第四話 潜入~玄関に潜む~

(ど、どうやって入ろう……)



 じめじめと蒸し暑い六月の、日暮れて闇夜が訪れた頃。


 暗く、静かな闇の中にそびえる校舎。

 その巨躯を前に、咲は立ちすくんでいた。


 当然施錠されているであろう建造物に侵入を試みるのは、無謀でしかない。

 ここまで来て初めてその問題に気付く。


 子どもならではの無計画さだった。


 戸締りが為されているはずだが、どこか一か所くらい鍵の閉め忘れがあるかもしれない。


 しかし、窓は咲の身長から見ると手を伸ばしてようやく届く位置にあるため、ひとつひとつ確認して回るのは大変な作業だ。


 入れる場所を見つけられないとなると、ガラスを割って入るとか強引な手法しかないわけだが……。

 

 侵入の痕跡は残したくなかった。


 そもそも警備セキュリティシステムがあるため、無茶をすれば通報が行ってしまうのだが、小学四年の咲はそこまで分かっていない。


 単に、夜の学校にいるとバレたら怒られそうなこと。

 また、その理由が知れたらクラス中からはやし立てられるのも目に見えるために、見つかりたくないだけだった。


 校舎内への入り方を考えあぐねていると――。




 窓ガラスの向こう側に見えるものがある。






 人影――?







 曇天で月明かりの恩恵を受けられない空模様。



 中は殆ど真っ暗闇。

 天井から吊り下げられた非常時の誘導灯が緑色の光で朧げに照らすだけなのに。




 なぜか、その影だけ、くっきり見えた。




(もしかしてアサギくん……? けど、背が高すぎる……? 先生……?)






 瞬きすると、消えていた。






(誰かいるってことは、開いてるの、かな……?)



 見つかりたくない気持ちと裏腹に、誰か居る、と思うだけでほんの少し安堵し前に進める気持ちになる。



 一歩踏み出すと、スニーカーのかかとが、ジャリ、と音を立てた。



「~~っ‼」



 自分で音を立てておきながら、静まり返った空間では爆音そのもの。


 頭のてっぺんから心臓が飛び出したと思ったし、多分体も一メートルくらいはジャンプした。

 叫ばなかったのが不思議なくらいだが、きっと心臓が無かったからだろう。


 祖父が買ってくれた、白地に薄紫のラインが入ったお気に入りのスニーカーだったが、この時ばかりは恨んだ。



 迂闊に音も立てられないと、爪先を立てた忍び足でそろそろと玄関に向かう。


 ガラス戸に顔を近づけ中を伺うが、さっきのような人影は無い。



 唾を飲み、取っ手のくぼみに小刻みに震える左手の指を三本かけ、そっと力を籠めるが、抵抗を感じる。

 反対側を試しても同じ。鍵は開いてないようだ。



「おかしいなぁ……」




 さっき見たのは何だっただろうか……。


(お化けかもしれない……)






 そう思うと背筋がゾクリと寒くなる。

 今度は心臓が地中深く沈んでいく感じに。

 血の気が引いていく。






 不意に、目の前の窓ガラスに光がちらついた。



「!!」



 ガラスに反射した光だった。

 咲は慌てて振り返ると、遠く、校庭の中ほどから、小さな白い光がこちらに向けて放たれているのが分かる。

 厳密にはもっと手前を照らしているようで、上下する光がたまたま窓に映ったようだ。


 その無機質な色合いと大きさは、咲にはスマホのライトに見えた。



 ちらついた灯りを目にした咲の脳裏に、七不思議の一節が呼び起こされる。





「好きな子の誕生日、その子が登校するより先に引き出しにプレゼントを入れておくと両想いになれる――」



「ただし、校門をくぐったら、大人に見つかってはいけない」





 祖母の教えをまたひとつ思い出す。そうだった。



 さっきは人影が見えて安堵したが、見つかることはご法度はっとだった。

 咲は思わず玄関脇の垣根に転がり込むように身を隠す。




「ったく、めんどくせ~。テストの作成、家でやろうと思ってたのにデータ忘れるとはなぁ~」



 大きな独り言を言いながら、中肉中背の中年男性がのしのし歩いてくる。

 名前は知らないが、咲はその顔には見覚えがあった。

 

 確か……六年生の担任だ。



 やたら態度がでかく、体育の時に校庭でよく怒鳴っているのが咲たちの居る三階の教室まで聞こえることもあった。

 咲には苦手なタイプだ。



「なんだぁ? 今日真っ暗じゃねぇか……。職員室くらい電気つけとくもんだろ~」



 ぶつぶつと文句を言いながら玄関に着くと男性教師は慣れた手つきでセキュリティロックを外す。


 一拍置いて軽い金属音が鳴ると、ガラス戸を横滑りさせ校内へ入っていく。

 同時に大きな音で屁をこいた。



「データ持ったらすぐ帰るんだし、このままでいいだろ~」



 中年教師は乱暴に音を立てて戸を閉め進み、下駄箱前に敷かれているマットに、靴底を捻じるよう入念に押し付けると、あろうことか土足のまま廊下へ上がっていった。


 いつも廊下を走るな、だの、挨拶しろ、だのガミガミうるさい教師がする、信じがたいマナー違反だった。

 一方で、まぁこの人ならしてもおかしくないとも咲には思えた。




 そして、好機だった。



 教師の姿が全く見えなくなると、咲は垣根の陰から出て玄関へ向かう。


 そっとガラス戸に手で触れると、戸はレールに沿って静かに滑る。






 鍵は、開いていた。





「お、おじゃましま~す……」



 玄関の戸を開け、首だけ敷居を越えて、何故か3年以上通って一度も言ったことの無い言葉が出る。


 誰に対して断っているのか。

 暗く淀んだ雰囲気が、何かの存在をうかがわせるのかもしれない。




 おそる、おそる。


 慎重に、中へ進む。




 足音を立てないように。



 下駄箱で、靴を履き替えたかった。

 土足で入る勇気が咲にはなかったし、そんなことをしたらおばあちゃんに怒られると思ったからだ。


 が、自分の下駄箱を探すために灯りを付けたら見つかってしまうかもしれない。



(ごめんなさい、ごめんなさい……!)



 祈るように、目を閉じながら運動靴を入念に玄関マットに押し付け、靴底の汚れを取る。


 目を開いても変わらぬ闇の中、できるだけ廊下に汚れを付けないようにと、マットの先にあるであろう十センチほどの僅かな段差を跨いで、そっと廊下に上がる。


 咲が真上に腕を伸ばしたのとほぼ同じ高さのある下駄箱に背中のリュックをつけ、亀かカタツムリのようにゆっくり首を突き出して、廊下の様子を見る。



 東側……職員室の方向は誰もいない。奥にぼんやり白い光が見えるのは職員室の蛍光灯の灯りだろう。

 まだ教師が出てくる様子はない。



 西側……こっちは真っ暗闇の中に非常灯の緑だけが点々と浮かんでいる。




誰もいなさそうだ。













「コンバンハ」


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