第98話 沙悟浄ってカッパじゃないらしい……じゃあ何だよ
「ダンジョン探しぃ?」
ブリーフィングルームに響いたのは、ユーリの間抜けな声だ。
猫探しが終わって一週間ほど経ったある日。ブリーフィングルームへと呼び出されたユーリを待ち受けていたのは、子供向けの物語かと思うような、突拍子もない任務だった。
「ジジイ……ボケるには早ぇぞ」
ユーリのジト目にサイラスは「ボケている、と思うなら介護してくれるかね?」と肩を竦めてみせた。サイラスらしい切り返しに、どうやらボケてはいないようだ、とユーリが舌打ちをもらす。
「ボケてねぇにしても、流石に与太がすぎんだろ」
眉を寄せるユーリだが……
「ダンジョン……宝箱とかあるでしょうか……」
隣の相棒は既にダンジョンという魅惑の言葉に夢中なようで……ユーリは溜息とともにそのアホ毛を掴んで引っ張った。
「戻ってこい。お前がいるのは夢の中だ。現実に戻ってこい。ほら起きろ」
ミョーンと引っ張られたアホ毛を、「イダダダダ! 起きてます! メチャクチャ起きてます!」とカノンが絶叫と共に見上げている。
「……話を進めても?」
サイラスの盛大な溜息に、ユーリもカノンもそのままの状態で彼に視線を合わせた。
「進めるもなにも……与太だって分かってんだ。時間の無駄だろ?」
そんなサイラスにユーリも溜息を返してみせた。
「与太……確かに与太だろうが、我々にはチャンスでもある」
サイラスの言葉に頷いたクレアがいつも通りタブレットを操作すると――後方の巨大モニターにイスタンブールから東を映した地図が現れた。
「我々の仕入れた情報によりますと、イスタンブールより遥か東……旧トルコ国の丁度真ん中ほど、カッパドキアと呼ばれる場所にダンジョンがある、と言われています」
クレアの言葉に反応するように、イスタンブールより東側のポイントにピンが刺さった。どうやらここが件の『カッパドキア』もとい、ダンジョンの場所になるのだろう。なるのだろうが……
「急に具体的になったな」
胡散臭そうなユーリの反応は尤もだ。ユーリ自身はダンジョンの話など、つい最近まで知らなかった。そもそも東のアンダーグラウンドで生活していたユーリにとって、東へ行かせないための方便など耳にする筈もない。
それがつい最近、それも目の前で腕を組むサイラスから教えられた話だ。それを「与太話だ」と蹴った張本人達から「ここにあるらしいよ」等と言われて「はいそうですか」と納得できる馬鹿がいるわけ――
「つ、ついに
――ゴクリと唾を飲み込んだカノンに、ユーリは視線だけを向けて盛大な溜息をついた。まさか相棒がここまで能天気だとは……いや、知ってはいたが改めて自覚させられるとダメージの大きさは中々のものである。
「ユーリさんの仰る事も分かりますが、我々からしたら問題の焦点はそこではありません」
ニコリと笑うクレアに、ユーリは「ホンっと悪の組織だな」と苦笑いを浮かべて見せた。
「えっと……どういう?」
小首を傾げるカノンのアホ毛を、ユーリは指で弾いて口を開いた。
「ダンジョンがあろうがなかろうが、ジジイ達にとっちゃどうでもいいんだよ。大事なのは……大手を振って東へ行けるって事だ」
呆れ顔のユーリがサイラス達を疑い深い眼差しで見つめ、
「まさかその『カッパの沙悟浄』もアンタらが仕込んだ情報じゃねぇよな?」
と苦笑いを浮かべた。サイラス達が東へ行くために、中央部分にあると嘘の情報を流したのでは、と言っているのだ。
そんなユーリにサイラスが、「カッパドキア」だと眼鏡を直しながら溜息を返した。
「確かに私も絶妙な位置だとは思うがね」
肩を竦めるサイラスの言葉で、「偶然にしちゃ出来すぎだろ」とユーリが初めて驚いて見せた。
ユーリやサイラスの言う通り、ここからダンジョンまでの距離は絶妙な位置なのだ。道さえ整備されれば、車を半日も走らせればつく距離である。勿論この時代、道など殆どが朽ちているため徒歩での移動になるだろうが、そうなってくると二週間前後は見ておきたい。
モンスターの襲撃に、休憩、様々な事を見積もっての二週間だ。
途中に簡易的な拠点を作りながらの行軍となるので、実際はもっと時間がかかるだろう。つまり、あまり東過ぎると、遠すぎてこの話自体が凍結されかねない。
そしてそれ以上に、サイラスとユーリをして『絶妙』と言わせたのは、これが【軍】という【人文】側から出された依頼だと言う事だ。
