06 付き合ってやるよ

「わあっ」

 何!?

 まぶしくて目を閉じて――ようやく光が落ち着いて、目を開いて。

 私は息をのんだ。


「え……?」

 そこにいたのは人間だった。

 背中にかかるくらい長い銀髪の、後ろ姿だけど体つきからして男性だろう。

 彼は自分の手を見て、それから身体を見回して……こちらに振り返った。

「……おい、これは」


「キャア!」

 思わず叫んでしまった。

「おい」

「見えてる! 裸!」

 温泉は一番深くても私の太ももくらいで。

 裸でこちらを向いたら、大事なところも丸見えだ。


「あ」

「しゃがんでよう!」

 叫ぶと彼は慌てて座り込んだ。

「……びっくりした……」

 見ちゃったよ! 子供の頃にお父さんと一緒にお風呂入った時以来だよ!


「びっくりしたのはこっちだ。これは一体、何なんだ」

 人間の言葉で彼は言った。

「何って……だから温泉よ」

 改めて、湯船の中の彼を見た。

 二十代前半くらいだろうか。不思議な虹色の目の、かなりのイケメン君だ。

 ……魔物ではなさそうだけれど、もしかしなくても、この人さっきの……。

「雪男?」

「何だその雪男とは」

「さっきの黒い毛むくじゃらの……」


「――あれは呪いだ」

「呪い?」

「呪われてあの姿にさせられた」

 ふう、と男性はため息をついた。

「……じゃああなた、人間なの?」

「さあ」

「さあって」

「母親は人間だが、父親は魔物じゃないかと言われていた」

 そう言うと、男性は不思議そうに手のひらでお湯をすくった。

「百年だ。全く解けなかった呪いがこんな湯で消えるとは」


「百年!?」

 百年も雪男だったの!?

「……雪男さんは、百年もこの山にいたの?」

「エーリックだ」

「え?」

「名前。雪男じゃない。あんたは」

「私はヒナノ」

「あんた、どう見ても人間だろう。なぜこんな所にいる。それにこの湯は何だ、こんな魔法見たことがない」

「あ、ええと……」


 長くなるけど、と前置きをして私はこれまでのことを説明した。

 途中、のぼせると言って温泉から出ようとしたのでまた悲鳴を上げると、エーリックはどこからか服を取り出し身につけた。

「……あなた、魔術師なの?」

 何もないところから服を取り出すなんて、きっと魔法なのだろう。

「ああ」

 私の話が終わると、今度は彼が身の上を語った。



 エーリックは珍しい色彩と尋常ではない魔力の多さから、幼い頃から『魔物の子』とうわさされていた。

 父親のことは誰も知らず、母親も何も言わないまま亡くなってしまったので、エーリック自身その真偽を確かめることは出来なかった。

 母親の死後、国を出て何年も放浪し、ある大魔術師の弟子となったが、そんなうわさと彼の能力に嫉妬した兄弟子たちに呪いをかけられ、あの黒もじゃに変えられてしまったのだ。

 そうして約百年。人目を避けながら呪いを解く方法を探してさまよっていたらしい。


「大変だったのねえ」

「あんたもだろ」

 エーリックはふん、と鼻を鳴らした。

「全く、人間は自分勝手だ。魔物のほうがよほど物分かりがいい」

「人間だって、いい人も多いよ?」

「呑気だな、無理矢理別の世界から連れてこられたのに」

「まあ、それはお偉いさんのしたことだから。街の人や食堂の人たちは優しいよ」

 私が討伐に参加すると聞いて、皆とても心配してくれた。

 腰の包丁も、くれぐれも気をつけてと一番軽くて切れ味がいいものをくれたのだ。


「しかし、異世界人か。だからあんたの魔法が効果あったのか?」

「どうして?」

「異世界人の力はこの世界の魔法とは少し違うと聞いたことがある。だから聖女を召喚したんだろ」

「なるほど……」

「あんたは聖女じゃないのか?」

「え、違うよ。杖だって反応しなかったし、リンちゃんが聖女だもん」

「ふうん」

「でも聖女じゃなくて良かったー。魔物退治しなくていいもん」

 私の側から離れようとしない、すっかり懐いてしまったウサギをなでる。

 こんな可愛くていい子たちを討伐なんて無理だもの。


「あんたって、変わってるな」

「そう?」

「魔物に懐かれるし、俺のことも気味悪がない」

「え、なんで気味が悪いの?」

 イケメンなのに。

「……この髪と目の色」

「かっこいいじゃん」

 ゲームキャラみたいだよね。私は地味な黒髪黒目だから憧れるわ。


「……ほんと変わってる奴だな」

「照れてるの?」

 じろ、とにらまれたけど。口元がピクリとしたから照れてるんだね。

「――あんた、これからどうするんだ」

「え?」

「遭難してここに来たんだろ」

「あ……そうなの。ここがどこか分からなくて」

「ここはかなりの山奥だ。いくら騎士や魔術師でもここまでは来られないだろう」

 え、なんで私そんなところまで入り込んじゃったんだろう。


「……じゃあ山から出られないの?」

「出るのは簡単だ」

「え?」

「俺は魔術師だからな。呪いが解けたおかげで魔法も使える」

 エーリックが手のひらを上に向けると、そこに小さな火の玉が現れた。

「俺は治癒系以外なら大体の魔法が使える。空を飛ぶこともできるし、あんたを山の外に飛ばすこともできる。山を降りるのは簡単だ」


「空を飛べるの!?」

 え、すごい!

「そうしたら私、帰れるの?」

「ああ」

「じゃあ……」

「キュイ! キュイ!」

 突然ウサギが鳴き出した。

 見ると耳を震わせ、私を見上げながらキュイキュイと訴えている。


「……もしかして、帰って欲しくないの?」

「キュイ!」

「私も離れたくなーい」

「魔物は連れていかれないぞ」

 ウサギを抱きしめてすりすりしていると、あきれたようなエーリックの声が聞こえた。

「分かってるわよ。……もう少し、ここにいようかな」

「ここにいる?」

「明日もまた温泉に入りたい魔物が来るかもしれないし。それに、討伐隊の人たちが探してくれているかもしれないし」

 行き違いになったら悪いから。それとももう、とっくに諦めて帰っちゃったかな。


 ふう、と小さなため息が聞こえた。

「付き合ってやるよ」

「え?」

「魔物の中には凶暴なのもいる。呪いを解いてくれたお礼だ、山にいる間、護衛をしてやる」

「本当!?」

「俺も別に、行くあてがないしな」

「ありがとう! やっぱり雪男だ!」

「何だそれは」

「雪男はご飯あげるとお礼に手助けしてくれるの」

 ご飯はあげてないけど。


「……まあいい」

 あきれた顔をしてるけど、いい人なんだろうな。

 その日はエーリックが火を起こしてくれたので、近くの川で魚を獲ってきて焼いた。

 包丁と一緒に腰に下げていたポーチに入っていた塩を振りかけただけの素朴な焼き魚だったけれど温かな、そして誰かと食べる料理はとても美味しかった。

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