【血沸肉男物語~夜の学校には何かがいる~】

霜月サジ太

第一話 誕生日

 それはもう、今となっては昔の話……。



 諸君らはご存じだろうか。

 理科準備室にある「人体模型」というものを――。





 ヒトの肉体の組成そせいを、立体を使って机上より具体的リアルに学ぶための模型モデル――。


 それはもともと理科室に常設されていたが、むき出しの臓器や血管、筋繊維といった見た目から漂うあまりの不気味さに、生徒・児童から不評を集めて、ついには保護者モンペまでもを巻き込んだ末、年に数度の出番以外は理科準備室の片隅で、他の実験器具や道具に埋もれながらひっそりとしているのみの、半ば忘れられた存在となった……。



 だが、準備室に仕舞われるようになって以降、奇妙な噂が立つようになる……。


 理科準備室を離れ、独りでに廊下を走り回るのだという。







 動くはずの無い、人体模型が――。




 ◇




 かつて、学び舎――学校には、どこでも決まって、七不思議なるものが存在した。


 地域によって様々だが、概ねこんなものだ。


 桜の木の下に埋まっている死体、無人の音楽室で鳴り響くピアノ、旧校舎1階西側女子トイレ3番目の開かずの扉、など……手ぐすね引いて待っている怪異。


 また、屋上へ繋がる東階段の踊り場にある鏡で合わせ鏡をするとあの世に連れていかれる、体育館のステージ裏のどこかには地下迷宮へ繋がる階段がある、といった能動的にアクションを起こすことで怪異となるものもある。



 ただの噂にしては何世代にも渡って語り継がれており、全くの事実無根とは言い難い。


 かと言って、それが事実であると言い渡すほどの根拠もない。



 真相は、いつもモヤに包まれているのである。





 そして……、こんなロマンスが肩を並べているのもひとつの魅力だろう……。


 好きな子の誕生日、その子が登校するより先に引き出しにプレゼントを入れておくと両想いになれる――。





 キーンコーンカーンコーン




 梅雨真っ只中の六月半ば。曇天から薄日の差す空が、濡れたアスファルトからじわじわと水蒸気を立ち昇らせるために晴天より逆に蒸し暑い。

 そんな不快指数急上昇している首都郊外の、中堅どころのターミナル駅を中心に程よく栄えた街の、駅徒歩二十分ほどにある虹ヶ丘小学校に、終業を告げる鐘チャイムが、校舎全体に鳴り響く。




「きりーつ」


「れーい」



『さよ~なら~』


「はい、さようなら~っ」



 児童たちの心のこもらない挨拶に対し、若手の男性教師が最敬礼かヘドバンよろしく教卓に頭を打ち付ける勢いで頭を下げ、上げ切らないうちに廊下への一歩を踏み出す。

 礼など形式で意味が無いというものの模範解答みたいなお辞儀だ。



 ランドセルを背負った少年少女が、閉じ込められていた箱からわらわらと駆け出していく。


 教室に留まり、仲良しで集まり談笑する一団もある。


 どちらにも属さず、ゆっくりと荷物を整える者もいる。



「先生も無茶なこと言うよなぁ……」



 ポツリ。小学生にしてはやや髪の長めの少年が、席に着いたままランドセルに教科書を詰めながら、誰宛ともなく呟く。



「? 何か言ってたっけ?」



 聞き逃さなかったのは、隣の席の少女。

 背中まで伸びる、毛先にやや癖のある長い髪と下がり眉に長い睫毛の揃った大きな瞳をしている。


 そして、可憐さを引き立てるのは、特徴的な天使の囁き声ウィスパーボイス



「なんだよ藤村……なんでもねーよ」



 少年は不機嫌そうに、前髪の隙間から藤村と呼んだ少女を睨む。



「だって……アサギ君、いつもそんなこと言わないもん」



 日頃の行動がバレているようで、少年――アサギはバツの悪い顔をする。





 四月。進級と同時に四年一組に転校してきた浅葱アサギ 青磁セイジと、隣の席になった藤村フジムラ サキ

 アサギにとって咲は、この学校で初めての、そして今のところ唯一と言っていい友人だった。


 転勤族の親に連れられ各地を転々とする中、どうせ寂しい思いをするなら、と周りと打ち解けることを諦めていたアサギ。

 そんな彼と、不思議とウマが合った咲。


 彼女は人と接することを苦手にしていたが、孤独もまた恐れており、無理矢理周りと合わせながらも打ち解けられる友人ができないまま、人の顔色を窺うばかりの日々を送っていた。


 可愛らしい容姿は成長すれば周りの目に留まるだろうが、引っ込み思案な性格が故に十歳に手が届くかどうかの小学生からすれば面白みが無く、クラスでは目立たない存在だった。




 どうにかして自分の殻を破りたい。

 そんな想いを秘めていたところに現れた、孤独を恐れないアサギに惹かれ、咲は少しづつアサギと行動を共にするようになっていた。




 それから二か月――。



 今ではこうして、率直な言葉を交わせるようになっていた。

 淡い、まだ恋心とすら自覚できないほどのささやかな、それでいて大切な想いを胸に秘めて。



「別に……大したことじゃねーよ……。転入してきたときにさぁ…… 『お誕生日までにクラスみんなとお友達になれるように頑張ろうな!』 なんて言ってさ。なーんにも手伝わないでやんの。 突っ立ってりゃ友達ができるとでも思ってんのかよ。イジメの的になるだけじゃねーか」



