第3話「変わらないね」

着いた頃には辺りはもう夕焼けに染まっていた。

穏やかな空が見事な朱色に染まっている。

夕方だからなのか、人通りはそれなりに多かった。


長時間座っていた為足取りが重かった。

それは彼女も一緒の様だ。

でも月下さんはずっと元気なままだった。


趣味で色々な所を巡っているというだけあって、足腰には自信があるようだ。


大きく伸びをすると思わず声が漏れ出てしまった。


「んぅ~…」

「可愛い伸びね、猫みたい」

「……どうも」


ガラスに映った自分を見て私も猫みたいだな、とは思った。


「そういえば君たちは宿を取っているのかな」

「あ…すっかり忘れてた」

「本当に無計画で来たんだね…」

「しょうがない、今からでも予約できないか探しておこう」


思いの外、簡単にホテルの予約が取れた。

駅からもあまり遠い距離じゃないから良かった。


「タクシーで行きましょう」

「そうだね」


月下さんがタクシーを呼び、私達は乗り込んだ。

タクシーが走り出すと、すぐに月下さんがウトウトしだした。


運転手さんは結構なお喋りな人だった。


「お姉さん達は何しに来たんですか?」

「大事なものを探しに来たんです」

「へぇ、宝探しみたいで楽しそうですね」


窓の外を眺めていた彼女が口を開いた。


「運転手さん、ここ青森に桜が咲いている場所って知ってますか?」

「桜?有名な所だと、弘前とか十和田市とかその辺ですかねぇ」

「そうですか…」


その言葉を聞くと彼女はまた、窓の外を眺め始めた。

白い瞳には反射した町の光が映っていた。

宝石みたいにキラキラと綺麗だった。


月下さんの話によると、秘境中の秘境だったらしいから、あまり参考にはならなかった。


ふと、隣を見ると沙耶華も目をつぶって寝息を立てていた。


突然、運転手さんが何か思い出したかのような口振りで言った。


「そういえば都市伝説じみた話を聞いた事あります」

「何でも、一年中咲いてる桜があるとか…」

「場所は確か…桜守さくらもり、だったかな」


桜守さくらもり…聞いた事は無いけど何か、手掛かりにはなりそうかも。

後で沙耶華と月下さんにも話してみよう。


「桜守…聞いた事無いですね」

「まぁ、無理もないですよ」

「人口も少ないし、山に囲われてて物凄く田舎なんですから」

「それに地図にも載ってない所なんですよ」

「へぇ、そうなんですね」


「桜がお好きなんですか?」

「好きですね、桜」

「思い出がたくさんあるので」

「それは素敵ですね~」


運転手さんによると、桜守町はこの辺りから2時間半は掛かるらしい。

ここからは他愛も無い雑談を話していた。

結構、気さくな人で面白かった。


寝ている二人はもったいない事をしているなぁ、とか思っていた。


「もうすぐ着きますよ」

「本当、ありがとうございました」

「いいんですよ、僕も久しぶりに若い子と話せて楽しかったです」


二人を揺さぶり起こした。

三人でお礼を言うとホテルの前に停めて貰い、中へ歩き出した。


旅は移動だけで疲れる。

私達はお風呂から出ると、食事をせずに、すぐさま眠りにつこうとした。


しかし部屋にはベッドが一つしか無かった。

三人でどうするかと悩んでいたら、月下さんが気を利かせてくれたのかソファで寝ると言ってくれた。


私達はお言葉に甘えてベッドに横になった。

すぐ横で彼女の体温を感じる。


電気を消し、おやすみと言って目を閉じる。

真っ暗な部屋で時計の秒針が動く音と、寝息だけが聞こえ続ける。


そういえば来る途中に、何か大事な夢を見た気がしたけど眠気には勝てず、考えるのをやめた。



「おやすみ沙耶華」



──目の前の桜が散り始める。

それは唐突に始まった事だった。


いつもの世界とは違う、真逆の世界。

そして全てが止まる。


千年に一度、そんな日がやってくる。

全てが止まり、呼吸を忘れてしまう。

皆が石の様に固まり、動かなくなってしまう。

そんな日を神様が終わらせてくれる。

少女はその正体を、これから知ることになる。


ことわりの外側で二人はしなければいけない役割があるのだ。


そのために二人は巡り逢った。



……あれ、どこ…ここ。


……夢?