この依頼を見るに、やはり彼らが一枚岩ではない事は想像に難くない。難くはないが、曲がりなりにも東へ行かせたくない【人文】の一員であるのは事実だ。
この作戦もそのうち【人文】の、いや【人類統一会議】の面々に知れ渡るのは時間の問題だろう。そうなった時、彼らが許可を出す範囲なら、この辺りがギリギリ妥当なラインだと思っているからだ。
ユーリが聞いたという亜人の噂。それをもたらしたのは、遥か東から流れ着いたという人々だ。その情報をもとにサイラスとクレアが検証した結果、少なくともカッパドキアよりは東からもたらされた噂だという事が判明している。
既にそのアンダーグラウンドは滅びてしまっているので確認は出来ないが、
【人文】がイスタンブールから東征しない事
亜人の集落情報の出どころ
それらを踏まえた結果、サイラスやユーリは亜人達の集落を旧トルコ国境付近では、と睨んでいるのだ。
そこに来て、若干イスタンブールよりの中央付近にダンジョンの情報だ。……相手からストップをかけられないギリギリのラインを、サイラスが敢えて突いたとユーリが勘ぐってしまうのも無理はないだろう。
サイラスが、国境への足がかりの拠点をギリギリまでに伸ばす為に、カッパドキアなどという情報を作った。そう考えたユーリだが、サイラスの言葉を信じるならば、違うのだという。
故に「偶然にしては出来過ぎ」という発言だ。
「国境付近って予想が間違ってる――」
こうなっては自分たちの前提条件を疑う必要がある、と可能性の話を口にしたユーリだが、その言葉にサイラスは首を振って答えた。
「その可能性もあるが、状況的にそれ以上東から……と言うのは考えづらいな」
事実サイラスの言う通りで、アンダーグラウンドとは言え、基本的に他の都市との交流はあまり無い。なんせ場所が分かっても、そこに未だ存在しているかどうかは定かではないからだ。
そして流れてきた彼らは、少なくとも旧トルコ国境内にいた事は間違いない。
そんな場所と条件で噂が立つ――つまりそのアンダーグラウンドから捜索可能な範囲、旧トルコ国境内に、噂の原因がいる可能性は非常に高い。
現時点で分かる範囲ではかなり確度の高い予想であることは間違いない。とは言え今の時点では、何処まで行っても予想である事に変わりはない。故に――
「ま、今は情報がねぇから予想に賭けるしかねぇか」
ユーリは溜息混じりの発言で、話題を切った。正直憶測でしか出来ない話にあまり時間を割くのは得策ではない。今大事なのは、サイラスが言う通り上が東へ行かせてくれる、という事実だけで十分だろう。
「で? そのダンジョン探しの情報を、何で俺とカノンにしかしねぇんだ?」
眉を寄せるユーリの意見は尤もで、この場にはサイラスとクレア、そしてユーリにカノンしかいないのだ。
「皆には昨日話してある」
サイラスが眼鏡を光らせ更に続ける。
「君達を交えて話すと、長くなるからな」
意味深に笑うサイラスに、「こんにゃろ……喧嘩売ってんだろ」とユーリの額に青筋が一つ。
「まあユーリさんですからね」
そんなユーリの背中をポンポンと叩くカノンだが――
「お前も入ってんだからな」
とユーリのカウンターに「なにゆえ! 心外です!」とカノンが頬を膨らませてサイラスを睨みつけた。
「そういう所だ」
「自覚したまえ」
「カノン、大人になりなさい」
投げかけられる辛辣な言葉たちに、「さ、三対一は卑怯でしょう!」とカノンが後ずさった。
「全く……二回も説明する我々の身にもなってくれたまえ」
サイラスが盛大な溜息をもらすが、ユーリもカノンも事それに関しては「お前らの都合だろ」という気分である。気分ではあるが、確かに話の腰を折りまくってきた自覚はあるので、それを突っ込むことはしない。
「兎に角その『沙悟浄はカッパじゃねぇ』まで行きゃ良いんだろ?」
ユーリの発言に再び「カッパドキアだ」とサイラスが溜息をついて頷いた。
「一応不確かな情報故、今は他のハンターへの情報を絞ってある。とは言え、【軍】が大々的に動き出せば、その統制も意味はなさないだろうが」
サイラスの言葉に「統制……ねぇ」とユーリが片眉を上げて彼を見つめた。
「……不確かな情報だ。あまり混乱させるのは得策とは言えんだろ?」
サイラスは向けられた視線から、居心地が悪そうに視線を逸した。
「ま、今は良いぜ。そのうち話してくれんだろ?」
