9話 報告、をしに行ったはずが……(なぜに)
『自分で向かうので迎えは寄越さないでください』
そうラドフォード公爵に頼んでいたエリザは、報告書を一日でまとめ、その翌々日、事前にもらっていたお金で馬車を手配して屋敷に向かった。
冷静になって思い返すと、扉を破壊したのは大変失礼だった。
ラドフォード公爵と再会したエリザは、土下座で謝罪の意を示した。
「先日は、大変申し訳ございませんでした」
まさか、ルディオが前もって教えてくれなかった危険事項に腹が立って、扉のことも忘れて口頭報告だけして帰ったとか、とんでもないことをしたものだ。
すると温厚な彼は「とんでもない」「扉くらい大丈夫だから」と許してくれた。
再び豪華な客間でラドフォード公爵と向かい合ったエリザは、ジークハルトとの面談について報告書も手渡した。
「ほぉ、よくまとめられている」
彼は「事務に特化した魔法使いは少なくてね」と、感心したように書面に目を通していた。エリザの推測を聞きながら、時々穏やかな眼差しを上げて相槌を打つ。
「お話を聞く限り、改善したいという言葉を彼からは聞くことができませんでした。聞いていた通り、とにかく怖がっているのは感じました」
「君としては、息子はどの方法が一番適していると思った?」
「蕁麻疹などの症状がどれくらい出るのか実際に見ていって、少しずつ慣れていってもらい恐怖を克服する方向がいいかな、と思います。次の治療係に診せる際の、参考にしてもらえれば光栄です」
専門家ではないので半ば勘になるが、ジークハルトの状態に合わせて、多少の無理をさせつつも、二人三脚でやっていけるタイプの治療係が適任だろうとアドバイスした。
ヘタレなので、少々荒技も必要だろうと思えた。
(この公爵様、息子にすごい甘い感じがするんだよな……)
ジークハルトの様子からすると、同性の心強い専門家が適任だろう。性的な悩みもあるだろうし、そこは女性のエリザには対応できない。
一通り話したあと、そんなことを考えていたエリザは、ふと、向かい側が静かなままであることに気付く。
目を向けてみると、ラドフォード公爵がうるっとした目で見つめていた。
「素晴らしいよっ、エリオさん!」
その縋るような眼差しに、エリザは嫌な予感を覚えて身を強張らせた。
「……あの、別に私は素晴らしくもなんともないんで」
回避しようと思って退出を申し出ようとした直前、テーブル越しに激しく手を包み込まれた。
「ひぇっ、顔の圧がすごいっ」
じゃなくて、逃がさないとする手の強さが凄まじい。
「ラ、ラドフォード公爵様、あの」
「少しの間だけでもいいから、ジークの治療係にあたってもらえないだろうか!?」
「は? ……いやいやいやっ、彼はちょっと触るだけでも蕁麻疹が出ますし、同性の方を雇った方が絶対にいいですってっ」
今のところ対面での会話はセーフだが、あれだけの女性恐怖症となるとバレる危険性がかなり高いように思える。
バレたら、騙したなと暴れられる可能性はないか。
失神されたらされたで、罪悪感が国を出るまでずっとついてきそう……。
「あの子も珍しく前向きなんだ」
「ジークハルト様が?」
「そう。私としてもね、最後の頼みの綱である君のような素晴らしい魔法使い、報告書の事務仕事も優柔な治療係を逃したくはない」
後半が本音かな、とエリザは勘ぐった。
「昨日も、勤務が怖いくらいスムーズだったとも報告を受けていてね。ぜひ君に頼みたいという意見もいただいている」
その意見は誰から、と訊くのは怖くてできなかった。
ジークハルトは、王宮の近衛騎士だ。公爵本人が『いただいている』と言う身分の人間といえば、数が限られる。
ルディオが愚痴を聞いてくれと頼んできたのも、そのせいなのではと推測される。
(うん。これは、回避しよう)
彼から話を聞いていても面倒そうだと思っていた。
ここは断っておきたい。
「……あの、大変申し訳ないのですが、私は色々と噂されていることもありますし、公爵家の嫡男様の治療係には相応しくないかと。私のこの国の人間でもないですし、事情があって少し滞在していただけなので、そろそろ次の国に行こうかとも考えていまして」
するとラドフォード公爵が、きょとんとした顔をして「知っているよ?」と言った。
「はい? 知ってる、て……?」
「殿下が、君のことをすぐに調べてね」
ひぇ、殿下って言っちゃったよこの人。
とんでもない名前が出てきて、エリザは背筋がひゅっとした。
「恐ろしい魔法使いであるという噂が嘘であること、道で困っている人がいたら手助けをする良き人間であることは確認済みだ。勉強のためこの国の本を求め、魔法を大っぴらに使いもせずひっそりと暮らしている姿勢にも感心されていた」
考えてみれば、ここは公爵家だ。
出入りさせる人間は、そもそも先に調べているだろう。
(ああ、だから安心して私を出迎えたわけか……)
他の屋敷を見かける限り、厳重な警備がされていた。しかし迎えた私兵達以外は、屋敷の景観が崩れるような護衛耐性も見られなかった。
「この屋敷にも大きな図書室がある。そうだな、必要があって出国の予定を立てているというのであれば、次の治療係を探す間だけでも担当してくれないか?」
「次の、治療係が見付かるまで……」
無理に断ると、目の前に立ちはだかる彼や『殿下』といった権力図が怖い。
短期間というのなら、悪い話ではない気もしてきた。
「……それまで、毎度の魔法使い証明書もなしに本が好きに選べる?」
「私のところの魔法使いだと分かれば、王都の国立、公共施設に問わず好きなだけ閲覧できる。必要経費はつど支払うし、購入してくれも構わない」
「はぁ。その、有り難いお話過ぎて怖いのですが……」
本は高価なものだ。売って、その分を次にあてれば彼の懐からそんなに出さなくても済むのかな、とちらりと考えてしまう。
「でも、やはり私は専門家ではないですから、お試しで治療係をするには不相応――」
「隣国までの旅費も約束しよう」
「臨時の治療係としてやらせて頂きます」
エリザはすかさず答えた。
それを見たラドフォード公爵が目を丸くし、それからふっと破顔した。
「異国からたった一人で来たというのに、君はなんとも……」
「なんとも?」
「偉大な魔法使いにこんなことを言うのも申し訳ないのだが、怒らないでほしい。警戒心がないなぁと思ってね。誰か、とても優しい良い人間が守って教えてくれていたみたいだ」
ふっと、エリザは師匠ゼットのことが頭に浮かんだ。
でも、ラドフォード公爵が何を言っているのかは、よく分からなかった。考えた末、小首を傾げると彼が口に手をやって「ぶふふっ」と噴き出した。
「ふふっ、ふ、すまない。【赤い魔法使い】という名前まで与えられたのに、不思議な子だねぇ。ひとまず、これからしばらくよろしく頼むよ」
立ち上がり、手を差し出された。
(まさか、ルディオが話していた問題児の治療係になってしまうとは)
人生とは分からないものだなぁと思いながら、エリザも立ち上がり、弱々しく彼と握手を交わしたのだった。
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