第26話 何よりも大事なことがある。
呆けたままのドン・レオーネを前に、ポケットに手を突っ込んだユーリが、ゆっくりとその距離を詰めていく。
「……くくく。いいだろう」
ソファから立ち上がり、片手で顔を覆いながらドン・レオーネは不気味に笑い始めた。
「俺が自らお前らを葬ってやる」
血走った目に荒い呼吸。先程までの余裕はどこへやら、怒りが理性を吹き飛ばしたのだろう。
今も「絶対に殺してやる」と髪の毛をグシャリと鷲掴みするドン・レオーネは、完全にタガが外れた様子だ。
「おうおう。男前になったじゃねぇか。さっきまでのキザったらしいのより全然いいぜ?」
怒りに打ち震えるドン・レオーネとは対照的に、ユーリの声には喜色が浮かぶ。
「来いよ。裏の人間の矜持くらい見せてみろ」
手招きするユーリに、「ほざけ!」と吐き捨てたドン・レオーネがその間合いを詰めた。
一瞬で間合いを詰めたドン・レオーネの右ストレート。
それを僅かな体重移動だけでユーリが躱す。
左頬を掠めていくレオーネの右拳。
右足に若干乗せた体重――のままにユーリがその場で反転。
同時にドン・レオーネのシャツの右袖を左手で掴み
ユーリは右肩をドン・レオーネの右脇へ滑り込ませた――
左手を引き
肩を入れ
後ろ腰でドン・レオーネの腹を押し上げる。
ユーリの一本背負い。
が、それをユーリは地面に叩きつける事なく、途中で放り出した。
宙に浮いたドン・レオーネ。
その瞳に写ったのは――
「そーおれ!」
掛け声とともに飛び後ろ回し蹴りを放つユーリの姿。
ドン・レオーネの腹に突き刺さったユーリの右踵。
その衝撃でドン・レオーネが吹き飛んだ。
「あ、ヤバい――」
その方向を見たユーリが着地と同時に加速――
未だ無事な調度品の一つ、高そうな壺へと飛ぶドン・レオーネに追いついたユーリが「俺の物を壊すなよ」飛び上がり別の方向へと蹴り飛ばした。
「いやー。危ねえ危ねえ」
笑うユーリが大きな壺に触れれば、左手が光りそれが虚空へと消えていく。
そんなユーリからエレナは視線を逸らし、ユーリの左手側の壁際では、ガラガラと音を立ててドン・レオーネが立ち上がった。
「舐めやがって――」
口から血を流すドン・レオーネが髪を振り乱して叫んだ。距離が遠すぎてユーリには微かにしか聞こえなかった叫びだが、その姿を右手で庇を作って眺めたユーリは、
「お、まだ意識があるのか。中々頑丈だな」
と笑いながら腕を組んで「うんうん。そうじゃねぇとな」と頷いている。
緊張感など欠片もないユーリを前に、駆け出したドン・レオーネが一気にその距離を詰め、左手のデバイスを光らせた――
「ぶっ殺す」
――怒声と共に出てきたのは、一本の剣。
剣が出現した瞬間、部屋全体に響き渡る「キーン」という耳障りな高い音。
その音に顔を顰めたエレナが「超音波ブレードか」と呟いた言葉はユーリには届かない。
引き出された剣をドン・レオーネが一閃。
何の変哲もない横薙ぎを、ユーリは魔拳銃の銃身で受け――た瞬間、まるでバターを切るかの如く銃身が落ち、切っ先がユーリの首元へ。
迫る切っ先をブリッジからのバク転で躱し、距離を取ったユーリ。
それを逃さんと再びドン・レオーネが距離を詰め、今度は大上段からの一撃。
体を開いてユーリがそれを躱せば、
切っ先が床石を抵抗なく切り裂いた。
再びバックステップのユーリに、「次はテメェだ」とドン・レオーネが切っ先が刺さったままの剣を横に薙ぐ。
抵抗などなにもないように、床石が斬れる
「おい。それくれよ。ちょっと面白そうだし使わせてくれ」
馬鹿にしたような声音のユーリが手を差し出すが、「舐めてんのか!」と顔を真っ赤にしたドン・レオーネが再び肉薄。
ドン・レオーネの刺突。
右斜め前に踏み込むユーリが体捌きで躱す。
詰まった間合い。
それを嫌うように、ドン・レオーネが横っ飛びを加えた横薙ぎ。
踏み込みながらのダッキング。
再び詰まる間合い。
顔を顰めたドン・レオーネが、薙いだ右手を無理やり担ぎ直しながらの袈裟斬り。
ダッキングのまま左足を踏み込むユーリ。
相手の右側に更に潜るユーリの右肩を、ドン・レオーネの剣が掠めた。
振り抜かれたドンの右腕。
ガラ空きの脇腹。
ゼロ距離まで詰めたユーリ。
その左手が唸る。
高速で叩き込まれたのはユーリの左ボディブロー二発。
ドン・レオーネの口から血が吹き出す。
それでもユーリは止まらない。
二発の連続ボディブローで捻った腰を反転。
フックの要領で右肘をドン・レオーネの顔面に叩きつけた。
骨を砕く鈍い音。
あまりの勢いに、ドン・レオーネがその場で後方に一回転。
その衝撃で剣を上に放り投げたドン・レオーネ。
武器もなくし背中から強かに床へと叩きつけられたドン・レオーネは、「ぐ……」と僅かに苦悶の声を漏らしてユーリを睨みつけるのがやっとだ。
「……残念。ゴブリンの方がよっぽどガッツがあるぜ」