……夢なのに動ける…


明晰夢ってやつ…?


それにしても何であの夢が…


続きは見れたから、終わったのかと思ったけど…



「行ってきます」



誰かの声が聞こえた。

私は声が聞こえた方へ振り返ると、思わず声が漏れ出てしまった。


「沙耶華…?」

「蘭…」

「ごめんね…蘭」

「何で…謝るの」


「もう時間が無いの…行ってくるわ」

「行くって、どこに…?」


「#理__・__#の外側…」


「あの桜の向こう側がそうなの」

「ちょっと待って、よく分かんないよ…」


「もしかして…」

「蘭…貴方、夢を見ているのね」


「それじゃあ今度は貴方が私を見つける番」

「待ってるから…ずっと…」


彼女が悲しそうな顔をしている。

その悲しそうな顔をしている理由が分からない。


理?何それ…意味が分からない…。

行ったらどうなるの…。


私が踏み止まっていると彼女が消えていってしまった。


冬に吐く白い息の様に、氷が溶けて無くなる様に消えてしまった。

私は追いかけようと必死に手を伸ばした。

けれど、その手は届かなかった。


私達の間に線を引く様に、風が吹き抜けた。

上を見上げると桜が散り始めていた。

沢山の花びらが私を邪魔してくる。


追いかけたいのに、前に進めない。

もう私の瞳に彼女は映っていないのに、まだ私は必死に掴もうと手を伸ばした。


誰かが拒んでいるかのように私の邪魔をしてくる。

どんなに足掻いても意味が無かった。



私は零れるこぼれる涙を拭わずにその場に座り込んだ。



──置いてかないでよ….。



反発する磁石の様に飛び起きた。

酷く、沢山の汗をかいていた。

長い距離を走った後のように呼吸が乱れている。


寝息が聞こえる。

まだ眠りについている様だ。


時計を見ると針は6時を指していた。


私は、今見た夢を整理しようと、考えを巡らせた。


彼女が、沙耶華が消えてしまう夢を見た。

鮮明に覚えている。

桜の向こうに行って消えてしまった。


夢の中で、私は酷く狼狽えていた気がする。


私はふと横に目をやると、その光景を受け入れるのに凄く時間がかかった。


横で寝ていたはずの沙耶華が居ないのだ。


「…沙耶華?」

「沙耶華…起きてるの?」


声を上げても何の返事も返っては来ない。


部屋は時計の秒針が動く音が響いているだけだった。


私はすぐに月下さんを揺さぶり、起こした。


「月下さん…!起きて!」


「…ん、葵井ちゃん…どうしたの」

「沙耶華が…沙耶華が居ないんです!」


月下さんの目が一瞬にして覚めたのが私でも分かった。


「ま、まさか…そんな…」


何かブツブツと言っているのが聞こえる。


「夢で、彼女が消えてしまうのを見たんだ…」


その言葉を聞き私は驚愕した。

多分、月下さんは私と同じ夢を見ていた。


「私も…その夢、見ました」

「桜の向こう側に行くって言って…消えて…」

「何度も手を伸ばしたのに…届かなくて…」


私は必死になって説明した。

言葉が詰まりながらも何とか伝えようと必死になった。


「手を伸ばした…?じゃあ私が見ていたのは葵井ちゃんの景色だったのか…」

「もしかして…動けたのは私だけ?」

「ああ、多分葵井ちゃんだけだろう」

「私は自分の意思では動けなかった」


「でも…何で…」


今の私の顔は酷い事になっていると思う。

そのくらい驚いて、不安になった。


月下さんはハンカチで私の涙を拭ってくれた。

その手は暖かく感じたを感じた。


「でも、そんな事ありえるのか?」

「いくら何でも…夢の中に消えるとは…」

「これじゃあまるで…神隠しに遭ったみたいな…」


閉め切ったカーテンの隙間からは微かに光が漏れ出ていた。


「行こう…月下さん」

「行くってどこに…」


「桜守か…」


「都市伝説だとしても…行く価値はある…」

「早く見つけなきゃ…」


「でも地図にも載ってないような所なんだろう?」

「手掛かりがなぁ…」

