深淵を覗く時

 蘆屋はどこか呆然としたように、呟いた。


「……分かんない」


「そうか」


 残念だが、仕方ないな。


「何も無かった訳じゃ無いんだけど、関わりが薄すぎるって言うか……結構、遠い存在のモノがちらほらあるって感じがしたかな」


「その位置までは分からないか?」


 尋ねると、蘆屋は難しそうな顔をする。


「少なくとも、近く……日本には無いかな。あと、そんなにうじゃうじゃ居るって感じでもなくて……もうちょっと、深く探ってみようかな」


「あぁ、安全な範囲でな」


 蘆屋は座り直し、再度目を閉じた。


「…………ん」


 再び吹く微風。それはぐるぐると蘆屋の周りを巡るように吹く。


「……遠すぎて、駄目かも。私じゃ出力が足りないって感じで、そこまで見えないや」


「出力、か」


 俺は蘆屋に手を伸ばした。蘆屋は首を傾げつつも、俺の手を握る。


「霊力は未だに良く分からないんだが、こいつなら……何だろうとブースト出来る筈だ」


「ッ!? な、なにこれ……ッ!?」


 透明な神力が繋がれた手を通じて流れ込む。蘆屋は驚愕に目を見開いたが、直ぐにその力を利用しようと目を瞑り、集中し始める。


「大き、過ぎるけど……いける、かもッ」


 風が強く吹く。さっきまでとは比べ物にならない程、強く。


「ある、かも……一際、大きいのが……でも、凄い遠くて……ん……あ、やば」


 蘆屋はがばっと立ち上がり、後退った。焦ったような表情には大量の冷や汗が流れている。


「どうした? 大丈夫か?」


「い、いや……何も分かんないけど、暗くて……音楽だけ聞こえてきたんだよね。笛とか、太鼓の音が」


 蘆屋の目を見ると、恐怖に焦り、不安や混乱が伝わって来る。だが、それは近付けた証拠でもあるだろう。


「ちょっと、良いか?」


「う、うん……」


 手招きし、蘆屋を寄せる。


「悪いが、少し俺が見る」


「あっ」


 蘆屋の前髪をかき上げ、額を合わせる。ギリギリ間に合ったのか、高く響く笛の音や無造作に打ち鳴らされる太鼓の音が聞こえてきた。

 その音の方へ近付くように、邪悪な気配を探り、俺は蘆屋の術だけを利用して一人で更に深くへと潜っていく。


「……何だ?」


 伝わってくるのは、心臓まで凍てつくような寒気。そして、皮膚が煮え滾るような熱気。視界に入るのは、黒い世界と飛び散っている肉片のようなもの。それらは沸騰するように蠢き、膨れ上がっては分裂し、何かに吸い寄せられては溶けていく。


「……ッ!」


 段々と、見えて来た。全貌が。無限の宇宙の深淵、全ての混沌の中心にある、その場所が。




 鼓膜を劈くような笛の音が響く。無造作に打ち鳴らされる太鼓の音が、宇宙そのものを膨れさせる。


 その場所には無数の異形が浮かんでいる。臓器だけを無理やりくっつけて、その上から肉を張り付けただけのような怪物が。浮遊しては宇宙と同化し、霧のように現れる色そのものが。

 恐ろしいのは、そのどれもが神性も持っているということだ。この怪物達は、全てが神だ。


 そして、見つかった。


 悍ましい邪神達の中心で、黒い影のような何かが肉の形をしている。それは、膨れ、沈み、増え、分かれ、消える。これだ。これが、邪神だ。アレと、同じ。真の邪神。



「――――くふふ」



 その横で、別の邪神が笑った。顔も形も無かったそれは、人の形を取って、女の顔で笑った。俺の目を、見て。




 俺は蘆屋から額を離し、溜息を吐いた。


「すまん」


「ぁ……」


 これを蘆屋にやらせようとしてたと考えると、相当ヤバいな。最初にアイツらと交信したって言う作家も、こんな感じだったんだろうか。普通なら発狂どころじゃ済まなかっただろうな。蘆屋がこれを見ていたらと考えると、少しゾッとする。


「取り敢えず、助かった。確実に得られたものはあった」


 恐らく、あそこに居た女……あの一番の怪物の横に居た女が、ニャルラトホテプの本体だ。本体というか、根源とでも言うべきか。根拠はあっても証拠は無いが、何より元勇者としての確信がある。


「それで、礼は何が欲しい?」


「……えっと、何だっけ?」


 何で聞いてないんだよ。


「礼だよ。何が欲しいんだ?」


「ん、あぁ、お礼ね……別に無くても良いんだけど」


 断ろうとする蘆屋に俺は首を振る。


「ソロモンの時も協力してもらったしな。ダンタリオンの時は命の危険すらあっただろう」


「別に、ソロモンは元から探ってたもんだし、悪魔退治も私達の仕事だったし」


 何にしても、礼は返さなければいけない。こいつは気付いてないかも知れないが、ついさっき相当危険な目に遭わせかけたからな。


「あ、良いこと思いついた!」


「良いこと?」


 嫌な予感がするな。


「勇、僕の弟子にならない!?」


「……弟子」


 俺は言葉を反芻した。


「お父さんからいつか弟子を取りなさいって言われててさ、勇ならどうせ一瞬で一流になれるでしょ? 勇が弟子ならお父さんも文句言えないかなって思ったんだけど」


「随分過大評価されてそうだが……まぁ、それはまたの機会にな」


「あ、言ったからね!? もう約束だよ!」


「あぁ、色々と片付いたらな」


 霊力という力には、少し興味がある。俺としても習うこと自体に抵抗は無い。


「取り敢えず、これを渡しておく」


 俺は虚空から小さな細長い紙を取り出した。細かく文字が書かれている。


「何これ、式符?」


「お守りみたいなもんだ。肌身離さず持っておいた方が良い」


 御日にも渡した物だ。所持者の危機を察して効果が発動する。


「へぇ……分かったよ。ありがとね」


「いや、礼だからな。感謝する必要は無い」


 蘆屋は大事そうに紙を服の内側にしまった。


「良し、粗方用事は済んだな……いつまでも結界を張っておくのもアレだから、帰るぞ」


「え~、勉強見てくれても良いんだけど?」


 高校中退の俺が勉強を手伝えるとはとても思えないな。


「今日は助かった。またな」


「ん、またね」


 本当はもう少し探りたい気持ちもあったが、相当危険そうだったからな。これ以上蘆屋を使って調べるのは控えた方が良いと判断した。


「一応、何かあれば報告してくれ。向こうにも察知されてる可能性が高いからな。アンタに何か仕掛けて来る可能性もある」


「良いけど、その時は守ってね」


 当たり前だ。その為にあの紙を渡したんだからな。


「じゃあ」


 俺は手を上げ、結界を解いてその場を去った。

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