224 迷宮に逃れて、そして現れた男

「なんとか……逃げられたか……」


 迷宮とは一種の異界であるという。

 地続きの「洞窟」ではなく、中と外とは明確に別の場所であるといっていいだろう。俺は精霊力の気配のようなものを感じることができるが、迷宮内に入った途端、大精霊の気配も完全に遮断された。

 万が一大精霊が迷宮の中に入って来たなら感覚でわかるだろうが、その可能性は考慮しなくてもいいだろう。

 迷宮は大精霊の力が等しく作用することで発生しているのだ。

 そのバランスが崩れたら迷宮は崩壊する。

 リフレイアの話では、さすがの大精霊もそこまではしない……とのことらしい。昨日今日で出会った大精霊の感じからすると、本当かどうかは疑わしいが。


「まあ……もし大精霊がこの中に入ってきたら、もう終わりだな」


 下層へ逃げるにも限度がある。

 4層までならなんとかなるだろうが、5層に降りたならまさしく前門の虎、後門の狼。

 その場合はいよいよランダム転移を使って逃げるしかないだろう。

 というか、大精霊が入ってきた時点で、この迷宮は崩壊するのだろうか?


「……考えてもしかたがないな」


 正直に言えば、かなり疲れていた。

 肉体的にもそうだが、主に精神的に。

 フェルディナントは自滅に近い形で死んだが、あいつがセリカの恋人だという話が真実だったのかどうなのか、結局はわからない。

 ジャンヌの言う通り、地球のことは忘れたほうがいいのだろう。

 ナナミが転移者に再選出されたことだって、嘘だったに違いない。

 セリカの名前を出したのだ。俺にとってナナミがどういう存在なのかくらい、十分に承知していたはずだ。

 

 全世界に中継される異世界生活。

 その怖さは、俺もジャンヌも十分に承知していた、できていたはずだった。

 だが、実際には注意していたって、こうなった。


「……疲れたな。……本当に疲れた」


 睡眠不足というのはスタミナポーションを飲んでいても、ずっしりと疲労感が残るものだ。身体は動くが、心の磨耗までは回復してくれない。


 第一層「黄昏冥府街」はその名の通り、廃墟と化した街のような階層である。

 天井は黄昏色に染まり、永遠の夕暮れを演出している。

 この階層に、不思議なノスタルジーを感じるのは、現地の人たちも同じらしい。

 天に昇ることのできない死者たちの魂が徘徊しているのだと、時々、現地人がお祈りに来ていたりする。


 ナナミやセリカの名前を、地球から来た他人から聞いたからだろうか。

 俺自身も、この黄昏の中に身を置いていると感傷的な気持ちにさせられる。

 みんな元気に暮らしているのか――とか、今こうしている間も俺のことを見ているのだろうか――とか。


 俺は、別れを告げることもできずに、この世界に転移させられた。

 だからなのだろうか。

 ジャンヌの言うように割り切って、地球のことを「忘れる」ことができないのは。

 それとも、ただ俺が弱い人間だからというだけなのか。


 黄昏冥府街は、石造りの廃屋が立ち並んでおり、屋根のない家も多い。

 俺は力なく歩き、そのうちの手頃な一つに入った。

 スケルトンたちは通路をウロウロしているが、屋内にはなぜか入ってこない。

 とりあえず、腰を落ち着けて、リフレイアとジャンヌを待つことにしよう。

 少し、眠ってもいいかもしれない。

 もうまるまる24時間は寝ていないのだ。


 ――2人と合流したら、大精霊の目をかいくぐってこの街を出よう。

 アレックスたちが仕事で向かったという王都ストラノアには大きな港があるという。そこから船に乗って、南リングピル大陸へ。さらに、南下して、また船に乗りロシェシル大陸を目指す。ロシェシル大陸からは陸路で、グラン・アリスマリスへ。

