第2話 先生との出会い

私は前世日本からこの異世界に生まれ変わったのかもしれない。


『かもしれない』というのは自分でもよく分からないから。


前世で読んだラノベによると『生まれ変わり』というのは、事故や何かで死んだ主人公が異世界に転生して、何かをきっかけに突然前世の記憶が蘇ったとか、生まれた時から前世の記憶があるとかじゃない?


生まれ変わりじゃなくてそのまま異世界に来る場合は異世界転移っていうよね?


私の場合はどちらも違うように思う。何故ここにいるのか本当に分からない。でも面倒くさいから、便宜上日本での記憶を前世としておく。


**


この世界に来る前の私は平石理央といって救急救命医をしていた。四十一歳未婚彼氏なし。きつい当直明けで頭も良く働いていなかった。でも、朝早く出勤する人たちと一緒に信号待ちをしている時に、車が突っ込んでくるなんて誰が思うだろうか。


突進してくる車を見て、私はとっさに目の前にいた若い女性を突き飛ばした。助けよう、とか思ったわけじゃない。気がついたら体が動いていた。瞬間、ものすごい衝撃を受け意識を失った。


目を覚ました時にはこの世界に居た。目を開けると、前世四十一歳だった私の好みど真ん中イケメンが私を心配そうに見つめていたのだ。


イケメンは肩くらいまである艶々した黒髪を後ろで無造作に結んでいる。長い前髪の隙間から覗く穏やかそうな薄茶色の瞳を見て少し安心したが、自分の手を見てあまりの小ささに唖然とした。


パッと顔を上げるとイケメンが困ったように微笑んでいる。彼が私のおでこに手を当てた。


「大丈夫かい?」


「・・・はい(多分)」


「君は3日間もずっと高熱で寝込んでいたんだ。熱は下がったようだね」


「・・・(えっ?!交通事故じゃないの?)」


「君はブーニン侯爵の親戚のお嬢さんだろう?」


「ぶー・・にん・・・?(誰?)」


「君の名前は?」


「・・・・・(平石理央って言っていいのだろうか?)」


イケメンは顔を強張らせて大きなため息をつくとゆっくり立ち上がった。


私は怒らせてしまったかと不安で彼を見上げる。


イケメンは優しく私の頭を撫でながら


「怯えさせてしまってすまない。君のせいじゃない。ちょっと侯爵と話をしてくる」


と私に微笑んだ。


頭が混乱中の私は曖昧に頷くが、イケメンは苦笑しながらまた頭を撫でる。大きな手が気持ちいい。


「私は医師で治癒士だよ。数日前ブーニン侯爵から親戚の娘が高熱を出したと呼び出されて君を看病していたんだ。私の妹が彼の妻でね。色々と頼まれることが多い。すぐに戻るからちょっと待っていてね」


優しく微笑むとイケメンはそのまま出て行った。


私は混乱する頭を必死に働かせた。服が汗でべとべとして気持ち悪いが、白くてそれなりに高級そうな寝間着(死語?) を着ている。問題は自分の体がどう見ても幼児のものだということだ。


鏡がないから分からないけど、肩くらいまである髪の毛が銀色に光っていて、衝撃を受けた。これは前世でプラチナブロンドと言われたもの?でもプラチナブロンドはもっと白っぽい金髪だった気がする。私、いつ西洋人になったの?さっきのイケメンもどう見ても日本人じゃなかった。


言葉は通じたけど日本語ではなかった。そもそも何で言葉が通じるんだろう?


いわゆる異世界に来ちゃったのかしら?


中学生の姪っ子が読んでいたラノベを思い出す。まさか自分の身に起こるとは思わなかった。記憶は前世のままで異世界に来るとか・・・。いや、この体は前世の平石理央ではない。前世の記憶だけが異世界に来るってことはあるのかな?


え、ちょっと待って・・・?


私は奇妙なことに気がついた。前世の記憶はあるけど、今世の記憶は全くない。幼児だったとしても、これまでこの世界で生きてきた記憶がないっておかしくない?ラノベの異世界モノだと前世の記憶が甦ったとしても異世界で生活してきた記憶は残っていたよ。


この体の持ち主はこの世界で育ってきたから、きっと言葉も分かるんだよね?


だとしたら私の記憶と意識はどうして平石理央のものしかないんだろう?


