012 闇の修行、そして闇の主
アラームで目を覚ます。
時間は昼の12時ちょうど。
猿の家族のほうを見ると、二匹の子猿は広場で遊び回っているが、大猿のほうはいなくなっていた。食料の調達にでも出ているのかもしれない。
あの猿たちがいなくなってくれれば、その隙に脱出するのだが、どうやら望み薄だ。
あとは、夜半、闇に乗じて脱出するしか手はないだろう。
あの猿と戦うという選択肢はない。子猿だけなら、魔法のスクロールなんかを駆使すれば倒せるかもしれないが、確実に親猿が血眼になって下手人を捜し回るという地獄の展開へと発展するだろう。
単純に動物を殺したくないというのもある。
「精霊術の練習するか……」
結局、それしかない。
術には熟練度があり、今はこんな感じだ。
闇の精霊術
第一位階術式
・闇ノ顕 【ダークミスト】 熟練度 89
・闇ノ見 【ナイトヴィジョン】 熟練度15
・闇ノ化 【シャドウランナー】 熟練度0
昨日は明け方まで術を使いながら歩いたから、そこそこ上がった気がする。
練習もいいけど、やはり実践的な使用のほうが熟練度も上がりやすいのだろうか。
さらに新しい術も生えてきた。
どうやら、闇で作られた人型……つまり影を囮として走らせる術らしい。
「囮……! これは使えるぞ……!」
新しい術なら、すぐに使ってみたい。
結界の中でも術の使用に問題がないのは確認済みだ。
「シャドウランナー!」
術に呼応して、ジワジワと虚空から闇が出現し人の姿へと成長する。
熟練度が低いからか、ランナーといっても陸上選手ではなく、小さな子どもの影。
形は人間だが、厚みはない。
それが、一直線に駆け出す――が、結界の薄膜に接触したと同時に影は霧散し、消え失せてしまった。精霊術を結界の向こう側へ浸透させることは不可能なので、この結果は仕方がない。
こけおどしにもならないような、本当に影が走るだけの術。
だが、囮としては優秀そうだ。少なくとも、この森からの脱出には使えるだろう。
あのヒントは本当に重大なヒントだったのだ。
「よし、とにかく練習しよう!」
状況はハードだが、まだ諦めるには早いようだ。
◇◆◆◆◇
結界石の効果が切れるのは、17時半。
現在時刻は17時。
あれから5時間もの間、術の練習を続けたが、かなり成果が出た。
【 闇の精霊術 】
第一位階術式
・闇ノ見 【ナイトヴィジョン】 熟練度17
・闇ノ化 【シャドウランナー】 熟練度30
第二位階術式
・闇ノ顕 【ダークミスト】 熟練度 22
ダークミストの熟練度がカンスト。第二位階へ上がっている。
この位階というのは、たぶん術ごとのレベルみたいなもので、熟練度が100になるごと次のレベルに上がるようである。
ナイトヴィジョンは真っ昼間には使っても効果がなく、熟練度もほとんど上がらないため使っていない。優先度が高くないからというのもある。
「ダークミスト!」
俺の声に呼応して、虚空から闇が現れ光を浸食していく。
位階アップの効果か、ダークミストもかなり濃い闇が作れるようになってきた。闇が結界全域に及ぶくらいにはなってきたので、最初のころとは比べものにならない。闇が現れる速度もかなり上がっている。
これなら、猿たちに気付かれずに外に出ることもできるかもしれない。
「……でも、思ったより暗くならないな」
季節的な問題なのか、17時でも空はかなりの明るさを保っている。到底、夕暮れとも言えないような状況だ。
猿の親子はというと、大猿が大量の餌を抱えて戻ってきて、夕食タイムだ。
餌に夢中で、俺の存在を見逃す――可能性はあるだろうが、望み薄だろう。
子猿でも走る速度は俺の3倍以上ある。大猿にいたっては10倍くらいいきそうだ。出し抜ける気がしない。
「夜まで待つか……」
俺は慎重を期すことにした。
ここで、ワンチャレンジするのも悪くはないが、あの猿たちの警戒度を無駄に上げる結果にならないとも限らない。
残りポイントは少ないが、ここで使わずいつ使うのかという話だ。
俺は1ポイントで結界石を交換し、残り時間が1分になったタイミングで割った。結界石は重複利用が可能なのだ。残り時間が12時間と1分となる。
俺は深夜まで精霊術の練習を続けた。
◇◆◆◆◇
「良し……。曇り空で月も出てないし、これならいけるんじゃないか……?」
深夜2時。
まさに草木も眠る丑三つ時である。
暗視を持っていてさえ、濃密すぎる闇が辺りを支配し、不気味なほどだ。
だが、今の俺の状況ではすべてが味方となる要素だ。
精霊術も何度も使うことで次のステップに進んだ。
「ダークネス・フォグ」
俺は闇ノ顕・第三位階術式となったダークミスト改め「ダークネスフォグ」の術を唱える。
瞬間的に現れた闇が、結界の内部をパンパンになるほど闇に染め抜く。
俺の姿は完全に隠れ、少なくとも視覚に頼った相手からは認識されないはずだ。