「私自身、行ったかどうかも記憶に無いし」


「だったら人が多い所で聞き込みしましょう」

「一人くらい知ってる人がいるかもしれないし…」


自分でも焦っているのが分かる。

でも、こんな状況で冷静にいられる方がおかしい。

一番大切な人が突然消えてしまう、考えるだけで頭がどうにかなりそうだった。


「聞き込みねぇ…しょうがないか…」

「分かったそうしよう」

「でも、迷惑かからないようにだよ?」

「分かってます…」

「じゃあチェックアウト、済ませようか」


直ぐに出る準備をし、チェックアウトをした。

ホテルを出ると、結構な人通りがあった。


連休だからなのか、旅行に行く人も多いのだろう。

大きな荷物を持っている人もいた。


夏は終わったけどまだ蒸し暑い。

スマホの画面を見ると、もう7時過ぎだった。


駅で聞き込みをしようと話した私達は早速、聞いて回った。

色んな人に聞いたけど、どの人も全く知らなくて駄目だった。


「少し休もうか、葵井ちゃん」

「で、でも…早くしないと…」

「まだ暑いし倒れたら元も子もないよ?」

「でも…」

「はぁ…分かった、じゃあこれ」


そういった月下さんの手には帽子と水があった。


「いい?少しでも体調が悪くなったと思ったら直ぐに伝えるんだよ?」

「あ、ありがとうございます」

「じゃあ私はあっちで休んでるからね」


指さした先を見るとそこには、喫茶店があった。


私は水を飲み、帽子をかぶった。

そして再び聞き込みを始めた。



「へぇ、ウチと雰囲気が似てるなぁ」


喫茶店の前に立ち、ドアに手をかけた。

カランと鈴の音が鳴るのが聴こえた。


「こんにちはー」

「いらっしゃい」


カウンターの奥から声がした。

眼鏡をかけた少し白髪の多い初老の男性だった。


「おひとりですか?」

「ええ」

「席はご自由にどうぞ」


そう言われ、窓際の席に座った。

窓からは聞き込みをしている葵井ちゃんが見える。


恐らく、今声を掛けた人にも知らないと言われたのだろう。

お辞儀しているのが分かる。


「健気だねぇ…」

「好きな人の為にあそこまで頑張れるなんて…正直羨ましいよ」


「私にはその気持ちは分からないけど、葵井ちゃんの為にも頑張らないとなぁ」


私はアイスコーヒーを注文した。


そしてノートパソコンを広げ、情報収集に移った。

とにかく手掛かりになりそうなものは、片っ端からメモをした。


「アイスコーヒーです」


直ぐに出てきた。

いい香りがする。


「どうも」


私は一口飲み、また画面とにらめっこをする。


「調べ物ですか?」


店主の人が話しかけてきた。

少し驚いたが、続けて返事をした。


「ええ、ちょっと気になる場所があってね」


店主の人は私のパソコンに顔を近づけてきた。


結構グイグイ来るタイプだな…。


「この時期に桜…ですか」

「まぁ変ですよね」

「いやいや、そんな事は」


眼鏡を掛け直す様に触っている。


「ある桜を探してましてね」

「へぇ、そうなんですね」

「綺麗に咲くところなら知っていますよ」


店主は少し生えた白い髭を触りながら答えた。

しかし、どれも当てはまりそうにない答えだった。


私もついでに桜守の事を聞いてみた。

予想通りの言葉が帰ってくる事は分かっているが…。


「桜守って所、知ってます?」

「桜守?…分からないですね」

「そうですか、ありがとうございます」

「いやぁ、あまりお役に立てなくてすいませんねぇ」


「あっ!」


突然、店主が大きな声を出し、カウンターの奥へと消えていった。

奥からはドタドタと音が聞こえる。


「な、なんだ?変わった人だな…」


少し落ち着きのない様子でこっちに戻ってきた。


「桜守、思い出しましたよ」


そういった店主の手には何やら手帳らしき物があった。


「な、何ですかこれ」

「これは、私の知り合いとか家族の電話番号が書いてある手帳です」


店主は手帳をパラパラと捲り始めた。


