10 悲しい決意

 その日は帰宅するまでは幸せな気持ちでいられた。


それがたとえ、私の目の前でいつものようにセブランとフィオナが親しげに話しをしている姿を見ても平気なほどに。

なぜなら最終的にセブランは私を選んでくれるから。明日、私に婚約の申し入れをする話をフィオナがいないときを見計らって伝えに来てくれたから。


セブランは、明日の来訪をフィオナには秘密にしてくれている。フィオナが現れてから初めて私の方を向いてくれたのだから、これほど嬉しいことは無かった。


良かった……この分なら、私はここを去らなくてもすむ。


この時までの私は、愚かにもセブランとの幸せな未来を思い描いてた――




****



 屋敷に到着し、私とフィオナは馬車から降りるとフィオナがセブランに声を掛けた。


「それではセブラン様。明日、お待ちしていますね」


え? その言葉に全身から血の気が引く。


「うん、また明日。さよなら、フィオナ。レティ」


「ええ、さよなら」

「さよなら……」


笑顔で手を振るフィオナとは対象的に、私は引きつった笑みを浮かべて手を振る、

やがて馬車はガラガラと音を立てて走り去っていった。


すると、すぐにフィオナが私の方を振り向くと話しかけてきた。


「レティ。明日、セブラン様から婚約の申し入れを受けるのでしょう?」


その言葉に耳を疑う。


「え、ええ……そうだけど……ど、どうして……?」


どうしてそのことをフィオナが知っているの?


「それはね、以前からセブラン様に聞いていたからよ。レティが十八歳の誕生日を迎えた日に、婚約の申し入れをすることが決まっているって。レティの為にとっておきの言葉も用意したって教えてくれたわ」


「!」


ショックで言葉を失う。そして私は思わず聞いてはいけないことを尋ねてしまった。


「フィオナは……それでも……いいの? セブランが私に婚約の申し入れをしても……」


言った瞬間、私は激しく後悔した。今の台詞はきっとフィオナを深く傷つけてしまったに違いない。


「ご、ごめんなさい! フィオナ! 私……」


けれど、フィオナは意外な言葉を口にする。


「ええ。私はいいの。だって、何があっても互いの気持ちは変わらないから」


「!!」


それは思いもしない台詞だった。


「フィ、フィオナ……?」


「だって私のお母様もそうだったのだから。私は全然平気よ?」


そしてフィオナは天使のような笑みを浮かべると、屋敷の中へと入っていった。


「そ、そんな……」


駄目だ、もうこれ以上ここには居られない。いいえ、居たくは無かった



「もう……限界だわ……」


私の目から一筋の涙が流れ落ちる。


この瞬間……私は完全にここを去る決意を固めた――




****



 重たい足取りで自室へ向かって長い廊下を歩いていると、背後から声を掛けられた。


「お帰りなさいませ、レティシア様」


振り向くと執事のチャールズさんが立っている。


「あ……ただいま戻りました」


「どうしましたか? 顔色が良くないようですが?」


「い、いえ。そんなことありません」


「そうですか? 旦那様が書斎でおよびです」


「分かりました、すぐに行きます」


返事をすると、暗い気持ちで私は父の書斎へ足を向けた。




「お父様、お呼びですか?」


書斎に入ると、すぐさま尋ねた。


「明日はお前の誕生日だろう? もし欲しいものが無いなら、今回もまた通帳にお金を振り込んでおこう」


けれど、私は首を振った。


「いいえ、あります。自転車が欲しいです」


「何? 自転車だと? 本気で言ってるのか? 第一乗れるのか?」


「はい、本気で自転車が欲しいです。乗り方は……これから覚えます」


これからひとりで生きていくには、きっと自転車が重宝するはず。


「そうか……分かった。思えばお前が何か物を欲しがるのは初めてだったな。すぐに婦人用の自転車を手配しよう。……他には何かあるか?」


「いいえ、ありません。それではお父様、失礼致します」


一刻も早くひとりになりたかった。


「あ、ああ。わかった。もう行ってもいいぞ」


「はい、失礼致します」



挨拶すると、私は足早に書斎を後にした。





――バンッ!!


部屋に戻ると、鍵を掛けて私はベッドに飛び込んだ。


「う……ううっ……ううう………っ……」


ピロウに顔を押し付け、鳴き声がもれないように私はいつまでもいつまでも泣き続けた。


この日は夕食も断り、一歩も部屋から出なかった。けれど、そんな私を気にかけてくれる人は誰もいない。


それが余計に悲しくて、涙はとどまるところを知らなかった……




****



――翌日



「愛しのレティ、どうか僕と婚約してください」


ガゼボの中でセブランが私の前に片膝をつき、紫のバラの花束を差し出しながら婚約の申し出をしてきた。


私は泣きたい気持ちを抑え込み、無理に作り笑いを浮かべる。


「ありがとう、セブラン。貴方からの求婚のお願い……謹んでお受けいたします」


そして上辺だけの、セブランからの婚約申し入れを受けたのだった――



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