「精霊術もかなり育ってきたしな」
【 闇の精霊術 】
第一位階術式
・闇ノ見 【ナイトヴィジョン】 熟練度38
・闇ノ化 【シャドウランナー】 熟練度64
第三位階術式
・闇ノ顕 【ダークネスフォグ】 熟練度2
なんだか結界の中のほうが、術を使うのが簡単というか、負荷が低いというのもあって、かなり連続使用してしまったが、気を失う兆候すらなかった。
位階も熟練度も上がって、だんだん使うのが上手くなっているということなのだろう。
「新しい結界石も用意したし……行くか……!」
残りポイントは7だ。
いよいよ少なくなってきたが、実は精霊術の練習中に1ポイント増えている。なんでも『精霊術第三位階達成』を俺が全転移者の中で最初に成し遂げたかららしい。
他の転移者達だって、精霊術の練習なんてガンガンやっているはずだが……。
やはり、ランダム転移で森に一人、必死さが違うということかもしれない。もちろん「精霊の寵愛」が仕事をしているという可能性もある。ちょっと不自然なほど術を連続使用できている自覚あるし。
ただまあ、それは比較対象がないから可能性にすぎないのだけど。
なんにせよ、「はじめての」シリーズはクリスタルやポイントが貰えるから助かる。例えば、あの猿なんかも倒せば、初めての魔物討伐みたいな実績となるのだろう。倒せないけど。
猿たちは親子で抱き合うようにして眠っている。
おそらくあの猿は、この森では天敵がいないのだろう。まるで無防備な寝姿だ。
これなら脱出できる。
そんな確信があった。
結界の残り時間は3時間半ある。
だが、深夜のうちに脱出してしまわなければならない。
「ダークネス・フォグ」
さらに重ね掛けをする。深い闇の中にあって、さらに深い闇が結界の内部を埋め尽くしていく。
「よし……」
俺は音を立てないように慎重に、半径3メートルの結界の端まで移動し結界を解除した。
溶けるように結界の薄膜が消え失せ、俺が発生させた闇が辺りを浸食していく。
遠くから見たら不自然なほど闇が出現したように見えたかもしれない。
猿たちは気付いていない。
ただ、ザワザワとした謎の気配だけは、肌を刺すほどに感じている。
この世界に来てから、ずっと感じていた気配。
この月のない夜にあって、まるで誰かが隣にいるかのように濃密だ。
だが、そんな謎の気配などに構ってはいられない。
俺は一歩一歩、音を立てないように慎重に、歩を進めた。
幸い、猿たちが起きる気配はない。
空に月はなく、ただでさえ闇の深い夜だ。
――――ふ……うふふ……。ふふ……
何か、声が聞こえた。
猿たちは寝ている。
だが、どこからか、少女の笑い声のようなものが。
新しい魔物だろうか?
俺は慎重に歩を進めながら、周囲を探る。
すでにナイトヴィジョンを使用しているにも関わらず、あまり遠くは見えない。
50メートル向こうで眠る猿の姿も、ギリギリ視認できる程度だ。
クスクス……
うふふ……
(まただ……。なんなんだこの声は……)
ものすごく遠くからのようにも、耳のすぐ側からのようにも聞こえる不思議な声。
遥か遠くで遊ぶ子どものはしゃぐ声のようにも、耳元で秘密を囁く声のようにも聞こえる。
ふふ……うふふ……
声がだんだんハッキリと聞こえてくる。
捉えどころがなく、意味の通らない音声としか感じられないのだが、近付くにつれ、意思のようなものが現れはじめる。
声は、俺に向けて笑いかけている――
そういう確信だけがある。
俺は声を無視して先を急いだ。
今はとにかく距離を稼がなければならない。
「ダークネスフォグ」
闇の深い夜だった。
それは、月明かりがないからとか、そういう問題ではなく、闇が闇としてそこに存在するかのような夜。黒く塗り潰された空間の奥には、底知れぬ水面が地平線の先まで広がっているかのような、そんな夜だった。
暗視を持っていなかったら、一歩たりとも進むことができなかっただろう。
声は間断なく、聞こえてきていた。
少女のような、少年のような、老婆のような、乳児のような。
ラジオの音声が遠く空気に乗って耳に届いているかのようだ。
――不思議と、怖さは感じなかった。
それが魔物の唸り声や、遠吠えであったのならばビビっていたかもしれないが、声は人の声のように聞こえたからだ。
それに、この寂しい一人きりの旅の中で、誰かが側にいてくれる……そんな風に感じたからなのかもしれない。
猿との距離も100メートル、200メートルと順調に離れることができていた。
「ダークネスフォグ」
何度目かの精霊術を唱えた時だった。
周囲の闇がザワザワと、まるで生きているかのように震える。
大気が脈動し、闇の中からさらに深い闇が出現し、地面に、木の幹に、枝に、葉に、そして空にさえベッタリと張り付いていく。
(な……なんだ……?)