「えーと確か…」


「ありました!」


手帳を見ると丁寧な字でこう書いてあった。



薄墨さん 090-○○○○-○○○○



「この人がどうかしたんですか?」

「この人は店を建てる時に依頼した木材の業者さんでね」

「主に桜の木を使うんですよ」

「かく言うこの店も桜の木を柱に使ってましてね」


「この人なら何か知っているんじゃないかなと」

「わざわざありがとうございます」


思わぬ収穫だった。

まさか、手掛かりになりそうな人が見つかるなんて予期せぬ事だった。


「すいません、この人に電話して貰っても良いですか?」

「ええ、もちろん良いですよ」


そう言うと店主は再びカウンターの奥へと消えていった。

私もスマホを取り出し、葵井ちゃんに電話をした。


「もしもし、葵井ちゃん」

「あ、もしもし月下さん、どうかしたんですか?」

「すぐに喫茶店に来てくれ、手掛かりになりそうな人が見つかったんだ」

「え!すぐ行きます」


電話越しでも分かるくらいには大きい声だった。

直ぐにドアが開く音が聞こえた。


「こっちこっち」


「月下さん、さっきの話本当ですか!」


少し息切れをしていた。

嬉しくて、走って来たのだろう。


「うん、本当だよ」

「ここの店主さんがね、桜の木を取り扱う業者の人と知り合いでね」

「もしかしたら知っているんじゃないかってね」

「なるほど…知ってたらいいですね!」


窓から日差しが当たって少し暑かった。

アイスコーヒーの氷がカランと溶け崩れる音がした。

この待っている少しの間がとても長く感じれた。


それから五分くらいして店主が戻ってきた。


「薄墨さん、こっちに来てくれるみたいですよ」

「ほんとですか!?」

「おや…お嬢さんは?」

「あ、私も一緒に探してて…」

「なるほど、そういう事ですか」


店主はまた眼鏡を掛け直すように触った。

レンズが日差しに当たって一瞬、光った。


「それでなんて言ってました?」

「14時に駅に来てくれと言ってましたよ」

「分かりました、ありがとうございます」


時計を見ると針は12時を指していた。

約束まであと2時間はある。


「まだ結構あるね」

「何してようか」


突然、ぐぅ~という音が鳴った。

聞こえた方を振り向くと顔を真っ赤にしている葵井ちゃんがいた。


「いやぁ…あはは…」

「そういえば朝から何も食べてなかったね」


「でしたら食べて行きますか?」

「いいんですか!」

「ええ、もちろんです」

「私が作るオムライスは絶品ですよ」


店主は得意げにニヤリと笑った。


「楽しみだね」

「もうペコペコです…」


さっそく料理をする音が聞こえてきた。

香ばしい匂いも漂ってくる。

その匂いがさらに空腹を加速させた。


「彼女、見つかると良いね」

「……はい」

「本当にどこに行ってしまったんだろうね」

「………」


とても綺麗な形の卵で包まれているオムライスが運ばれてきた。


「お待たせしました」


机の上に美味しそうな匂いを漂わせるオムライスを置かれた。

キラキラと光って見える。


「んー…いい匂い」

「それじゃあ、いただきま…」


「いただきます!」


私の言葉を遮るように葵井ちゃんの大きな声が響いた。

その様子はまるで、待てと言われていた犬のようだった。


「美味しい~…!」

「すっごく美味しいです!」

「卵がふわふわで、本当に美味しい!」

「はははっそれは嬉しい褒め言葉ですね」


「いただきます」


「うん…凄く美味しいですよ」

「そう言って貰えて嬉しいです」


お腹が幸福感で満たされていく。

こんなに温かく、美味しいものは久々に食べた。


二人はあっという間に平らげ、満足そうな顔で満ちていた。


「ごちそうさまでした」

「いやぁ、美味しかったです」


「お代はいくらになりますか?」

「お代なんて要りませんよ」

「久しぶりにお客さんと話せて楽しかったです」

「じゃあお言葉に甘えて…」


