31 秘密の依頼 ②
商業ギルドから馬車に乗り、港から反対方向へと道を上った。進むにつれ下街の喧噪から遠ざかっていく。
辺境伯の邸はその道の突き当り、岩山を背に建っていた。
美しい装飾が施された黒いロートアイアンの柵が続いているが、一面につる薔薇が這っている。咲けば見事な花の壁となるだろう。
そして同じ黒い門扉の向こうに、広い庭と大きな邸宅が見えた。
遠目には、その壁に黒く模様が描かれているように見えるが、もしかすると、あれもつる薔薇かもしれない。
「……学院ぐらい大きい」
商業ギルドからここまで、カミーユの口数は少ない。緊張しているのが丸わかりだ。
毎日王城の裏を抜けて学院へ通っていたが、カミーユは王城に入ったことはない。貴族の館に入るのも初めてだ。
貴族に対しても、あまり良いイメージがない。少なくとも、学院で見た限りでは。
プリムローズがカミーユの肩をポンと叩いた。
「カミーユ、大丈夫。トーステン様は気さくな方だし。サウゼンドのクリストフ様も、昨日会った感じじゃあ、カミーユをいじめるようなことはないね。今日もクリストフ様が『カミーユに会いたい』というご希望でね」
「うぇっ⁉」
「だから今日はカミーユの面会で、私たちは付き添いってとこだね」
固まったカミーユに、テオドールも声をかけた。
「クリストフ様はヤスミーナ様から話を聞いて、カミーユに恩義を感じているからね」
「……それもまた、怖いですけど。期待値が上がっている感じで」
「大丈夫、大丈夫。ほら、門が開いた。中へ入るよ」
停まっていた馬車は、ゆっくりと動き出した。
どこもかしこもピカピカに掃除された廊下、ところどころに飾られた美しい胸像、ずらりと並ぶ先祖の絵、案内の執事についてそれらを通り過ぎ、扉を抜けると全く違う雰囲気の廊下に入った。
上の方に明かり取りの窓があるだけで薄暗いし、狭い。たぶん使用人が使う隠し通路というか抜け道のような気がするが、誰ともすれ違わない。
何回か曲がり、狭い階段を昇って降りたところで、執事が壁をコンと一つノックをした。
ギィと音をたてて、執事の前の壁に光の線が入った。扉だ。
壁が向こう側に開くと、そこはこじんまりとした、でも美しく、居心地よさそうに整えられた部屋だった。
通ったそこは、また動いて壁に戻る。
そこにいた二人の男が立ち上がった。
親子の様な年齢の二人だが、印象がまるで違う。
「やあ、ようこそ。すまないね、このように裏を通すような形で。ダニエル・トーステンだ」
辺境伯だと名乗った年かさの男は、栗色の短髪で、背が高くがっちりとした身体つき。衣装が違えば、街で見かける探索者や船乗りと同じ、身体が資本の職業に付いていると思うかもしれない。
威圧を感じてもおかしくない風貌なのに、その目はカミーユを見て、優しく微笑んでいる。
「裏通りになったのは、私のせいだね。私が来ているのは内緒だから」
クスクス笑っているのは、この地を訪れているというヤスミーナの兄だろう。
黒髪で、キリリとした眉。意思の強そうな目。ヤスミーナにそっくりだ。長めの髪を後ろで一つに結んでいる。
「クリストフ・サウゼンドだ」
相手が立ち上がったばかりか先に名乗られて、カミーユは慌てて膝を屈めた。
礼儀は学院に行く前に、ヤスミーナ直々にしっかりと習っている。
「カミーユ·ソーンヴァルです。お会いできて大変光栄······」
「ああ、本当に! こちらが光栄だよ、カミーユ! すっと会いたくてね」
挨拶の途中でクリストフがカミーユに近づき、手を取って立たせようとする。
カミーユはポカンと、クリストフを見上げた。
「ヤスミーナにカミーユと一緒に遊びにくるように言ったんだが、叶わなくてね。ああ、でも、やっと今日会えたよ。我が国の救世主、カミーユ!」
「キュウセイ……?」
「ああ、それを言うなら、うちの領にとってもだ。待ちに待った調香術師なのだから。さっそく奉納香も準備してくれたと聞いている。本当にありがたい」
「ヤスミーナがドラゴン便で連絡をくれてね。すぐに船に飛び乗ったんだ」
カミーユの手はクリストフに取られたままだ。
辺境伯と隣国の次期侯爵が熱を入れて語っているが、それを止められるはずもない。
ドラゴン便も気になる。
どうしていいかわからずに、カミーユはプリムローズにチラリと視線をやった。いじめられてはいないけど、いたたまれない。
プリムローズが苦笑して、二人に声をかけた。
「さあさあ、お二人とも、カミーユが困っていますよ。まず座りませんか?」
ソファに腰を落ち着けると、「いったいどこから見ていた?」と言いたくなるタイミングでまた壁が開き、執事がティーセットを運びこんだ。