それまで聞こえていた「声」もいつのまにか聞こえなくなっている。
それどころか、風の音も、虫の声も、何一つ聞こえない。
俺は、ポケットから結界石を取り出し、構えた。
魔物が近くに来ている……?
いや、そんなはずはない。そういう足音はしなかったし――
生き物ではないのか……?
それは闇が姿を変えた。そうとしか言い表せない現象だった。
俺が術を使った直後、闇の中に何かが顕れたのだ。
周囲の様子はまるでわからない。暗視など全く意味をなさないほど、俺の周りにあるのは塗り潰したような闇だけだ。
幽霊なんて曖昧なものではない。
周囲の闇が凝縮した「なにか」が、どこかに――
遥か遥か遠くか、それとも肩が触れるような距離に――
――ねぇ。あなた、美味しそうね。
耳元ではっきりとそう聞こえた。
質量を持った闇の塊にそっと命そのものを撫でられたような感触。
全身の肌が粟立ち、俺は反射的に結界石を割っていた。
――ふぅん、不思議な力……。
――近付こうとすればするほど、遠ざかっていくのね。
そのとき、俺はやっとその「声の主」を見た。
暗い昏い漆黒の輪郭。
闇の中にあって、それはさらに暗い闇でその姿を縁取られていた。
長い髪をなびかせた少女のアウトライン。
幸い、結界の中には入れないようだが、フワフワと取り留めのない動きで、俺の周囲を歩き回っている。
「だ、誰なんだお前は」
なんとか、そう訊ねることができた。
何者かはわからない。俺にとっては危険な存在である……と思う。
だが、言葉が通じるのなら、もしかしたら理解しあえる可能性もある。
――私のことが分からないの?
――あんなに私を必要としていたくせに。私を愛しているのでしょう?
――私も愛しているわ。さあ、この術を解いて――ひとつになりましょう。
ダメそうだ。
闇の化身ともいうべき「声の主」は、その動きと同じようなフワフワとしたセリフを吐いた。言葉だけは、情熱的だが、実際には一切の熱も帯びぬ、平坦な声。
ただ、わかることは彼女が俺の味方ではなさそうということだ。
そして、戦うのは無駄だということも、本能的に理解できてしまった。
とはいえ、結界の中には入って来られないようで、ただ取り留めなく周囲をうろついている。
そして、猿とは違い、こいつは「結界の中」が見えている。
見えているということは、どこにもいなくならないということを意味しているのだろう。
詰んだ。
まさか、猿から逃れられそうなのに、こんなわけのわからないものまで生息しているとは、危険度4の森のヤバさを見誤っていた。
――さあ、さあ、はやくこの術を解いて。愛しい人……。
――朝日が昇る前に、一つになりましょう。
――あんなに何度も何度も私を呼んだでしょう? ああ、あれが愛されるということなのね……。それなのに、つれない人……。
フワフワと辺りを漂いながら、言葉を紡ぐ闇の化身。
それは、俺に対して語りかけているようで、独り言のような、不思議な声音だった。
(だが、朝日……と言ったな。闇の化身だから、もしかして朝には消えるのか?)
可能性はあった。
というより、そうであって欲しかった。
俺はただ声にビビりながら、座り込んでいた。
やれることはなかった。
精霊術の過度な練習が、この声の主を呼んだというような気がしていたからだ。
彼女?の認識では、俺が彼女を呼んだということらしい。
思い当たる節は、闇の精霊術以外にない。
(精霊術ってのは、精霊から力を借りて行使するものらしいからな……)
いずれにせよ、もう朝日を待つしかなかった。
幸い、結界石の残り時間はたっぷり昼の2時半くらいまである。
まんじりともせず、俺は朝日を待った。
闇の主は、フワフワとずっと周囲を飛び回っていたが、時刻が三時半を回った頃、変化があった。
――残念。本当に残念だわ、可愛いあなた。一つになりたかったのに。
――でも、せめて、せめての出会いだから、なにか贈り物をあげないとね。
――待っていてね。あなたが欲しいものはなんでもわかるのよ。
――また逢えること、楽しみにしているわ…………
声はどこかへ消えた。
俺はほっと胸をなで下ろしたが、しばらくしてまた闇の化身は現れた。
ドサドサと何かを地面に下ろす音。
そして、今度こそ、声の主は掻き消えるように姿を消した。
静寂に支配された森に、次第に虫の鳴き声や、木々のざわめきが戻り、生命の気配を感じることで、ようやく命が助かったことを悟ったのだった。
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