第1部 5 女とオンナ③

 タイ料理屋に続く階段は狭かった。

 店に入ると、紫の民族衣装を着た女性店員が、片言の日本語で由美を迎えた。

 入口から一番離れた、カーテンで仕切られた半個室の席で、山井ともう一人――ネイビーのラガーシャツを着た中年男性が談笑していた。

「お疲れ様です」

 由美が声をかける。

「おう」と応じた山井は、「彼、俺の友人でAV男優をやってる寺田」と紹介する。

「はじめまして」

 互いに挨拶した所で、由美は山井の隣に座る。

「ビールでいい?」

 山井が訊く。

「烏龍茶で」

「飲めないんだっけ?」

「一応、仕事中なので」

「なんだよー、せっかくのタイ料理なのに飲むの俺だけかよ」

 山井の言葉を聞いて、由美は寺田の前に置かれたグラスに目を向ける。

「寺田も『明日仕事だから』って言うし」

 寺田は微笑みながら、「すみません」と軽く頭を下げた。

 烏龍茶を待つ間に、由美は二人に今日の御礼を伝える。

「気にしなくていいよ。俺もこいつと久々にメシ食いたかったから」

 山井はそう言うと、取材をきっかけに、寺田とは15年近い付き合いがあることを教えてくれた。

 乾杯後、由美は早速、話を聞き始める。

「月野ルカね。何回か仕事したけど、特に変な所がある子じゃなかった。最近はプロダクションがそういった子をほとんど採用しなくなったから見かけなくなったけど、中にはいるからね。精神的に問題がある子」

「彼女は6歳の時に両親を交通事故で亡くしています。その後は、叔父の家で育てられていましたが、17歳で叔父を亡くしてからは、天涯孤独の身でした」

「それは、何か影のようなものがなかったか、ってことかな。どちらかと言えば、物静かな子だけど、冗談には笑うし、とっつきにくいとかはなかった。スタッフにも礼儀正しかったし、監督の指示にもきちんと従う。あと、意図をきちんと理解して、自分の役割に落とし込めるくらいに頭の良い子だった」

「具体的に言うと?」

「AVってさ、商品だから。どの作品にも、ある種の性的嗜好をもった視聴者を満足させるという目的がある。その中でも、女優は主演なわけだから、どれだけ感じていても、意図を理解して演技することを忘れちゃいけない。彼女はそれがきちんとできたし、自分の武器がロリ巨乳であることを自覚して、活かそうとしていた」

 由美が頷きを返す。

「だから、事件を聞いた時は驚いた。さっき、『頭の良い子』って言ったけど、辞め時も良かったからね」

「辞め時ですか?」

 由美の問いに、寺田は丁寧に説明してくれる。

「うちらの業界は、基本的に女優を商品として扱う。まずはいい女を脱がせるためにチヤホヤし、脱いだ後も一定期間は大切にする。ただ、売れなくなる、売れる見込みがない、出演作が増えてありがたみがなくなっていくにつれ、価値は落ちていく。そうなると、過激な作品に出演しないとやっていけなくなる。そういう点でも彼女の引き際はよかったと思うよ」

 喉の渇きを覚えた由美は、烏龍茶を飲み、一呼吸置く。

「撮影現場の彼女はどんな様子でした?」

「AV女優と男優って、実はあんまり接点がない。ドラマ物なら別だけど、それ以外はトラブルを避ける目的で、他の女優含めて所属プロダクションの担当者以外との交流はなるべく避けるように言われていることが多いから。でも、さっきも言ったように、物静かな子というのが印象かな」

 寺田はそこまで説明すると、取り皿に置かれた生春巻きに手掴みでかぶりつく。

「それなのに、カメラの前に立つと顔が変わる。裸の女優になる」

 ぎょっとする由美の表情を眺めながら、寺田は咀嚼する。

「眼がね……変わるんだよ。はっきりと。瞳に色が宿る」

「色ですか?」

 由美は生春巻きを呑みこむ寺田から目を離さずに訊ねる。

「そう。見守るような、惚けたような、蠟燭ろうそくの炎のような瞳。あの瞳に覗き込まれると、もっと激しく無茶苦茶にしてやりたいと思うと同時に、受け入れられた気持ちになる」

 寺田の話す瞳をうまく想像できずにいる由美に、山井が助け船を出す。

「中川さんはAVの撮影現場って見たことある?」

 由美は首を横に振る。

「やっぱりないか。でも、不思議な空間だよ。照明に照らされて男優と女優がセックスしているのを、スタッフが怖いくらい真剣な表情で見てる」

「そうそう、仕事だからやってるけど、いつまで経ってもあの環境には慣れない。いつアソコが萎えそうになるかわからない」

 寺田が補足する。

「簡単に撮り直しができないってプレッシャーが常にあって、何年も現場にいた人間でも、ある日、急にたなくなって辞めたりする」

 由美が相槌を打つ。

「うちらは脇役だけど、実は視聴者を背負ってるのはこっちなんだよね。視聴者の欲望を満足させるために演技をし、その疑似体験に視聴者はお金を払う。全ては視聴者のために。そういう点で女優も男優も彼らに奉仕する仕事だよ。フェラチオする女性の上目遣いをカメラに押さえるのも、失明の危険があるのに顔射するのも、視聴者の征服感を満たすため。ハメ撮り、ナンパ、痴漢、盗撮、乱交、露出、SM、レイプだけでなく、素人に中出しするとか、兄妹もの、親子ものといった設定も、全部が擬似背徳体験のための演出」

