008 闇、そして光
たっぷり1時間ほどして、ようやく俺は落ち着きを取り戻そうとしていた。
まだ、脳裏にはあの猿の暴力的な姿が焼き付いている。
だが、永遠にこうしていられるわけではない。今後どうするのか考えるしかないのだ。
この世界には死によるギブアップしかないのだから。
「……19ポイントでやれることあるのかな」
19ポイントは決して少なくない数字だが、あの猿を見た後だから、尚更そう思うのか、この森を抜けるにはかなり考えて運用する必要があるだろう。考えてみたところで間違いがあれば即ゲームオーバーもありえる。
生きたまま手足を引っこ抜かれて喰い殺されるのは絶対にごめんだ。
「大猿……戻ってくるのかな。ここがあいつの縄張りなら、俺を探し回ってるんだろうし……」
この結界が切れたら、また歩かなければならない。
そうしたら、あの猿と再遭遇する可能性が高い。
戦うのか、それとも別の手段があるのか。
まず、あの大猿を殺すのは無理だろう。これは断言できる。
19ポイントのリソースを全部注ぎ込み、スクロールなんかの攻撃魔法アイテムを使い込めば、あるいは可能性がある――そんな程度だろう。
あくまで目的は森からの脱出なのだ。
そこを誤ってはいけない。
ボードには、結界の残り時間が出るのだが、あと9時間。
今は昼だから、切れる時には夜になっているだろう。夜の過ごし方も含めて考えなければならない。
「……それにしても、視聴者一気に増えたな。ほんとにこんなに見てる人がいるのか?」
ふと、リアルタイム視聴者数が目にとまる。
視聴者数は刻々と数字を変えていくのだが、今現在の視聴者数は、なんと1億1632万人である。
さっきまで200万弱だったことを考えると、尋常ではないバズり方だ。
元々注目されていた転移者を見る人間が最初は多いだろうことを考えれば、これはランダム転移の効果なのだろう。序盤のお笑い枠の名は伊達じゃないということか。
地球から、テレビやスマホやパソコンで、のんびりと菓子なんか食べながら、俺のサバイバルを見ているのだろう。正直、複雑な心境だ。
だが、こうしてここに来ていなかったのなら、俺だって同じようにしていたはず。
悪いのは罠を仕掛けた神のほうだ。
ステータスボードには、いろいろログが表示されるのだが、視聴者数のログも「○○人突破」という形で出る。
そして、その特典としてクリスタルというものが配布される。
といっても、物体ではなくポイントみたいなものだ。
30個のクリスタルを集めると1ポイントと交換できるらしいから、ポイントの欠片とでもいってもいいだろう。
とにかく、今、俺にはそのクリスタルが2つある。
「デイリー視聴者1億人達成」と「怪物との初遭遇達成」による特典だ。
クリスタルが配られる最小単位が視聴者1億人というのは、かなり渋い設定のような気もするが、とにかく貰えるものはなんでも貰いたい。
クリスタルの使い道はいろいろある。
まず、多種多様なアイテムに交換可能。
たとえば、1クリスタルで初級ポーション一つと交換可能だったりする。あとは細々とした物、ポケットティッシュ、トイレットペーパー、サンドイッチ、水、木刀、木綿のふろしき、メモ用紙と鉛筆等々……けっこう細々したものと交換が可能だ。
今は極度の緊張からか腹が減っていないが、そのうちサンドイッチと水の世話になるだろう。そういう意味でも、クリスタルは貴重といえた。
3クリスタルも出せば、体力、スタミナ、精霊力の各回復ポーションと交換できる。
あと、フリップボードセットなるものも交換対象だ。視聴者向けに転移者が文字で何かを伝える時の為のものだろうか。
5クリスタルも出せば、中級ポーションを始めとして、道具や装備など、かなりいろんなものと交換できる。
どれも、いずれは必要になるだろうから、やはり無駄遣いはできない。
「これに使うしかないだろうな。今は」
クリスタルでは「物」以外のものも交換可能だ。
直前に出会った魔物の情報を知ることができる「モンスター鑑定」。
手に持った物の情報を知ることができる「アイテム鑑定」。
そして、生き残る為の情報を得ることができる「生きるヒント」。
当然、俺がとるべきなのは一番最後のやつである。モンスター鑑定も興味があるが、それは生き残ることができた時までとっておこう。
2つ持っているとはいえ、クリスタルはたった1つでも貴重だ。
30クリスタルで1ポイントということは、裏を返せばクリスタルを溜めなければ、これからポイントを増やすことはできないということ。
だが、今は少しでも生きるヒントが欲しい。
俺は、「ヒント」のボタンを押し込んだ。
<1クリスタルを消費して、「生きるヒント」を聞きますか? YES・NO>
YESに触れると、すぐにヒントが表示される。
<『闇に紛れよ』>
「え……。こ、これだけ?」
ざっくりすぎる。まさにヒントだ。
すでに詰んでいる状況で適当なことを言っている可能性すらある。
だが、他にすがりつけるものがないのも事実なのだった。
「闇ってことは、夜に移動しろってことか?」
一般的に、夜のほうが危険がある気がするが、俺は「暗視」を取っている。
実際に、どの程度見えるのかは夜になってみないとわからないが、おそらく歩くくらいなら問題ないのだろう。
夜なら安全に歩けるなら、ポイントの許す限り日が出ている間は結界で引きこもって、夜に距離を稼ぐという手段がとれるが……。
「この森の魔物は、夜には活動しないタイプのが多いってことなのかも……?」
この世界のことは正直ほとんどなにもわからない。もしかすると夜行性の生物があまりいないという可能性もある。
