52話 呪いを解く方法

 解呪薬を持った使者がやってきたのは、エリザがジークハルトとルディオと共に、夕方に公爵邸に戻ってすぐのことだった。


 どうやら事前説明が必要な魔法薬らしく、治療係の【赤い魔法使い】であるエリザの帰宅に合わせて来訪したらしい。


 ジークハルトはきょとんとしていたが、不思議と驚きはないみたいだった。彼には、フィサリウスが頼んでいた『呪いを解く薬』ができたのだとざっくり説明したら、そうなんですねと笑顔で納得してくれた。


(呪いにかかっている本人だから、あまり理解はできないのかも……?)


 ジークハルトの離れたがりもなく、エリザはそこで一時的に別れ、ルディオに彼を任せた。


 そして、別室で解呪薬の話を聞くことになった。


「ジークハルト様は魔力を持っておりませんので、術を解くには一晩かかります」


 橙色のローブで細身の全身を隠した魔法協会の魔術研究員は、ハリマと名乗った。年齢は三十代後半くらいだ。


「魔力に耐性がないので深い眠りに落ちるはずです。術が完全に解ければ勝手に起きますから、心配はされませんようにと公爵様にもお伝えください」

「はい、必ず」


 ラドフォード公爵は、まだ社交から戻っていなかった。夕食までに帰宅予定であるとは出迎えた際にセバスチャンが教えてくれていた。


「ジークハルト・ラドフォード様は、明日も仕事が入っているとフィサリウス殿下よりうかがっております。できるだけ早い時間に就寝させ、魔法薬を飲みことをおすすめいたします。睡眠時間は個人差がありますが、解呪に時間がかかる場合は十時間かかりますから」


 それは――確かに早い時間で飲ませた方がよさそうだ。


 淡々と語ったハリマは、エリザに透明な液体の入った小瓶を手渡した。


「ご説明ありがとうございます、ハリマ様。つまり眠っている間は全然ちっとも起きないけど心配はいらない、ということですよね?」

「その通りです。それから私には『様』は不要です。魔法使いになれなかった半人前の研究員にすぎませんので、どうぞハリマとお呼びください」


 この国は、やはり【魔法使い】は一つの身分として確立されているようだ。


「あの、――」

「ああ、しかしこうして魔法薬を調合できる立場になれたのは幸いです。魔法にかかれる仕事ですから」


 エリザが戸惑いを浮かべたら、彼が初めてちょっと笑みを浮かべた。


 どうやら、皮肉で言ったわけではなかったらしい。


 少し癖がある人なんだろうなと思って、彼女もまた「安心しました」と笑い返した。


「それから、この解呪薬として殿下から頼まれた魔法薬ですが、原料はかなり苦みを持っていましたから、勝手ながら余分に糖分を追加させていただきました」

「ジークハルト様は普段から菓子も口にされますから、大丈夫ですよ。丁寧な説明をありがとうございます」

「いえ、こちらこそ、お時間をありがとうございました」


 エリザが深々と頭を下げたら、向かいの椅子にいたハリマも最後は淡々とした口調の中に人間味を滲ませて、同じように礼を返してきた。


 彼は早々に帰ることを伝え、テーブルのベルを鳴らした。


 立ち上がると、ハリマは手を差し出してきた。握手を求められていると気付き、エリザは彼の細い手を握り返した。


「殿下が指示された魔法薬ですので、ほぼ確実に戸問題は解決するものと思われます。彼はこの国で最高の魔法使いです。直感さえも正しい真理を見抜くと言われています」

「それはすごいですね。それなら、もっと安心です」


 彼が、手をほどきながら首を少し傾ける。


「もっと、とは」

「あなた様が責任をもって調合してくださったのでしょう? ですから、きっと大丈夫だと思いました」


 ハリマがきょとんとして、それからふっと苦笑をもらした。


「あなた様は【赤い魔法使い】という名前までついているのに、面白い魔法使いですね。私も殿下とは懇意にさせていただいていますので、何かありました時には、魔法協会のハリマまでどうぞ」


