第190話 温泉旅館 若女将視点

 それから、しばらして浴衣姿で歩く種竹様を見かけました。


 私はその姿を見てホッとしました。各部屋には家族温泉があるとはいえ、その温泉をご利用していただけるのか不安だったのです。


 浴衣姿ですので、たぶん入っていただけたのでしょう。


 そもそも、男性にお泊りいただくこと自体初めてでしたからね。


 家族温泉についての感想をお聞きできればありがたいのですが、どうやら今は撮影中のようです。


 彼の周囲にはヒーワイテレビのスタッフさんが、浴衣姿でカメラをまわしています。


 そんな彼らだから旅館ではとても目立っていました。

 他のお客様も男性の浴衣姿にきゃーきゃー黄色い声を上げながら、近づこうとしていましたがスタッフに止められていますね。


 特に混乱はなかったものの周りの従業員(仲居さん)にお客様へのフォローをするように合図を送っておきましょう。


 そんなことをしている間に種竹様とヒーワイテレビさんはそのまま旅館の外、庭の方へと出て行かれました。


 そこには和風庭園と露天風呂があります。


 男性の種竹様が露天風呂に入浴することはないでしょうけど和風庭園は撮影するにはもってこいのロケーションかもしれませんね。


 異変が起きたのはそれからの事でした。


 同じように和風庭園や露天風呂を楽しんでいただいていたはずのお客様が顔を赤らめながらこちらに戻ってくるのです。1組だけではありません、2組、3組と続けて戻ってくるのです。


 そんなお客様は皆、ウチの従業員に向かって何やら物言いたげにしていましたが、結局は何も言わずに自分たちの部屋へと戻っていきます。


 不思議に思いウチの従業員に見回りをお願いすると、その従業員が慌てて戻ってきました。


「若女将! あちらで……」


「な、なんですって!」


 顔を真っ赤にしながら戻ってきた従業員の話を聞いた大女将は卒倒。私は頭を抱えてしまいました。


 なんと種竹様とヒーワイテレビのみなさまが、和風庭園の一角で男女の行為をいたしていたのだとか。


 すぐに現場に向かいましたが、遠目では少し分かりにくいのですが、近づけばすぐに何をしているのか分かります。


 しかも、その周りには撮影しているスタッフまでいるのですからこちらとしては戸惑いしかありません。


 番組用の撮影自体は許可していましたが、こんな内容だなんて聞いてはいませんよ。


「お客様!」


 他のお客様に迷惑だと、すぐに抗議しました。もちろんウチの旅館のイメージも下がるので必死です。


「種竹様がここで撮影したいとおっしゃったのです。それに、今撮っている映像も編集したりモザイクをかけたりするのですから何が悪いのですか?」


 彼女たちが声を揃えてそう言うが、彼女たちの浴衣の帯は解かれているところをみると、順番を待っているのでしょう。


 だから、ここで中止にされたくない、そんなところでしょうか。


「ですがお客様……」


 私がなかなか引き下がらないと分かると、今度は邪魔をするな、あっちにいけ、とばかりに何度か肩を押してくる。


「お客様、困ります」


 ですが、この程度で引き下がる私ではありません。意地でも動くものですか、そう思っていたのですが、そこに、


「おい、女! 僕は仕事をしているんだぞ、邪魔するな!」


 そう種竹様です。初めて男性の裸(すっぽんぽん)をまともに見てしまい戸惑ったのは一瞬だけ、


「え、あ、その……失礼いたしました、申し訳ございません。お仕事でしたら仕方ないですよね。頑張ってください」


 その時はそれ以上に、いえ、それからもずっと『邪魔をするな』という種竹様からのお言葉が頭に残り、彼の邪魔をしないように行動していました。


 それは次の日種竹様とヒーワイテレビの皆様が当旅館から帰られるまでずっと。


 そのため、私はお見送りすらしておりません。若女将としては失格です。


 そんな自分の行動を後悔しつつ、急いで彼らが帰った後の状況を確認しました。


 するとなんてことでしょう。私が彼らの邪魔をしないようにしてからも、彼が気に入った場所があれば、どこでも男女の行為を行いカメラをまわしていたのだとか。


 しかも、その時には、宿泊されていたお客様やウチの従業員も混ざっていたりもしたようです。


 お客様が何も言ってこない以上、こちらから尋ねることはでませんが、同じようなことになったウチの従業員がいます。


 そんな従業員を集めてから詳しく話を聞いてみると、皆が皆、なぜかその時は、男性に抱かれてうれしいという感情はなく、彼と行為をすることが当然のことのように思えたらしくて、よかったという感覚も何もないのだとか。何ですかそれは。


 そんな彼女たちは男性へのアプローチはうまくいっていませんが、幸い、子どもが早く欲しいと話していた人たちでした。


 毎日のように『子生の採り』を広げては、どの男性にしようか話し合っていたくらいです。

 今回の件は『子生の採り』の費用がいらなくなったと思えばプラスかもと浮かれていましたね。


 しかし、従業員の1人が撮影されていたことを思い出してからが大変。


 ヒーワイテレビに自分が映っている映像はないかと問い合わせていましたが、相手側から思っていた回答は得られず、それどころか、言いがかりをつけてくるならこちらにも考えがあると、クレーマー呼ばわり。


