第28話 そろそろ実習

「前世とやらはともかくだが……この世界がゲームの世界というのは信じられないな」

 唐突に、ユリシーズ様の声がわたしの耳に飛び込んできて、ハッと我に返る。ユリシーズ様の声はそれほど大きくなかったし、わたしに向けた言葉でもなかったみたいだけど、過去の残影から目を引きはがすのには充分な力があったらしい。

 何だか、もどかしい思いがわたしの心の中に残る。思い出せなくてもやもやする感覚。あともう少しで――何か思い出せたのに。

 でも。

 今はそんなことを考えている場合じゃない。

 わたしの目の前にいる、眉間に皺を寄せているユリシーズ様が何か考え込んでいる姿を再確認しながら、わたしが説明した一連の流れをなぞる。


 簡単にまとめると。

 わたしは前世で別の世界を生きてきた。

 この世界はゲームの世界である。

 わたし、ディアナ・クレーデルはゲームの中の登場人物であり、他の登場人物たちも存在している。しかも、登場人物たちと恋に落ちる可能性がある。


 まあ、普通だったら信じられないよね、という話。


「それは仕方ないと思います」

 わたしは苦笑しながら続けた。「わたしだって、未だに信じられないなあ、と思うことすらあるんです。何だかずっと、夢の中にいるみたいでふわふわしているというか。確かにここは現実なのに。現実だと頭では解ってるのに、やっぱりゲームの世界なんだって思わされることが多くて」

「夢か」

 ユリシーズ様が僅かに顔を顰めたのに気付き、わたしは慌てて両手を軽く上げて振って見せた。

「もちろん、今は違いますよ? この世界は夢なんかじゃないし、現実です。わたしは今の両親もお兄様も好きだし、この世界が今のわたしの生きる場所だって解ってます」


 だからこそ、色々考えてしまうのだ。

 ゲームで描かれていた場面は、本当に一部だけだ。オンラインゲームの――チャットが楽しめるアプリゲームのバックグラウンドに過ぎない、ストーリーモード。

 あのゲームにおいて、恋愛――攻略対象とハッピーエンドを迎えるためのそれは、それほど重要じゃなかった。

 だから。


「わざと、ゲームと違う道を進んでみたいって思ってるんだと思います。だってこれは、わたしの人生だから。確かにストーリーモードは面白かった記憶はありますけど、だからといって……神様とか、自分とは違う誰かに決められた道を進むのって、何だか厭じゃないですか? 絶対に後悔すると思うんです。やっぱり、自分が決めた道を歩いてこそ、なんですよ! だから、エリス様……苦手な攻略対象者から逃げまくっていたら、とんでもないことになってしまったのは予想外でしたけど」

「なるほど」

 ふ、と彼が小さく笑う。

 わたしはそこで、ユリシーズ様の冷静な表情を観察した。

 彼は何か考え込んでいるようだけれど、わたしを馬鹿にした様子はない。どこまで信じてくれているのか解らないけれど、真面目にわたしの話を――それも、ぶっ飛んだ内容の話を聞いてくれただけで奇跡のようなものだ。

 そんなわたしの探るような視線に気づいたのか、彼が困ったように眉根を寄せる。

「まあ、俺もよく解らないが……少なくとも、俺はお前が言うところの攻略対象者ではないということだな?」

「あ、はい。だから安心して近づけます」

「安心……」

「だって、攻略対象者たちってヒロインに無駄に友好的なんですよ。本当に無駄に、好感度が上がりやすいというか。そんなの、厭じゃないですか」

「そう、か?」

「厭ですよ! 絶対、疑ってしまうじゃないですか! わたしに優しくしてくれるのは、そうやってプログラムされてるからなんじゃないかって!」

「ぷろ……何?」

「その辺はフィーリングで察してください」

 わたしが無茶なことを言っていると、彼は胡乱そうにわたしを見つめて首を横に振った。

「変なヤツ」

「えへへ」

「何故喜ぶ」


 ちょっとだけわたしのテンションがおかしいのは許して欲しい。

 やっぱり、家族以外の人にこの話ができたのが嬉しいのだ。

 この話を聞いて、頭のおかしい人間扱いされて距離を置かれたら……うん、立ち直れなかっただろうな。屋敷に引きこもってしばらく学園に来られなくなったかも。

 だから、真面目に聞いてくれたってだけで充分だ。


 アリシアとミランダにも話したいけど……以前は話そうとしたら小説の話になってしまったから、タイミングが難しいなあ。

 ミランダはともかく、アリシアは現実主義者っぽいから――無理かも。ううーん。


「まあ、お前の話は面白いから別にいい。とにかく、あのエリス・エイデンには気を付けろとだけ言っておく」

「ありがとうございます」

 結局、ユリシーズ様は尻尾を揺らしながらそう話を締めくくった。


 それからは、わたしの学園生活は平和に進んだ。

 あれほど懸念していたエリス様の付きまといはなくなって、せいぜいチーム戦の時間に遠くから見られているくらい。殿下たちもわたしに接触してくることもないし、わたしは自分の勉強に打ち込むことができた。

