第101話 命を燃やさずに済むならその方がいい

 ユーリの忠告がビルの谷間に消えた頃、エミリアはそれを鼻で笑って扇を閉じた。そのままユーリに背を向け何も語らないエミリアであるが、その背中はまるで自分は死ぬことはない、と言わんばかりである。


 そんなエミリアの背中に、ユーリはそれ以上何も言わない。忠告はしたが、それを聞くかどうかはエミリア次第で、後はどうなろうがユーリの知った事ではない。


 そんなユーリの気持ちを知ってか知らずか、エミリアは振り返らないままルカの下まで歩き出した。


「ルカ、行きますわよ」


 それだけ言うと、エミリアは更に奥へと進んでいく。そんなエミリアとユーリを交互に見るルカは、先程のユーリの発言が気になっているのは間違いない。


 とは言え、今も少し先で「早く行きますわよ」と不機嫌そうに振り返ったエミリアの方が勝ったようで、ユーリを気にしつつもエミリアを追いかけ始めた。


 そんな二人に小さく溜息をついたユーリ。その後ろから――


「ユーリさん、さっきのは――?」


 ――カノンが不安そうな顔を見せた。


「そんままの意味だ。あんな戦い方……いや、してたら、ドリ子は今日ここで死ぬ」


 ユーリはそんなカノンのベレー帽を持ち上げて、もう一度彼女の頭に返した。


「でも、エミーさんは不死身ですよ?」


 ベレー帽を直しながら、小首を傾げるカノン。


「あのな…俺たちゃ?」


 眉を寄せるユーリに「そりゃまあ」とカノンが頷いた。


「貫かれた腹、失った血、それらを作り変えるのに、……なんて訳ねぇだろ」


 ユーリは少し先を歩くエミリアとルカの背中を眺めている。


「でも今まで……」


 ユーリの隣に並んだカノンが、同じ様にエミリア達の背中を見ながら呟いた。今までそんな事など聞いたことなかった。そう言いたげなカノンの瞳に、ユーリは「そりゃそうだろ」と呆れた声を返した。


を誰が嬉々として語るんだよ」


 ユーリの言うことは尤もで、チートにしか思えない能力であっても神の如き万能ではない。


 例えばユーリとヒョウの幼なじみであるリンコの能力は、能力を使えば誰彼構わず心の声を引っ張ってくる、と彼女は言っていた。

 例えば群衆の中で使えば、それこそ頭が割れそうになる程の情報量なのだとか。


 狙った相手だけから抜き取るには、かなりの集中と加えて高い魔力を消費するという。とても乱戦中に使用できる物ではないし、一対一でも周囲に人がいればかなり集中を削がれるそうだ。


「まあ、順当に考えればだろうな……魔力に依存するってのもあるが、多分……」


 歩きながら語るユーリの横で、「回数制限ですか……」とカノンも腕を組んで唸っている。


「回数制限があるなら、ああやってパフォーマンスみたいにしなくても良かったのでは?」


 腕を組んだまま首を傾げるカノンの視線の先で、エミリアとルカが角を曲がる――視界から消えた二人に、ユーリが「あのバカ――」と慌ててその後を追いかけ、それにカノンも続く。


 角の向こうに二人の姿を確認したユーリが、「ふぅ」とついた安堵の溜息に、カノンは少しだけ笑みをこぼした。後はどうとでもなれ。そう言いながら、ユーリは気づかぬうちに心配しているのだ。


 ぶっきら棒で自分勝手に見えて、何だかんだで面倒見が良い。


 そんなユーリを見るカノンの感想だ――が、一安心したユーリは「これじゃホントに子守だぜ」と口を尖らせて悪態をついている。


「そう言えば、回数制限があるなら何故パフォーマンスを?」


 先程の質問を繰り返したカノン。ユーリは彼女に視線を向けることなく「そりゃ俺ら……ってか俺にだけだろ」と溜息をついた。


 対抗心なのか、上下関係をつけたいのか、兎に角ユーリに向けて「自分は凄い」と見せつけたかったのだけは間違いない。


「ガキの発想だな。貰った力を振り回して悦に浸るのは、


 鼻を鳴らすユーリに、「私達も能力貰ってますけどね」とカノンは苦笑いだ。


「バカか。俺はそう言う。あんのはあの使い勝手の悪い破壊光線だけだ」


 肩を竦めたユーリが「神様もケチだよな」と更に続けて笑った。あっけらかんとした表情のユーリだが、カノンは正直驚きを隠せないでいる。確かに言われてみれば、ユーリは今まで戦闘において何かしらの能力を使った事はない。


 例えばカノンであれば、未だ反転途上ではあるものの、サテライトと自身の視界を同時処理できる程の演算能力を持ち合わせている。

 例えばゲオルグなら、拳の一振りが数発に及ぶ衝撃に変化する。

 例えばエレナなら、相手の本質を見抜き、傷を癒やすことが出来る。

 例えば先日揉めた騎士クロエならば、炎を自在に操る事が出来る。


 皆何かしらの能力を戦闘に活かして戦うのは、基本中の基本だ。


 だがユーリはそれがないのだという。ただ単純に、戦って力が強くなり、動きが疾くなった。それだけでモンスターと渡り合っているのだという。もちろん破壊光線がちゃんと使えれば話は別だろうが、ユーリの口ぶりから今までそれを戦闘に使ったことは無さそうだ。