時計を見ると14時近くになっていた。

時間の流れがとても早く感じた。


「わっ、もうこんな時間」

「ほんとだ」

「では私たちはこれで失礼しますね」

「ええ、桜探し頑張って下さいね」


ドアを開け外へと踏み出した。

以外にも涼しく感じられた。

ここに来る前は暑かったというのに。


「良い人でしたね」

「うん、そうだね」



「駅のどこに居ればいいんですかね」

「そういえばそうだな」

「どうしようか…」


「取り敢えずロータリーにでも居ようか」

「幸いにも今は涼しいからね」


ロータリーにあるベンチにしばらく座っていると目の前に白い車が止まった。

軽トラのような車だった。

よく見ると車のドアに、薄墨材木店と書かれていた。


「もしかして薄墨さん?」

「まぁそうだろうね」


バタンとドアを閉める音が聞こえた。


私たちの前に鉢巻を巻いた男の人が立っていた。


「もしかして、おめ達か?」


少し訛りが混じった言葉が聞こえた。


「薄墨さんですか?」

「んだ、ワシが薄墨じゃ」

「わざわざすいません」

「ありがとうございます」


二人でお辞儀をすると薄墨さんは車のドアを開けた。


見た目はさっきの喫茶店の店主よりも年齢を重ねていそうだった。

白髪が目立つ、少し背の低いおじいちゃんて感じだった。


「少し訛っちょるから聞き取りづらいかもしんねぇけど許してな」

「あ、それはもう全然…!」

「大丈夫ですよ」

「ほんじゃあ、行ぎますか」

「行くってどこにですか?」


薄墨さんは少し笑って言った。


「どこ行くっておめぇ、桜守に決まっちょる」

「え、知ってるんですか!」

「知ってるも何もおめぇ、わしが住んでる所じゃいうて」


私たちは顔を見合せ、少し驚いた顔をした。


「まさかだったね、葵井ちゃん」

「そうですね…ちょっとびっくり…」


「話してねぇでさっと乗りぃや」

「あ、はーい」


ドアを開け月下さんが助手席に乗り、私が後部座席に乗り込んだ。

車内は木の落ち着く香りが包んでいた。


車が走り出した。

全く知らない街でまさかこんな事になるなんて思いもしなかった。


「すいませんね、突然」

「気にすねんでええよ」

「そーいやあんた達はどっから来だ」


薄墨さんがバックミラーに目をやったのが分かった。


「あ、東京から…」

「東京?随分と遠いとっから来たんな」

「大変やったろぉ」


車のスピーカーからはラジオが流れている。

男の人二人が雑談をしている、よくあるラジオだ。

ラジオから聴こえる笑い声はつられて笑ってしまいそうな笑い方だった。


「そういやぁ、何しに来たんや?」

「ある桜を探してましてね」

「桜?桜好きなんか?」

「ええ、まぁ好きですよ」

「私もです」

「そうなんや」


信号が赤になり車が止まった。

車内は少し、静かになった。

薄墨さんが私の方を向いてきた。


「もしかして、おめ…」

「いやぁ…そんな事ばないか」


と何か呟いていたがよく分からなかった。

信号が青になり少し遅れてから車が走り出す。


「こっがら2時間ばかかるから寝とってええ」

「おめ達、疲れてるやろ」

「いいんですか?」

「ええよ」

「それじゃあお言葉に甘えます」


月下さんがそう言うと、直ぐに窓に寄りかかったのが見えた。

この人、よく考えたら全然遠慮しないな…。


「おめは寝ねぇんか?」

「あ、はい大丈夫です」

「そうか」


しばらくしてから寝息が聞こえてきた。


「質問ばっかで悪りけどどういう関係や?」

「知り合い?です」

「そうか」


「なぁ、嬢ちゃんよ」

「本当の事ば言ってみや」


「ほ、本当の事…?」


薄墨さんは真っ直ぐ、前を見つめながら言った。

その言葉はとても圧というか、凄みがあった。


私が黙っていると薄墨さんは口を開いた。


「言いたなかったら良いんやけどなぁ」

「この時期に来るんはもう、あれすか無ぇ」

「何があるか知ってるんですか!」


