今はここまで


カウナでの滞在期間は、二十年を超えた。

領主代行となったマーウライが、ライラの邸宅を別に用意してくれたからだ。

新たな邸宅は、領主の大屋敷のすぐ傍であった。

以前の邸宅とは違い、外に出ても不特定多数の人々と出会うことはない。

そのおかげで、二十年経ってもライラの不老に気付く者はいなかった。


言葉にはされなかったが、マーウライだけはライラの特殊性に気付いていたようであった。

まあ当然かと、ライラは諦めていた。

あの日。マーウライは間違いなく、ブラムが魔族であることに気付いたのだ。

共にいるライラも普通ではない。そう思われていても不思議ではなかった。



「まあ、領主の屋敷の傍なんかに住んだものだから、生活費が倍以上だったけどねえ」



カウナから旅立つ朝。ペノが懐かしむように言った。

ライラは頷き、自らの手を見る。

この街で使った「お金に困らない力」は、たしかに尋常ではなかった。

一度に使う量は多額でなくとも、積み重ねれば山となる。

魔力の消費が多すぎた時期は、睡眠時間が明らかに長くなっていた。



「家馬車に乗るのは久しぶりだな」


「そうですね。ロジーと御者さんが手入れしてくれていて良かったです」


「次はどこに行くんだ?」


「まだ決めてません」


「お前との行き当たりばったりな旅も久しぶりだな……」



ブラムが両手のひらを向けてくる。

ライラは気にせず、持っていた手荷物を馬車の座席に載せた。


馬車を走らせる直前。マーウライが見送りに来てくれた。

三十代半ばとなっていたマーウライは、すっかり大人になっていた。

髭も生やしているし、声も少し低い。

しかし品のある仕草は磨きがかかっていて、ライラの胸を未だに高鳴らせた。



「寂しくなります、エルナ様」


「私もです」


「道中お気をつけて。宜しければ、こちらの薬もお持ちください」



マーウライが一歩進み出て、懐から小箱を取り出した。

小箱は金属製で、中には小さな紙と丸薬が多数入っていた。



「これは、何の薬ですか?」


「腹の薬です。馬車酔いにも効きます」


「……そんな良い薬が!?」


「ウォーレンなら、どこでも買えると思います。買えずとも、中に入っている紙に、薬の原料と作り方を書いておきました」


「ありがとうございます。嬉しいです」



お世辞ではない。心底嬉しく、ライラはその場で跳ねた。

子供っぽく見えたのか。マーウライが小さく笑った。



「出会ったころのままですね、エルナ様」



マーウライが微笑みながら言うので、ライラは恥ずかしくなった。

マーウライの方がはるかに年上のようだと、思わざるを得ない。

ライラは赤くなった頬を両手で隠し、少しだけ顔を伏せた。




そんなふたりの様子を、ブラムとペノが離れたところで見ていた。

いや、あえて離れたというべきか。



「まあったく、ずいぶん甘ったるい空気じゃねえか。やっぱり恋仲になっておけば良かったんじゃねえか」


「そうかなあ? ライラは落ち着くより、あっちこっちで問題を引き起こしてる方が面白いよ」


「っは。そうかよ。……ま、お前にとっちゃそうなんだろうな」


「えー? それじゃあ、ボクの性格が悪いみたいじゃない?」


「実際そうだろうよ、この陰険ウサギが」



ブラムはペノを睨む。

ペノがへらりと笑い、両耳を揺らせた。

なにを考えているのか分からないウサギだと、ブラムは思った。


あの日。馬車がライラを襲ったとき。

ペノは間違いなく、動揺していなかった。

むしろそうなると分かっていたといった表情であった。


とはいえ、ライラに直接的な危害を加えるつもりがないのも確かだ。

馬車がライラを襲っても、ブラムが必ず助けるに違いないとペノは確信していたのだろう。

その期待通り、ブラムはライラを助けた。

しかし助けるために魔法を使い、マーウライに魔族だと気付かれた。

あれさえ無かったら、ライラはマーウライと恋仲となり、今頃は結婚していたかもしれない。



「お前は……ライラに旅をつづけさせたいのか?」



ブラムは顔をしかめながら、ライラを見た。

ライラは未だマーウライと見つめ合っていた。

未だに恋心が残っているらしい。

ペノもまたライラを見て、両耳を傾けた。



「うーん。まあ、はは。少し、違うねえ。ボクはライラに、お金を使わせたいだけだよ」


「……どういう意味だ」


「はは! 今はここまでにしよう、ライラの騎士くん。分かっているとは思うけど、ボクはライラの命を取るようなことは絶対にしないよ。それだけ聞ければいいでしょ?」


「……っち。本当に陰険なウサギだぜ」



ブラムは舌打ちし、ペノから目を逸らした。

ふと振り返ったライラが、ブラムの様子に首を傾げた。

「待たせてる?」と、ライラが問う。

「そんなんじゃねえ」と、ブラムはそっけなく答えた。




マーウライとの別れの挨拶を終え、ライラは馬車へ乗り込んだ。

追って、ペノが馬車の中へ跳ね飛ぶ。

最後にブラムが馬車へ乗り込もうとしたとき、マーウライがブラムに声をかけた。



「……心配すんじゃねえ」


「……そうか。そうだね」



マーウライが名残惜しそうに頷いた。

何の話だろうと思ってライラは身を乗り出す。

するとブラムとマーウライが両手のひらを見せ、「なんでもない」とはぐらかせた。



「なんなのですか、もう」


「うるせえ。お前は次の行先を決めてろ」


「はいはい。分かりましたよ」



ライラは頬を膨らませ、座席に引っ込む。

その様子に、ブラムとマーウライが顔を見合わせ、小さく笑った。



やがて、馬車が動きだす。

傾きはじめた陽。

赤と白の建物の隙間を縫って、光が覗き見ている。

ライラは光を覗き返し、手元の地図を広げた。


ゴトリと、馬車が揺れる。

ライラははっとして、マーウライから貰った丸薬を慌てて飲むのだった。

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