33 秘密の依頼 ④

 カミーユは香料を受け止めたカップを、手前にいたトールに渡した。そのカップは手から手へ、トーステン辺境伯へと渡る。


「どうぞ皆さん嗅いでみてください。ツンとくるリモーナと違って、フレッシュでありながら甘味を感じるのがベルガモータです。ローザやジャスミナ、それからラヴァンダといった花々に含まれる成分と同じものが含まれているので、フローラルで華やかにも感じます。ローザの香りに慣れたこの国の人にも受け入れやすいと思います」


 カミーユの説明を、メモに取る者もいる。

 カップが一周して戻ると、カミーユが自分の鞄から特注のピペットを取り出した。


「これをまず蒸留酒に溶かして薄めます」

「蒸留酒で? なぜだい?」

「このままではと強すぎます。なので薄めて使いやすいように、それから身体にも害のないように。特に食品は注意をしないと。口にしない方がいい香料もあるので、すべてが食品に使えるわけではないですし」


 辺境伯の質問に答えれば、次にクリストフが口を開いた。


「どのぐらいに薄めるのかな? 薄めるということは少しの香料で十分ということだよね?」


 クリストフは今後の生産のために、どれだけ必要かを知りたいのだろう。

 

「そうですね……。今日はまず濃度を一パーセントぐらいに薄めたフレーバー食品香料にして、それで試していただこうかと」

「えっ! たったそれだけ?」


 ジャスミナ茶の生産に、どれだけの花が必要かを知るクリストフは目を丸くしたが、その後のカミーユの返答にはポカンと口を開けた。


「いえ、実際に口にする時には、それよりはるかに少なくなります」

「まさか……」


 カミーユはピペットを蒸留酒でさっと洗うと、香料を酒と混ぜ合わせた。


「ええと、どうするのかを見ていただいたほうが早いかもしれません」


 紅茶の茶葉を少し皿にだし、その側に薄めたフレーバーを構えた。


「さあ水よ、霧となり茶葉を覆え。『ミスト』」


 魔力が霧となるようにイメージすれば、合わせるようにフレーバーが細かな水蒸気となった。そのまま茶葉に降りかかる。


「こんな感じで、茶葉に香料を振りかけるんです。何度も試して、口に入れても安全で、美味しく感じる割合を探ります。······カフェーも基本のやり方は一緒です」


 カミーユはトールやプリムローズを見て、付け加えた。


「なるほどなあ」

「カミーユ、将来、それは他の調香術師にもできるものだろうか」


 クリストフが尋ねた。


「うーん……。そこがちょっと不明なところで」


 カミーユは首を大きく傾げた。身体まで斜めになっている。


「技術としては、できないことはありません。調香術師でなくても、手間もかかりますし、品質を保つのが難しいですが、ベルガモータの香料自体は調香術がなくてもできます」


 カミーユがそこでフィンに視線を投げると、フィンが頷いた。


「調香術のない他国では、別の方法が使われるのが普通です。この国とその周辺は、調香術頼りですが」

「ベルガモータの場合は果皮にオイルが含まれるので、圧搾すればいいんです。あとは香料を食品に、むら無くかける方法があれば。水属性のある人なら、私がやったようにできますよね? それにもともとは教会にある奉納香の魔術道具をイメージしましたから、あれを改良すれば誰にでもできるでしょう」

「そうか! あれか」


 辺境伯が膝を打った。


「ただですねえ、調香術師が香水の調香をするのとは考え方から違うので、そこが一番難しいかと」


 前世ではフレグランスを作るパヒューマーと、食品に香りを付けるフレーバリストでしっかりと別れていた。

 調香は香りの素材を組み合わせて、テーマやコンセプト、ターゲットに合わせた新しい香りをうみだすが、食品の香り付けは違う。

 美味しく感じる香り、食欲が湧く香りなど、美味しさと安全性を追求しないとならない。

 賦香率も全く違うし、何より女神に捧げる、より遠くまで届く香りを目指してきたこの国の調香術師には無理だと思うのだ。

 香りは美味しさを添えるものであって、勝ってはいけないのだから。


 そんなことを伝えれば、皆がため息をついた。


「なるほどなあ」

「言われて見れば納得ですね。かえって調香術師が作業しないほうがいいのか……?」


 辺境伯とクリストフが言えば、トールも合点がいったというように大きく頷いた。


「王都で、他の調香術師には難しいと言っていたのは、そういうこともあるんですか」

「カミーユは優秀だと思っていたけれど、本当に特別なんだねえ」


 プリムローズが感心したというように首を振っている。

 

