第37話 クララ・サファリア2 ―Is It 1st Priority―

 正直、怖い。それが、本音だ。自分の気持ちに嘘はつけない。だが、クララは教職員でここは学校だ。そしてクララには教師としての矜持がある。生徒を正しく導ける教師になりたいという夢も。だからなんとかしなければならない。だが、その取っ掛かりがつかめない。


 事態の理解は困難を極めた。


 現象の表層の把握は易しい。


 しかしそこに至った原因が分からない。


 なぜ、こんなことになっているのか。


「先生」


 クララの抱いた疑問の答えは、求めるまでもなく背後の人混みからふいに与えられた。


「あいつ、アマルティアンの女生徒を庇ってるんです! 早く何とかしてください!」


「――え?」


 天之玄咲の背後を見る。あまりにも鮮烈な赤黒い殺気とその主の存在感に目が眩んで気が付かなかったが、天之玄咲の背後には確かに女生徒がいた。


 四肢を砕かれて。

 両腕を妙な角度で地に垂らして。

 スカートから伸びる両膝が青黒く染まっていて。

 体のあちこちに血のこびりついた可愛らしい容姿の女生徒が。

 背中に羽織った男物の制服でも隠せないほどに。

 その全身に負った無残な傷跡を。

 曝け出していた。


 可愛らしい少女がそんな目に合っている姿はある種の自業自得感――悪名高いサンダージョーにはクララもあまり同情できない――のあった先程の二人の姿よりも余程胸にショッキングだった。一瞬、足がくらついた。


「……」


 雷丈壱人を見る。次いで岩下若芽を。エルロード王国と繋がりのある、亜人迫害思想で有名な雷丈家の鬼子と、その派閥の家の子。

 

 クララの中で全てが繋がった。


 天之玄咲の印象がガラッと変わる。クララは誤解を恥じた。


 その背に、後ろから声が飛んだ。


「アマルティアンは見つけ次第エルロード聖国に煉送しないと傍観しただけで罪になるんです! あの男を早くとっちめてあの女を早くエルロード聖国送りにしてください! そうしないと先生や、私たちの身の安全まで」


「黙りなさい」


 クララはピシャリと断じた。


 背後、額に青筋が立つほどに不快な提案をしてきた金髪黒肌の女生徒に向けて、烈火の剣幕で怒鳴る。


「それでもあなたはエルロード聖国と戦おうとしてるプレイアズ王国の国民ですか! ラグナロク学園の生徒ですか! 仲間を売って自分だけ安心を買う? なんて情けない! 私たちはそのふざけたルール法律を変えるために戦っているんです! 天下一符闘会に挑むんです! それと反することをしてどうして魂の成長がありましょうか! レベルだってそんな姿勢じゃあがりません! そんな考えは一刻も捨てなさい! でなければ学園を去りなさい!」


「で、でも、そうしないと先生や、私たちの身の安全が」」


「先生や、私たちじゃなくて私の身の安全が、でしょう。偽善でエゴを隠すんじゃありません! それは人間のやる中でもっとも醜い行いです! そもそも」


 クララは大きく息を吸って、


「この学園はマギサ法の適用範囲内です! 希代の悪法たる国際浄滅法だろうとこの学園の校則より優先されることはありません! まだその子が浄滅されると決まったわけではありません!!!」


 そして言葉を吐いた。


 金髪黒肌の女生徒の反論を封じる決定打となる言葉を。


 強い意志を――正義を込めて。


 その言葉は玄咲の耳にもしかと届いた。


(マギサ法――! その手があったか!)


 マギサ法。マギサ・オロロージオの名前を取ってつけられた法。マギサを狙い撃ちにした殿堂入りという制度を天下一符闘会に設けた際、一人で国を亡ぼせる史上最強の個人であるマギサの怒りを静めるために各国が一致団結してマギサ一個人に与えた法権だ。その内容はシンプル。マギサはその支配地域において国際法にさえ縛られない法を自由に作れるという法律だ。マギサはこの法を使って国際法にも勝る校則を作って学園を運営している。そんな無茶苦茶な法律がまかりとおってしまったあたりに、マギサという個人の規格外の実力と当時の怒り様が垣間見えるファンタジー設定。ラグナロク学園という舞台装置を成立させるために必要不可欠な法律で設定であるが、ゲームでは存外影が薄く、また開発者が設定を忘れていると思しきストーリー展開が散見されるため、玄咲は今の今まですっかり存在を忘れていた。


 それを今、クララの言葉で思い出した。


 希望の炎が心の内で芽を出した。。


(シャルを、救えるかもしれない。マギサ・オロロージオを説得して、シャルを保護するような校則を作ることさえできれば――!)