 何だかわたしとユリシーズ様は、この状況に拍子抜けしたというか、心配しすぎだったかと顔を見合わせたのだ。

 だから、わたしは自分の好き勝手に活動する。学園を卒業した後のことを考えて、自分の店を出した時の商品開発に励んだわけだけど。


「それで、そろそろ実習が始まるだろう。お前、こんなことをしていて大丈夫なのか」

 わたしがいつものように放課後、ユリシーズ様の研究室に焼き菓子を持ち込んでいると、彼が呆れたようにそう言った。

「実習」

 わたしは先輩に用意してもらったお茶を飲みつつ、バナナタルトをフォークでつついているところだ。今回のバナナタルトは、アーモンドプードルに仕掛けがある。仕掛けというか、美容効果のある特別なアーモンドを使っている。もちろん、クレーデルの領地で採れるやつ。

 これを食べればお肌つるつる、髪の毛や爪にも栄養がいきまくってつやっつやになれるわけだけど、食べ過ぎると逆効果なんだよね。何事も、適量ってやつがある。

 焼き菓子だけじゃなくて、料理にも使えるし出番は多いのだけれど、食べ過ぎたら吹き出物だったりお腹壊したり……ううん、使う量を減らすか……。

「おい、聞いてるか」

「はっ」

 わたしは、自分の考えに集中していたせいで、ユリシーズ様の話を全然聞いてなかった。突然、わたしの目の前にイケメンの顔があってビビったけど、すぐにその黒い猫耳が目に入って口元が緩む。うん、ユリシーズ様は間違いなく癒しキャラ。口に出しては言えないけど、やっぱり可愛い。

「また変なことを考えているだろう。実習だよ、実習」

「そうですね、実習ですね。ええと……何でしたっけ」

「これだから」

 彼は軽く舌打ちして、わたしの向かい側の椅子に腰を下ろした。そして、バナナタルトを食べて「美味いな」と呟いた後に続けた。

「学園の管理地である森での実習だ。ほら、お前の兄がドラゴンを倒したとかいう曰く付きの場所でもある」

「ああ……」

 わたしはそこで、思わず顔を顰めてしまう。「さすがにわたし、ドラゴンと戦うのは早すぎると思うんですよね」

「普通は出ないから安心しろ」

「じゃあ何が出るんですか?」

 わたしが何も知らないと気づいて、ユリシーズ様は小さくため息をこぼす。でも、ちゃんと説明してくれた。

「新入生たちの最初の実習は、角ウサギやロックウルフ程度の低レベルの魔物と戦うことだ。ただ、チーム戦と違って幻影ではなく『本物』と戦う。油断すれば怪我人も出る」

「なるほど」


 どうやら、実習の場となる学園の管理地には、魔物も管理されつつ飼育されているようだ。学生たちの実習のために生かされているだけというのはなかなか残酷だと思うけれど、死んだ魔物は食肉にされるかギルドなどに何らかの素材として売られていくらしい。

 その過程も、生徒たちは見守るんだとか。失神する女生徒もいるというから、結構な光景なんだろうけど――。


 まあ、わたしはお父様がたまに魔物を庭で解体していたりするのを見ているから血には慣れている。魔物の心臓部にある魔石の回収の仕方も知っているし。

 他の女子生徒たちと比べたら、わたしは余裕だと思うんだよね。


「不安だな」

 わたしが警戒心なく笑っているのを見て、ユリシーズ様は目を細めている。

「何がですか?」

 わたしが首を傾げると、彼は苦々し気に首を振った。

「この実習はチーム戦とは違う。お前が信頼しているチームメイトと一緒に戦うのではなく、その場で適当に組んだ人間たちの団体戦だ。敵は弱い魔物とはいえ、それ以前に……お前、急に組むことになった男子たちと上手くやれるか? 実習は男子だけ、女子だけでやるということは許されない。必ず男女合同となる」

「え」

「俺はそれで苦労した。組んだ仲間同士、男子生徒は女子生徒を守るべき、みたいな暗黙の了解があるからな、俺も見知らぬ女生徒を『近くで』守ってやらなくてはならなかったんだが、それが……まあ、察してくれ」


 のおおおお。

 わたしは思わず、ムンクの叫びみたいなポーズで固まった。

「見知らぬ、男性と!? 一緒に!? 無理無理無理無理!」

「そうだろうな。まずはそこからだろうな、お前の場合」

「どどどどど、どうしたら」

 わたしがおろおろしながら椅子から立ち上がり、挙動不審な動きで左右に揺れていたらユリシーズ様がため息をついた。

「……まあ、近くにいた生徒同士が組むことが多いから、少なくともSクラスの連中からは離れておけ。その代わり、信頼できそうな男子がいたらそいつの近くにいろ。まあ、そういう相手はいないだろうが」

「それは……」


 そこで、わたしははた、と立ち止まる。


「……いるのか」

 そんなわたしを見て、ユリシーズ様が一言。

「い、いえ、そんなことは。うん、いや、そうなのかな?」

「どうした」

「いやいや、別にウォルター様に頼ってもいいのかなって思っただけで。でも、それは申し訳ないというか推し活として遠くから見守るって信念から外れるというか、やっぱり駄目だって思うというか」

「ウォルター? おしかつ?」


 わたしがぶつぶつと呟きながら悩んでいる傍で、ユリシーズ様が何か考え込んでいたのだけれど、わたしはそれに気づくことはなかった。

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