私は身を乗り出し薄墨さんに迫った。


「おめ、危ねから下がっときぃや」

「あ、すいません…」

「何があるか知りたいんやったら、おめが先に話ぃや」

「話はそっがらや」


話すのを躊躇いながら窓に流れる景色を眺めた。

空は朱色に染まっていた。

昨日も同じ色をした空を目にしている。

代わり映えが無いと言えばそこまでだけど、なんと言うか違和感を感じる。

その違和感が何なのかは全く検討もつかないけど。


「実は…夢で私の…」

「大切な人が桜の向こうに行くって言って」

「消えていくのを見て…」

「それで、起きたら本当に居なくなってて…」


「それで…夢で見た桜を探しているんです」


薄墨さんは黙ったまま、前を見つめていた。


「……」

「そうか」

「向こうば着いてから話す」


私はお預けをくらい、少し面食らった。

どんな事なのか凄い気になる。

それほどに今、重要な何かが起きているのだろうか。

考えれば考えるほど、謎が深まるばかりだった。


考えていると何だか眠たくなってきた。

私は窓の外を眺めながらも段々と目を閉じていった。


「もう来てたんか、………」


薄墨さんが何か言っていたけど睡魔には勝てず、眠りについてしまった。



──花びらが無くなり枝だけになってしまった桜は枯れ始めている様に見えた。

向こう側へと消えてしまった彼女。

それを追うように私は足を動かす。


「今から…見つけに行くからね…」


桜の木の根元を足で踏み、幹に手を置く。

彼女がやっていた様に私も真似をする。


でも何も起こらなかった。

彼女はこうして奥へと消えていったのに、私がやっても駄目だった。


「見つけなくちゃいけないのに…」

「なんで、どうして…」


ふと振り向くと丘の下に祠の様なものが佇んでいた。

今まで気が付かなかった。

私は祠の前まで足を運ぶ。


祠に書かれている文字を目にした。



枝垂れしだれし彼岸よ


此の…珠…華と共に……木花咲……命よ


……………


白い霧のような、モヤモヤとした物がかかっていて読めなかった。


「何か書いてある…?」


「…よく読めない…」


祠の屋根にはおびただしい数の桜の花びらが降り注ぎ続けていた。


「わっ…花びらが…」


そして祠の足元には彼岸花が一本、生えていた。


「彼岸花だっけ…何でこんな所に…」


突如、祠が紅く、強く輝き出した。

その光は辺り一面に広がっていき、あっという間に光に呑み込まれてしまった。

まるで深い海に落ち続けているような、溺れて息が出来なくなるような、そんな感覚に陥った。


やがて光は徐々に小さくなっていき、収まろうとしている。

私は足元を見て言葉を失った。

いつの間にか尋常ではない数の彼岸花が埋めつくしていた。

見渡す限り、辺り一面に彼岸花が咲いていた。


「花が…」


風に吹かれ沢山の彼岸花が靡いている。


突然、地面が激しく揺れ動いた。

大地は轟音と激しい揺れに包まれている。

私は咄嗟に身を屈め、揺れが収まるのを待った。

しかし美しい景色と静寂を打ち破ろうとするかのように揺れ続けていた。


足元がふらつく中、バランスを保とうと祠に手を置き、自分が倒れないようにしていた。



目を覚ますと一番最初に目に入った光景は見知らぬ天井だった。

私は見知らぬ部屋で一人、寝ていたようだった。

外からは鈴虫の鳴き声が聴こえている。


私は体を起こし部屋を見渡した。

部屋には布団と机、それと本棚以外何も無かった。


「どこ…ここ」


畳の匂いが私に落ち着けと言っているように漂っていた。


私は襖を開け、薄暗い廊下を歩いた。

廊下からは立派な中庭が見えた。

真ん中に大きな木が生えていて、その下には大きな池があった。


私は何気なく縁側に出てみた。


ふと見上げると青い空に飛行機雲が線を書いて飛んでいた。

夏を思い出させるかの様な、そんな雰囲気だった。


「なんや、起きとったんか」


後ろから訛りが混じった声が聞こえた。


「あ、おはようございます、薄墨さん」