 そして、その日を境にチンピラ女(ガラの悪い人)たちが旅館の前をうろつきはじめたのです。


 チンピラ女たちはウチの旅館周辺をただうろうろとしているだけなのですが、先日の一件もありウチの旅館は、とにかくヤバイ旅館という変なウワサが広がっていて、ウワサを信じていなかったお客様もうろつくチンピラ女たちのせいで離れていってしまいました。


 いくら弁明しても、客足は日に日に減っていき、ついには0組に。


「はあ、ウチはもうダメかもしれませんね」


 お客様のいないシーンと静まりかえった旅館。

 従業員も生活があります。思うように働けないと分かると離れていき、今では半分ほどまでになってしまいました。


「どうしてこんなことに……」


 ふいに、撮影記念にもらった種出様のサインが目に入り手を伸ばして、汚らしいものを持つみたいに摘み上げる。


 これはウチで働いてくれていた従業員がもらったものですが、彼にサインを求めると、断りなく突然胸を揉んできたそうです。


 そういうことならお断りしようとしたらしいのですが、すでにサインをもらった後だったため何も言えなかったのだとか。


 そんな事があり、その従業員は自宅に飾る気にもなれないそうで、ウチの旅館に置きっぱなし。

 まったく持って帰ろうとしないのです。


 こんなの、ウチの旅館にもいりませんよ……


「え!?」


 種竹様にもらったはずの色紙には、なぜか沢風和也と書かれていました。


 過去に彼(沢風和也)のサインをもらったという女性のSNSを見つけて、手元のサインと見比べたり、ネッチューブに上がっている最近の動画をいくつかチェックしていくうちに分かりました。


「本物。じゃあ彼は……」


 種竹様ではなく沢風和也様、いえ、沢風和也だったのではないのでしょうか。


 彼には良くないウワサがいくつかありました。

 その中に彼の念能力には思考を誘導するようなものがあるというウワサも。


 人気のあった彼に対する妬みや嫉妬だろうと、その時は鼻で笑っていましたが……

 お客様やウチの従業員、そして自分の不可解な行動が、なんとなくそれが原因ではないのかと思えば納得できる部分もあります。


 でも今さらですね。


 それにヒーワイテレビの方がタチが悪いように思えます。ウチの従業員がヒーワイテレビに電話を入れてからチンピラ女がうろくつようになりましたし。


 でもそれでなにもしないというのも……いや、1つだけあります。


 証拠もありませんし、頭のおかしなクレーマーだとすぐに電話を切られてしまうかもしれませんが、何もしないよりマシです。


 私は今回の件を沢風和也が所属している芸能事務所に伝えました。


 沢風和也の所属している芸能事務所は大手で親会社は東條グループ。

 沢風和也自身も婚約破棄されたとは言え、東條家の誰かと婚約していた時期がありました。

 婚約は破棄されていますが、醜聞を恐れて東條家が何かしてくれるかもしれません。できればやってほしい。


 はあ、一応話は聞いてもらえましたが、それだけです。きっと半分も信じていないでしょう。現状は何も変わらずですね。残念です。


「今日のお客様も0組ですか。予約も入っておりませんか……」


「はい」


 そんはある日、母の代からお世話になっている仲居(従業員)のトメさんと話をしていると、


 不意に電話が鳴る。一時期はクレームや誹謗中傷、いいがかりの電話が続いていましたが、ここ最近では珍しいですね。


「……はあ」


 それと同時に、また嫌がらせの電話だろうという思いも。

 

「お電話ありがとうございます。温水旅館でございます」


 努めて明るく電話をとると、思っていた内容と違いました。

 そう、久しぶりの宿泊予約のお電話です。


「……はい、ありがとうございます。野原様のご来館、心よりお待ちしております!」


 信じられなくて何度も頬をツネってみましたが、とても痛い。夢ではない。夢じゃ……


 お客様が来る。そう自覚すると、じわじわとうれしいが込み上がってきて、気づいた時には涙が頬を伝っていました。


「若女将?」


 近くにいたトメさんから心配されましたが、事情を説明したらトメさんも私と同じように目に涙を浮かべてよろこんでくれました。


「若女将! こうしちゃいられません! みんなにも伝えてきます!」


 トメさんはよほどうれしかったのか、すぐに他のみんなのところに行ってしまいましたが、このお客様が最後のお客様になるかも……


 そんな事を考えると、悔いが残らないようにしませんと……


バチン!


 痛っ……


 私は何弱気なことを考えているの! 暗くなりそうな思考を振り払おうと頬を叩いてみたのですが、ちょっと強く叩き過ぎたみたいですね。


「いたたたた……」


 でも気合は入りました。ウダウダ考えたって何も始まりません。今できることを精一杯やりましょう。


 予約のお客様は野原様の9名。予想をしていた通り野原様以外のお客様は今日まで1組も無し。


 でも、そんなことはお客様には関係のないこと。

 いつも通り精一杯のおもてなしで迎えるだけです。


 しかし、不安は未だにウチの旅館周辺をうろつくチンピラ女たち。


 追い払おうとしたり、警察に連絡したりすると姿を消すが、それは一時的なこと。すぐに戻ってきてうろつき始める。本当にタチが悪い。

 先ほども警察に電話をかけるフリをしたら逃げるようにどこかに行ったみたいですが、少し心配です。


 不安はありましたが野原様方のお姿が見えてホッとしました。さあ、みんなでお出迎えしましょう。

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