「ふふふっ……」




 うらつらと言葉を並べるアサギの横顔を半口開けて眺めていた咲が、不意に吹き出した。

 驚かさないよう声は控えめに、なのにわざと言い方を乱暴にしてアサギはジト目で抗議する。



「な、なんだよっ」


「だって……大したことないって言う割にいっぱい喋るんだもん。 おっかしぃ」



 目尻に一粒浮かんだ涙を白魚のような指で拭いながら、咲が返す。


 人を寄せ付けないようにとアサギが会得した不機嫌なオーラも睨んでくる目も、その裏にある素のアサギを知る咲には効かない。

 照れ隠しにしか見えないからだ。



 背伸びしたがる少年が覗かせる年相応の姿が、なんだか可愛かった。

 そんなこと言ったら怒られそうだけど。



 言われてアサギは頬を赤らめる。

 慣れ合うつもりは無いが、アサギもまた、この少女と話しているときは心地よかった。




「それで……、誕生日っていつなの?」




 ◇




 藤村咲は机に突っ伏し、とても後悔していた。

 いや、最大のチャンスも手に入れていたので、突っ伏したまま同時にガッツポーズを決めていた。


 隣で喋っていたアサギは、塾の時間だと、咲を置いて足早に帰ってしまった。

 追いかける余裕はなかった。


 額を自身の机に付け、ほんの一センチ先にある天板の木目を眺めながら、さっきのやり取りを思い返す……。




 ◇




「誕生日っていつなの?」



 そう訊いたのは、咲。

 なんともなしに訊いた。



「明日」




 無感情に言い放つアサギ。



「あし……っ……⁉」

「あれ、珍し。浅葱あさぎ、まだいたのかー。ほい、明日お前日直。」



 顔を歪めたまま硬直した咲だったが、アサギの前の席の坊主頭の男子生徒が、日直当番を示す札をアサギに手渡してきたため、表情かおを見られずに済んだ。



「げ、俺明日日直かよー。最悪……」


(にっ……ちょ……⁉)




 言葉ほど最悪そうには聞こえない抑揚のない口調で、五ミリ厚のプラスチックでできた当番札を受けとりながらぼやくアサギ。

 坊主頭は札を渡すとランドセルの腕を掴んですぐ教室から出ていく。



「あ? どうした藤村?」


「う、ううううううん⁉ な、な、なんでもない!」


浅葱アサギ~。先生がー、明日理科で人体模型使うから、準備室から出しとけってー。俺伝えたからな~」


 出て行った坊主が廊下から頭だけ覗かせそれだけ言うと、すぐに引っ込んで行ってしまう。


【全日本小学生にらめっこ選手権】があったら地区優勝くらいできたかもしれない変顔で固まっていた咲は、坊主頭に「お~」と気のない返事をアサギが返す一瞬のうちに、慌てて飛んでいた意識を体内に呼び戻す。



「変な奴。あー、塾だりー」



 子どもらしい言葉を、口先だけで言いながら立ち上がるアサギ。

「変な奴」は誰向けに言い放ったのか定かでない。



「あ、あ、あのっ! アサギ君っ!」


「ん?」


「た、た、誕生日どうやって覚えたらいいかなって! なにか語呂合わせとかっ⁉」



 咲は必死で会話を繋げる。


 内容は正直何でもよかった。

 ただ、今を逃すわけにはいかなかった。




「ねーよ、そんな都合よく。……あ、夏至」


「だよね、そんなの無いよね! ……へ? げし?」



 “げし”という言葉にヒットする単語がゲジゲジしかなく、戸惑う咲。



「やっぱ知らねーか。マイナーだもんな、夏至。じゃな」




「ま、待って! 教えてげし! 教わるげし! 今覚えるげしっ!」




 美少女が言ったところで可愛いさが半減するだけの謎の語尾を身につけ、怪訝な顔で立ち去ろうとするアサギの袖を捕まえる咲。

 涙目の威力に、アサギは振り払うのを躊躇い、諦めた。



「ったく。……夏至ってのは……、冬至の逆。……冬至は……、聞いたことあんだろ? 柚子湯ゆずゆとかやるやつ」


「う、うん……。なんか、南瓜かぼちゃ食べたりするよね? おばあちゃんが毎年煮物作ってくれる。風邪ひかないようにーって。 甘くて、ホクホクなんだぁ」


「そう、それ。 あれが一年で太陽が出てる時間が一番短い日。 夏至は、その逆」


「じゃあ……一番太陽が長く出てる日なの⁉」


「そういうこと。なんでも、たこ食べるといいらしいぜ。藤村はたこ焼きでも食べとけ。じゃな」



(アサギくんは時々私たちの知らない大人びたことを言う……それが魅力でもあるんだけど、近づこうとする人を寄せ付けない壁のようにも感じる……)



 シャツの袖を握っていたはずの咲の拳は、形を保ったままだが既に力が抜けており、歩き出したアサギを引き留めることができず綿の生地をすり抜けさせた。

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