嫉妬
少しくらい痛い目にあったらいい。
そんな気持ちがあったのは間違いない。
ひらきちゃんが悟くんにあんなに心を許していることに正直驚いている。
自覚はないようだが、悟くんは密かに女の子にもてる。
特別見た目が良いわけではないが、程々に筋肉質な身体。清潔感があって、寡黙。そして、天性のタイミングの良さ。
言って欲しい、やって欲しいことをこちらの望むタイミングで行動に起こしてくれる……そういうタイプなのだ。
とはいえ、悟くんもひらきちゃんも少しズレたところがあるし、二人の事だから抱き合っていたのも何か理由があるんだと思う。
それでも……面白くなかったし、むしろ、不愉快だった。
だから、少しだけ嫌がらせをしたい気持ちになってしまったのだ。
悟くんが中学時代に柔道に打ち込んでいたことは知っている。でも、現役には敵わないだろうと思っていた。
だから、江川くんにやられる悟くんを見たら少しはスッキリするかなと思っていた。
だが、蓋を開けてみたら結果は全く違った。
明らかに悟くんよりも巨漢の江川くんが宙を舞ったのだ。
動きが早すぎて、私には何が起きたのかわからなかった。
……狡い、悟くんは狡い。
ちょっと格好良い……ところが。
私のもやもやした気持ちが強い風で吹き飛ばされてしまったみたいだ。
いけない。
当初の目的を忘れるところだった。
でも、その前にわずかに残った曖昧な気持ちをリセットしないと。
バシッと思いきり、悟くんの肩を叩いた。
バカ。
「後でひらきちゃんと抱き合ってた理由をしっかり釈明してよね」
悟くんは戸惑った表情のような、ホッとした表情のような感情の定まらない顔をしていた。
もう、大丈夫。これでいつもの私に戻った。
悟くんの後ろにいる江川に声をかける。
「その前に約束は果たしたんだから、腕時計の話を聞かせてくれる?江川くん」
江川は頭を掻きながら問いに答える。
「無くした腕時計の話でいいんすよね?でも、何で時計の話を聞きたいんですか? 」
当然の疑問だ。
「 遺失物事件のことは知ってる?」
江川は頷く。
「ひらきちゃんも腕時計を無くしているの。遺失物事件に関わった人にヒアリングしてヒントがないか探ってるんだ」
「ひらき先輩が困っているなら全力でお手伝いします!」
……ここにもいたか、ひらきちゃんの信者が。
ひらきちゃんは美人だ。しかもフランクで誰とでも仲良くなれる。
だから勘違いする男子がたくさんいる。
でも、ひらきちゃんは恋愛に関心がない。むしろ、積極的に避けている節すらある。
……最近の悟くんへのひらきちゃんの態度を除けば、だが。
「江川くん、時計の特長を教えてもらって良い?」
「うす!」
江川の話によると、
無名の時計職人が作った一品物で、文字盤がスケルトンになっていて細かな歯車や小さな部品が忙しなく動いているのが見えるのが特長らしい。
金属製のベルトに彫金で製作者のロゴが彫られているそうだ。
「なんだか、高そうな時計だね。もしかして貰い物? 」
「はい……亡くなった叔父の形見なんです。柔道の師匠だったんですよ」
江川の顔が少しだけ暗くなったような気がした。
江川の叔父は小さな道場をもっており、柔道教室をやっていた。
だが、江川の叔父は若くして癌を患い、江川が小学校六年生の時に亡くなったそうだ。
独り身だった叔父さんは江川を自分の子供のように可愛がっていて、昇段祝と称して、この高そうな時計をプレゼントしてくれたらしい。
しんみりした空気が流れた。それと同時に心に引っかかる何かも感じた。
こういう勘は外れた試しがない。
言語化できない何かが目の前に横たわっている気がした。
悟くんが江川に質問をする。
「江川、時計を無くした日のことで覚えていることはないか? 」
「かなり前だから自信はないんですが、体育の授業があって、時計を外してカバンに入れておいた……と思うんですが」
今村さんも似たような事を言っていたのを思い出した。
「で、体育が終わって着替えていたらカバンに時計がないってなって……」
それで陽芽高の警備室の遺失物一覧に届けを出したそうだ。
「でも、中坊だった自分には陽芽高の警備室はまるで異世界のようで、不安な気持ちになりましたね」
「江川は見かけによらず、小心者だな」
……と、同じくらい小心者の悟くんが言うと説得力がないと思ったのはここだけのはなしだ。
陽芽高校は中高一貫の私立校だ。
陽芽高と陽芽中は同じ敷地にあるが当然建物は別だ。
だが、警備室は共用になっている。
無くし物をした場合、陽芽中の生徒は陽芽高校舎にある警備室まで遺失物届を出しに行かなければならないのだ。
……ここで大事なことに気がついた。
「ねぇ、悟くん、時計なくしたときの話を詳しく聞いてなかったよね。無くす前のこと覚えている?」
一瞬、悟くんが凄く優しい顔をした……気がした。なんだろう?
「ああ、その日は確か調理実習があって、時計が汚れると困るから腕時計を外したんだ……それで、机の中に……いや、ポケットに入れたっけ……」
やはり、無くす前の記憶は曖昧みたいだ。
「私も詳しく話してなかったけど、昼休みに2階の西棟の階段前の廊下で悟くんの時計を拾ったんだよ」
「それで俺の机に戻してくれたのか。でも、俺は隣のクラスだし変な目で見られなかったか? 」
悟くんの一言で伝えていなかった、あることを思い出した。
「うん、だから前の席の関本くんに声をかけて、悟くんに『落ちてたよ』って伝えてってお願いしたの」
眉間に皺の寄った表情から、『聞いてないぞ、関本』とか考えているんだろうなと思った。
つまり、悟くんの腕時計は私が机に戻した後、昼休みから放課後の間に何者かに持ち去られたということだ。
「ねえ、その日の午後の授業で移動教室はあった? 」
「いや、無かったんだよな……」
腕を組んで悟くんが考え始める。
「あの、藤井先輩、山下先輩……」
江川が真剣な顔で声をかけてきた。
「ついでで構わないので、俺の腕時計も見つけたら教えてください。お願いします」
深々と頭をさげられて、私は困惑した。でも悟くんは親指を立てて、快活に答えた。
「おうっ任せとけ!まとめて全部解決してやる」
人を笑顔にできるところが悟くんの本当の良いところだと思う。
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