というより、ヒントに闇に紛れろと出るくらいだ。少なくとも夜のほうが安全だと考えるのが自然だ。
「……でも、だったら別に夜に行動しろみたいなヒントだって良さそうなもんか」
夜ではなく闇だ。
そう思えば、ピンとくるものがあった。
ステータスボードから、精霊術の項目を開く。
火、水、風、土、光、そして闇。
どの精霊術も一律10ポイントで取得できる。
残り19ポイントの俺にとって、めちゃくちゃに重い数字だ。
闇の精霊魔法を一度押し込むと、説明が出る。
『直接的な攻撃術は少なく、補助的な術が多い』
「う~ん……」
闇の魔法だ。
「闇に紛れる方法」がある……と思う。
補助的な術が多いというくらいだ、相手を暗闇で包むやつとか、確かに今の俺の状況に合っているのがありそうではある。
(それに……俺には精霊の寵愛がある)
精霊の寵愛の効果は不明。
だけど、普通に考えれば精霊魔法の使用に何らかのバフが乗るのだと思う。いずれは魔法を修得しようと思ってはいたのだから、遅いか早いかの違いだけと前向きに考えることもできる。
取るなら火か水と考えてたけど……。
「……ま、もうここまで来たら伸るか反るか、いくしかないよな」
はっきり言って、もう状況はほとんど詰んでいる。
大量の視聴者がいることで、俺はほんの薄い壁一枚分の自尊心を保っていられているのだ。これが、完全に自分一人で異世界に放り出されていたのなら、今頃泣きわめいていたことだろう。
ここでポイントを使わず、危険になるたびに結界石を割っていたら、あっという間にポイントはゼロになるだろう。
そうなったら、もうどうにもならないのだ。
今。この段階でやれる手を尽くさなければ。
『10ポイントを消費して闇の精霊術を取得しますか? YES・NO』
俺は覚悟を決め、YESボタンを押し込んだ。
『闇の精霊術を取得しました。精霊術に関しての情報はステータスボードにて確認してください』
システム音声が脳内に鳴り響く。
取得したことで精霊術とはなにかを把握……いや、元々知っていたことかのように身体が理解した。
精霊術とは、この世界に数多存在する精霊達へ呼びかけ、自分自身を媒介としてある性質を帯びた精霊達を術の効果に乗せて放出するものであるのだと。
ステータスボードを開くと、「契約精霊:闇」という項目が追加されていた。
精霊術の取得は重複できないという話だから、契約破棄(できるのかどうかは知らないが)しない限りは、ずっと闇の精霊術と共に生きていくことになる……ということなのだろう。
闇の精霊術の欄が新しくできていたのでタップする。
【 闇の精霊術 】
第一位階術式
・闇ノ顕 【ダークミスト】 熟練度 0
「おっ! これは、まさに闇に紛れる術式では?」
一つしかないことや、熟練度方式であることよりも、まさに今俺が欲しているものであることに、希望の光が差した気分になる。
闇なのに希望の光とはなんだか矛盾しているが、なんとか生きてこの森を抜けられる可能性が、まさに一筋見えた。
闇ノ顕の意味はよくわからないけど、とにかく森を抜けてからだ。
「とにかく使ってみるか。えっと……ダークミスト!」
俺は腹に力を込めて術名を唱えた。
自分の周りにいる精霊達が、俺という反応器を通して「闇」へと徐々に姿を変えていく。
「お……」
遅い。
ほんとうにジワジワだ。ジワジワと周囲が闇に包まれていく。
それも自分を中心として、ほんの50センチ程度の範囲。
術者である自分自身からは外の様子がわかるが、所詮はミスト。これでは、外からも俺の姿がそれなりに見えているのではないだろうか。それに範囲も狭い。
こんなものだろうか。
闇は一分程度で霧散した。
闇に紛れてこの森を抜けるには、あまりにも頼りない術。
だが、それでもこれが俺が手に入れた唯一の武器だった。
「でも、結界の中でも術が使えるのはラッキーだったな」
結界の残り時間は8時間強。少なくともその時間の間は「練習」ができる。
ステータスボードを確認する。
【 闇の精霊術 】
第一位階術式
・闇ノ顕 【ダークミスト】 熟練度 1
「熟練度、上がっているな。一回使って1上がるのか?」
いずれにせよ、使いまくるしかない。
自分の精霊力の底がどこにあるのかも把握しておく必要があるし、熟練度が上がることで効果範囲や効果時間が増えることも期待できる。
「ダークミスト」
「ダークミスト」
「ダークミスト」
重ね掛けも試してみるが、効果は薄そうだ。
あくまで、一回の術での効果の上昇を目指したほうが良さそうである。
精霊の寵愛の効果が発揮されているのかどうかはわからない。
術の発生そのものに苦労しないのが、精霊の寵愛の効果であるのかもしれない。寵愛がない者だと、そもそも術を使うこと自体が難しいなんてこともありそうだ。
「……精霊の寵愛があるなら、術を使う為のエネルギーに愛されているということか? 自分じゃ全然分からないけど……」
ただ、精霊術を使うと精霊から力を借りているという手応えのようなものがある。
この手応えが、使用した精霊力の量に比例するのかもしれない。
「とにかく、数をこなして試していくか……」
教師がいるわけじゃないから、あくまで手探りで上達していくしかない。
術そのものは使えるし、今のところ精霊力の減少による疲労感のようなものは感じない。
夜中に歩くとして、あと8時間は練習に当てよう。
結界石には1ポイントも使っているのだ、1分とて無駄にはできない。
残りポイント 9
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