第七話 音楽を奏でるしゃれこうべ

 

 ◇


 無人、無音で暗闇のはずの職員室。その一角で照明とパソコンのブルーライトの光が煌々としていた。

 静寂の空間に、マウスのクリックとキーボードを叩く音だけが響く。


 そこに、違う音が混ざってきた……。


 ただ音、というのは憚られる、ゆったりとした音色……オルゴールの和音だ。


 その控えめなメロディーは、自らの目的である卑猥な画像や動画に夢中な男性教師――本来の目的である書類のデータのことなど吹き飛んでいる――には届かない。

 オルゴールの音色は少しずつ大きく、確実に近寄っているのに……。



「雲堂先生……? 何をなさっているんですか?」



 唐突に、肉声が職員室に響いた。

 画面にかじりついていた雲堂と呼ばれた男性教師の体が跳ねる。


 振り返ると、同僚の女性教師が表情の無い顔で、胸に何か白く丸いものを抱えて立っていた。

 彼女もまた残業だろうか、担当科目は確か――、音楽のはずだ。



「はっ⁉ は、灰土先生‼ あ、いや、こ、これはでですねっ!」



 雲堂は慌てて両手を振ってパソコンのモニターを隠すが、灰土と呼ばれた細身で赤縁あかぶちメガネの女性教師は、まるですり抜けるように覗き込んだ。



「いけませんねぇ……。教師ともあろうものが、神聖なる職場でこんないかがわしいものを……」


「ち、ちがうんです! こ、これは、その、ほ、保健の授業の資料にとっ!」


「いけませんねぇ……。子づくりの実践授業でもなさるおつもりですか……? 嘘をつくなんて…… 最低ですね……」



 ゆったりとした喋りだが、その眼光は鋭く、見下してくる視線に雲堂は背筋がぞくぞくするのを感じた。




「は、灰土先生こそ、なんですかその抱えているのは……」


「このはハイドン様のものですよ……」


「ハイドン⁉ 誰ですかそれ⁉ ……‼ そ、それ……ず、頭蓋骨っ……!」


「ハイドンさまをご存じないのですね……。興味本位で墓を掘られ、頭蓋骨を持ち去られ……安らかに眠ることのできない屈辱を味わい続けるハイドン様をご存じないのですね……!」


「ひっ……! わ、わかりました! お、お金払います! い、一万……じゃ少ないか、五万! 五万でどうです⁉」


「……」



 返事無く見つめてくる、軽蔑の眼差し。

 その重圧に耐えきれず、男性教師雲堂は賭けに出た。

 頭を直角に下げ、頭頂の前で両手の平を合わせる。



「せ、先生! お願します! この件は見なかったことにしていただけませんか⁉ じゅ、十万! 十万払いますから‼ 見逃して下さ「いけませんねぇ~。ハイドン様を知らないばかりか、不正を見逃してもらうために買収しようとするなんて……本当に生徒に一体何を教えてらっしゃるんですか……?」



 抑揚の少ない冷淡な声。

 もともとクールビューティーと独身の男性教師陣の間で人気があった灰土だが、それに輪をかけ、塩対応どころか氷の冷たさ、カタナの鋭さを孕んでいる雰囲気だ。



「お仕置きが必要ですね……」



 灰土がそう呟くと、胸に抱えられている頭蓋骨の、深淵の眼窩が一瞬、怪しく光る……!



「はい! ドーーーーーーーーーーーーン!」



 耳障りな声は途絶え、焦りと怯えの色を浮かべたまま時が止まったかのように男性教師は硬直した。

 しゃれこうべを抱いた赤縁メガネの女性教師・灰土は、ピンヒールを履いているにも関わらず、足音も立てずゆっくりと職員室の出口――その先の廊下へと向かう。



「さて、今夜は騒々しいですねぇ……ネズミが入り込みましたか……早々に駆除しませんと」



 廊下に出た灰土が何処からともなく蠟燭ロウソクを取り出すと、知らぬうちに火がともる。

 灯った火の熱で溶けた蝋をしゃれこうべのてっぺんに垂らし、固まらぬうちに蝋燭を立てる。


 聞こえぬ灰土の足音に代わり、ピンヒールの靴を一歩踏み出すごとに、優しい音色が流れる。

 先程と同じ、オルゴールの音だった。


 その曲は、ドイツ国歌でもある“弦楽四重奏曲『皇帝』”。


 音色に導かれるように、中年の男性教師・雲堂が、虚ろな目をして灰土の後ろを同じ歩みで付いてゆく……。

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