「……脳筋ここに極まれり」


 呟いたカノンのアホ毛を笑顔で引っ張るユーリ。


「誰が、何だって?」


 ユーリの向けた笑顔で、「ぎぃぃぇええええ!」とカノンの悲鳴が廃墟の中に大きく響き渡った――


 それに驚いたのだろう鳥たちが、羽音を響かせあちこちから飛び立ち、前を歩いていたエミリアとルカも「お前ら馬鹿か」と言った形相で振り返った。


 それもその筈、こんな所で悲鳴など上げようものなら――


「ホォー! ホォー!」


 ――遠くビルの谷間から響き渡るのは、先程ユーリ達を襲ったファイターエイプの雄叫びだ。


 少しずつ近づいてくる――

 どんどん大きく――

 その数も増えて――


 瞬く間にユーリ達の周りに、先程の比ではないファイターエイプの群れが現れた。


 通りの先からだけでなく、廃墟の影、屋上、至るところから顔をのぞかせるファイターエイプが、「ホォー、ホォー」と雄たけびを上げながら、近くの物を叩いて威嚇し始めた。


「アナタ達! 馬鹿なんですの? こんな場所で奇声を発するなど!」


 振り返ったエミリアの声が廃墟に反響する――「お前もデケェ声だすなよ」とユーリがジト目で耳を塞いで見せるが、正直ここまでモンスターが集まっては今更だ。


「兎に角、陣形を組みますわよ――」


 ゲートから武器を出すエミリアとルカ。それに続き戦斧を出すカノン――だが、ユーリがそれを止めた。


「アナタ、一体どういうつもりなんですの?」


 鬼の形相のエミリアが、ファイターエイプに気を配りながらもカノンを止めるユーリを睨みつけた。


「どうもこうも、お前が最強なんだろ? だったら自分でどうにかしろ」


 鼻を鳴らしたユーリに、「どうにかって……こんな大群――」とエミリアが奥歯を噛み締めた。


「どれだけ多くても、お前は死なねぇんだろ? なら大丈夫だ。頑張れ」


 そう言いながらユーリは、腕を組んで「ちなみに俺なら」とニヤリと笑う。その小憎たらしい笑顔にエミリアの顔面が紅潮――


「あ、アタクシだって――」

「エミー、この数は流石に無理だよ!」


 暴走しそうなエミリアをルカが宥める。実際大丈夫と言いながらも、エミリアとルカはジリジリとユーリ達の傍まで後退してきているのだ。


「成程。を見るに……生き返れんのはあと数回ってところか」


 ニヤリと笑うユーリに、エミリアとルカが二人して弾かれたように振り返った。


「慌ててるって事は、やっぱ魔力依存じゃねぇな」


 笑うユーリの言葉に「なぜ……」とエミリアが困惑した表情で眉を寄せた。何故知っているのか。そう言われてもユーリからしたら予想であって知っているわけではない。ただ、魔力依存であれば、魔力回復薬マジックポーション さえあればある程度の問題は解決するはずだ。


 それが慌てているという事は、魔力回復薬マジックポーションがない、若しくは魔力回復薬マジックポーションでは解決できないの二択だろう。


 仮に魔力依存であれば、己の能力を担保する魔力回復薬マジックポーションが無いという事は考えられない。よって、魔力回復薬マジックポーションでは解決できない……つまり回数制限という結論に至っただけである。


「まあ最初っから回数制だとは思ってたけどよ」


 呆れた表情のユーリが、「無制限なら、王子がドリ子を助ける必要がねぇからな」と続ける言葉で、カノンが納得したように手を叩いた。


 ユーリの言う通り、何度でも甦れるのなら、エミリアに迫る敵は放っておいて問題ないのだ。そこをルカが助けるという事は、普段の戦闘では復活は最終手段だとユーリは最初から睨んでいた。


の復活能力か……確かに強力だな」


 ユーリの笑顔にエミリアの顔が更に曇っていく。ユーリの言う通り、能力によってはある期間を周期に回数が制限されているものがある。その周期を過ぎれば回数が復活するという不思議な現象なのだが、未だ解明されていないし、と皆が納得している事柄でもある。


 エミリアの能力周期を一日と仮定したのは、単純に数回しかないうちの一つを、マウントを取るために見せた為だ。これが一週間や一ヶ月周期なら、そんな馬鹿な真似はしないだろう。


