう。
頭の中でそう算段を付けたフラン・ショーンは、自らの計画の成功を信じてほくそ笑むのだった。
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