頭にタオルを巻いた薄墨さんが立っていた。


「おめ体は大丈夫なんか」

「…?大丈夫ですよ」

「そうか」

「んならええ」


薄墨さんは手招きをし、歩き始めた。

私は後を追うようにゆっくりと歩いた。

着いて行った先は居間だった。


「そこ座りぃや」

「あ、失礼します…」


座布団を用意されそこに腰を下ろした。

テレビからはニュースキャスターが喋っている声が聞こえる。


「おめ昨日はよく眠れたか」

「お陰様で…」

「そうか」

「おめの連れが心配しとったぞ」

「月下さんですか?」

「そうや」


「あ、そういえば月下さんはどこに居るんですか?」

「おめの連れは今、この辺をうろちょろしとる」

「そうですか…」


薄墨さんは机の真ん中に置いてあるお菓子を手に取り食べ始めた。

無言で私に差し出して来たので私も頂くことにした。


「あの…私、何かあったんですか?」

「覚えてねぇんか」

「はい…」

「そうか、ほんじゃあ説明せんとなぁ」


薄墨さんはお饅頭を机に置き、神妙な顔付きで話し始めた。


「おめ達が車ん中で、寝たあとによぉ」

「起こったんじゃ」

「事が…」


薄墨さんはお饅頭をまた一口と口に入れた。

そしてお茶を飲み再開した。


「事、言うのはな、ワシんとこじゃ…祟り言うてな」

「おめの腕が固まったんじゃ」

「固まる…?」

「そうや」


居間から見える庭には雀が数匹飛んでいた。

風が吹き、干してある服が靡いていた。


「言やぁ、石んみたくなるもんや」

「石…」


薄墨さんは私の目をじっと見つめ口を開いた。

その目はまるで全てを見透かされているかの様だった。


「流転って言葉、知っとるか」


静かな物言いで聞いてきた。

私は思いついた事を直ぐに言ってみた。


「生まれ変わる…みたいな感じですか?」

「簡単に言やぁそうだけんども」

「もっと言うとな、何が起こっても世は、万物は移り変わる」

「そういう事なんやけどな」

「そん流転が千年に一度止まる日があるっちゅうこっちゃ」

「止まる…?」

「止まったらどうなるんですか…?」


私は少し乗り出し聞いてみた。

全く想像がつかない答えが返ってくるとは思いもしなかった。


「流転が止まるっちゅう事ば万物の流れが止み…」

「こん先の事ば消えて無くなる」

「つまりは痣んなる事や」

「…痣って何ですか?」

「そうか、そっちゃぁ痣言わんか」


「痣は…死ぬっちゅう事や」


空気が変わったのが直ぐに分かった。


「死ぬ…」

「そんでおめは流転から外されそうになっちょった訳や」

「つまりは痣んなる手前やった訳やな」

「……」


私は言葉が出なかった。

考えただけでゾッとする。

死ぬ一歩手前…本当に恐ろしい。


「何で私が…」

「それはワシらにも分からん」

「もしかしたら…また固まるかもしれん」

「気張っとけや」

「………」


やっと彼女を見つけたばかりなのに…まだ死にたくなんて無い。

私の暗い気持ちとは裏腹に、空は鬱陶しいくらいに青に染まっていた。

雲一つとして無い空。

どこかで見た事があるような空だった。


「ごめんくださーい」


玄関から男の人の声がした。

若々しく、爽やかな声だった。


「やっと来よったか」

「おう、おめも来い」

「あ、はい」


私は言われるがままに着いて行った。

玄関に行くとふわっと桜の匂いがした。

あの独特な、春…というようなそんな匂いだった。


「こんにちは薄墨さん」

「と…君が葵井君だね」

「あ、そうです…」

「初めまして、私こういう者です」


そう言った爽やかな春みたいな男の人の手には名刺があった。

名刺にはこう書いてあった。


桜守神社 神主


志田連 春太しだれはるた


「神主さん何ですか?」

「そうですよ」

「でもすっごい若そうな…」


本当に見た目が若く、二十歳と言われても全く違和感が無い。

あと袴が凄く似合ってない。

若々しい見た目だからなのかな…


