⑥

「菓子なんかがあればよかったが、生憎切らしていてお茶しかだせないけど、良かったらどうぞ」


 お盆に俺たちの分と自分の計五つの湯呑をのせて、白髪の年配の男性が入ってくる。特徴的なのはやはり身に着けている服だろう。それは、ここの主を示す服、つまり警察の制服である。ここの主、正木直まさきすぐる巡査は気のいい感じの人という印象で、俺たちがこうやって押しかけて来たのにも関わらす、嫌な顔もせずに迎えてくれた。なんというか、良い人だ。日葵が手伝おうとすると、手で制して自ら湯呑を俺たちの前に置いていく。


「ありがとうございます。正木さん」


 怜夜が頭を下げて礼を言う。俺たち三人もそれに続いて礼を言う。ちなみにだが、ここに来た時にすでに自己紹介は済ませているが、特に深く詮索することもなく上げてくれた。


「本当にすいません。お仕事中なのに突然…」


 俺が再度お礼を言おうとすると、正木巡査はいえいえと笑顔で言うと。


「仕事中と言っても、この村では滅多なことは起こらないし、ほとんど暇を持て余しているようなものだから。まあ、何もないということは平和なことでそのこと自体は良いのだが、やはりこの交番で一人というのもね。だから、こうして話相手になってくれるのはこっちとしてはいい時間潰しになる」


 自分の前にも湯呑を置くと、よっこらせと言いながらと入口側のテーブルの前に座る。久しぶりに聞いたな、そのセリフ。


「それで、今日はなんの用事があってここに来たんだい?」

「実は志保ちゃんの事件でもう一度詳しく話を聞きたくて…」


 怜夜はどこか申し訳なそうに聞く。


「詳しくとは言っても、以前に話をしたのでほとんどすべてだよ」

「でしたら、最近上山夫妻がここに訪れたと思うのですが、その時に何か変わったことや気付いた事は何かありませんでしたか?」

「上山さんか…あの夫妻は毎年訪れては、いつも落胆して帰っていたよ。毎年その姿を見るのが辛かったが、今年は違ったな」

「というと?」

「なんだか、驚き…いや、あれは何かを疑っているというか、すまない、どう表現するのが正しいのか判らない。だが、今年は何かが違っていた。下山して直ぐに山に入った子供はいないかと聞いて回っていたが、あれは一体なんだったのか。聞いてもどこか考え事していたのか上の空だった」


 きっとあの山で、志保ちゃんを目撃したから聞いたのだ。そして、誰かと見間違えた可能性がないことが分かったからこそ、あれが幽霊だと思ったのだろう。だが、その目撃したこと自体は誰にも言ってないのか、それも当然だろう。そんなことを言ったら絶対に正気を疑われてしまう。


「正木さん。本当にあの日に山に入った子供はいなかったのですか?」


 絆が再度確認する。問われた正木巡査は腕を組んで、少し考えるが、


「久能君にも言ったが、やはりあの日に山に入った子供は誰もおらんと思う。わしの知る限りではあるが、役場の人間も誰もおらんと言っておったと思うぞ」

「そうですか、お茶いただきますね」


 絆はそう言って湯呑に口を付ける。日葵と怜夜はすでに飲み始めているが、

「ああ、どうぞ」


 しかし、怜夜が言っていた通りだった。少なくとも村の子供が山に入った可能性は低いとみてもいいのだろうか。


「正木巡査。一ついいでしょうか?」

「何かな」

「子供が勝手に山に入ることもあると思うのですか…」


 そうさっき話をしていた通り、勝手に入る可能性もあるのではと。


「いや、それはないと思うな」

「それはどうしてですか?」

「この村では、志保ちゃんの事件もあるが、以前からの失踪の話があるので、子供だけでの山の出入りはしないように、言い含めているから。それを破れば、大人からすごい怒られるから好き好んで入っていく子供はおらん」