「アタクシが今日死ぬ……そう言ってただけあって嬉しそうじゃありませんこと?」


 ユーリをきつく睨みつけるエミリアだが、当のユーリは「いや、マジでどうでもいい」と面倒そうに首を振るだけだ。


「お前が何処で死のうが、生きようが、俺にはどうでもいい」


 不敵な笑顔のユーリに「どこまでも……」とエミリアが奥歯を噛み締めた。


「とは言え、この事態を招いたのは俺だからな――」


 首を鳴らしたユーリが、「まあその辺で見とけ」とエミリア達の方へと歩いていく。


「アナタの助けなど――」


 必要ない、と言いたげに眉を釣り上げるエミリアだが、そんな彼女に邪魔だと言わんばかりに「シッシッ」とユーリが手を振った。


「ドリ子……お前の戦い方を否定はしねぇよ。。大いに結構」


 そう言いながらユーリがゆっくりと腰を下ろした。


「けどな、覚えとけ。命を燃やすってのは……、決してから来る思いじゃねぇ」


 真剣な表情にユーリに「どういう……?」とエミリアが眉を寄せた瞬間――


「己が戦いに悔いを残さない。、命を燃やせるんだよ」


 獰猛な表情のユーリに、エミリアが思わず息を飲んだ瞬間、地面を陥没させてユーリは姿を消した。


 一瞬でファイターエイプの前まで移動したユーリ。

 その踏み込みが地面を穿って、移動のエネルギーを全てユーリの身体に還元――


 ユーリの右手が唸れば、一匹の頭が弾けて吹き飛んだ。


 飛び散る血と脳髄に、周りのファイターエイプが「キィ」と歯を剥き出しにユーリに襲いかかる。


 飛び上がり、廃墟から飛び降り、駆けて。


 様々な方法でユーリに襲いかかるファイターエイプは尋常じゃないほどの数だ。


 建物の隙間を埋め尽くすような大群――それを前に、ユーリが飛んできたファイターエイプを掴んで、思い切りぶん回した。


 骨と肉が潰れる音が辺りに響き、ユーリへと飛びかかっていた数匹が一気に吹き飛ぶ――


「おぉ! 猿ハンマー!」


 ――その見覚えのある光景に、カノンが両拳を握りしめた。完全に観戦モードのカノンだが、その近くでユーリの戦闘を眺めていたエミリアとルカは、驚いたようにカノンを振り返っている。


 バディが大群に突っ込んでいるというのに、自分は我感せずと今も「そこです!」と、拳闘でも見ているかの様に応援までする始末なのだ。


 そんなカノンの歓声を受けてユーリは絶好調だ。


 フック気味に振り回される猿の腕。

 それをダッキングで躱しつつ右フックのカウンター。

 低い位置にあるユーリへ目掛けて打ち上げられる腕。

 それを左手で払い除けてユーリの飛び膝。


 低い位置からカチ上げる膝が、猿の頭を吹き飛ばした。


 跳んだユーリが、その場で回転。

 左後ろ回し蹴りを叩き込んだ一体が、後続を巻き込んで吹き飛び

 着地と同時に屈みながら繰り出した右足払いが、別の一体を勢いよく倒した。


 空かさずその長い腕を掴んだユーリが、思いきりブン回す。


 数体を纏めて吹き飛ばすが、それでも猿の数は一向に減らない。


 ユーリの背後からの右フック。

 持ち上げた右腕で受け止め、反動を利用して回転。


 左の肘を猿の顔面に叩き込み、その勢いで再び反転。


 左ストレートが、正面の一体の顔を吹き飛ばした。


 それでも構わず振り回される長大な腕の数々。


 それを躱して避けカウンターを叩き込み続けるユーリの背後に緑の棒――


 ユーリは街灯を盾にするように一瞬で後ろに回り込む。


 街灯に沿うように振り下ろされる猿の腕。

 躱して横っ面に回し蹴り。

 今度は逆サイドを沿うように――

 反対側に躱しつつ左のボディブロー。


 痺れを切らした別の猿が、大ぶりの横薙ぎ。

 ユーリがダッキングすれば、その一撃が街灯を薙ぎ倒した。


「わお」


 完全に折れた街灯にユーリが笑みを浮かべつつ飛び乗る。


 地面についた先端。

 折れた根本。

 ユーリが飛び乗った箇所が撓むと――

 音を立ててそこから街灯が再び折れた。


 その折れた先端部分をユーリが掴み上げ、目の前の集団の足下を思い切り払った。


 湾曲した先端が、大きな鎌ように猿達の足を刈り取り地面に転がす。それを後続の猿達が思わず踏んでしまい――

 慌てて下を見てしまった猿達の顔面に、街灯がクリーンヒット。


 吹き飛ぶ猿。

 曲がる街灯。


 それでもユーリはお構いなしと、街灯を身体に沿わせるようにブンブンと振り回して、猿を更に数体吹き飛ばした。


 ボコボコになった街灯を、一体の腹に突き立てた頃にはそこら中、猿の死体だらけになっていた。


 それでも猿の数は減っているようには見えない。


 そしてユーリも――


「ほら来いエテ公ども」


 疲れなど一切見えない笑顔のままだ。


 既に猿達の視界には、ユーリしかいない。そう思える程の勢いで再び猿の大群がユーリへ向けて襲いかかった。

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