「そういうの実際にやるんですか?」

 由美が訊ねる。

「実際にやったら犯罪だよ、ヤラセヤラセ」

 寺田は笑いながら否定したが、笑ったのは一瞬だった。

「でも、特にハードなジャンルの商品は一定数の売上が見込めるからといって、実際にやるメーカーが後を絶たない。基本的に、女優はNG項目をプロダクションに伝えているし、売れている女優であれば、そういった仕事はほとんど受けない。ただ、さっきも言ったけど、この業界で女優は商品だから。市場価値の下がった女優は稼ぐために出演するし、本当にプロダクションにとって価値のない女優は、ハードSMで強制飲酒されたり、監禁、暴行、輪姦されたり。その結果、身体が痣だらけになったり、後遺症を負ったり、男性恐怖症になったりする。自分はプロだから、そういう仕事はやったことないけど、色々聞くよ、この業界は」

「実際に被害に遭った女性はどうなるんですか?」

「泣き寝入りするのがほとんど。『AVでされました』なんて医者や警察に言える? たまに本当に危ないやつは被害届が出たりして、事件になるけど。こういった分野が消えることは一生ないんじゃないかな」

 由美はもう一度烏龍茶を飲む。喉がカラカラに渇いていた。

「実際やった男性達はどんな気持ちなんでしょうかね?」

「そういうのを企画して実行する奴の思考なんて、同じ男でも理解できないよ。大概の奴は『売るためだった』って言うみたいだけど、そういう人間って崖っぷちに追い詰められた畜生だから、そんなおぞましいことも実行できるんじゃない?」

 寺田はそう言うと、食べかけの生春巻きを口に放り込んだ。

 由美は元々なかった食欲が更に減退していくのをはっきりと感じた。タイ料理は好きな方だが、テーブルの上の鶏肉とカシューナッツの炒め物や、もやしとニラとエビの入った太麺の焼きそばにも、箸を伸ばす気にはならなかった。

「月野ルカが売れていた理由は、さっき仰った瞳以外に何かありますか?」

 水を一口飲んだ寺田は「そうだな」と言うと、腕を組んで少し考えた。

「ある女優が売れるか売れないかは、8割が容姿で決まるって言うけど……それだけかって言われるとそうでもなくて、客観的には、たぶん誰もわからない」

 寺田はそこで一呼吸置く。

「けど、やっぱりさっきも言ったように、演技で視聴者の欲望をどれだけ満たすことができるかどうかが、長くやっていく上で必要かな」

 そのまま視線を上に向けた寺田は「月野ルカについて言うと、息遣い」と呟く。

「息遣いですか?」

「そう、息遣い、呼吸、あえぎ声。女の肌の柔らかさに包まれながら精を解き放つこと。受容、支配、解放。男が女に求めるのは、結局の所それなんだよ。感度とかアソコの締まりとかは二の次。実際、そういった点は視聴者にはわからないから。でも、俺のモノが彼女の中に入った時の吐息を耳にした瞬間、本当に背中がゾクゾクして頭の中で光が弾けるような多幸感に包まれる。そんな経験をしたのは、長い男優生活でも多くない。あの瞳で見つめられながら、彼女の吐息を耳にすると、演技とわかっていても愛を感じてしまう。そうすると、もっとそれを見たい、聞きたいって思う。そんな感じが画面からも伝わるんじゃないかな」

 由美は寺田の話を聞きながら、3日前に見た月野ルカの映像を思い出した。

 彼女の深いため息を聞いた瞬間に、由美をゾクリとさせたもの。もし玲を惹きつけたものが、彼女の特性とするならば、こんな感覚的なものは記事にできない。

「AV女優を辞めた女性は、その後どうするんですか?」

「人それぞれ。普通に働きながら、副業でAV女優をやってた子は、そのまま本業を続けるし、結婚する人間もいれば、稼いだお金で留学する子もいる。こういう子はAV業界にどっぷり浸からなかった子達」

 寺田はそこまで言うと、「俺は、月野ルカもこのタイプだと思っていたんだけどね」と付け加える。

「そういったタイプもいれば、業界の常識から抜けられない子達もいる。一握りの人気女優になると、一日撮影するだけでウン十万円。同世代の女性と比べても桁違いの収入だから。そうなると、若い女性が多いだけに、金銭感覚が狂っちゃって、所謂、普通の仕事の収入では満足できなくなっちゃう。その後は、ソープ、デリヘルといったお決まりのコースを辿って、最後は立ちんぼになる女性もいる」

「もしそういう女性を『オンナの末路』シリーズで取り上げるなら、協力するよ」

 山井の提案に、由美は、「そうですねー」と言って考える。

「恐らく、そういった女性って、世間から見ると自業自得としか映らないので、それだけだとシリーズのテーマに合わないですね。それこそ、今回のような事件でも起こさない限り、人々の興味や関心を呼ばないと思います」

「うんうん」と頷きながら、山井はビールを飲む。

 由美も、聞きたかった事は一通り聞くことができた安心感からか、冷たくなった焼きそばを少し食べようかと箸を手にする。

 その時、胸ポケットに入れていた仕事用の携帯電話が震える。

 由美は箸を置き、携帯電話を取り出す。

 富沢からだった。

「失礼」と席を立った由美は、少し離れた所で電話に出る。

――休みなのに悪いな、と話す富沢だったが、由美の現在地を確認すると、

――すぐに西新宿に行ってくれ、と由美に頼む。 

――事件ですか?

――美容整形外科医の瀧川周平たきがわしゅうへいって知ってるか?

――昼のワイドショーでコメンテーターもやってる人ですよね

――自宅前で刺されたぞ。女に

 由美は、――わかりました、と言って電話を切ると、二人に事情を話し、取材の御礼を伝える。それから、山井に一万円札を渡し、店を出た。

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