第28話 1日目、終了
「うーん……今日は、頑張ったっ!」
夜道。バトルルームから寮への帰り道。シャルナが夜空に腕を向けてうーん……と伸びをする。2人はあれから5時間ぶっ続けでトレーニングをした。シャルナの動きは一日で随分と見違えた。恐ろしいセンスだった。天才と呼んで何の差支えもない。玄咲をして驚嘆するレベルだった。シャルナの成長速度に、今日一日で先の展望に大分希望が見えた。膨らんだ希望とシャルナの頑張りと、何より隣で伸びをするその姿の微笑ましさに玄咲の頬も自然と緩む。
「ああ、よく頑張った、あんな集中力で5時間ぶっ続けで訓練したんだ。疲れただろう。そうだ。帰り、ラグマでも寄ろうか。カップラーメンを奢ろう」
「本当!? やったー!」
両手を挙げて無邪気にオーバーに喜ぶシャルナ。過剰な感情表現が年頃の女の子らしくて愛おしい。隣で、友達として、玄咲の傍にいてくれるシャルナ。そのシャルナを見て、玄咲はふとバトルルームでの出来事を思い出す。
――ギュって、して。
(……友達、か)
実のところ。
玄咲だって今のシャルナとの関係がただの友達関係でないことくらい気づいている。
なにせ、友達関係にしては、好意が大きすぎるから。大きすぎる好意を抱擁という形で今日一日で何度もぶつけられたから。特に、バトルルームでの出来事が、玄咲に確信を抱かせた。
シャルナは理由があって玄咲と友達関係でいたがっているのだと。
そしてその理由は玄咲と近しい理由であろうとも。
――私、強く、なれるから。
(――シャルナも、俺と同じようなことを考えているんだろうな。細かい差異はあるだろう。でも、弱くなってしまうから、今は友達でいるべき。きっと、そう考えてる。それくらいは、俺にも分かる。シャルナのことなら俺にだって少しくらい分かるんだ。純粋で、真面目で、一途で、悪意なんて欠片もなくて、本当に天使みたいな女の子。でも、少し心が弱くて、だから俺に依存しているところもある。だからその依存を振り払おうとしている。強くなろうとしている。だから、友達なんだろう)
玄咲は過剰に美化しつつもほぼ正確にシャルナの理由を推測する。自分にも当てはまる理由を。
(けど、多分結構無理してて、だから時々つい衝動的にその線を踏み越えて――)
そして思い出す。3度の抱擁を。
――我慢、できなく、なっちゃった。
――玄咲、ありがとっ!
――ギュって、して。
(――やっぱり、多分、シャルは俺のことを、多分、きっと……。だって、前二つはともかく、最後の抱擁は、もう誤魔化しようが、ないもんな……)
最初の抱擁。お弁当を食べたあとに何の前触れもなく行われた抱擁はその後何故か昼寝して手を繋いで眠ってアルルの来訪で起きてそうこうしてる内にいつの間にかうやむやになった。だから白昼夢でも見ていたのだろうと自分に言い訳が出来た。
2度目の抱擁。カードショップで抱擁はカードパックで狙っていたレアカードが当たった衝動でだと自分に言い訳ができた。
最後の抱擁。言い訳の余地がないほど、互いに互いを求めあった。愛が介在しないといったら無理のありすぎる、それはそれは激しい抱擁だった。愛をぶつけ合う抱擁だった。楽園に入り浸るような抱擁だった。
そして、同時に、毒壺に身を浸すような抱擁だった。超えてはならない境界線上の先にのみ実る、
不自然なまでに、あのバトルルームでの抱擁だけ話題にも上がらない。まるで、失楽園の住人が楽園の記憶を疎むかのように頑なに。暗黙の了解でなかったことになっている。口にしない。口にしてはいけない。そういう空気が出来上がっている。だけど、そうしたところで、あの出来事が本当になくなってしまう訳ではなくて。
「そういえば、玄咲に、教えてもらったやり方で、初めて一人で突き込んだ時、あっ!」
ふとした拍子に話題に上がってしまうことも当然あって、2人は気まずさに顔を逸らし合う。
「……」
「……」
シャルナは頬を染めて切なげにやや下方を見つめ、玄咲と視線を合わせない。玄咲もなんとなく夜空の星明かりを見つめ歩き、シャルナと視線を合わせない。互いにあの記憶をどう取り扱ったらいいか分からず、距離感を測りかねている。でも、ずっとそうして黙って顔を逸らしている訳にはいかない。シャルナがおずおずと口を開く。