宙から振ってきた剣の柄を掴んだユーリが、その切っ先をドン・レオーネへと向けた。
「……や、やめろ……何が望みだ?」
力のないドン・レオーネの声に、
「決まってんだろ。テメェの
ユーリが呆れた声を漏らした。
「や、やめておけ……俺を殺しても、俺の手下がお前らを――」
「ああ。気にすんなって。お前の手下も仲良く地獄行きだからよ。それに悪いがお前を殺すのは俺じゃねぇんだわ」
ユーリの発言に、ドン・レオーネだけでなくエレナもポカンとしている。
呆ける二人を他所に、ユーリはマスクから覗く耳を抑えた。
「あー、あー。やっと到着か……悪いな。おたくらが遅いから殆ど終わっちまったよ」
耳を、正確には耳につけたイヤホンを抑えるユーリが入り口を振り返ると――「カツン、カツン」と床を叩く革靴の音。
音がピタリと止むと、入り口に一人の男性のシルエット。
ハットにコート。首に下げたスカーフが風になびく。
後ろに撫でつけられたウェーブ掛かった茶髪。
ダンディな口ひげ。
堀が深く整った目鼻立ち。
距離が近づくに連れ、少しずつ男性の様相が明らかになってくる。
「――久しぶりだな」
男性がドン・レオーネに声をかけた。
「……マルコ……」
「『兄貴』を忘れてるぞ?」
マルコと呼ばれた男性の、射殺さんばかりの視線に、ドン・レオーネがたじろぐ。
「……う、うるせぇ! 俺がドンだ。俺こそトップなんだ!」
ユーリにこっ酷くやられ、身体中言う事をきかないだろうに、ドン・レオーネはその身体を起こしながら声を張り上げた。
「その気概……もっと真っ直ぐ示せていればな……」
残念そうなマルコがハットを少し下げて「だがもう今更か」と首を振った。
「……ドンの椅子。正当な後継者に返してもらいにきた」
マルコが「パチン」と指を鳴らすとドカドカと入ってくる多数の武装した男たち。
「れ、レオーネファミリーとやりあおうってのか?」
「もうファミリーの体をなしてはいないだろう?」
息巻くドン・レオーネに、マルコの静かな溜息が突き刺さった。
「恥ずかしくねーのかよ! おこぼれ頂戴みたいなマネしてよ!」
ドン・レオーネが口角泡を飛ばす。
「歪みを正すためなら。恥くらい偲んで受けるさ」
マルコの放つ圧力に、ドン・レオーネが気圧され顔を顰めた。
そんな二人のやり取りに興味をなくしたユーリは、エレナを振り返り
「さ、俺たちは帰るぞ」
奪った剣を
「え? ちょ? 何が――」
未だ状況が分かっていないエレナだが、歩くユーリに送れまいとその後を追う。
「簡単マフィアの潰し方講座――」
「あ……」
そんな話もあったな。とエレナが頷いている。
「叩きのめして他のマフィアをぶつけましょう。ってことで授業はおしまい」
頭の後ろで腕を組み、「いやー仕事したぜ」と笑うユーリに
「いやいや! だとしても彼らが勝てる保証――」
「負けると思うか?」
マルコとドン・レオーネを振り返るユーリに釣られるように、エレナも二人を振り返った。
「……この状況なら、いや仮に万全の状態で一対一だとしても負けないな」
「だろ?」
そのくらいマルコ・ロマーニと言う男が放つ強者のオーラは、ドン・レオーネを遥かに凌駕しているのだ。
そこには納得できたが、他は納得できていないという表情のエレナが、再び歩きだしたユーリの追う。
「どうやってコンタクトを取ったのだとか――あ、ちょっと待て。しっかりと説明していけ」
スタスタと逃げるユーリをエレナが追いかけていく――
翌朝イスタンブールを賑わすレオーネファミリーの代替わり抗争が、今から繰り広げられるのだが……それはまた別の話。
☆☆☆
「あ、おいユーリ。なぜ戻るんだ?」
慌てたように階段を昇るユーリに、エレナが声をかけながら追いかける。
「しくった――一番大事な事を思い出したぜ」
そう呟いたユーリが急に反転。何がなんだか分からないエレナであるが、ユーリの声はかなり焦っていた事は間違いない。
嫌な予感を押さえきれないエレナは、ユーリの直後を並走する。
「お、」
何かに気づいたように、ユーリが声を上げた。
ユーリの向かう先にはマルコ派のマフィアが一人。
その男目掛け、ユーリが更に速度を上げていく
「一体どうしたと言うんだ?」
エレナの質問に答える余裕もないのか、ユーリは一目散に男を目指して壁を駆けていく。
ついにマルコ派のマフィアを捕まえたユーリが口を開いた。
「悪い、教えてほしいことがあるんだが――」
その声はまさに緊急事態。今までエレナが聞いたこともない切羽詰まった声音だ。
「――このビル……風呂とかない?」
「……風呂ぉ?」
あまりにも情けないエレナの疑問符が、非常階段の吹き抜けに木霊して消えていった。
後にエレナはこの時の事をこう語っている――血の風呂に沈めてやろうかと思った、と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます