35話 衝撃の事実と、ロッカス伯爵家

「レイヤ様、今のって――」

「こ、こここれはっ、親愛の証である挨拶のキスだ! し、親友ならみんな普通にやってるやつだからなっ」

「こっちでは親友にもするんですか? ああ、そういえば町中でのスキンシップ強めですよね」


 首を捻りつつ、文化の違いかなと考える。


 町中で男性同士肩を叩きながら組んだり、令嬢同士がくっついて楽しそうに内緒話をしながら歩いていたりと、友好表現がかなり親密的だとは感じていた。


「なるほど。家族だけじゃなくて、友人にも親愛のキスをするものなんですねぇ」


 立ち上がって向かい合ったら、彼が動揺したように挙動不審になり、それから心臓のあたりを押さえて「落ち着け」と何やら言い、偉そうに顔を上げた。


「こ、光栄に思うがいい! エリオは僕にたくさんの楽しい遊びを教えてくれたから、特別に親友にしてやる!」


 なんと、友達がいなさすぎるせいで……とエリサは同情した。


 ひとまず彼の親友認定というのを受けてやることにした。たぶんそれ正しくは友人と言うべきですよ、と思ったが心優しい年上のエリザは訂正しないでやる。


「それは光栄です」


 とりあえずクリスティーナへの誤解も解けたし、嫉妬を向けられずに済んでよかった。


「そろそろ戻りましょうか」

「ま、迷子になるから手を繋げ!」


 レイヤが突然手を差し出し、そう言ってきた。


(なるほど。なんてお坊ちゃん)


 普段は使用人か誰かが案内しているのだろう。一人で初めて訪問した屋敷を歩いたのはシスコンの力、つまりは奇跡――。


「なんだ、その生温かい目は?」

「いーえ。そういえばお客様だったなと思い出しただけです。かまいませんよ、さ、行きましょうか」


 エリザは彼と手を繋ぎ、薔薇園へと向けて歩き出した。


 挙動不審だったレイヤは、途端に大人しくなってしまった。横目に確認してみると、なんだか頬を上気させて楽しそうだった。


(居合わせるのはまずいし、案内するのは近くまで)


 そう言い聞かせて歩いていたのだが、気付いたら薔薇の匂いがふわっと香ってきて、建物の角を曲がったら薔薇園がすぐそこに広がっていた。


「あ」


 ジークハトルとクリスティーナ、そして円卓を挟んでラドフォード公爵とロッカス伯爵らしき男が「よき茶会だった」と挨拶を交わしていた。


 そろそろ帰るつもりだったようだ。


 護衛騎士役でそばについていたルディオが、こちらを見てこぼれおちんばかりに目を見開いている。


(――まずい。ばっちり目が合ってしまった)


 すると、続いてクリスティーナがこちらに気づいた。エリザの姿を見た途端、彼女の顔に喜びが溢れて「あっ」と可愛らしい声を上げる。


 それが聴覚から胸をずぎゅーんっと貫いていった。


 なんという破壊力。エリザはレイヤと手を繋いだまま、同時に顔を伏せて、一緒に悶絶してしまった。


「僕の妹が愛らしすぎる……!」

「やばい、クリスティーナ様マジで天使だった……!」


 シスコンの言葉になんて共感たくないが、あれは確かに天使だとエリザは思った。


「お兄様! もう【赤い魔法使い】様と仲良しになられたのですねっ、羨ましいですわ!」


 遠くから、クリスティーナが興奮したように可愛らしい声を上げた。駆け寄ってくる足音も聞こえる。


 これは、見たい。

 エリザは願望のままぱっと顔を上げた。向こうにいるルディオが、めちゃくちゃ呆れた目をしたのも目に飛び込んできた。


(いや、ルディオは護衛騎士役に集中しようよ)


 クリスティーナの走る姿勢が、なんだかとっても危なっかしい――そう思った時だった。


「きゃっ」


 走り出して数歩、彼女が薔薇園に敷かれていた芝生によろめく。


 エリザは「まずいっ」と、レイヤと一緒になって咄嗟に駆け出したのだが――。


 その瞬間、よろめいた彼女の腕をジークハルトが掴んた。


「え」


 近くから見ていたラドフォード公爵、そして事情を知る全員の口から呆気に取られた声が出た。もちろん、エリザもその一人だ。


 クリスティーナは頬を羞恥に染めて、令嬢なのにはしたないことをしたとジークハルトに詫びて、礼も言っている。彼はすぐ手を離したがとくに異変もないまま「大事がなくてよかったです」と社交の笑みで答えていた。


 ――蕁麻疹もない、パニックを起こす気配も、なしだ。


 エリザはとんでもない事実に気づいて、固まった。


 唯一の『呪い』の症状が出ない。それは……術者本人だ。


 それは魔術だけでなくて、魔法も基本的にそうだとは呼んで行った本からも理解していた。


(殿下が言っていた『呪い』って……結果として術者以外の女性に対して症状が出て、近づけないし触れなくなるもの、だよね……?)


『たとえば……――自分だけを見て欲しいと思って』


 フィサリウスはそう言っていた。


 まだ何も知らない女の子が、憧れて、自分を元気付けるみたいに『おまじない』をした。


(ジークハルト様と話していた彼女を見るに……全然、そんな感じはなかった)


 だから、まったく、エリザだって気付きもしなくて。


 フィサリウスによって『呪い』はみんなに共有されていたから、セバスチャンもメイドたちも固まっていた。彼女をじっと注視しているのは、彼の推測が正しいのだと裏付けが取れたからだろう。


 ――クリスティーナは、本当に覚えていないのだ。


 そうじゃなければ、父のロッカス伯爵に縁談相手は【赤い魔法使い】も素敵だなんて語ったりしないだろう。


(そう、だよね。幼い頃に思い付きでやった『まじない』なんて、覚えているはずもない、よね……)


 それに、まさかこんなに身近にいた令嬢が『まじない』を行った本人だなんて、誰も思っていなかったものだから驚きが大きすぎた。


 その時だった。レイヤが若干興奮した様子でエリザと繋いで手を引っ張った。


「父と妹に紹介したい」

「えっ? ――あっ」


 彼が手を繋いだまま急く足で進み出した。向かいながら、クリスティーナに大きく手を振る。


「クリス! 僕の親友のエリオだぞ! 父上、仲良くなりましたっ」

「まぁ、素敵ですわ! やはり仲良くなられたのですね!」


 クリスティーナが可愛らしく両手を合わせる。


(うげっ)


 エリザはラドフォード公爵がぎこちない笑みを浮かべるそばで、着飾った小太りの中年紳士が「素晴らしい!」と息子に応えるのを見た。


 ロッカス伯爵だ。なんというか、目が合ったらとんでもなく輝いている。


 合流したレイヤが口を開こうとした。しかしジークハルトが二組の間に立ち、にっこりと笑って言う。


「クリスティーナ嬢は以前にも一度お顔を会わせたことがあるかと思いますが、ロッカス伯爵、彼が〝僕の〟治療係のエリオです」


 ジークハルトの声は紳士的だったが、なぜか声がワントーン下がっている気がした。それから『僕の』が、かなり強めだ。


 エリザは小首を傾げた。彼の目が、レイヤとまだ繋がれたままの手へと移される。


 ルディオが緊張した様子で、探るように彼を見つめていた。ラドフォード公爵が、エリザへ近づこうとしたロッカス伯爵を引き留めた。レイヤに声をかけて「とてもいい茶会だった、また機会があれば――」とクリスティーナも含めて一家への言葉を述べる。


「馬車の準備が整いました」


 ロッカス伯爵家の護衛から知らせを受けて、セバスチャンがぎこちなく告げた。


 するとレイヤが得意げに笑って「見送らせてやるぞ!」と言い、エリザの腕を抱え込むように掴んで走り出した。


「ぅわっ、ちょっと待ってレイヤ様っ」


 腕にしがみつかれていると走りにくい。


 後ろから、歩いてあとに続くクリスティーナの「仲がよくて羨ましいです」というような声が聞こえてきた。


(ああっ、せっかく『まじない』をかけた令嬢が誰か分かったのにっ)

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