 退出する彼をメイドが見送りに出たが、エリザは彼の人柄が好きになってしまって、玄関まで一緒に見送った。


 ハリマの助言もあって、この日は早い時間に夕食会が行われることとなった。


 もちろん解呪薬を飲むまで見届けると言って、ルディオも付き合ってくれた。ラドフォード公爵は若い二人との食事も楽しそうだった。


 エリザはその間に別室で食事でも――と思っていたのだが、使用人達に巻き込まれる形で、始まった彼らの夕食会を出入り口からしばし窺うことになってしまった。


「うっうっ、坊ちゃん苦労してましたもんね」


「今日でだいぶ報われると思うと、俺、俺もっ、涙で前が見えない……!」


 エリザの背後から室内を覗き込んでいる男性使用人も、マジ泣きしていた。


 周囲には他にも、料理長サジ、コック達、侍女長モニカや執事のセバスチャン、見慣れた顔のメイドや庭師まで集まっていた。彼らは揃って感涙し、ジークハルトの食事風景を一心に眺めている。


「私、明日から着付けをさせてもらえるのねっ」

「夜会の服とか、色々着せたいものがたくさんあるのよねぇ」

「これで堂々と女を連れ込んでもオーケーだよな?」

「サジ、それはやめておきなさい。屋敷の風紀を乱そうものなら容赦しませんわよ。それからリリベル、そういった行動を開始するのは、まず明日にエリオ様の許可が出てからということを忘れないように」

「はーい!」


 メイドたちが揃って元気よく答えた。


(――どうしよう、このテンションに全然ついていける気がしない)


 エリザは、困ったようにモニカへ目を向けた。


「あ、あの、呪いの効能はなくなっても女性がすぐ大丈夫になるかは――」

「ええ、もちろんここにいる全員が頭に入れておりますわ」


 モニカが気づき、安心させるように微笑みかけてきた。まるで可愛くて仕方がないというような笑みだ。


 すると、ジークハルトの様子を穏やかに見つめていたセバスチャンも、エリザへと目を向けてきた。


「使用人総出で、坊ちゃまがよくなるよう協力させていただきます。エリオ様がご心配されることがないよう計らいますので、あなた様は、あなた様がなされることを優先ください」


 つまりこの先、たとえばエリザがいなくなったとしても、という意味だろう。


 エリザはそう受け取った。呪いがなくなってしまえば、ジークハルトにとって自分はきっともう必要ではなくなるから。


「それは心強いです。皆様、どうぞよろしくお願いします」


 深い感謝で、頭を下げた。


 サジが「よしてくれよ、【赤い魔法使い】様」と言った。


「俺だって坊ちゃんを応援してるんだぜ。それから、初めての顔合わせの時からずっと、坊ちゃんのために頑張ってくれているあんたのこともな」

「サジさん……」

「この先も大変だと思うけど、頑張れよ!」


 サジが言い、エリザの髪を乱すように頭をぐりぐりと乱暴に撫でた。


「私こそ、……毎日、美味しいごはんを本当にありがとうございました」


 思えば、彼らと毎日顔を合わせるようになって、もう一ヶ月になる。


 長居ようでいて、短く感じた。


(ああ、もっと居たいな、と思ってしまう)


 エリザは珍しくサジの手を払えなかった。別れを思うと、初めて猛烈に『寂しい』という気持ちが込み上げた。


 ここにいたい、と。


 こんなに人と関わり続けた土地は初めてで、離れがたくなった。


 もしかしたら明日にはバイバイするかもしれない。もしかしたら一日は整理整頓や引き継ぎ、フィサリウスへの報告も兼ねて猶予をもらえるのかもしれない。


 どちらにせよ、お別れだ。


 エリザはラドフォード公爵と、約束もしていた。


 無事に治療に進展などがあって、もう自分が不要だと思った時には、隣国までの旅費を報酬にいただいてここを出ていく、と。


(居られる理由を探したくても、私にできることは何もないし――)


 怪力の魔術具だけでは、毎日の屋敷仕事の役には立てない。


 エリザは『本当にいいところだったな』と、静かに迫りつつある別れに、じわじわと寂しさを覚えた。

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