人間はやめたが、魔法使いはやめません!

早川映理

プロローグ

 だから言ったじゃないと言いたいところだったが、本当はそんな恐ろしいことがあり得るなんて考えたことはなかった。

 

 でもこれで当初の違和感を説明することができた。あの連中の魔法はやっぱり訳アリのものだ。

 

 憤慨を感じたというより、悔しかった。なぜ自分の直感を信じないだろう。無理やり他人まで自分のことを信じさせようとしなくても、せめて自分は自分のことを信じようよ。

 

 でも、今さらもう遅い。向こうはすでに攻撃を発動した。猛烈な炎が自分に向けて襲いかかる。この狭い廊下じゃ逃げ場がない。とはいえ、そのまま死ぬのは絶対嫌だ。単に自分のためだけじゃない、利用された者たちのためにも、ここで何とか乗り越えようしかない。

 でも……

 

「どうしたら……」


 もう考える時間すらない。肌に這い上がっているとてつもない熱さと痛みはさらに思考を妨げる。


 頭が真っ白になった。もうここまでだ。理性のかわりに、生存への欲求だけが体を支配している。

 

(熱い、痛い、助けて……)脳からこぼす言葉はもはや有益なものではない、ただ絶望に誘発された無意味の叫びだった。


 ——死にたくない……


 そこで、心の底から、苦痛を与える炎とは違う穏やかな暖かい何かが現れて、意識を遠いところへ引っ張った。


 (まさか天国じゃないよなあ)と恐る恐るその感覚に問いかけたら。


そこには救いがあると、直感がそう言ってくれた。



 広々とした庭の一隅に西洋風のガゼボが佇んでいる。遠い場所でもそのおしゃれな半球状屋根が見ることができる。ガゼボのまわりは花一面の古典ガーデンで、生き生きとした植物たちが時々ふってくる風につられて揺らいでいる。

 

 時は酷暑にもかかわらず、この庭の主であるイヴァンはスリーピーススーツを身につけて、アンティーク調の椅子に座りながら一心不乱に本を読んでいる。

 

一滴の汗も見せない上、彼のその海色の瞳を見ているとなぜか涼しさが自然に身にしみる。彼のまわりはそれだけ心地よい空間だ。

 

 とはいえ、その平穏さのあまりに少し異様な感じがなくもない。というと、生きている人間にはどうしても見えない。

まるで人形だ。

 

 イヴァンの一挙手一投足は事前に設定されたかのように、無駄な動きは一切ない。この完璧しかいいようのない絵面が破壊されたことはたとえ予測できなかった。イヴァンの頭の中からふっと無機質な声が聞こえた。


 ——接近アラーム、衝突まで:0秒


 (0秒?)と思った途端、イヴァンの真正面の空からイナズマのような光が閃いて、次の瞬間炎に包まれた物体が地面に当たって爆発を起こった。

 

 その衝撃波のせいで、ガゼボの屋根に飾り付けたステンドグラスが一気にガシャンンの音を立ててバラバラに砕けた。空中には瞬時に無数の凶器が舞い上がっている。

 

 それでも、何もないところから急に現れたカオスを眼前にして、イヴァンはただ冷静な眼差しで目の前の出来事を見ながら、高速移動で多彩的なガラス凶器をさも簡単に避けた。


 そして、最後の破片がお茶に落ちた寸前コップを上げて、紅茶を一口啜った。

 

 「旦那様!」外の不穏な音が聞こえただろう。母屋からお爺ちゃん姿の使用人が慌ててここへ走ってきた。

 

 突如来た火は延焼せず、俄かに庭にある強力なスプリンクラーによって消された。イヴァンは呼び声に答えず、庭に侵入したものへ向かう。

 

 よく見れば、先ほど炎に包まれたのは人間みたいで、全身の肌がひどく焦げてしまって瀕死状態に陥ったようだ。

 

 イヴァンはその人の傍にしゃがんで、頸動脈に指を当てて脈を探している。

 

 「大変だ!」使用人がようやくこっちへ来たが、目の前の情景を見てさらに混乱した。

 

 指から何にも感じないと思いきや、気力の無いかすれた女性の声が聞こえた。

 

 「たす……けって……おね…っ…い」

 「手術室を整えろ」とイヴァンは穏やかな声を発して、パニック状態の使用人に指示を出した。

 「は、はい!」使用人の爺さんは一つの深呼吸をして、また走って母屋に戻った。

 

 イヴァンは無表情のままそっと彼女を持ち上げた。

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