09 人間って、温かいんだな

 身体が重い。

 重いというか、何かが乗っているというような……動けない……?


 目を開けると、目の前に銀色が見えた。

「エーリック……?」

 なんでこんなすぐ側に……って、あれ?

(もしかして……抱え込まれてる!?)

 なぜか私は、寝ているエーリックに抱きしめられているようだった。

(ええ、なんで!?)

 わけが分からずモゾモゾしていると、目の前の長いまつ毛が震えてオパール色の瞳が見えた。


「……おはよう」

「おはよう……って、あの、これは」

「んー?」

 まだ寝ぼけているのか、エーリックはうなると私をさらにぎゅっと抱きしめた。

「あったかい……」

「ちょっと」

 何してるの!?

「エーリック……何して……」

「――寒かったから」

 エーリックの顔が私の頭をスリスリしているような感触がする。

 寒かったからって、私は湯たんぽなの!?

「苦しいってば」

 もがいていると、ようやく腕が緩んだ。


「ふう……」

 朝から疲れた。

 腕から抜け出して身体を起こすと、ぐいと腕を引かれた。

「もう少し」

 同じように上体を起こして座ったエーリックの、膝の上に座るような感じで再び抱きしめられた。

「ちょっと……」

「人間って、温かいんだな」

 耳元でエーリックがポツリとつぶやいた。


(あ……)

 そうか、彼はずっと周囲から迫害され続けて。

 百年以上、人間ですらなくなって、ずっと山の中で、独りきりで。

(……人恋しいよね)

 そう思うと拒否するのも悪い気がして。

 エーリックの気の済むまで私は大人しく抱きしめられていた。



「今日も盛況ね」

 入れたばかりの温泉に魔物たちが我先にと入っていくのを見て私は伸びをした。

 口コミで広がるのか、日替わりで色々な魔物がやってくる。さまざまな種類の魔物が仲良く温泉に入っている景色は平和でいい。


 この数日間観察しているうちに分かったことがある。

 怪我をしている魔物が温泉に触れると、その患部が光るのだ。

 エーリックが言うには、源泉には特に回復効果はないらしく、傷が癒えるのは私の魔法によるものらしい。

 ただし、私が直接魔物に回復魔法をかけても効果がない。魔法をかけた温泉に入らないと効かないのだ。

 だからこの源泉にも何か効能があるんだろうけれど、エーリックには分からないそうだ。

 それに怪我をしていない魔物も来るし、傷が治ったあとも温泉からすぐには出ない魔物も多い。

 彼らの表情を見ているととても気持ちが良さそうなので、温泉の良さは種族関係なく分かるようだ。


(エーリック……今朝は何かおかしかったな)

 ぼんやりとしながら思い出す。

 起きたあとも、やたらと私に触れてきた。

「これ見てお母さんのこと、思い出しちゃったのかな」

 胸元のネックレスを見ながらそう思った。



「ヒナノ」

 夕方になり、お湯を抜いて帰ろうとするとエーリックが現れた。

 今日は町に行くと言っていたから、黒いフード付きマントを羽織っている。

「終わったのか」

「うん、帰るとこ」

「そうか」

 エーリックは手を差し出してきた。

「え?」

 意図が分からなくて首をかしげると、エーリックは私の手を握りしめた。

「帰るぞ」

「あ、うん……」

 手を握ったままエーリックは歩き出した。


「どこに行くの?」

 エーリックが向かうのは洞窟とは違う方向だ。

「新しい家だ」

「家?」

「ここだ」

 木々の間を抜けた先に見えたものに、目を見張った。


「え!? どうしたのこれ!」

 そこに建っていたのは確かに家だった。

 煙突のついた赤い屋根に、木製の壁にはちゃんとガラスの入った窓もある。

「俺が作った」

「作った!?」

「というのはうそだが。使っていない空き家を買って、魔法でここに移した」

「え」

 家って魔法で移せるものなの!?