「そういうことですか。やはり、あの山では人が失踪するということが昔からあるのですね」


 怜夜の話やあの記事を見て知っているがやはり、この村の人からも直接聞いておきたい。本職の警察の人の話を聞いてみたいと思ったからもあるが。


「うーん、上山さんのお子さんが失踪してからはないが、それ以前は少なからずはあったの」

「やっぱり神隠しってことですか?」


 日葵が口にした瞬間、正木巡査から優しい雰囲気が無くなり、どこか張り詰めた何か違うものも纏うのを感じた。


「神隠し……そのような話をいったいどこから?」

「ええっと……」


 日葵のあまりの雰囲気の変わりように動揺しているのがわかる。確かに、さっきまでの気の良い人から発せられる雰囲気ではない。


「すいません、正木さん。俺です」


 怜夜がさっきとは違う意味で頭を下げる。いったいそういうことなのか。俺たち三人だけが置いて行かれる。


「久能君の友人ということは、もしかしたらと思ってはいたが…みなさんには言っておきますが、ここではあまり神隠しの話をするのは控えたほうがいい」

「どうしてですか?」


 俺の問いに対して、正木巡査はお茶を啜ると、湯呑をゆっくり置く。顔を見れば判るが、俺たちに対してどう説明すべきなのか迷っているのが見て取れた。


「いや、失踪した人達のご家族の方たちに対してもある。警察官としては、神隠しという一言で済ませていい話ではないと私個人は考えている、それに興味本位で騒がれても迷惑に感じる人もいるだろう。過去にも、そういったことでトラブルがあったりもしたから、村人もどこかその言葉に対して思うことがある。久能君にもすでに言っていることであるのだが…」

「すいません」


 怜夜がまた頭を下げる。日葵もごめんなさいと頭を下げる。その対応を見て、慌てて正木巡査が言う。


「こちらこそ強く言ってしまって申し訳ない、ただその…」

「神隠しという言葉は、この村では特別な意味を持っているようですね」


 慌てる正木巡査に追い打ちをかけるかのように、絆が攻める。その言葉に、正木巡査は言い淀む。


「その通りだ。神隠しというものに対して、村の人達がある種の畏敬の念を抱いていると俺は見ている」


 言い淀正木巡査の代わりに怜夜が答える。


「故に、その話題を表立ってはしたくないのさ」

「それは……変に騒ぎ立てて何かが起きてしまう可能性を危惧しているのかしら」

「何かって…何?」


 日葵の問いに、絆は言いにくそうに、決して認めたくないかのように言う。


「神隠しもとい、それに類するものよ」

「それって、祟りとかそういうこと?」


 絆は頷く。なるほど、絆はどちらかと言えばあまりこの手の話は信じていない方だ。だが、他の人がそう考えても不思議ではない。


「神隠しは元来人ならざるものが人を隠すわけだ。それを、変に騒ぎ立てて怒りでも買おうものなら、村にどんな災いが起きるとも限らない、昔の人達がそんな風に考えても不思議ではない。そして、それを今の人達も継承しているかもしれない」

「だが、怜夜。昔と今じゃ違うだろう。少し考えればわかる事だし、今の人達がそれを信じているというのは、流石に…」

「九朗、お前の言う通り今の人達がすべてを信じているわけじゃない。ただ、自分たちの親が、そのさらに親が信じてきたものっていうのを否定するというのは、言うほど簡単なことじゃない。例え、頭で判っていても、心のどこかでは残ってしまう。だからこそ、いまだにこういったものが消えずに常に人の日常にある」

「神様が普段いるわけないって言っている人が、追い詰められたら神頼りするようなものってこと?」

「当たらずも遠からず、かな。こういう地域に根付いているものっていうのは、簡単に払拭はできないからうまく付き合っていくのがいいんだけど…」


 日葵の例えに怜夜は答える。つまりは、この村ではまだ神隠しが実際にあるかもしれないと思っている人が少なからずいるという事だ。

 そんな俺たちの会話の流れを切るように、正木巡査が軽く咳払いをする。


「まあ、そういうわけだからあまりおおっぴらに口にして欲しくはないわけだ。変にトラブルになっても困る」

「判りました」


 俺たちは一様に頷く。

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