この体の持ち主の記憶と意識はどうなったんだろう?


私は何故ここにいるんだろう?



パニックになっているとバタバタと足音がして扉が開いた。言い争うような声も聞こえる。


今度はさっきのイケメンとその後ろから神経質そうな中年男が現れた。


イケメンの顔色は悪い。呼吸も荒くて真っ青というか真っ白だ。


「君はセイレーンの・・・」


イケメンは何かを言いかけ絶句した。


嫌な感じの中年は尊大にイケメンを押しのける。


「君は将来僕の妻になるんだ」


全然好みでない中年に言い放たれ、ポカンと口を開けたまま絶句する。



私今いくつ?幼女相手に何を言ってるんだ?



「侯爵、いくらなんでも、そんなにいきなり・・・彼女はまだ体調も良くないのです。もう少し気遣いを・・・」


「もう決まったことだ。ああ、それから逃げないように、これからずっと鎖でつなぐことにするから」


「・・・!!!(鎖?!)」


彼らの後ろに控えていた執事っぽい男性がシャランと鎖と首輪らしきものを取り出した。


いや、ちょっと待って!?怖いよ。首輪!?


「やめろ!そんなことが許されると思っているのか?!監禁は犯罪だ!」


「誘拐している時点で既に犯罪なのですよ。先生。そしてあなたも既に共犯者なんです」


厭味ったらしい丁寧語だな。


「くっ・・!絶対に許さない。私はこれから王宮に訴え出る」


「マーガレットとマキシムが僕の手の内にあることを覚えておくんだな。二人は既に隔離して監禁している。ブーニン侯爵家は代々王家の暗部も担ってきた。毒殺なんかもお手の物でね。君が裏切った瞬間に二人ともあの世に行っているだろうね」


さっき、イケメンの妹が侯爵の妻だと言っていた。マーガレットっていうのが妹さん?自分の妻を殺すって脅してるの?なんだこのクズ!幼女趣味!


イケメンの顔色はますます青白くなった。呼吸も荒い。過呼吸になりそうだな。


「・・・その子をどうするつもりだ?」


「決まっている。ここで飼うつもりだ。初潮がきたら私の妻にする。それまでは逃げないようにここで生活させる」


「ご存知だと思いますが、セイレーンがその特別な能力を発揮できるのは心も身体も健やかに成長できた時のみです。このような環境で健やかに成長できると思いますか?」


「何を言っている?この部屋も服も最高級のものを用意した。食事だって良いものを食べさせるつもりだ」


「自由を奪われて鎖につながれた者が健やかに育つとは思いません。衛生面の管理だって。それに教育や運動も必要です。何より親の愛情が重要です」


「そいつの親はもういないと聞いている。鎖は必要だ。鎖がないと逃げられかねないからな。先生が裏切るかもしれない。ちなみにこの部屋には『忌み言葉』の魔法を掛けている。もっとも鎖がある限り、いくら先生の力でも逃がせないだろうがな」


「私はっ・・・くっ・・マーガレットとマキシムが行方不明になれば王宮だって気が付く」


「侯爵領に居ると言えばわざわざ確認することもないだろう。まあ、二人は先生の知らないところにおりますよ。あなたの妹にしては平凡すぎてつまらないと思っていたが、駒として使えるとは嬉しい誤算だ」


『先生』と呼ばれるイケメンは呼吸が荒く立っているのも辛そうだ。怒りとストレスで過呼吸になっているのだろう。このままだと失神してしまうかもしれない。


「その子供は先生が育てたらいい。王族の家庭教師まで務めた先生なら適任だ。立派な淑女に教育して、健康面の管理もしてもらえれば、健やかな成長とやらが出来るんじゃないですかね?」


バカにしたような態度の侯爵に、先生は拳を握りしめながら叫んだ。


「彼女の身の安全を約束して下さい!暴力や暴言などは絶対に許さない!この子を傷つけるようなことがあったらマーガレットとマキシムを殺されても王宮に訴え出るつもりだ!」


「ふん、まあいいだろう。私の妻になるのだ。乱暴はしない」


「この子の名前は?」


「確か『フィオナ』と呼ばれていたな」


「年は?」


「三才と聞いているが」


「彼女の親はどうなったんだ?」


「知らん。コズイレフ帝国の奴は死んだと言っていた」


「やはりコズイレフ帝国とつながっていたのか!裏切者!」


「いくらでも吠えるがいい。貴様も同類だということを忘れるな。秘密を漏らしたらマーガレットとマキシムは死ぬ。そいつの面倒は任せたぞ。わがままな女は嫌いだ。従順になるように躾けておけ」