どうやらカミーユ以外は、すでに皆、顔見知りのようだ。
テオドールたちは昨夜も会ったのだろうし、フィンもクリストフに肩を叩かれている。そういえば、同年代だろうか。
紅茶は香りよく、美味しかった。添えられたクッキーも。
カミーユが紅茶を飲み終えると、待ちかねたようにクリストフから声がかかった。
「それで、どうなのだろう。できそうだろうか」
クリストフも辺境伯も、前のめりだ。
「大丈夫だと思います」
「おおっ!」
「良かった! これでなんとか」
喜ぶ二人にカミーユは問いかけた。
「あの、具体的に、どのように進めることを考えられていますか? こちらで見本を作るとして、その後は? サウゼンドの調香術師の方にお願いされるんでしょうか? それとも私がサウゼンドに行くのでしょうか?」
その場の全員が難しい顔をした。
「サウゼンドにはいつか遊びに来て欲しい。でも、今は状況がどうだろう」
「そうだね。研修中だし、なによりカミーユが移動してバレてもいけない」
「では、サウゼンドの調香術師に?」
クリストフが唸り始めた。
「うーん。ううう。サウゼンドにもね調香術師はいるんだよ。婚姻でサウゼンドに来たりね。ただねー、この国のどこと繋がってるかわからないというか……。ヤスミーナがグラシアーナ王家に入って国の関係が良くなってから、王立学院に留学した者もいる。だが、ちょっとプライドが高くて、扱いづらいというか」
「ああ」
カミーユにはとても良くわかった。調香術師学科では、そんな感じの者ばかりだ。
「じゃあ、ここでカミーユがやるしかないのかもしれないね。そうなると原料の移動が大変になるか。場所も秘匿できるようなところを選ばないと……」
辺境伯がどのように手配するか、考え込んだ。
「あの。調香術師でなくとも、信頼できる水属性を使える魔術師がいればなんとかなるかもしれません。あとは、教会にあるような魔術道具を使うか、ああ、私が香料に『ミスト』をかければ誰でもいけるのか……」
カミーユも言いながら考えこんだ。
フィンが口を挟んだ。
「カミーユ、具体的にどういう作業が必要なのか説明しないと、最善の手段がわからないと思う。あと、気になっていたんだが、何をするにしてもカミーユの権利が脅かされたりしないようにしないと」
「私の権利?」
「ああ、カミーユが表に出ないようにするのは大事だが、誰かに先に登録される危険は避けたほうがいい。香料で茶に香りを付けることは、登録したほうがいいように思う。カフェーもあるなら、食品にとしてもいいが」
「でも、登録したら確実にバレますよね。だから、状況が落ち着くまでしょうがないか、って思ったんですけど」
フィンがニヤリと笑った。
「大丈夫だ。ここはシルヴァンヴィルだから」
「ん?」
「ああ、そうだね。そうだよ!」
プリムローズが声を上げた。
「うちが代行だからね。うちで登録すれば、正規の登録と同じ扱いになる。王都のギルドへ登録報告をすればバレるけれど、しなければいいんだし」
「……報告しないのは問題になりませんか?」
「調香術師ギルドを置かないのが悪いよ。さんざんこっちからは要請してるんだから」
辺境伯がニヤリと笑う。
「そうだね。適当な人材がいないと理由をつけて、ギルドも術師も派遣してくれないのだからな。商業ギルドの業務繁多で報告が遅くなるのは仕方がないだろう」
「登録さえしておけば、後々何かあってもカミーユの権利が守られる。支払いはもともと裏手配の予定だったしね」
顎をさすりながら聞いていたトールが口を挟んだ。
「こうするのはいかがでしょう。まず調香術師ギルドの方へ、食品用の香料を登録する。それで、これはまあ、忙しさに紛れて報告を忘れてしまうんです。商業ギルドの方では、香り付きの茶を登録する。製法は書かないでください。これは王都の本部に上げていただいてかまいません。茶を販売するにあたって必要ですからね。それには追加情報として香料で香りが付いているという別の書類があるんですが、これをギルド長がうっかり引き出しにしまって忘れてしまうんですよ」
カミーユがニッと笑った。
「物忘れが多いですねえ」
「ええ。ギルド長も歳なもので」
「じゃあ、後は実際どのようにするか、ですよね。ええと、実際に見てもらうのがいいのかな……」
クリストフが身を乗り出した。
「是非とも見たい! ジャスミナはないが、ベルガモータは一応持ってきたんだ。ただ、ベルガモータは苦みがあるだろう? それがどう影響するか……」
カミーユがニコリとした。
「だから香料を使うのですよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます