第4話 幼少期

 壮年の男はしゃがみ込み目の前の小さな女の子と同じ目線になって優しく語りかける。


「いいかい、エルシュ。詠唱というものは言葉となった粒子に力を宿し魔力を発動させることだ。無詠唱でも意識下の中で言葉をイメージすればそれは起こる、だからこそ無詠唱でも魔力発動はできる。

 だが、言葉を声で発することによってより一層それは認識され、それが大きければ大きいほどに魔力を最大限に発揮できるのだ。その現象の美しさを理解できるかできないかでその魔力を使いこなせるか否かが決まる」


 小さな小さな女の子は可愛らしい顔で首を傾け、男は優しく微笑んだ。


「まだ難しいかもしれないが、君ならきっとすぐに理解できるだろう。その日が楽しみだ」



 エルシュは身寄りがない。生後間もない頃に孤児院に預けられたが膨大な魔力量があることが発覚し、その頃すでに魔法省筆頭魔導師であったジャノスに引き取られた。


 ジャノスは生まれつき魔力量が多い子供に魔法を教えるいわば英才教育のようなものをしており、ジャノスに目をかけられることは孤児院の子供たちにとって憧れそのもの。しかも直々に引き取られることになったエルシュには羨望の眼差しが向けられた。


 エルシュは魔力量が多いだけではなく飲み込みも早く、若干5歳にしてほぼ全ての基礎魔法を習得し無詠唱するようになる。その異例の速さは大人の魔導師達を震え上がらせ危惧する者も多かったが、ジャノスが側にいるということがある種の免罪符のようにもなっていた。



「お師さま、私もお師さまみたいに詠唱魔法と無詠唱魔法を同時に操れるようになりたい」


 ニコニコと可愛らしい笑顔でジャノスにいうエルシュ、7歳。その言葉を聞いてジャノスはそろそろか…とエルシュに向き合う。


「前に詠唱についてお話ししたことがあるだろう。あの意味はわかったのかい?」


「ん〜何となく。言葉にして声で発することで粒子自体が魔法そのものになる。魔法陣を発動できるのもその原理だし、魔法陣は魔法陣でその形を意識することで発動できる。意識する、ということが一つのキーワード、みたいなことなのかな。」


「そうだ。意識するだけなら声に発せずとも脳内で行うことができる、それが無詠唱だ。だが、言葉を声にしてまた自分の意識へ強く刻むことでその力をより強く発揮できる。」


「バフみたいなもの?」


 う〜んと首を傾げながら聞くエルシュに、やや違うが絶対に違うとも言い切れないしそう認識することで発動しやすくなるのならそれでも構わないのだ、とジャノスは告げる。


「意識するだけの魔法と声に出してより意識を強める魔法、両方同時にできることが詠唱魔法と無詠唱魔法を同時に操れるということだ」


 試しにやってみなさい、と優しく促す。


「そうだな、目の前に水の塊を出す魔法とそよ風を出す魔法を同時に出してみるんだ。どちらを詠唱にするかはエルシュのやりやすい方で構わない」


 両方を同時に行うということは二つの魔法を一度で行うということ。それは通常の人間であれば不可能に近く、だからこそほとんどの魔導師や簡単な魔法を使える騎士は詠唱魔法と無詠唱魔法を同時に使うなどという発想すらなく、無詠唱魔法のみを使っていた。


 エルシュはキリッとした顔で両手を目の前に出す。


 エルシュの周りに水の魔法陣が浮かび上がる。と、少し遅れてエルシュの詠唱が始まった。


「風の精霊達よ、その微笑みを我が元に。グイーンスリール」


 水の塊が目の前にあわられると同時に、風の魔法陣が浮かび上がりそよ風が起こった。

 ジャノスは一瞬目を見開いたがその目はすぐに細められエルシュを見つめている。


「お師さま、どう?」


 褒めてもらえると思って目を輝かせるエルシュ。


「お前はどう思う?」


 質問に質問で返されたエルシュは一瞬不機嫌そうな顔をしたが、すぐにいつもの可愛らしい表情になる。


「水の魔法はすぐにできたけど風の魔法はすごく集中力が必要。」

「そうだ。同時に行うということは必ずどちらかに意識が大きく傾くことになる。下手をすれば2つの魔法力はどちらも半減してしまうだろう」


「でも、そのど両方をきちんと意識することができればどちらも大きな力を発動できるってことでしょう!」


 ワクワクした瞳でジャノスを見つめるエルシュはまるで新しい遊びを見つけた無邪気な子供のようだ。

 嬉しそうなエルシュの頭をよしよしと撫でてやると、エルシュはとびっきりの笑顔になった。



 本当に底知れない子供だ、とジャノスは思う。


 どんなに魔力量が多くてもその力を使いこなせない子供ばかりだし、それは当然のことだと思う。成長に合わせて少しずつ使いこなせていけばいい、それを教え導いていくのが自分の役目だとも思っていた。


 だが、この子は違う。誰よりもその原理を子供のうちから理解し、自分の力で確かめようとする。そして次々とこなして行ってしまうのだ。それを苦痛とも思わず嫌がることもなく、ただ楽しい遊びの延長みたいに。


 この子はもしかするといずれ自分の目指す未来のための頼れる右腕となりうるかも知れない。もしくは、その反対にもなりうる存在か…。

 まだ見ぬ未来を思ってジャノスは窓の外の空をじっと眺めた。




                


「どうしてお師さまは私を連れて行ってはくれなかったのかしら」

 謁見の間を出てから城内を歩いていたエルシュは、懐かしい過去を思い出しながら差し込む日の光に引き寄せられるように空を仰いでそう呟いた。



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