第34話 映画

 フランスでは映画によく行った。トゥールは特に、日曜はお店も全部閉まっていて、唯一開いている娯楽施設が映画館だったのでよく行った。

 日曜はお店も休むというフランスは家族でのんびり過ごすらしいが、フランスに家族がいない留学生は本当にやることがなくて困る。まだパリだと中華街行ったり、美術館行ったりできるが、地方都市だと壊滅的に店が閉まっていた。


 そんなフランスで見た映画について、今日は話そうと思う。

 まずは大ヒット作「アメリ」。これを同居しているメキシコ人が「すごい面白いらしいから一緒に行こう」と強烈に誘ってきた。

「えー? 面白いの?」

「大ヒットだから間違いないよ」 

 陽気なメキシコ人たちと見たが…もう出だしから「え?」ってなって、三人ポカーンとなった。

(あれ、死んだ? 死んだよね?)


 そこからいろんな出来事があったが、あ、ちょっとした幸せを振りまく女の子の話? なのか? ん? さすがフランス映画。


 メキシコ人も「まぁ、良かったよね」と言いながら、帰路に着いた。


 さらに不思議な映画も見た。タイトルを忘れてしまったが、フランス人の中国語を専攻している男の子が家族と暮らしていて、家族は独立してほしくて、あの手この手で子供を追い出すが、その手立てとして、なぜかお母さんが彼の友人と性行為をしてしまうという…。

 一番のツッコミどころはそこではなくて、中国語ができると言う設定の彼は謎に日本語もできてしまう。

「それは…ない。それは絶対ない」と思った。

 日本語と中国語は同じでしょ? って思われているかもしれないが、お互い漢字というツールで意思疎通はできるかもしれないが、私が中国語ができないように、中国語が母国語の人が必ずしも日本語ができるわけではない。

 ちなみにその彼は一人暮らしをしない選択として、中国人の彼女を作る。すると中国人は家族で同居するから、結局一人ではなくなったという話だった。

 

 後、うっすら記憶にあるのはフランスの綺麗な田舎で暮らす女性の話。なんとなくキリクリームチーズが出てきたような、そのCMが近かったような、話がどうだったかすら思い出せない。そもそも完璧にフランス語が理解できていないから、ストーリーがはっきりしていなかったと思う。でもフランスの田舎の美しさを堪能した。


 後、パリでは日本の映画も上映していた。千と千尋の神隠しもパリで見た。もちろん日本語で、フランス語の字幕がついていた。

 日本語でフランス語字幕は勉強になる。

 主人公が「はい」と言ったところを、何かの指示で返事しているのだが「オントンデュ(承りました)」と書かれていて「ウイ」じゃないんだ…と感心した。

 そしてフランス人との決定的な差を感じたのは主人公がおにぎりをもらって、泣きながら食べるシーン。あれは全日本人留学生は涙を堪えた、あるいは溢してしまうシーンだった。それなのに、そのビジュアルがものすごい描かれ方をしているので、フランス人からは笑いが飛び出していた。

 おにぎりという日本人にとって琴線に触れる食べ物が、フランス人にはただの食べ物を摂取しているだけのシーンとなり、女の子が激しい勢いで泣きながら食べているのだから、笑ってしまうのだろう。

「あ、ここは笑うシーンじゃないのにな」

 文化の違いを感じた。


 しかし文化の違いについて、私が強烈に受けたのは小津安二郎の「東京物語」だ。こんな白黒の映画も上映される。

 まばらに客がいて、フランス人の老夫婦が斜め前に座っていた。

 映画が始まると、私の知っている日本、知らない日本が映し出されていた。

 広島から東京に行くまでに一日以上かかること。フランスのタイトルは「ボワィヤージェ ドゥ トウキョウ(東京旅行)」となっていた。老夫婦が自分の子供たちに広島から何時間もかけて東京まで行くのだった。長男(医者)、次男(戦死)、長女とそれぞれの家に行く。血のつながっていない次男の嫁は小さなアパートで暮らしているが、快く両親を迎え入れる。しかし血の繋がっている子供たちははるばる来た親を邪険に扱うのだった。

「昭和初期と今と変わらないなぁ…。まぁ次男のお嫁さんは本当によくできてるけど」と思いながら見ていると、私は一番驚いたのは、その邪険にされたお父さんが子供の前では申し訳なさそうな顔をしているのだが、友人たちと飲みに行った時に

「医者だと偉そうにしているが、個人病院じゃなく、俺は大病院の院長になっているかと思っていた」と不満を言ったところだった。

 その場の友人たちも自分の子供に対して不満を言う。

 そのことに驚いてしまった。優しい親のように見えたが、複雑な思いを抱えていた。その時はショックだったが、今、子供を持つようになると子供に期待する気持ちがわかるようになった。

 そして旅行は終わったが、奥さんが急に亡くなってしまう。残されたのは父親とまだ女子学生の次女だった。

 その次女は「行ってまいります」と出かける時はきちんと挨拶をし、そして帰ってきた時は「ただいま戻りました」と言って、脱いだ靴を揃える。

 私は自分も日本人だけれど、こんな美しい日本があったと教えられた。それは私の知らない日本だった。

 そして父親が残ってしまい、子供たちはどうするか相談しつつも、ちゃっかり遺品整理をしたりしている。その姿に悲しむ次女。彼女を「仕方がないのよ」と次男の嫁が慰めて映画は終わった。


 ふと、斜め前に座っている老夫婦が泣いていた。

 思い当たることがあったのだろうか、と思いながら。まだ結婚もしていない私にはお父さんが怒っていたことの方がショックだった。

 今ならあの老夫婦の気持ちが少し分かる。子供は親を置いていくし、親は子供に過度な期待をしてしまう。


 日本では多分、映画館で見ることができなかった小津安二郎の東京物語をフランスで見ることができて良かった。


 フランスは割と異文化について興味がある人が多く、「キタノタケシは素晴らしい」と言ってくる人もいたが、残念ながら私は作品を一つも見ていなかったので、芸人としての彼しか知らない。

 曖昧な笑顔を浮かべていたら「見るべきだ」と怒られた。

 怒られたが今に至るまで見ていない。


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