 長い旅になるだろう。

 だが、その過酷な旅の中で、俺も地球のことを徐々に忘れることができる――そんな気がするのだ。


 ◇◆◆◆◇


 コツ、という誰かの足音で俺は目を覚ました。

 第一層の廃屋は、扉などはなく外に誰かがくればすぐにわかる。

 それが、リフレイアでもジャンヌでもない誰かだと、気づいたその刹那――

 パシュッ、パシュッという音が小さく響いた。


「――え?」


 再度、パシュッという音と共に目の前で小さな花火のような光が弾け、俺は突き飛ばされるような衝撃を受けた。


「が、はっ……」


 身体が熱い。

 目線を下に向けると、作ったばかりのミスリル製のスケイルメイルの一部――胸の部分がひしゃげ、穴を開けていた。


 うとうとはしても、迷宮の中。

 物盗りがいる可能性もあるし(特に一層は)、俺自身もそこまで完全に熟睡したわけでもなかった。

 さすがに事前に結界石を割ったりはしなかったが、それが失敗だったのか。


 目の前の……俺を攻撃したと思しき男は、まっすぐ両手で銃を構えたまま、俺を観察していた。

 ニヤニヤと、目と口元が緩んでいる。

 仮面の男。

 フェルディナントといっしょにいたあいつだった。


「おっと、頭ァ狙ったんだがな」

「お、まえ……」

「大精霊相手に生き延びるとは思わなかったけど、残念だったなぁ。こんなとこで無防備に寝ちまうなんて、神経おかしいんじゃねーの?」


 フェルディナントといっしょにいた時は、奴の後ろに隠れてほとんど何も喋らずにいたはずだが、今のこいつは妙に饒舌だった。

 しかし、こいつの……この人を小馬鹿にしたような口調と声……どこかで――


 胸に空いた穴から、大事なものが一秒一秒ごとに抜け落ち、全身を虚脱感が襲う。

 犯人の正体に思い当たりそうになったが、身体の状態はそれを冷静に考えるような猶予を与えてはくれなかった。

 銃で胸を撃たれたのだ。


(大癒のスクロール――、いやその前に結界石か)


 薄れゆく意識の中で、なんとか結界石を取り出し割る。


「まだ持ってやがったのか。しぶてぇな、ほんとに」


 仮面の男が舌打ちする。

 俺は、壁にもたれ掛かったまま、銃口が向いたままのそいつの姿を見ていた。

 奴との距離は五メートル程度。

 フェルディナントが死んだ今、なぜまだこいつは俺に執着するのだろう。

 今度はカレンの彼氏とか言い出すんじゃないだろうな――


 おぼろげになりつつ意識の中、そんなことを考えていると、唐突に身体が光り出した。

 痛みも、倦怠感も、すべてが嘘だったかのようにクリアになっていく。

 まるで大癒のスクロールを使った時のような状況だが、まだ俺は使っていない。  

 

「チッ、身代わりの指輪かよ。殺ったと思ったんだがな」


 答えは仮面の男からもたらされた。

 右手の薬指にあった指輪がポロリと落ちる。


 とりあえずの危機は脱したらしい。

 結界があれば安心だが、こいつは銃を持っている。

 ジャンヌやリフレイアが来れば撃たれるかもしれない。

 それまでに、無力化する必要があるだろう。


 仮面の男は無防備に廃屋の中に入ってきた。

 銃口はこちらに向けたままだが、ニヤニヤと笑っていて、隙だらけだ。 


「お前、これは知らなかっただろ」


 仮面の男はそう言って、さらに前進した。

 すでに俺との距離は3メートルを割っている。

 俺は腰の剣の柄を左手で握り、すぐ動けるよう腰を浮かした。

 

 仮面の男が、左手から銃を下ろしてポケットの中をまさぐる。

 取り出したのは結界石だった。

 その石を一息に割り、また銃を両手で構える。


 仮面の男を中心に新しい結界が発生。

 新たな結界の範囲は、俺が出した結界と被っている。

 それがどういう結果を生むのかなど、想像したこともなかった。


「マジかよ」


 まさか、合体して一つの大きな結界になるなんて――


「死ねっ!」


 仮面の男が、口から泡を飛ばしながら叫び、拳銃の引き金を引く。

 俺はその姿を目前に捉えながらも、嫌に冷静だった。


(拳銃か。前にセリカと撃ちに行ったな)