ユーリの呆れたような苦笑いに「馬鹿のくせに聡くて困る男だ」とサイラスが肩を竦めてみせた。
「誰が馬鹿だ。誰が――」
鼻を鳴らしたユーリがカノンの頭をポンと叩いて踵を返し「カノン、行くぞ」と出口に向けて歩きだした。
「行くって――?」
「決まってんだろ。東だ。【軍】が動くまでは様子見の偵察だろうけどな」
そう言いながら扉を開け放って出ていくユーリの背中を、サイラスもクレアも黙って見送っていた。
ユーリ達が部屋を後にして暫く――ブリーフィングルームの扉を固く閉めたクレアが、サイラスに困ったような笑顔を向けた。
「よろしかったのでしょうか?」
その笑顔に黙ったまま天井を仰いだサイラスが、「流石にこんな情報を与えられまい?」と呟いた。
「それは……確かにそうですが」
クレアがタブレットの画面をスワイプすると、そこにはヒョウから齎された情報が記されていた。
「ダンジョン刑か……」
呟いたサイラスの言葉にクレアが「はい」と頷いた。その言葉通り、クレアのタブレットに表示されていたのは、噂の発生源などの詳細な情報だ。
元々の発生源は、収容所や強制労働の囚人から。
特に罪の重い死刑囚などが、最近『ダンジョン刑』と言う名の刑罰に処されている。実際にダンジョンがあるという場所に連れて行かれ、生き延びて帰ってきた者の証言から、『カッパドキアでは?』と噂に形が出来始めている。
そして噂が大きくなり、今では発生元が囚人であること、ダンジョン刑という事は殆ど知られていない。
今広がっているのは「イスタンブールの東カッパドキアにダンジョンがある」という事だけだ。
「……刑罰は法務局、情報の拡散統制は通信放映局……だろうな」
「ええ」
サイラスの言葉に頷くクレア。法律や刑罰を管轄しているのは、【人文】の中で法務局と言われる機構だ。
そこが作った刑罰で噂が発生した。後半部分だけを迅速に拡散せることで、前半部分を上手く隠したのは、通信を一手に担っている通信放映局の仕事だろう。
「ユーリ君に知られれば、『そいつ等絞め上げよう』と言いかねん」
疲れた溜息をついたサイラスに、「それは間違いないかと」とクレアも疲れた笑顔を浮かべた。ユーリに今の所情報を渡せないのは、それを渡せば彼が単独敵地へ乗り込むだろうからだ。
「目的は見えんが、どうやら【人類統一会議】の中にも新たな風を吹かそうとしている連中がいる事だけは確かだな」
相手の目的も、誰が味方で誰が敵かも分からない。ならば暫くは後手に回っても静観が定石だ。
消極的な一手だが、それでも自分達の目的には近づけるのだから。
椅子に座り直したサイラスの目の前に、コーヒーが差し出された。それに「ありがとう」と小さく笑ったサイラスがカップに口をつけて溜息をついた。
「全く……次から次へと。我々に一体何を期待しているのだろうな」
その呟きは誰にも拾われる事なく、静かな部屋にいつまでも響いていた。
☆☆☆
『あ、アークライト総司令官、噂が止まらないではないか』
執務机に向かうロイドの前、立ち上がるホログラムの中で、恰幅の良い老人が分かりやすく狼狽している。
「大丈夫ですよ。クレマン法務局長。既に噂は変質し、発生元の特定など出来ませんよ」
ロイドの見せる笑顔に、『ほ、本当であるな?』とクレマンと呼ばれた男が汗を流しながら目を泳がせた。
「ご安心を。万が一の場合はこのロイド・アークライトが身命を賭して、貴方の安全を確保いたしましょう」
ロイドの見せる自信たっぷりの笑顔に、ようやくクレマンは『そ、そういう事であれば』と落ち着きを見せた。
「ではクレマン法務局長、私は打ち合わせがある故――」
そう言ってロイドが通信を切って溜息をついた。
「シェリー、この街にも噂をばら撒こうか」
振り返らずに笑うロイドに、傍に控えていたメイドのシェリーが「構いませんが……私は未だに信用できていないのですが」とロイドの背中にジト目を返した。
「君も疑り深いな……まあ、見ていろ。私のこの権能に間違いはない」
自信たっぷりに笑うロイドに「そこまで仰るなら」とシェリーがその姿を消した。
「さて、さざ波の如く静かに伝われ、風の如く疾く広がれ、そして――炎の如く激しく畏れろ。その畏れが、それを現実にするのだ――」
不気味に笑うロイドの声を、窓から差し込む柔らかな日差しだけが拾っていた。
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