「って家を買うって、そんなお金あったの?」

「この程度の家なら宝石一つで買える」

 家一個分の宝石!?

「小さいが、山の中だと大きな家は無理だからな。中に入るぞ」

 エーリックはドアを開けた。


「わあ……すごい!」

 中にはテーブルとイスが四つ。その奥にはキッチンがある。

 さらに暖炉とソファまであって、くつろげそうだ。

「鍋とお皿もある!」

 キッチンに駆け寄ってチェックする。

 おたまやスプーンといった小物も全部そろっていた。

「元の持ち主が残していったものだそうだ。足りないものがあれば用意する」

「とりあえずこれだけあれば十分そうよ」

 ええ、すごい、すごすぎる!

「ちゃんとトイレもあるぞ」

「トイレ!」

 本当に!?

 洞窟にはトイレがないのが唯一の不満だったのよ。


「奥にもう一つ部屋がある」

 エーリックがドアを開いた。

 そこには戸棚と机、そして大きなベッドが一つ置いてあった。……ベッドは一つ?

「これだけ大きけれは二人で寝ても問題ないな」

 耳元でエーリックの声が聞こえた。

「……二人で寝るの?」

 同じベッドで?

「おかしいか」

 振り向くと、エーリックが不思議そうな顔で見ていた。

「おかしい……でしょ」

「番なんだからおかしくないだろう」

「つがい?」


「ああ。あんたは俺の番だ」

 そう言うと、エーリックは私の頬にキスをした。


  *****


 新しい家は快適だった。

 古いけれど手入れはちゃんとされていて、作りもしっかりしていて、とても山の中とは思えない生活が送れている。

 ただ一つ、問題があるとすれば。

 朝、目覚めるとエーリックの抱き枕にされているのだ。

 彼が言うには、毎晩私が寝たあとすぐに抱きしめているらしい。

「もう少し起きていてくれれば色々できるのに」と言うので、意地でもすぐ寝ようと思っている。……エーリックのことは好きだけれど、まだそういうことをするのは早いと思う。


 エーリックは、口調はぶっきらぼうだけど優しいし、一緒にいて変に気を遣ったりすることもなく、二人暮らしは楽しい。

 恋なのかは分からないけど、このままエーリックと家族になるのはありかなと思う。

 そういうのが「番」なのかと思ったけれど、エーリックによると番というのは「本能で求める相手」らしい。

 一目ぼれとは違うのかと聞いたら、もっと強い感情なのだそうだ。

 衝動的で、色々な欲を抱くとか。……そんなものを抱かれていたなんて、全然気づかなかったけど。


「本能ねえ。運命の相手みたいなものかな」

 あれほどのイケメンの相手が自分でいいのか謎だけど。

「しかし人生、何があるか分からないねえ」

 温泉に入る魔物たちを見守りながら、膝の上でうとうとしているウサギの背中をなでながら話しかけた。

「突然異世界に召喚されて、山で遭難して。魔法が使えるようになったら半分魔物? のイケメンの番になるなんて」

 少し前までは平凡な、普通の大学生だったはずなのに。

「……エーリックは魔法がちょっと使えるだけの私の、何を求めるんだろうね」

「何って、全部だろ」

 突然背後から声が聞こえて飛び上がってしまった。


「急に現れないでよ!」

「ヒナノが気がつかなかっただけだろ」

 そう言って、エーリックは私の目の前に来ると顔をのぞき込んできた。

「何を求めてるか、教えてやろうか」

「……いい! 大丈夫!」

「何が大丈夫なんだ?」

 にっと笑みを浮かべたエーリックの顔が、息がかかるくらいに近づく。

「多分分かったから! 間に合ってるから!」

「何がどう分かったんだ、教えろ」

「……そういうのセクハラ!」

「セクハラ?」

「そう、セクハラ禁止!」

「何が禁止なのか分からないが」

 エーリックの手が頬に触れた。

「だからそういう……」


「!」

 不意にエーリックの手に力が入ると私を抱き寄せた。

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