 見たところ、こいつの銃は9㎜よりも大きい、45口径の大型拳銃だ。

 素人が撃つには反動が大きい。先ほど、俺が食らったのが一発だったのに銃声が3つあったのは、2発外したということだ。


 俺も撃ったことがあるが、銃……とりわけ拳銃の扱いにはコツがいる。

 真っ直ぐ弾を飛ばす為に、自分自身がブレない土台になる必要があるのだから当然だ。

 体力アップを高レベルで取っていれば、問題なく扱えるだろうが、こいつはすでに2発外している。おそらく、取っていてもレベル1。

 それなら――


 消音器サプレッサーを通したパシュッ、パッシュッという音と共に、弾丸が発射される。秒速200メートルを超える速度で飛来する弾丸を、見てから避けるのは不可能だ。

 しかし、射線から大きく逃れることができれば、当然命中などしない。


 相手が引き金を引く刹那、俺は右足で地面を蹴った。

 引き金が引かれ、撃鉄が撃針を叩き、撃針が薬莢の雷管を刺激する。

 そのわずかな時間で十分だった。体力アップレベル2と、魔物討伐によるレベルアップの恩恵もあり、キルゾーンを脱する。

 銃は横の動きに弱いものだが、この至近距離ならばなおさらだ。

 一度、照準を外したら、もう拳銃でリカバリーする手段はない。


「ハッ? どこだ?」


 仮面の男が俺の姿を見失ったことに気付いた時には、俺はもう背後に回り込んでいた。

 

「フィアー」


 耳元で囁くように、魔術を発動する。


 銃は強力すぎる武器だ。

 どれほど身体を鍛えていようと、弾丸を急所に食らえば死は免れない。

 だからこそ、こいつは絶対の自信を持って俺に相対したのだろうし、俺が最初の攻撃で死なずに済んだのは、相手が素人だったからだ。

 もちろん、身代わりの指輪があったからというのも大きいが。


 いずれにせよ、仮面の男にとっては誤算だったに違いない。

 

 俺はポイント交換できるアイテムに詳しくないが、魔術を無効化できるものなどなかったはず。

 仮面の男は、フィアーの術効果を食らい、一切の力が抜けたかのうようにガクンと膝を付いた。


「シャドウバインド」

「サモン・ダークナイト」


 念のためバインドをかけ、ダークナイトに銃を回収させる。

 サプレッサー付きの大型自動拳銃で、ずっしりと重い。

 マガジンは通常の拳銃よりも長い。装弾数が多い改造がされたタイプなのだろう。


「まだ9発も残ってるのか……。えげつないもん持ち込んでるな」


 銃を手に入れたと言ったらジャンヌが喜びそうだ。

 現地人相手のわからん殺しには最強の武器だからな……銃って。


 仮面の男は、ダークナイトに後ろから羽交い締めにさせる。これで無力化できただろう。

 万が一こいつが、体力アップをレベル5で取っていれば、ダークナイトの拘束も破れるだろうが、銃の扱いを見るに、その可能性はない。

 男は少し抵抗を見せたが、すぐに無駄だと悟ったようだった。


「ふぅ……。それで、結局、お前はなんなんだ? どうして、俺を殺そうとした」

「か……返せ……俺の銃だぞ…………」

「返すわけないだろ」

「くそっ…………、お前みたいな奴に……お前みたいな奴が、なんでだよっ……くそっくそっくそっ」


 ブツブツと恨み言らしきことを呟く仮面の男。

 結局、こいつも俺を視聴者として見ていて、なんらかの逆恨みをした……ということなのだろうか。


「答えろ。どうして、俺を殺そうとした?」


 俺に質問に、仮面の男は顔を上げて、ニヤァっと気味の悪い笑顔を見せ言った。


「……俺はあのと……。相馬ナナミと付き合っていた。恋人だったんだよ。お前が殺したあののなぁ」

「………………ん? なんだって?」

「俺は相馬ナナミと付き合ってたんだ」

「……聞き間違いじゃなかったのか」


 フェルディナントがセリカの恋人だと言っていたのはまあいい。

 俺も妹のことをなんでも知っているわけではなかったし、兄に対して秘密の一つや二つ――いや、100個や200個あっても不思議ではない。特にセリカは交友関係が広かったから。

 だがナナミの恋人はちょっと無理があるのでは?


「じゃあお前は、俺やナナミと同じ街の……もしかして同じ学校の奴ってことなのか? ……いや、その声……」

「そうだ。同じ学校だよ。仮面を取れば、お前でもわかるんじゃねぇのか?」

「仮面? なにか傷を隠してるんじゃなかったのか?」


 男は答えなかった。

 ダークナイトに命じて仮面を外す――


「………お前……あの時の」


 声と口調で、その可能性についてはチラリと考えてはいた。

 だけど、実際には天文学的な可能性の低さであり、除外してしまって問題ない程度の確率だったはず。

 だが、その顔は忘れようもないものだった。


 ナナミを、ナナミの父親と母親を惨殺した、名前のわからない同級生の顔がそこにあった。

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