「こう見えて私、四十なんです」

「……四十!?」

「え、若っ!やば!」


あまりの驚きに声が出てしまった。


「長話してっといいんか」

「あ、そうでした」

「葵井君さっそくだけど桜守神社に来て下さい」

「要件は着いてから話します」

「…分かりました」

「薄墨さんは予定通り位置についていて下さい」

「分かっとる」


展開の速さにぼーっとしてしまう。

私は言われるがままに後をついて行った。

黒い車に乗り込み薄墨さんの家を後にした。


そういえばどんな所かまだ知らなかったから景色を眺める事にした。

窓からはのどかな風景が走っている様に見えた。


「のどかな所ですね」

「よく言われますよ」


さっきから人の気配が全くと言っていいほどに無い。

いくらのどかな所だとしても流石に一人くらいは見かけるものだと思う。


「もうすぐ着きますよ」


すぐにそれらしき建物が見えてきた。

私は車から降りて足を踏み入れた。

鳥居をくぐるその瞬間、何とも言えない気分が私を襲いかかって来た。


「こっちです」

「この中へ」

「え、ここ入っていい所なんですか?」

「大丈夫です」

「さぁ早く」


私は拝殿に恐る恐る入り込んだ。

中は気の落ち着く匂いが漂っている。


「奥へと進んで下さい」


そして私は本殿まで来てしまった。

本当に入っていい所なのかな…


「ではこれを」

「何ですかこれ…」

「ただの布ですよ」

「これを巻いて目を隠してください」


私は少し怪訝に思いながらも目を覆い隠した。


「見えますか?」

「いや、真っ暗です…」

「なら良かった」


私の後ろから何かを広げる音が聞こえた。


「では行ってらっしゃいませ」

「どこに?」


次の瞬間、体が宙に浮いた気がした。

しばらくすると周りからざわざわと木々が風に吹かれて揺れている音が聞こえてきた。


「もう取っていいよね」


私は目隠しを取り辺りを見渡した。

そして私はそのまま地面に座り込んでしまった。


同じなのだ。

いつも見ていた夢の景色だと私はすぐに分かった。


規則的に生えている木々

雲一つない快晴の空

そして目の前にある祠


私は祠に書かれてある文字を目にした。



──枝垂れし彼岸よ


此の曼珠沙華と共に木花咲耶姫命よ


流れを流れさせ給え──



「読める…」

「夢じゃ読めなかったのに…」


しかし意味は分からなかった。

というかさっきから頭が追いつかない。

私は深く息を吸い込み、自分を落ち着かせる。

そして僅かな喜びという感情が風と共にやってくる。


「この先に行けばまた逢えるのかな…」


ただもう一度だけでいい、また貴方に逢いたい。

また貴方に触れていたい。


私は足を動かし丘の先を目指す。

草を踏む音が聞こえる。

太陽が私を照らす。


──見えた桜だ。


私はすぐそばまで行き立ち止まった。


「桜…こんなに大きかったんだ…」

「やっと見つけた…」


私は桜の花びらを掴むように手を伸ばす。


「ねぇ…今どこにいるの…」

「また逢いたいな…」


桜を見つければ逢えると思っていたけどそんな事は無かった。

容赦なく私の想いが悉く消え去って行く。

悲しみと言う感情が風と共にやってくる。

今、目が乾くほど息が詰まるほど焦がれている。


変わり映えのしない毎日が、私が望んでいた以上の毎日になったと言うのにそれも潰えてしまった。


吐き気がするくらい真っ白な貴方に触れていたい。

美しいくらい真っ白な貴方に溺れていたい。


桜の向こうに人影が見えた。

私はいざなわれるように歩き出した。


あの日から全てが変わっていった。

夏の終わり、あの日に貴方と出逢ってから変わっていった。


「変わらないね」なんて後悔を一つ連れて、泣きそうになりながらも私は手を伸ばす。


「そっちに行くよ…沙耶華…」

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