第17話 911

 9月11日。


 その日、私はフランスの語学学校の授業が始まるのを待っていた。先生が入ってきて、数名の学生が呼び出される。私は何があったのか分からずに、呑気に座っていた。

 何かが起こったらしいが、それは想像もつかないことだった。


 メキシコ人のクラスメイトが新聞を持って来て、数名が覗き込んでいる。なんとも言えない悲鳴のような声が上がった。

 私がなんだろうと思っていると、そのメキシコ人が新聞を見せてくれた。


 ビルに飛行機が突っ込んで、倒れかかっている。


 その写真を見たが、全く意味が分からなかった。

「何これ?」

「ひどいでしょ?」

「いや、これ、何? 映画?」

「現実よ、現実」と言われたが、モノクロの写真が嘘のようだった。

「嘘でしょ? どういう…」


 衝撃的な写真すぎて、現実感が全くなかった。


 呼び出しを受けたのはアメリカ人の生徒で、事件の説明を受けるためだと理解したのはその後、泣きながら教室に入ってきた生徒たちを見たからだった。


 クラスにはアメリカ人もいたし、イラク人もいた。私のクラスのイラク人は女性に対して昔ながらの風習で見ていたため、苦手だった。でも前のクラスのイラク人はとってもいい人でいつも温かい笑顔で授業を受けていた。イラクのお医者さんだったが、フランスで働くために来たと言っていた。確か妻子はイラクにいたはずだった。彼のことが心配で私は見かけた時に声をかけた。


「大丈夫?」

「うん。…まぁ」と相変わらずのいい人だったが、顔は曇っていた。

「帰るの?」

「そうしたいんだけど、飛行機が取れなくて。でも家族が心配だから」

 私には何もできない。心の中で彼が無事で、そしてまたいつかフランスに戻って来れたらいいな、と思うしかなかった。

 その後、イラク戦争が起こる。

 

 パソコンを持ってこなかったので、学校にあるパソコンルームで日本語での情報を集めると、メキシコ人に見せてもらった新聞の写真がようやく現実に起こったことだと理解できた。

 

 語学学校はいろんな国から生徒が来ているから小さな世界のようだ。


 アメリカ人もイラク人も同じ空間で机を並べ、同じ時間を過ごしている。つい敵対視してしまう生徒同士を先生はうまくサポートしていた。女性に対する態度で私は引っかかりを覚えていたイラク人の生徒にも先生は「君が恐縮することはない」という態度だったし、本人も学校にちゃんと来ていた。


 その時のフランス人は意外だったが、イラクの人たちに対して、寛大だった。テロを犯したからと言って、街に住むイラク人に対して態度を悪くすることはなかった。

「国が近いからたくさんのイラク人がフランスにはいるし、もちろん私たちの知り合いにもいる。彼らが悪いわけじゃない」と話していた。


 確かにフランスにはアラブ人が多く住んでいる。コンビニのような役割を担うアラブの人のお店は深夜でも空いているので助かる存在だ。


 かなりショックな事件に対してフランス人のそういう冷静な判断が私は驚きだったし、尊敬もした。変な正義感の熱に踊らされて誰かを叩くという考えになることなく「それはそれ、これはこれ」といった個人主義なのかもしれないけれど、大人な対応だったのが印象深かった。


 日本にいると衝撃的な事件でもどこかで他所の国の話だと感じてしまう。ただあの時、違う国の語学学校という世界にいて、私は911をリアルに感じた。

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