「玄咲くん」


 玄咲の体がビクッと震える。クララが近づいてくる。玄咲はどう対応していいか分からなかった。敵だとは思わなかった。思えるはずもなかった。孤立無援、四面楚歌の状況で、あんな温かい言葉を聞いて、胸が震えないはずがなかった。正直涙腺が崩壊しかけている。クララが最愛の天使だったということを思い出して、愛した通りの姿を、言葉を、魅せられて、どうしたらいいか分からなくなっていた。やはり玄咲はクララのことが大好きなのだ。それも間違いのない事実だ。


 けど後ろにはシャルがいて、そのシャルも大事で、大好きで、愛していて、感情がぐちゃぐちゃだった。色んな感情がないまぜになってもう玄咲は自分で自分が今何を感じているのかよく分からなくなってきていた。


 それでも一つだけ、分かることはある。


 誰を。


 何を。


 自分を。


 殺してでもシャルを守る。


 それが天之玄咲の生まれてきた意味だと。


 今、ここに自分が立っている意味だと。


 だから玄咲は本能に従ってシャルの前に立ちはだかった。


「お、俺が助けないと、シャルが、シャルが死んじゃうんだ。だから、だから――!」


 本能だった。まさしくそれは本能だった。クララを敵ではないと認識しながらもそのような行動・言動に出た意味不明さに玄咲は自分で混乱する。そんな玄咲にクララは少し悲しそうに、


「大丈夫」


 けれど、とびきり優しく微笑んだ。




 自分では気付いていないのだろう。天之玄咲は瞳の端から血の涙を流していた。血の涙というものが物理現象として本当に存在するものだと驚きを覚える。そんな、血の涙を流してまで、必死に背後の女の子を庇おうとする天之玄咲の姿にクララは胸が締め付けられた。


 憐れだった。

 必死だった。

 痛切だった。

 悲壮だった。

 命懸だった。


 そして、何より健気だった。


「――大丈夫」


 だから、愛おしいと思った。

 救われなければならないと思った。

 いや、救わなければならないと思った。

 クララは微笑む。少しでも天之玄咲を安心させるために。

 

「私はあなたの味方よ」





 天使が、微笑んだ。





「――クララ、先生」


 玄咲は膝から崩れ落ち血に塗れた両手を祈り合わせてクララにシャルナの救済を祈った。


「お願いします、シャルを助けてください……!」


「うん。任せて」


 クララが腰のカードケースから1枚のデバイス・カードを取り出し、呪文を唱えた。


武装解放アムドライブ――水癒潤廻甲アクアカレントイゾルデ」


 クララの手を包むように白と水色で構成された手甲型のADが顕現する。プレイアブルキャラではないがイベント共闘するクララ・サファリアの、NPCならではなの強力な性能のAD。そのADにカードケースからさらに1枚のカードを取り出してスロットル。クララはシャルにADを向けてカード名を名唱した。


「クレッセント・アクア・ヒール!」


 ADから発せられた巨大な手形の水色の光がシャルを包む。ゲームでも見た、ランク7という高位の回復魔法。それが、シャルの体を癒していく。傷口がゴボゴボと泡立つ。その様子を、手形の水泡の揺り籠の中で、シャルは不思議そうな表情で見ていた。どんな感覚を味わっているのか分からないが痛みはなさそうだった。どんどん、顔色が良くなっていく。表情が、明るくなっていく。


 シャルが水泡に包まれてから約10秒程が経過したころ、泡立ちが一層激しくなり、水色の光が強まった。水泡の中身を泡が埋め尽くす。水泡が強烈な水色の光を放ちながら膨らんだ。そして――。



 弾けた。



 液質を失った魔力の煌めきの中でシャルナが目を見開く。右肘、左肘、右膝、左膝、砕かれた個所を交互に見る。もう傷などなかった。純白の白い肌だけがあった。天使が、再臨していた。


「ああ……」


 シャルナが、無事な姿を見せている。


「ああああ…………」


 その体に手を伸ばしかけて。


「あ――」


 血塗れの自分の手が目に入った。


 触れたら天使を穢す。抱きしめたい衝動があった。だが、我慢できた。手を見たおかげだ。


 シャルナを穢さずに済んだ。


「シャル……」


 天使によって清められ、悪魔の手を免れた、愛するシャルナを見る。


「シャル…………!」


 その無事な姿を見れたことが何より嬉しくて。


「う、うううううう……うあああああああああああああああああああああああああああ!」


 四つん這いになって、獣のように玄咲は泣いた。






 血の涙を流し切ったからか、天之玄咲の瞳が人の色を取り戻した。


 どうやらあの赤目は血が吹き溜まってああなっていたらしい。理屈は全く分からないが恐らく精神状態とリンクしているのだろう。どれだけの激情がその眼に込められていたのか、想像するだに痛ましいものがあった。