「……美味しいは大事ですからね! ここの紅茶はそのままで香り豊かで美味しいですけど、渋くて香りがないなら美味しくすればいいかなって」 

「この仕事には、食いしん坊なのが大事そうだね」

「違いますよ! 鼻です」


 テオドールがからかえば、カミーユが真面目に答えた。


「ええと、茶葉の方はすぐには出せませんので、今日は別の方法で試していただきます」


 カミーユがそう言うと、新しい紅茶のカップが配られた。


「フレーバーを小皿に配りますので、ティースプーンの先に付けて、紅茶に混ぜてみてください。何回か加えたい場合は、スプーンを替えて」


 執事が小皿を配る間、カミーユも自分の紅茶に混ぜてみた。

 紅茶の熱と香りと合わさって、ふわりと丸くなった香りが立ち上がる。その香りにカミーユはニヤリとした。懐かしい香り。アールグレイだ。


「おお! こんなに少しなのに、確かに香るな」

「ええ、驚きました! 生産が待ち遠しい」

「苦みも感じないですね」

「おいしいな」

「これはすごい。この方法で、ジャスミナ茶やローザ茶ができるとしたら⁉」

「大騒ぎになるねえ。ギルドや流通の体制を整えないと」


 周囲の言葉を遠くに効きながら、カミーユはぼんやりとしている。


「カミーユ? どうしたんだい?」

「えっ? ああ、茶葉を細かくして、クッキーやケーキに入れようかなって」


 少しずれたカミーユの感想に、辺境伯がくすりと笑みをこぼし、執事に言いつけた。


「おや、すまなかったね。……何か、菓子を」

 



 

 お茶請けにと出されたケーキから、カミーユは目が離せなかった。


「ケーキ……」


 素朴なパウンドケーキではなく、飾り付けられたスポンジケーキだ。

 スポンジの間に赤いジャムとクリームが挟んである。上から粉砂糖が振られ、ストロウベッリーが飾られている。豪華だ。


「温室があって、季節より早くストロウベッリーが手に入るのだよ。カミーユはケーキが好きだと聞いてね」


 辺境伯がテオドールをチラリと見た。

 カミーユはケーキを見つめたまま、コクコクと頭を上下させた。

 

「贅沢なケーキです。クリームもたっぷり」


 材料費の関係で、ローザハウスでは出せなかったケーキだ。

 

「このエレガントなケーキには、紅茶が似合いますね」


 カミーユが久しぶりのケーキに集中している間に、周囲ではこの後の手配が話し合われていた。


「ベルガモータはすぐに追加を手配しよう」

「紅茶を確保しないとならないね」

「あ、ジャスミナ茶の時に思いましたが、場所がいります。茶葉を広げる」

「そうなのか。じゃあ、やはりうちのどこかか。秘匿もしやすいし」


 辺境伯とクリストフが話していると、テオドールが口を挟んだ。


「まず、カミーユにいろいろな産地の茶葉を少しずつ手配をしたほうがいいですよ」


 フィンとトールが続いた。


「そうですね。カフェーも最近までいろいろと試していたようでした」

「ええ、集めた覚えがあります」

「そういうものか」

「香料との相性もあるみたいで。恐らく最初に必要なのは上位のお方々にお分けするものだと思いますので、最高品質のものは必ず欲しいとカミーユに希望を出しておけば、その通りにしてくれると思いますよ」


 聞こえたカミーユが慌てて、口の中のケーキを飲み込んだ。


「大丈夫です。顧客に合わせていくつか作ります」

「そうか。それはありがたい。プリムローズ、手配を任せてもいいだろうか。秘匿し、気取られずに動いてくれるところがいい。なるべく他の貴族家と繋がっていないところがあるといいんだが」

「かしこまりました」

「パン爺のところはどうでしょう。カフェーだけじゃなく、茶葉もたくさんありました」

「パン爺? ん? パン屋、じゃないよねえ?」


 フィンが説明を挟んだ。


「チェルナム商会です。先代の商会長がカミーユを可愛がっているようで」

「へえ! あのやり手がね。さすがだねえ、カミーユ。でも、パン爺……?」

「名前の最後がパンです。ドヴィルジイゾニイスパン」

「……確かにそんな名前だった気がします」


 カミーユが頷いた。

 

「ドヴィルジイゾニイスパン。イスパンの息子ドヴィルジイという意味になる。息子はザカエルゾンドヴィルジイ。ドヴィルジイの息子ザカエルだ。君の言い方だと、ジイ爺になるな」

「ジイ爺! くくっ。息子はまだ三十になったばかりじゃないかね。……ああ、でもいいですね。チェルナム商会なら、まだ二代目で、この国のあちらこちらとは繋がっていません。先代からの評判もいい。なによりカミーユを可愛がっているなら、話を持っていきやすいでしょう」

 

 プリムローズの提案に、辺境伯は頷いた。

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