「――あの、さ。今日は、楽しかったね。凄く」
「――うん、今日は、楽しかった。人生で一番楽しかった日かもしれない」
「わ、私さ! 特に、カードショップ、行ったのが、一番楽しかった! カードパック、剥くのって、楽しいね。でも、嵌まりそうだから、もうやらない。ギャンブルって、怖いね。でもね、凄い楽しかった」
「俺はやっぱりグルグル博士のところに行ったのが一番楽しかったな。ADを実際に作ってる所が見れて感無量だった。オリジナルAD、完成するのが楽しみだ。しかし、グルグルは可愛かったなぁ……」
「やっぱり、美少女だったね。そんなこと、だろうと、思ったんだよ。嘘なんて、つかなくていいのに……」
「いや、本当に俺はグルグルの素顔を知らなくて」
「はいはい。そういうことに、しといてあげるよ? でも、ま、グルグルはいい子だね。私、グルグル、好き」
「そうだろう! グルグルは本当にいい奴なんだ! ただ……」
「? グルグルが、どうかしたの?」
「いや、グルグルは関係ないんだ。ただ、アルルに嫌われたのだけはやっぱりショックだったなって。あぁ、アルル、仲直りしたい。でも、俺には無理だよな……」
「……」
シャルナは唇に指を当てて少し考えてから言った。
「あのね、玄咲。耳貸して」
「耳?」
こしょこしょこしょ。
「……それで仲直り、できるのか?」
「うん。私も、協力する。だから、絶対、大丈夫」
シャルナが強く頷く。
「……分かった! やってみる!」
「うん。頑張って」
シャルナが微笑む。それだけで勇気が出てくる。明るい気持ちになる。気まずさはいつの間にか霧散し、再び今日一日の楽しい出来事を振り返る。そうこうしている内に二人ともいつもの調子を取り戻してくる。シャルナはテンションが上がるあまりくるりと回って、後ろ手に玄咲を見上げて、白く笑う。
「あの、さ! もう一回言うけど、さっ! 今日、凄く楽しかった、よねっ!」
「うん。世界で一番楽しかった。今日俺より人生を謳歌した人間は世界に一人もいないと思う」
「だよね! 私も! 私、生きててよかった! こんな日が、あの地獄の先に、待ってるなんて、思いもしなかった! 全部、玄咲がいてくれたからだよっ! ありがとねっ! 私ね、今、幸せだよっ!」
「ああ、俺も幸せだよ。シャルが隣にいてくれて、それで笑ってくれて、大好きな世界で一緒に一杯楽しいことをして、こんな、幸せな日が、うぅ、俺の人生に、訪れるなんて、思いも、しなかったっ……!」
「あはは、玄咲、泣いてる! そんな、幸せだったんだ!」
「ああ、幸せだった。シャルが隣にいてくれるから、楽しくて、幸せだったんだよ」
「――うん! 私も、同じ気持ち! ね! ね! 玄咲玄咲! あのねあのね! こんな、こんな一日がさ! こんなに、幸せな日々がさ!」
星明りの下、街灯の下、夜の中でも無限に白く美しいシャルナが両手を広げて無邪気に笑う。
「ずっとっ、続けばっ、いいねっ!」
玄咲の隣で、天使になる。
「――ああ、こんな日がずっと続けばいい。というか、続くように、俺たちは今、頑張ってるんだ」
「うん! そうだったね! 頑張ろうねっ!」
シャルナが眉根を上げて拳を胸の前でグッと握りガッツポーズを取る。過去を振り切って、昔に戻りつつある今のシャルナらしい、シャルナの母の言葉の通りちょっと元気過ぎるほどの勇ましい仕草。その仕草を見ているだけで玄咲もまた幸せに、元気になる。友達だけど、今はそれでいい。想い合っているけれど、恋人ではない。だけど、互いに落ち着くこの距離感を、幸せな友達関係を、玄咲はもう少しだけ続けたいと思った。
だけど。
「――シャル、あのさ」
「なに?」
少しだけ手を伸ばしてみる。楽園の果実に。
「寮まで、手を繋いで帰らないか。友達なら、それくらい普通だろ」
シャルナの手に。
「――うん。そだね」
シャルナが頬を染めて、嬉しそうに、そっと玄咲の手を掴む。その手を握り返す。暖かな熱が、微熱が、友達という温度で両の手を温める。優しく。優しく。2人は寮に辿り着いて玄咲の部屋の前で別れるまでずっと手を繋いで歩き続けた。
幸せな、一日目だった。
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