(それにしても)


 なんて歪な子なんだろう、と。


 クララは天之玄咲の一連の行動を見て胸が痛くなった。


 こんなに歪な人間をクララは見たことがない。なにをどうしたらこの年でこんなに狂えるのか。壊れてしまえるのか。どんな人生を送ってきたのか想像もできない。正直、怖さを感じる。狂気の行く着く果てを思うといっそ目を瞑ってしまいたくなる。


 それでも、クララは天之玄咲を嫌いになれない。


 歪だけど、純粋だから。


 大好きな女の子を世界を敵に回してでも守ろうとするほどに。


 本当は抱きしめたいはずなのに、血に塗れた手を見て躊躇し、触れようとすらしないほどに。


 その気持ちが女の子に十二分に伝わっていることは、四つん這いになって泣く天之玄咲の頭を撫でる女の子の愛おし気な手つきを見ればよく分かる。不謹慎だが、この女の子も大概変わっているなとクララは思った。天之玄咲のことがよっぽど好きなのだろう。入学2日目でこれだけの奇人にそこまで惚れ込む理由がちょっとよく分からなかった。確かに顔は格好いいし、スタイルも完璧だし、強くて一途で基本的には真面目で礼儀正しく肝が据わってて潔癖かつ異常なまでに愛情が深くて一度惚れたら絶対裏切らないだろうという謎の安心感はあるが、絶対的に狂人だ。普通は怖くて近づかないと思う。まぁ人の好みは千差万別なのでとやかく言う気はないが。


(しかし、どうしたものかしら)


 クララ・サファリアはサンダージョーを見る。


 まだ生きている。


 間近で見て確信した。ギリギリで生きていた。おそらくレベル差が、紙一重で命を繋げたのだ。高レベルの魔符闘士は中々死なない。肉体が丈夫である以上に、その魂に宿る生命力の総量が桁違いなのだ。首を切断されたり、脳味噌を吹き飛ばされたりなどの物理的に生存不可能な状態に追い込まれない限りは基本死なない。


 けれどそれにも限度がある。早く治療しなければならない。だが、そこで問題が発生する。


(どの程度まで治すべきかしら。私、多分この子に勝てないのよね。水と雷じゃ属性相性も悪いし、STのデータ見たけどこれだけ高レベルの魂成期の若者相手じゃ分が悪すぎるわ)


 雷丈壱人は強い。凄まじく強い。魔力の質と量が最大値となる魂成期の人間だからというのもあるが、元々の素質が凄まじく高い。それに加えての雷丈壱人だけの特異体質。3年の級長の岩下若芽より現時点で強いなんてありえないことだ。この子にはレベル上限がないのだろうか? 流石に人間の最大値とされる100に達すれば止まると思いたいが、それすら突破する可能性がある。だとしたら学園長にも届きうる。あらゆる意味で末恐ろしい子だ。


(……歩ける程度に治しましょう)


 クララが魔法を発動しようとしたその時。


「まだ生きてるのか」





「経験則ではもう死んでるはずなんだが……」


 玄咲はサンダージョーに近づき、その死体を見る。微かに息をしていた。生を呼吸するように腹が上下している。


 一瞬、とどめを刺そうかと思った。だから近づいた。だが、やめた。サンダージョーにはもっといい命の使い方死に方があったから。


「……治すわよ。いいわね」


「はい」


 サンダージョーさえもを憐れんでいるのだろう。悲しそうな目で問うてくるクララに玄咲は頷いた。


「クレッセント――」


 クララがサンダージョーに手をかざし、魔法を発動しようとする。


 その時。


「――なんだ、この状況は」


 入り口から、声がした。


「孫娘から呼ばれて来てみれば、これは、何という――」


 玄咲は首を振り向かせる。神楽坂ヒロユキが教室の入口に立っていた。岩下若芽、サンダージョー、そして天之玄咲へと順に視線を移し、殺意とともに言葉を放った。


「天之玄咲。貴様の仕業か。今度という今度こそは退学にしてやる。学園長室でマギサも交えて対談だ」


 玄咲は何怯むことなく、シャルナを背に庇いヒロユキを睨み返した。


「望むところだ」

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