そう言い捨てると侯爵は部屋から出て行った。


執事っぽい人が私の首に首輪をつけて、鎖を部屋の隅にある杭のようなものに繋ぐ。鎖が長いのでこの部屋の中では問題なく動けそうだ。それに見た目よりずっと軽い。移動はそれほど苦ではないかもしれない。


執事が出ていくと先生が私の方を見た。


ベッドの脇に跪くと、私の左手を両手で握って自分の額に押しつける。


「すまない・・本当にすまない。君を救うことが出来なかった」


手がぶるぶると震えている。相変わらず呼吸が荒く顔色も悪い。間違いなく過呼吸だ。すごく苦しそうだし下手すると失神してしまうかもしれない。私は握られているのと反対の手でそっと先生の髪を撫でた。


「口をしっかり閉じて。ちょっとの間でいいから息を止められる?その後は鼻だけで呼吸するの。大きく息を吐いてはダメ。少しずつ少しずつゆっくりと鼻から息を吐いて。」


先生は驚いたように私を見つめたが、少し考え込むと黙って私の言う通りにした。


過呼吸になると体内の酸素と二酸化炭素のバランスが崩れ血液のpHに影響が出る。呼吸過多のせいで二酸化炭素が足りなくなってしまうのだ。例えば、ビニール袋の中に息を吐いてそれを吸いこむことを繰り返すと自然に治る。自分の出した二酸化炭素を吸い込むことで血中の二酸化炭素濃度を上げるのだ。今はビニール袋がないから、体から二酸化炭素が出来るだけ排出されないように呼吸を最小限にするしかない。


先生はずっと俯いて目を閉じていたが、呼吸が落ち着いてきたのか顔を上げて私を見た。


「君は何者だい?」


と不思議そうに聞く。


「大分気分が良くなった。さっきまでは息苦しくて意識が朦朧としていたのに・・。ありがとう」


優しく微笑むイケメン。いや、これからは先生と呼ぼう。彼は昔密かに憧れていた外科部長に似ている。私は元々外科医で、後に救急医になったけど元上司の外科部長にはずっとお世話になっていた。


先生は穏やかな口調で私に話しかけた。


「フィオナ、と呼んでも良いかい?」


おずおずと頷くと


「私はアレクサンダー・エヴァンズという。皆はアレックスと呼ぶ。君を助けられず、本当にっ・・すまないっ・・」


と嗚咽して泣きだした。私の手は握ったままだ。


目尻から幾筋もの涙が伝わって流れてゆく。大人の男の人がこんな風に泣くのを初めて見た。


なんだろう?この母性本能をくすぐられる感じ。


私はまた先生の頭を撫でた。黒髪がサラサラで気持ちいい。


甘いなあ、と思いつつ、この先生を責める気にはなれなかった。


これまでの情報をつなぎ合わせると、私の親は死んでしまって、あの嫌な男と結婚するために拉致監禁された。ここで鎖をつけられて生活せざるを得ないようだ。今世での親の記憶がないせいか悲しいという気持ちはあまり湧いてこない。もともと前世でも家族との縁は薄い人生だった。ただ、この体の持ち主の親がどんな人たちだったのかは知りたいと思う。


初潮が来たらあの男と結婚・・と想像しただけで鳥肌が立つので当面そのことは考えまい。あと十年くらいは大丈夫だろう。それまでに何とか逃げ出してみせる。


先生は妹たちを人質に取られて、侯爵の言いなりにさせられている。「妹さんたちを犠牲にして私を助けて」とはやっぱり思えない。それよりも監禁されるなら先生が近くに居てくれた方が助けになってくれるだろう。妹さんたちを救った後で逃げ出す方法も十年あれば思いつくかもしれない。


それから話の中によく分からない単語がたくさん出てきた。


「忌み言葉の魔法」「セイレーン」「特別な能力」「コズイレフ帝国」


なんだろう?先生は落ち着いたら教えてくれるかな?


思考がグルグル回る中、先生は私の手を握りながら泣き続けた。


カオスだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る